第5話 大麻密売計画

 ゲームセンターを飛び出し、商店街を駆け抜け、住宅街の公園に至って足を止める。そしてベンチに腰を落とし、興奮状態にあった息を落ち着かせる。

「それにしても危なかった。お前が助けに来てくれなかったらと思うと……」

 ヤシロは改めて礼を言おうと隣を見た。するとハギノが何やら財布の中身を確かめていた。それは自身の財布に対する手つきではなく、他人の財布を検めているように見えた。そこでハギノがチンピラのポケットを探っていたことを思い出し、まさかと思って確認すると、彼女はあっさりと認めた。

「うん、あいつの財布だよ」

「なっ――。盗んできたのか?」

「まあね。ちなみに免許証によると、あのチンピラの名前はナガセって言うんだって」

「どうでもいいわ。それよりも」

 窃盗という行いを咎めるも、ハギノはむしろ怪訝な表情を見せてきた。

「もしかして財布を盗むのは駄目って言いたいの?」

「当たり前だろ」

「じゃあナガセを殴ったことは?」

「あれは人助けのためだったから……」

「なら、これも人助けの一環だよ」

「はあ?」

「人はね、殴られないとその痛みを知ることが出来ない。言わば、私はあいつに教訓を与えてるわけ、もう他人に迷惑を掛けちゃ駄目だよってね。つまりトイレで殴ったのも、こうして財布を盗んだのも、悪人を更生させるための善行ってことだね」

「暴論だろ」

「暴論も一端いっぱしの理論だよ」

「そんな無茶苦茶な……」

「お兄さん、考えてもみなよ。ナガセは普段から他人に迷惑を掛けてるような奴だよ、見た目でわかる。だったら他人から迷惑を掛けられるくらいは甘んじて受け入れるべきなんだ」

「目には目をって言いたいのか?」

「もしも財布が盗まれたのが善良な一般人なら、怒りとか同情を抱くのも納得できるよ。けど、今回の相手は強姦すらしようとしてた悪人だ。それでも可哀想とか思えるわけ?」

「いや、相手が可哀想とかじゃなくて……」

 自分が罪を犯していることに対しての話だ。

「だったらお兄さんは自分の行いを悔いて自首でもすればいい。だってそうでしょ? 人を助けるためとは言え、ナガセを襲った。正義感だか理念だかは知らないけど、それを守るために自首したらいいよ」

「うっ……」

 確かにハギノの言うとおりだ。暴力行為をしておいて他人の窃盗は駄目だと説教が出来るのだろうか。ましてや財布の持ち主はナガセだ。正直、奴がどのような目に遭おうと心は痛まない。

「お兄さん、綺麗事なんか止めようよ。相手は世の中のルールを守ってないような奴なんだ。そんな奴に何をしようと罪を感じる必要はない。それに見なよ、これ」

「ん?」

 ハギノが財布から抜き取ったのは、小さなビニール袋。乾燥した苔のような物が入っている。それが三袋。

 いったい何だろうか。

「大麻だよ」

「え……。マジ?」

 言葉を失う。テレビの向こうの存在だと思い込んでいた物が、現実として目の前にあるのだ。驚いて当然だろう。

「お兄さん、あいつはこんな物を隠し持ってたんだ。相当な悪人だと思っていいよ」

「いや、もはやそんな話じゃないだろ。どうするんだ、それ。交番に持ってくのか?」

「これを? 拾った財布に入ってましたとでも言って?」

「まあ、そうなるかな」

「私はいいけど……。お兄さん、現状を理解してないね」

「どういう意味だよ」

「仮にこの財布を交番に持っていったとしようか。そうしたら警察は持ち主を探し出すよね、大麻が入ってたんだから。っで、持ち主はお兄さんに盗られたと訴えるわけだ」

「な、なんでそうなるんだよ!」

 盗んだのは目の前の少女だ。なのに、どうしてこっちが実行犯ということになるのか。

 するとハギノはおかしそうに笑った。

「あのとき、私は顔を見られてない。なら、ナガセは誰が犯人だと考えると思う?」

「まさか……」

「とは言え、この財布を警察に持って行かなければ問題ないんだし、気にすることないよ」

「気にするに決まってるだろ。こっちは強盗犯に仕立て上げられたんだぞ」

「あはは、そう言わずにさ。それより財布にもっと面白い物が入ってたんだけど、見てよ」

 ハギノが渡してきたのは、一枚のメモ用紙。内容を読む。幾つかの名前と場所、そして数字の羅列が綴られていた。おそらく数字は『電話番号』『重量』『金額』を示すものだろう。

「これ、何の数字だと思う?」

「知るかよ」

「まあまあ、機嫌を直してさ。何の数字か答えてよ」

「……おそらくだが」

 察するに、大麻に関する情報だろう。

 名前は、取引相手。

 場所は、取引場所。

 電話番号は、取引相手の連絡先。

 重量は、大麻の取引量。

 金額は、取引金額。

 つまりこのメモ用紙は顧客リストだ。

「やっぱりそう考えるよね。となると、ナガセは売人ってところかな。これだけの大麻を持ち歩いてたのも、そのためだよね」

「だろうな」

「だよね」

 するとハギノはとんでもないことを言い出した。

「ねえ」

「うん?」

「私達でやらない?」

「なにを?」

「大麻の密売」

「……はあ?」

 あまりの提案に唖然とするも、ハギノは平然と話を続ける。

「メモに書かれてる総重量からしても、小袋三個じゃ少なすぎる。おそらくだけど、ナガセはもっと大麻を溜め込んでるはず。それを頂いて私達が売り捌くんだよ。大丈夫、家の住所は分かる。ここにあいつの免許証があるからね」

「いや、そういう問題じゃなくて。本気で言ってるのか?」

「もちろん」

「無茶苦茶だ」

 成功するはずがない。こんな計画は破綻している。

「でも、お兄さんはこのままでいいの?」

「なにがだよ」

「ここで引くってことは、今までの生活に戻るってことだよ」

「……」

 つまらない、飽きた、うんざりする。そう思いながら過ごす日常。

 それを変える好機だとハギノは言う。

「お兄さんはまだ何も得てない。ここで引き返したら、チンピラに喧嘩を売っただけで終わる。でも、もう一歩を踏み出すことで大金が得られるかも知れない」

「だけど……」

「想像してみなよ、この計画が成功したときのことを。お金が手に入ることもそうだけど、きっと私達は心臓がバクバク鳴って吐きそうなくらいに興奮してるよ。なのに笑いが抑えられない。なんでも出来るって、根拠のない自信に満ちてる」

「……」

 確かにハギノの話は魅力的だった。日常に飽きてしまっている者ほど、なおさら魅力的に感じるはず。そこには確かな刺激があるのだ。

「だとしても……」

「お兄さん、これは試しだよ。もしかしたらナガセの家に大麻なんか無いかも知れない。だったら計画は中止、その程度の話だよ。難しく考えることじゃない。最初で最後の冒険くらいのつもりでいいんだよ」

「……」

 ふと、これまでの人生を振り返る。

 いつからだろうか、結果を先に想像するようになったのは。

 いつからだろうか、悪い結果を想定することが正しいと考えるようになったのは。

 気付けば行動しないことが当然となり、惰性に任せて日々を浪費していた。いくら心の中で「そんな日常は飽き飽きだ。本当はもっと面白い人生を送ることが出来るはずだ」と叫んでみたところで、染みついた習慣を変えられずに来た。

 しかし今、それを変えられるかも知れない。

 ちょっとの勇気。一歩を踏み出す勇気があれば、変えられるかも知れない。

 悪い結果を想定しなければ、最悪を想像しなければ。

 黙って考え込むこと数十秒、ハギノが改めて問うてきた。

「どうする?」

 ヤシロは答えを返す前に夜空を仰ぎ見た。普段どおりの星空。地上の出来事とは無縁の世界。計画すべてが終わった後に見上げたとき、何かが変わって見えるのだろうか。そんなことを考えながら深いため息をひとつ。

「あ~あ、お前のせいで厄日だ。本当に最悪だ」

 この返答にハギノは満足そうに笑うのだった。

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