第95話 緊急事態


「へへへ……まずどこからいこうかな」


 セレスが涎を垂らしながら寝ているリュークに近づいていく。

 すると――リュークが「うーん……」と小さくうなりながら寝返りを打つ。


 セレスは慌てて息を止めて微動だにせずにリュークの様子を眺める。

 少し時間を置いても起きる様子がないので一安心するが――今の寝返りでリュークの服が少し捲めくれ上がり、引き締まった腹とおへそが見えるようになった。


 ただお腹が見えたというだけなのに、より無防備さを表しているかのようにセレスは感じてしまい生唾を飲み込む。


「さ、誘ってるんだな? そうだよな……! よ、よし、オレも女だ! 据え膳ぜん食わぬはなんとやらだ! い、行くぞ!」


 遂に、セレスが覚悟を決めてリュークへと手を伸ばした――しかし、その瞬間にリュークは飛び跳ねるように起きた。


「――うおっ!?」


 上体を起こして布団を跳ねのけて目を覚ましたリュークに驚いて声を上げたセレス。


 跳ね起きたリュークの隣で変な形で固まっているセレス。変な姿であったが内心はドキドキだった。


(ば、ばれたのか!? 近づきすぎたから!? そうか、あれだけ強かったら寝ていても敵が近づいてきたら起きるか! 油断した……!)


 そんなことを冷や汗を流しながら考えているセレスだったが――リュークは目を瞑つぶっていてセレスを見ていない。


「なんだこれ……? ドラゴンか?」


 リュークはそう呟いて目を開ける。

 さすがにセレスもリュークの様子が自分に気付いて起きたということでないと気付いて、恐る恐るリュークに話しかける。


「ど、どうしたんだ……? い、言っとくけどオレはまだ何もしてないぞ!」


 これから何かをしようとしていたということを自白するような内容だったが、リュークはそれに気づかずにセレスの方に顔を向ける。


「セレスか。起こしに来てくれたのか?」

「は? 起こしに来た……?」

「違うのか? この緊急事態を伝えに来てくれたんじゃないのか?」

「緊急事態? 何を言っているんだ?」


 リュークもセレスも話が全く噛み合わないことを不思議に思いながら、事態を理解しているリュークが行動する。


「とりあえず外に出るぞ! 何が起きてるのか中ではあまりわからない!」

「ちょっ! どういうことだよ!?」


 リュークは急いで船の中から外に出る。セレスもよくわかっていないがリュークを追って外に出た。

 外に出ると少し風が強く、セレスの長い髪がなびいていた。


「なんだよ、どうしたんだリューク?」

「セレス……あれはなんだ?」

「はぁ? あれってなん――」


 リュークが船の右手の空を指さすと、セレスもつられてそちらに顔向ける。


 セレスはそれを目にして思わず言葉が詰まる。言おうとした言葉が出てこないほどの衝撃を受けた。



 セレスの目に映ったのは――とても巨大な竜巻だった。


 それはパッと見で直径数百メートルはあり、高さは……どう見ても雲の中まで繋がっていた。


 そして、巨大な竜巻は恐ろしいほどの勢いで海水を巻き上げている。

 竜巻はまるで蛇のようにウネっていて、巨大な生き物が轟音とともに船に近づいてきているように見える。

 リュークと死闘を繰り広げた蛇の王、バジリスク――あれが可愛く見えるほどの大きさである。


 呆然と眺めていたセレスだったが、数秒すると我に返ったように驚きの声を上げる。


「な、なんでだ!? なんであんなにでかい竜巻がいきなり現れる!? そんな前兆なか――っ!?」


 ――違う。

 ――セレスは混乱していた自分の頭が冷えるような感覚に陥る。


 セレスはリュークが寝ている間に見張りを任されていた。

 しかし――ちゃんと見張りをしたか? 目先の欲望に惑わされて外の様子をしっかりと確認していたか?

 答えは否だ。リュークを襲うことばかり考えていて、見張りを怠っていたのだ。


(その結果が――これだってのか? オレだけじゃなく、リュークまでも巻き込んじまったのか……?)


 竜巻は恐ろしいスピードで船に近づいてきている。今更船の方向転換をしたところで、避けられないのは目に見えている。

 あんな巨大な竜巻がこんな小さな船に当たったら、船は木っ端微塵に吹き飛びセレス達は海の藻屑になるだろう。


 セレスは諦めたかのように、膝をついてリュークに謝罪する。


「リューク……すまねえ。オレがいながらこんなことになっちまって……」

「セレス、これはなんなんだ? どっかの魔物がこの竜巻を起こしてるのか?」

「いや……これはただの自然災害だ。だが、こんなでかい竜巻はオレは生まれてこの方見たことない」

「俺もだ」


 リュークの反応が自分ほど絶望してるように感じないので、セレスは隣に立っているリュークの顔を見上げる。


 すると――リュークはあの巨大な竜巻を見て笑っていた。


 人が諦めてた時に見せる自嘲じみた笑いでもなく、自暴自棄になった時に見せる狂気じみた笑いでもなく――ただ楽しみを見つけた時に見せる笑顔であった。


「凄いな……俺が森にいたときに時々現れるアネモスドラゴンが出す竜巻より数十倍はでかいぞ。あの攻撃は厄介だった。避けたら家に直撃して家が吹き飛ぶからな」


 リュークは思い出すようにそう語るが、セレスの耳にはその情報は一切入ってこない。


「お前……なんであれ見てそんなに余裕そうなんだよ! お前泳げねえんだろ! いや、もうあの竜巻は泳げないとかの問題じゃねえぞ……」


 力なくそう呟くセレスを他所にリュークは楽しそうに声を弾ませながら言った。


「じゃあ――あれを壊すか」

「――はぁ?」


 リュークが言った言葉を理解できないセレスだったが、リュークはセレスを置いて宙に浮かび始めて一気に竜巻に近づいていく。


「あっ! ま、待てよ! 何も自分から行くことねえだろ!!」


 セレスにはリュークが自殺志願者のように竜巻に自分から近づいていると思えたが、もちろんリュークはそんなことをするつもりはなく、ただ竜巻を潰すために近づいて行ったのだ。


 船から離れて、水面から約一〇〇メートルほどの上空にリュークはいたが――竜巻はさらに上に伸びていて雲すら巻き込んで巨大な一つの生き物のようになっている。


 船から見ているセレスには巨大な竜巻とリュークの比較が出来てしまい、より一層竜巻の大きさを実感が出来るようであった。


「近くで見てもマジで凄いな。これが自然に起きるなんて……」


 リュークはそう言いながら空中で魔力を貯め始める。

 今まででも最高レベルで魔力を集中させて対処しないといけないとリュークはわかっていたので、少し時間をかけて――しかし、尋常ではないほどの魔力を込めて。


 遠くから見ているセレスも、リュークの魔力の流れを感じて驚愕する。


「なっ……!? あいつ、あんな魔力を……!!」


 一二〇年も生きてきた中で、一度も出会ったことのないほどの魔力の力を目にしてセレスはただただ驚きを隠せないでいた。


 そして――その膨大な魔力が解放される。



「吹き荒れろ――『大嵐テンペスタ』!!」



 刹那――風が止まった。

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