第4話 ヒーローが遅れてくる理由

 ヤシロはハギノの指示に従って数分の時間を待ち、それからトイレへと向かった。天井に吊された案内板によると、店の最奥。人目の付かない位置だ。

「お兄さん。もう一度だけ言っておくけど、喧嘩に勝とうとしちゃ駄目だよ」

 ハギノには事前に作戦を伝えられていた。

 チンピラは男子トイレの個室で事を為そうとしているはず。だから蹴りでも体当たりでもして中へと強引に突入し、驚いて無防備になっているであろうチンピラを勢いそのままに殴りつける。

「念を押すけど、どんなに有利な状態であっても喧嘩に勝とうと思っちゃ駄目だよ。この作戦の目的は、女の子を救い出すことにあるんだから。女の子がトイレから逃げ出したら、お兄さんもすぐに逃げること。説明したけど、相手はんだから」

「わかってる」

 相手は追って来れない。

 その理由をハギノはこう答えた。

 をするにはズボンを下ろす。これは両足を拘束されたような状態と言える。よって逃げるだけならば容易であると。

「じゃあ任せたからね。私は入口ここで誰も入っていかないように見張りをしてるから。あ、バッグも私が預かっておくよ。邪魔になるでしょ」

「ああ」

 ヤシロはビジネスバッグをハギノに渡す。

 この作戦の肝は、どれだけ迅速に遂行できるからにある。

 邪魔者が来る前に、チンピラに体勢を整えさせる時間を与えず、女子高生を救い出して逃げる。

 この三事項を数度暗唱し、いよいよ実行。

 ヤシロは足音が鳴らぬよう注意しながらトイレに入っていく。すると案の定、人の姿はなかった。しかし個室の中からはごそごそと人の気配。ゆっくりとドアの前へと移動し、小さく覚悟の呼吸。そして地面を踏み締め、思いっきり体当たりをぶつけた。しかしここで予想外の展開。ドアを突き破れなかったのだ。

「そんな……」

 狼狽えるも、すぐに気持ちを切り替えて体当たりを繰り返す。が、やはり破れない。そして四度目の体当たりを繰り出した瞬間、ドアの方が勢いよく開き、ヤシロの体は吹き飛ばされて床を転がった。

「てめえか、コラ!」

 怒声が聞こえた。ヤシロはすぐに起き上がり、相手を見る。すっかりチンピラは臨戦態勢を取っていた。どうやら時間を掛け過ぎたようだ。早速の作戦の破綻に困惑は拭えなかったが、ヤシロはもうどうにでもなれとヤケクソ気味に掴み掛かった。しかし結果は目に見えていた。しばらく取っ組み合いを続けたが、遂には地面に組み伏せられてしまったのだ。

「ぶっ殺すぞてめえ!」

 そう言って振り上げられた握り拳を見据え、ヤシロはやはり無茶はすべきではなかったと自分の選択を悔やんだ。不幸中の幸いは、この隙にトキワがトイレから逃げ出せたこと。ならば殴られても慰めくらいにはなるだろうと覚悟した。

 しかし、そのとき。

 ガンッと衝撃音が鳴り、次いでチンピラが白目を剥いて倒れ込んできた。

「時間を掛けるなって言ったのに、駄目だねえ」

 覆い被さっていたチンピラを退かすと、そこにはデッキブラシを手に持つハギノが立っていた。

 どうやら衣服の乱れたトキワがトイレから駆け出して来るも、それに続いて誰も出てこないので訝しく思い、確認のために中へと入ってきたようだ。

「大丈夫だった?」

 そう言って差し出された手を掴み、ヤシロは立ち上がる。

「わるい、助かった」

「あはは、気にしなくていいよ。感謝されるようなことはしてないしね」

 笑いながらそんなことを言った後、ハギノは床に突っ伏すチンピラを覗き込んだ。そして気を失っていることを確認し、衣服のポケットを探り出す。

「何してるんだよ」

「ん? ちょっとねえ~」

「はやく逃げないと人が来るぞ」

「分かってる分かってる」

「なにを悠長な……。いい加減にしろよ、早くしろって」

「うん、もう大丈夫。じゃあ行こうか」

 そうして二人は足早にゲームセンターを後にする。

 逃走の最中、ハギノは笑っていた。まるで新しく買ったゲームを楽しむ子供のように。

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