第7話 祝勝会

 大麻は手に入ったわけだが、最大の問題はこれから。如何にして売り捌くか。一般人が独自の売買ルートなど持っているはずもない。

 ならばどうするか。

 答えは簡単。

 すでにものを利用すればいい。

 ナガセの顧客リスト、そこには大麻を買いたい者達の情報が並んでいる。

 問題は、誰と取引をするか。

「やっぱり出来るだけ会う人数は少なくした方がいいと思うんだよね」

 ハギノが言った。

 相手はナガセの顧客だ。当然、ナガセと面識があるはず。となると、裏切られて交渉の情報をナガセに伝えられてしまう可能性がある。

 ゆえに最も金を持っていそうな奴とだけ取引をすべきとハギノは言ったのだ。

 ヤシロもこの提案に異論はなかった。

「なら、狙うのはこいつか?」

 顧客リストの一人の名前を指差すと、ハギノは頷いた。

 その人物が最も取引額が大きかったのだ。

「電話はどっちが掛ける?」

「私がするよ」

 そう言ってハギノは通話を試みる。相手はすぐに出たようだ。ハギノは大麻を手に入れた経緯などを隠して交渉に臨む。が、難航している様子。無理もない。相手からすれば、仕入れ先も知れない大麻を、まったく面識のない相手から買ってくれと電話が掛かってきたのだ。警戒されて当然だろう。それを察したヤシロは、とりあえず信頼を得ることが最優先と考え、ハギノに事実を伝えることを提案。当然、難色を示されるが、交渉事においては営業経験のあるヤシロの方に一日の長がある。ハギノはやがて意見を取り入れ、相手に実情を打ち明けた。その甲斐もあって実際に会う約束を取り付けることが出来たようだった。値段交渉はその時にとのこと。無論、入手方法など知られたくはない。しかし大麻を所持していても危険なだけ。さっさと現金化した方が良いに決まっているのだ。

「じゃあ時間と場所はそれで」

 通話を切ったハギノは、緊張を解くように吐息を漏らすと、ヤシロに向いて親指を立てた。

 まだ気の抜ける状況ではないが、交渉相手を得たのは大きい。

 とりあえずは計画も区切りの良いところまで来た。と言うことで、前祝いでもやろうとハギノが言い出した。

「まだ約束まで時間もあるし、それに夕飯も食べてないでしょ? 私が奢ってあげるよ」

「へえ、太っ腹だな」

「まあね。寿司でも焼き肉でも掛かって来いだよ」

「でも金はあるのか?」

 まだ大麻を現金化できていないのに、大丈夫なのか。ヤシロがそう問うと、ハギノはもう忘れてしまったのかとポケットからナガセの財布を取り出した。

「夕飯代くらいはあるよ」

 これに二人して大笑い。繁華街に店舗を構える焼き肉屋へ。窓際席に腰を落ち着け、いざ飲み食い。普段、決して食べることが出来ないような霜降り肉をたらふく胃袋へと流し込む。そうして馬鹿笑いをする内に、話は自然と金の使い道へと繋がっていった。

「あとは大麻を売り払えばお金が入ってくるわけだけど……。お兄さんは何か欲しい物とかあるの?」

「いきなり聞かれてもなあ」

 仮に大麻を売り払って五〇〇万が入ってきたとする。それを折半したら一人二五〇万だ。なかなかの金額。それだけあれば車を買えるし、最新家電を一式揃えられる。

 しかし。

「う~ん、欲しい物が無いわけじゃないが、絶対に欲しいってわけでもないしな」

「だったらやりたいことは?」

「それもない」

「なんだ、つまらないね」

「これでも色々と考えてるんだよ」

「考えるだけで終わってたから日常がつまらなかったんでしょ?」

「放っとけ。だいたいお前はどうなんだよ」

「私?」

「なにか欲しい物があるのかよ」

「それは特にないかな。でも、やりたいことはあるよ」

「どんな?」

「とりあえず借金を返す」

「はあ? 借金なんかあるのかよ。どんな生活をしたら、十八で借金なんかを抱えられるんだ?」

「まあ、色々あったんだよ」

「色々ってなんだよ」

「色々は色々だよ。たくさんの色って意味」

「今はそういう意味じゃないだろ」

 彼女はまだ十代だ。何処かしらの金融機関から借金しているとは考えがたい。また彼女が平然としていることから、それほど深刻な話でもないのだろう。大方、友人関係での貸し借り程度の話に違いない。

「じゃあ借金を返したいだけか。だったら、やっぱり俺と大して変わらなくないか?」

「ううん、借金を返したらこの町を離れて一人暮らしをしようかなって」

「また唐突なことを……」

「うんざりなんだよね、勉強とか学校とか友達とか家族とか。そういうしがらみから解放されたいわけさ」

「反抗期だな。まあ、気持ちはわからなくないけど」

 ヤシロ自身、仕事を放り投げて逃げ出したいと思ったことがある。それだけに解放されたいという気持ちは理解できたのだ。

「ま、私のことはこれくらいでいいじゃん。それよりもお兄さんはどうなのさ。やりたいことがないって言ってたけど、なにか思いついた?」

「聞かれたのはついさっきだぞ。そんなすぐに思いつくかよ」

「じゃあさ、今の仕事を辞めるってのは? お兄さん、今の会社が嫌なんでしょ。転職しようよ」

「簡単に言ってくれてるけど、辞めてどうするんだよ」

「いっそのこと大麻の密売人になってみる?」

「冗談だろ」

「まあね。でも仕事を辞めたらってのはマジだよ」

「あのなあ~」

 学生だから仕方ないのかもしれないが、現実を教えておく必要がありそうだ。

 確かに二五〇万は大金である。しかし人生を大きく変えられるほどの金額でもないのも事実。なのに仕事を辞めるなど現実を見ていない。

「でもさ、二五〇万もあれば当分の生活費には困らないわけだし、その間に転職先を見つければいいじゃん」

「一般的には働きながら転職先を探すものなんだよ。辞めてから探し始めるのは無計画すぎる。それに、三年以下の職歴はマイナス評価になりかねないしな」

「それだけ?」

「それだけって……」

「他に問題はないの?」

「あるに決まってるだろ」

「例えば?」

「それこそ色々だよ」

「ふーん」

 ハギノはグラスの中身を飲み干してから言った。

「はっきり言って、よくわからないんだけど。だってそうじゃん。私達は強盗に空き巣をすでにやってる上に、これから大麻の密売までやろうとしてるんだよ。今さらに何に恐れる必要があるのさ」

「そう言われると……」

 すでに存分に危険を冒している。それこそ退職よりも遙かにリスクの高いことをやってしまっている。

 そう考えると、確かに今さらなことを言っているような気がしないでもない。

「お兄さんは勘違いしてるよ。二五〇万が日常を変えるんじゃない。あくまで変えるのは自分自身。お金は、そのために利用するだよ」

「言ってる意味はわかるが……」

「お兄さんは『日常』を変えたいんでしょ? だったら行動しなくちゃ。例えば、私達が今やってることは世間的に間違ってることだけど、楽しいでしょ? わくわくしてるでしょ? 事実、今のお兄さんはとても輝いてるよ。何故だと思う? それはね、挑戦してるからだよ。これまでの『日常』を打ち破ろうと前例のないの行動をしてるからなんだよ。だから――」

「ちょっと待った」

 ぐいぐいと来るハギノ。若干、洗脳染みた危ういものを感じる。とにかく落ち着く時間が必要だ。転職のような重大事をこの場で即決すべきではない。

「わるい、トイレ」

 ヤシロは席を立つ。そしてトイレで用を足しながら考えた。

 先の話。本心を言えば、転職したくないわけじゃない。しかし、それを実現させるには問題が多くあることも事実。

 家族や友人は心配するだろうし、退職願を出すときには上司から嫌味を言われるだろうし、無職になること自体への懸念もある。

 いや、もっとはっきりと言おう。

 怖いのだ。

 日常を変えたいと思う一方、日常が変化することに不安があるのだ。

 想定外の出来事が起こったとき、自分がそれに対応できるのか。

 だから変化を望めず、ずるずると惰性で過ごしてきた。

 そんな人間が今さらに生き方を変えられるのか。

「はあ」

 ため息が洩れる。

 今日、失敗を恐れずに冒険をしたというのに、気付けば以前の思考に戻っている。染みついた習慣はなかなか改められない。

 これでは何のために危険を冒したのか分からなくなる。

 失敗を恐れるな。恐れなければ大金だって手に入れられる。

 そう、数百万くらいすぐに――。

 ヤシロは洗面所で手を洗いながら目の前の鏡を見る。そこに映った自分の顔を見据えながら何度も復唱。絶対に成し遂げる。大金を手に入れる。心に刻み込み、今一度深呼吸をしてトイレを出た。

 さあ、これから大仕事が待っている。

 それを成し遂げて日常を変えるのだ。

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