第64話 死闘の末


 リュークの右腕が、回転しながら宙を舞った。


 バジリスクの眼の作用――蛇の王の魔法がリュークを襲い、一瞬の隙が出来たところを狙われ胴体を鋭利な牙で貫かれるところを、リュークは避けようとした。


 『縮地しゅくち』――瞬時に相手との間合いを詰めたり、相手の死角に入り込む技術のことである。

 この技術の一番重要なことは、『一歩目』である。

 一歩で相手との距離を殺すのである。熟練者であればその距離は数十メートルにも及ぶ。


 『縮地』は相手との間合いを詰めるのにも有効であるが、今回のリュークの場合は避けるときに使ったのである。

 そのため、自分より大きな口を開けたバジリスクに対して『一歩』で避けることが出来るのであるが――蛇の王の速さでは胴体を貫かれることを逃のがれるのが精一杯であり、右腕が掠ってしまい吹き飛んだのである。



 そしてバジリスクの牙――それは猛毒の牙である。掠れば即効性のある猛毒が身体を蝕むしばみ、数秒で死に至らしめる。

 吹き飛んだ右腕の傷口から毒が入り込む。


 蛇の王バジリスクは勝利を確信する――。


 自分の毒の牙で死ななかった生物は今まで存在しなかった。

 しかも相手は強者ではあるが、種族的にはこの世界では弱者に分類される人族である。普通の魔物より毒の抵抗が低いことは確実。一秒で身体は動かなくなり、その二秒後には死に至るだろう。


 故に――蛇の王は読めなかった。


 リュークの脇をそのままの勢いで通り過ぎたところで――殺気を感じる。


 眼は見えないが、舌で感知したその光景は――リュークが跳躍し両手で木刀を振りかぶり、斬り下ろす光景であった。



「『一閃イッセン』」



 ――その斬撃は全てを斬り裂く。

 木刀はバジリスクに当たらずに、空を斬る。その直後、バジリスクの胴体を斬り裂き、氷の大地をも斬り裂き、ラミウムの湖を斬り裂いた。


 遠く、約一〇〇メートルほど氷の大地を斬り裂きラミウムの湖を真っ二つに割った。

 バジリスクの胴体は斬り裂かれ、頭がある部分は勢いのまま飛んでいき、下半身の部分は地に落ちて轟音が響き、氷の大地とともに毒の湖に浮かんでいる。


 リュークは氷の大地に着地し、背筋を伸ばし呼吸を整える。深い息を吐いて心を落ち着かせ、納刀。

 そして振り向くと、体長が約半分になった蛇の王バジリスクが地に横たえる姿があった。


『――見事なり、人族の強者よ』


 その言葉は、リュークを讃たたえるとともに自身の敗北を認めたものだった。


『我は慢心はしてないつもりであったが……まだおごりがあったのだな』

「猛毒は辛かったぞ。一瞬だったが経験にない激痛が走ったぞ」


 確かにリュークの身体には激痛が走り身体の中に毒は入り込んだが、リュークはバジリスクの牙が当たる前に既に治癒魔法を自身の身体にかけていた。なので一瞬にして毒は身体から消え去り毒の影響は限りなく少なく済んだ。


『腕は吹き飛ばしたはずだが?』

「ああ、綺麗に引き裂いてくれたおかげですぐにくっつけられたぞ」

『そうか……それすら狙ってやっていたということか。敵かなわぬな』


 リュークは避けられないと判断した瞬間に、自分の腕をバジリスクに喰われないように牙だけに当たるように身体をよじらせた。そして腕が吹き飛んだ瞬間に自身の腕の方向に『次元跳躍ワープ』。そこで腕をくっつけてそのまま『一閃イッセン』した。


 腕をくっつけるのは水魔法の治癒魔法だけでは出来ない。光属性の治癒魔法も同時に使わないといけないである。

 水魔法は身体の中の治癒に向いていて、光魔法は外傷の治癒に向いている。腕をくっつけるのはどっちも出来ないといけない。


『甘美かんびな時間であった。長きに渡り生きてきた中で最も充実した時間だった』

「そうか、それは良かったよ。俺も久しぶりに大怪我をしたな。五歳の頃にドラゴンと初めて戦った時以来だ」

『……壮絶な生を歩んでいるのだな』


 蛇の王バジリスクは自身の身体を引きずるようにしてリュークと向かい合う。

 斬られた断面からは最初こそ血が絶え間なく出ていたが、今はほとんど出ていない。力を籠めることにより、血が出るのを押さえているのだ。


『もう我は戦えない。殺すがよい』


 首を項垂れるようにしてリュークのほうに傾ける。その様は斬首を求める罪人のようであった。


『もうやり残したことはない。貴様という強者と戦えたことを我は誇りに思うぞ』


 表情は全く見えないが、蛇の王バジリスクは晴れ晴れとしたような声でそう告げた。


 リュークに首を差し出し殺せと願う蛇の王バジリスク。

 しかし――。


「お前にやり残したことはないらしいが……子供達にはあるらしいぞ」

『なに……?』


 そう言った次の瞬間、身体が半分になった蛇の王――母を囲むようにして、子供達がリュークと向かい合った。


『要らぬ世話をかけるな。邪魔だお前達、退のけ』


 身体が半分になろうとも、ほとんどのバジリスクよりはまだ大きい蛇の王は殺気を含めて我が子達にそう告げるが、一匹たりともその場からは動かなかった。


「さすがにこの数は骨が折れるな……」


 蛇の王を囲み、リュークへ殺気を飛ばしているバジリスク達は一〇〇匹を超える。このラミウムの湖に住んでいるバジリスクが集まったようであった。


 リュークと戦い重傷を負ったバジリスクでさえ、先程以上の気迫と殺気――そして先程は持ち合わせていなかった、決死の覚悟を持ちリュークと向かい合う。


 親が子を守るときに命を懸けて戦い、最も力が発揮するように――子も、親を守るときに死を覚悟してでも守り、力を発揮する。


 リュークの周りの囲んでいるバジリスク達は、相打ち覚悟でリュークの命を狙っていた。


「そんなに好かれてるんだな、子供達に。なあ、蛇の王よ」

『お前達……』


 子供達に囲まれて唖然あぜんとする蛇の王。

 自身も我が子を殺されて全く心が荒すさまなかったと言えば嘘になるが、自分の子にここまで守れるとは思わなかった。


 蛇の王は『ふっ…』と苦笑するように声を漏らして告げる。


『お前達、下がれ。心配しなくともこの者は我を殺そうとは思っておらん』


 殺気立っていて一触即発のこの空間が、その言葉に一気に霧散するように消えていった。


「気づいてた?」

『殺気を微塵みじんも出せずに殺せる生物がいるわけない』


 戦いが終わり、リュークは既に殺気をしまい蛇の王を殺そうとは考えていなかった。


「楽しかったからな。また戦おうぜ、蛇の王」

『また、か……我にはない言葉であったな。次というのはこの弱肉強食の世界には存在しない。しかし……それもまた一興であるな』


 蛇の王は子供達を後ろに下がらせ、リュークの目の前に出る。


『貴様……いや、そなたの名は?』

「リュークだ」


『そうか……ではリュークよ、次は負けん。我がそなたの息の根を止める」


 ――暗に、また戦おうと約束するように。


「ああ、次も俺が勝つぞ蛇の王」


 ――リュークもその約束を受け取るかのように。


 そしてリュークは蛇の王、バジリスク達に見送られながらその場を後にした。


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