第2話 不良少女との出会い

 買い物を終え、自宅を目指して歩き出す。駅前の喧噪を離れ、住宅街へ。

 事件は、その道中で起きた。

 不意に背中を衝撃が襲い、それによって前のめりに転んでしまう。持っていたコンビニ袋が地面に落ちた。

 いったい何が起こったのか。

 状況が理解できずに呆然としていると、背後から何者かが側を通り抜け、落としたコンビニ袋を踏みつけた。当然、中身の弁当はぐしゃりと潰される。

「あっ」

 思わず声が漏れる。

 文句を言ってやろうと顔を上げると、そこには先ほどの少年が立っており、彼は地面に転がっていた煙草を拾うと、挑発的な笑みを浮かべ、次には踵を返して走り出した。

 どうやらレジの一件の仕返しにと背中を蹴られ、そして煙草を盗まれたらしい。

 ようやく事態を把握し、それと同時に込み上げてくる怒り。

 未成年が煙草を買おうとしていたことがそもそも間違っていたのに、それを注意されたからと蹴りを入れ、あまつさえ弁当を台無しにするなど、ただの逆恨みだ。

「ふざけるなよ!」

 普段ならば愚痴を零して終わりだった。 しかしこの時のヤシロは少年を追い掛けていた。許さない。絶対に捕まえてやる。怒りを決意に換えて走っていた。少年が商店街へと駆け込んでいけば、ヤシロも追随して商店街へと駆け込み、さらに迷路のように入り組んだ路地を追い回す。このまま逃がしてなるものか。久方ぶりに爆発した怒りは、労働の疲れを吹き飛ばし、少年の後を愚直に追わせた。

 そして幾度もの曲がり角を介して行き着いたゲームセンターで決着はついた。

 騒音と人が入り乱れるそこは、地元の不良が入り浸っている場所で、煌びやかな大手とは比較も出来ないほどに寂れた店内だった。さほど広くはなく、設置されている筐体も最新機から数世代は古い物ばかり。その上に煙草の臭いが立ち籠めており、お世辞にも治安が良いとは言いがたい雰囲気があった。

 そんな場所に少年が駆け込んでいくも、全速力で走っていれば誰かとぶつからないはずもなく、物陰から出てきた女子高生と衝突。互いに尻餅をついた。

「どこ見てんだよ!」

 少年は女子高生に怒鳴ると、すぐに体を起こして走り出す。ヤシロがすぐそこにまで迫っていたからだ。しかしヤシロは少年の後を追うよりも女子高生に手を差し伸べていた。無論、心情的には少年を捕まえたい。しかし無関係の少女を巻き込んだのだ。良心が無視を許さなかった。

「ありがとうございます」

 女子高生はヤシロの手を握り、引き起こされる。が、そこで痛そうに顔を歪めた。どうやら転んだ際に足首を捻ってしまったようだ。

「大丈夫?」

「あ、はい。ちょっと捻っただけなんで」

「本当に? タクシーでも呼ぼうか?」

「いえ、大したことないんで」

「でも病院に行った方が……」

「本当に大丈夫なんで。これから用事もあるし」

 頑なに断る少女。

 ヤシロはその総身を見渡す。

 黒髪にキッチリとした制服姿、しかしまとう雰囲気は垢抜けている。

 そこから推測するに、もしかしたら親や教師には真面目な生徒で通しているが、陰では遊び回っているのかも知れない。だから病院などに連れて行かれると遊んでいることがバレてしまうと考え、頑なに断っているのかも知れない。

「じゃあ、これを」

 ヤシロは病院に連れていくことは諦め、代わりに名刺を渡した。

「もしも問題があった時は、そこの番号に電話してきて」

「分かりました」

「あ、ごめん。一応、名字だけでも教えてもらってもいい? そうじゃないと、電話をもらっても気付けないかも知れないから」

「えっと……」

 初対面の相手に名前を聞かれれば誰でも警戒する。しかし少女はすこし考えた後に名乗った。トキワ、それが自分の名前だと。

「トキワさんだね」

「はい。では、私はこれで」

 そして少女は頭を下げて去っていった、足を庇いながら。

「本当に大丈夫なのか?」

 気にはなったが、本人が大丈夫だと言う以上は何も出来ない。

 仕方ないと気持ちを切り替えたところで、そう言えばと少年のことを思い出す。が、どうやら少女と話している内に逃げられてしまったようだ。

「くそっ」

 ヤシロは舌打ちするが、後の祭り。姿を見失っては、もはや追えない。加えて言えば、少女との会話で冷静になってしまい、怒りが鎮火してしまったのも理由としてある。ヤシロはもういいやと足下の煙草を拾い上げる。少年が衝突の際に落としたのだろう。せめてこれを取り返したことを慰めとするか。ヤシロは出入り口へと向かう。さっさと自宅に帰り、風呂にでも入ってしまおう。そう思ったのだが、途中で喫煙所が目に入った。

「……」

 今夜、普段はしないことばかりやった。だからついでに煙草も吸っていくか。

 その程度の思いつきだった。

 気付けば喫煙所の灰皿スタンドの側に立ち、箱から煙草を一本だけ抜き取っていた。が、ここで一時停止。どうやって火をつけるのだろうか。上司の喫煙は何度も見てきたが、吸い方などを意識して観察したことがない。とりあえず火をつければ良いのだからと、指に挟んだままライターの火で先端を炙る。しかし何かが違う気がする。事実、上手く火がついてくれない。

「なんでだ?」

 ヤシロが小首を傾げながら悪戦苦闘していると、近くでクスクスと笑い声が。振り向くと、派手な少女が笑っていた。

 歳は十八ほどか。派手な格好ながらも、年齢相応のあどけなさが垣間見える。しかし近寄りがたい個性的な身なりなのも確か。髪は青色で、濃いめのアイシャドウが性格の強さを物語っているようで、まず普通に暮らしていれば関わることのない相手だろう。

 目立つ子だなと思った。

 トキワとは正反対。一度見たら忘れないほどに特長が散りばめられた外見をしている。

 そんな少女がヤシロへと近寄ってくる。何故か、気圧されるように身を引いてしまう。未知との遭遇に近い感覚。相手の施行がまったく予測できなかったのだ。

「お兄さん、そうじゃないよ」

 少女はヤシロの煙草とライターを取り上げると、口に咥えてあっさりと火を灯した。その慣れた所作から彼女が喫煙経験者であることが窺えた。

「煙草はちゃんと吸いながら火をつけないと。はい、どうぞ」

 そう言って返された煙草には、彼女の薄ピンクのリップクリームがついていた。それだけに咥えることが躊躇われる。が、相手は十八やそこらの少女。気負いしてどうする。ふと見ると、その心情を見抜いていたかのように少女はにやついている。だから対抗意識が働いてしまい、気付けば煙を思いっきり吸い込んでいた。

 そして。

「ゴホッゴホッ」

 せた。

 肺に侵入する煙を体が拒絶している。やはり煙草は向かないらしい。

 一方、少女はゲラゲラと笑っていた。

「あっはっは、やっぱり駄目なんじゃん」

「……きみ、何歳?」

「はあ?」

「見た感じ、まだ十八くらいだろ」

「だったら?」

「未成年なら煙草はやめときな。じゃないと、まともな大人になれないぞ」

 すると少女は小馬鹿にするように笑った。

「お兄さん、真面目だね。あんまり見ない顔だし、普段はこんな所には来ないでしょ」

「まあ、普段は」

「だよね。スーツで来てる人とか見たことないもん」

「そういうきみはよく来るのか?」

「私もあんまり来ないよ。ここって学校の先生が見回り週間の時に寄ったりするから、来にくいんだよね。今日はちょっとした用事があってさ」

「ふーん」

「ちなみに、きみじゃなくてハギノね」

「え?」

「私の名前」

「そうなんだ」

「そうなんだよ。よろしくね」

 ハギノが手を差し出してきた。初めは意図が分からずに呆然としたが、握手を求めていると気付いて応じると、少女は不敵にふっと笑うのだった。

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