第3話 [A-Z]+ MEETS GIRL.
「ねえ.はやく」
聞こえたのは若い女性の声だった.肩を掴まれたと思ったと思ったら,今度は強引に腕を引かれる.
「ちょっと待ちなさい!」
あたりまえだが警官は俺たちを呼び止める.
「すみません.この人借りまーす」
結局また走るのかと暗澹たる気分になりかけたが,すぐ近くの角を曲がると目の前にあった建物に逃げ込む.
警官は気付かず入り口の前を通り過ぎたようだが,気づいて戻ってくるかもしれない.心配しながら入り口の方を伺っていると,受付で簡単なやり取りを済ませた少女が戻ってきて,個室へ案内された.
「ふー.危なかったねー」あまり危機感の無い間延びした口調でそう言うと,少女は部屋にあったソファーに身を預けた.
どうやら助かったようだ.俺もローテーブルを挟んで彼女の向かいのソファーに腰を下ろす.
「助かったよ,ありがとう」ひとまず礼を言う.
「平日の昼間っから,そんな格好でうろついているからだよ.わたしもひとのこと言えないけどさ」
やっぱり服装が原因なのか.そう思って少女を見ると,俺と同じくらい目立つ格好をしているように見える.いや,赤のチェック模様のミニスカートにピンク色の上着は絶対に俺より目立つだろう.
そのうえ,オレンジがかった茶色の髪に整った顔立ちはこんな世界でなくても,同年代の男子の注目を浴びそうだ.
「何か食べる?」差し出されたメニューにはドリンクと軽食が並んでいる.空腹なのを思い出してしまった.
「食べたいのは山々だが,持ち合わせがないんだ」
「仕方ないなー今回は奢るよ」
少女は未成年だろう.おそらく十代半ばの少女に奢ってもらうというのは情けないが,空腹には逆らえず厚意に甘えてしまうことにした.
運ばれてきた軽食を食べながら話しかける.
「助けてもらってなんだけど,若い子がこんなところに男と二人で入って良いのか?」
この世界のことは知らないが,常識的にはあまりよろしくないと感じた.
「はー.いまさら何をいってるのこの人は,それに若い子って」まぁ確かに今更なんだが.
「ところで,ここは日本のどこなんだ.現在の首都らしいけど」
「どこって,東京に決まってるじゃん」
「何?トウキョウ……ここが?」
「ぷっ,何それ.しかもつまんないし.あははは」
つまらないのか何かが面白いのかよくわからないが,俺も変なことを聞いている自覚はあるので気まずい.
「日本はいったいどうなってるんだ?」
「どうって……そんな難しいこと聞かれてもわたしには分からないよ」困ったような顔をする.
「いや,悪い.困らせるつもりは無いんだ」
「そんなことより……自己紹介まだだったよね!あたしは,芹田れな.あなたは?初対面だよね?」
日本のことなんてどうでも良いと言うような感じで,こちらに身を乗り出してまくし立てながら俺の名前を問う.そういえばまだ名乗っていなかった.
「俺は……」
答えようとして衝撃をうける.
「まさか,今度はワタシはダレ?とか言い出さないよね」
「俺は……誰だ」
記憶が無いのは自覚していた.だが,まさか自分の名前すら分からないのは予想外だった.
「ぷ……さすがにもう笑えないんだけど」
「…………」
名前だけでなく,自分のことが全く思い出せない.そういえば記憶を消されたというのは本当だったのか.
「え?ねぇもしかしてマジなやつなの?」
続けて,こういうとき病院と警察どっちだろ?と呟いているのが聞こえた.
「いや,大丈夫だかから,ちょっと待ってくれないか」
警察に突き出されるのは困るし,ここがどういう世界かもわからないので病院もちょっと心配だ.
「うーん,でも放っておくわけにいかなそうだし,それじゃあ……」何か妙案があるのか,しばらく待つように言われる.
少し時間をおいてから建物から出た.とりあえず警官はいないようだった.
「心配しなくても,この時間ならもう大丈夫だよ」
周りに警戒している俺に気づいたのか,そう声をかけられた.
付いてくるように言われてしばらく無言で歩く.
ほどなく大き目の施設が見えてきた.やっぱり警察か病院に連れて行かれるのかと思ったが違ったようだ.建物の入り口に高等学校という文字が見えた.
正面の校門からは入らずに裏口からこそこそと入り,そのまま屋外に備え付けられた人気のない階段を登って3階から建物に入る.
長い廊下が続いているが,そちらには進まずにすぐ横にあるドアをノックもせずに開ける.ドアの横に「生徒会」と書かれた札が付いていた.
「やっほーはるっち」
「今更登校?もう授業は終わったのだけど」ここからは見えないが,中にだれかいるようだ.
いつの間にか掴まれていた腕をひかれてドアの入り口に立つと部屋の中が見えた.
壁際には棚があり何かの本や雑多な小物が並んでいる.正面にある机の向こうには誰か座っているようだが,机の上に置かれた端末のディスプレイのパネルに隠れて顔は見えない.
「いやーそれがね.この子が補導されそうになってたから」
慌ててカラオケに飛び込んで事なきを得たという説明をしている.
俺が名前も思い出せないという話をになると,
「ここじゃなくて病院に行ってもらいなさい.救急車呼んだほうがいいかしら?」
それは至極真っ当な反応だろう.
「それが何か事情があるみたいでさ.ね.ちょっと調べてみてよ.生徒が困ってたら助けなきゃ.ね」
「学校にも来ないで遊び歩いている生徒なんて助けたくはないのだけど.しかたないわね」
先程はるっちと呼ばれていた少女(声からおそらく芹田と同じくらいだと思った)はディスプレイを見ながら何か端末を操作している.
「本当に自分の名前も分からない?」
「ああ」
そう言うと,キーボードを叩きつつ時折ディスプレイの横からこちらの方を凝視している.いま気づいたが,はるっちと呼ばれていたのは芹田と同じくらいの背格好の少女のようだ.
それからしばらく無言でディスプレイを見つめているようなので,手持ち無沙汰になった俺は芹田の方に小声で問いかける.
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ.はるっちすごくすごいんだから」何がすごいのか良くわからないが,とにかく様子を見守ることにした.
「うーん,おかしいわね……見つからない」
よくわからないが,芳しくないようだ.
「そういえば,もしかして……」
「やっぱり.見つけたわ」
目当ての物を見つけたようだ.
いつの間にか机の横にいた芹田も覗き込みながら何かを見ている.
「さすがはるっち.うん,確かに間違いないね」
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