第41話 疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ。





私この有名な台詞を聴いてないような気もするんですが、なぜか存在は知ってます。


まあパロディとかでいろいろ使われてますから、

その元ネタとして知ってるんだろうなぁと。


この言葉は、それこそいろいろな作品に出てますが、

私の希死念慮の根底にあるような気が気がしないでもない。


ただ私の敬愛する漫画家さんが、自分の作品を出したとき、

否定しかつ長生きして天に召される風体にしてたので、

こりゃこのままおっちねないな、と思ったんですけど、

希死念慮のやっかいなのは、「ふと」だったりするので、

とりあえず私個人の場合はね、なのでそうなったとき、私の中の、そうですねえ、

Aが希死念慮バリバリ持ってるとするなら、とたんに「それ行け!」と、

私の頭の中のBCDFその他が(ここはあえて人格とは呼ばないようにしますが)、

興味が少しでもある事柄をあれこれ引っ張り出して、

そのたび生きるベクトルに方向転換してるんですよね。


じゃあ本当に死にたいのか?って言ったら・・・

厳しい条件をクリアできたときにのみ、有効になる私の希死念慮かなぁ、と。


私が死んでも何も困る人がいないのは重々わかってるので、

それは夫もそうだと思うよ、仕方ないことだけど。

だけどやっぱり死んでなかったことにはしたくはない。


私はもう子供も産めることはないだろうし、

抗うつ病とか睡眠導入剤とか服用してるし。


数年前は子供ほしかったけど結局できなかったし、さっきも言ったけど、

私の残りのいのちが有効活用できるんだったら、

そりゃもう逝ってきます!になり得るわけです。


すいません、今も希死念慮がおいでおいでしてるので、

ただ死ぬのはしゃくだから、もう少し、

私のいのちの有効活用ができる時代が来るまで、生きながらえてみます。


それより先に、どうぞ有効活用できる機械とか、安楽死を認めてくれー!


生きがいがあればそれもいいけどね、

なにせどこに相談してみればいいのかわからないし、

福祉課とかそんなとこに企画(!?)持ち込んでも門前払いが関の山でしょう、

実際今まで何回か相談したけどダメだし。


なにせ書くことはできてもしゃべるとこができないから却下だし。


このまま生きさらばえていくよりは、

っていうことを考えるよりは実現可能なような気がするんだけど?

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