4:歴史が語る欺瞞

「ねえねえねえ、フォイユ! ここはもう乾かしていいの?」

「ああ、頼む。ティフ」

「任せて!」

 ティフがフォイユの手を軽く握ると、モップで拭いたばかりの廊下が、静かに通る風によって乾いていく。これで誰かが通っても滑ることはない。大分艶が戻った廊下を見て、フォイユは少しばかり嬉しくなった。

「お掃除って、楽しいのね! あたし、知らなかった!」

「そうだな。俺も初めてかもしれない。掃除が楽しいなんて思うのは」

 この屋敷を掃除する事に決めて、フォイユは昨日のうちから可能な限りの掃除を始める事にしたのである。

 マスターの部屋とされたそこをまず全体的に掃除して、寝床代わりにソファを使う事にし、屋敷を探索して見付けた毛布やら石鹸やらを確保しつつ浄化装置と水源装置を確認して、厨房の中で使えそうな食器や調理道具を洗ったりもした。

 そうしているうちに疲れて一度眠ってしまい、起きたらやっぱり誰も居なくなっていたので掃除の続きを始める事にしたのである。

 なお、風呂場といわず使われていないシャワー室も見つけたので、フォイユはそちらを使わせてもらう事にした。この洋館は人間向きではないように思えたが、しっかり見てみればそうでもないらしい。

 とりあえず今度は二階の廊下を掃除しようと思って始めてみたものの、隅の埃が相当に積もっているし、当然そのせいで床は曇りきっている。念入りな床拭きが必要だろうな、と覚悟を決めて挑み始めた所にやってきたのが、ティフであった。

「何て言うか……ミロワールって便利なんだな」

「そうなの! 人間は怖がるけど、レクシオにとってはすごく助かるのよ!」

「助かるのか? 調節とか難しそうだけど」

「相性もあるのよ。それに、今はとっても気持ちが軽いから、魔力も調整しやすいの!」

 感情や調子によって安定が変化するのは、人間もレクシオも同じらしい。

「でも、ミロワールは魔力を増幅するから、油断すると使い過ぎちゃうのよ。魔力を使い過ぎるのは危険なの」

「そうか。じゃあ、あんまり頼らない方がいいかな」

「ううん。逆なの。何回も試して、最適な力加減を見つけた方がいいわ。使い過ぎると危ないけど、ぴったりに使えたら、とってもすごいんだから!」

 子供のような見た目と口調で話すティフは、確か百を超えていなかっただろうか。年の話をすると女性は怒るらしいので、あまり訊く気になれないが、気になっている。

「……どうしたの?」

「いや、ティフってすごく子供に見えるけど、俺よりずっと年上……なんだよなと思って。もっと敬意払った方がいいのかな」

「フォイユは気にしなくていいの! ティフは子供じゃないけど、子供の姿の方が好きだから、この姿なの! だから、フォイユの好きなように話して!」

「……ありがとう。さて、続きをするよ」

 モップを一度洗ってバケツの水を交換し、廊下の残り半分を拭き始める。それを見ていたティフが楽しそうに言った。

「フォイユはとっても真っ直ぐに走るのね! 綺麗だわ!」

「ん……ああ、曲がると怒られたから……ちゃんと板目に沿って走れば、そこまで歪む事もないよ」

「怒られるの? リュイに?」

「いや、リュイは怒らない……と思う。孤児院に居た頃の、院長さんとかに怒られたんだよ」

「……どうして怒るの?」

 首を傾げるティフに、フォイユは少し迷って、手短に答える。長く話すような話題ではない。

「俺が、エレジーだから。理由がそれだけだから、何でも怒られたんだ。気にしなくていい」

「エレジー? あなたの名前はフォイユでしょう?」

 奇妙な問いかけに、フォイユは一往復してからまた止まった。

「俺はフォイユだけど、俺みたいにミロワールを持つ子供はエレジーって呼ばれているんだ。他には、レクシオの呼び子とかね」

「哀しい呼ばれ方だわ。どうしてレクシオばかりが悪いように言われるのかしら。分かんない、分かんない」

「俺も分からないけど、人間が勝手なのは、ずっと昔からなんだろ。今更、変わるものでもないんだろうな」

「……百年前、大きな戦争が起きたの。フォイユは、知ってる?」

 綺麗にした方の廊下に座り込み、膝を抱えてティフが尋ねた。

 フォイユは頷き、知識として答える。

「学校で教わったよ。レクシオの女王に人間の王が戦争を止めるよう呼びかけたって。でも、数年の間に人間もレクシオも多大な被害と犠牲を出してしまった……とか」

「いっぱい、死んだわ。数えきれないくらい。みんな怒って、泣いて、苦しかったの」

 つまり、当時の事を知っているという事だろう。年齢を考えたら当然かもしれないが、楽しい記憶ではなかったはずだ。どちらかといえば、双方共に忌まわしいと言うべきか。

「俺は人間として教わった知識しか知らないから、良ければこの後、レクシオから見た当時を教えてもらってもいいかな」

「とっても、哀しい事なのよ。フォイユは、それでも知りたい?」

「……知らない方がいいって思うなら、聞かないけど。あと、ティフが話したくないなら別に」

「ううん。フォイユは、他の人と違うのね。優しくて冷たいわ。冬の始まりを告げる風と似ているの」

 その例えはフォイユにとって少しばかり不思議だった。冬の始まりなんて、生死を分ける危険な時期でしかなかったせいだろうか。

「フォイユが知りたいなら、教えてあげるわ。その代わり、一つ、ちょうだい」

「ちょうだい……って、何を?」

 ミエルと違ってティフは人間の血を必要としないはずだが、何かあげられるものが他にあっただろうか、とフォイユは首を傾げる。

 だが、ティフはにっこり笑ってフォイユを指さした。

「フォイユの作ったものを、一つちょうだい」

「俺が? ……うーん、お茶を淹れるくらいしか出来ないと思うけど……お茶飲める?」

「飲めるわ。エルフは自然と共に生きるから、自然の中で得るものを口にする事が必要なのよ」

 そういうことなら、とフォイユは頷いた。確か茶葉くらいなら厨房で見つけた記憶がある。

 せめて小麦粉と砂糖と卵だけでもあれば、焼き菓子くらいは作ってあげられるのだが。

「昨日の今日じゃ、そうそう簡単にここから出る事はないもんな。……ミーヌさんの庭にある果実が無かったら、空腹で掃除どころじゃなかったよ」

 空腹は耐えられるが、胃袋が鳴るのはどうにもならない。聞きつけたらしいミーヌが、自分の庭から甘い果実を数個放り投げてくれたので、非常に助かった。お礼がしたいと言ったら「貧相な人間が我の満足出来る物を捧げられるわけなかろう」とにべもなく返されてしまったので、お礼の内容は保留である。

「? フォイユ、お腹空いたの?」

「いや、お茶だけじゃもったいないかなって思って。パンケーキくらいなら焼けるんだけど……」

「それは人間の食べ物ね!? おかしなものが入っていないのなら、食べてみたいの!」

「おかしなものって何……」

 これまでどんなものを食べさせられてきたのだろうか。妙にどぎつい色をしたケーキなどは、フォイユもさすがに食欲がわかない。もっとも、出されたら口にするが。

「いや、材料が手に入らないとならないからさ。もし俺が一緒に仕事をする時になったら、材料もついでに調達したいな。特に小麦粉」

「え? 小麦粉って、あの真っ白な穀物の粉よね? あるのに」

「え」

 さらっと重要な事を言われて、フォイユはモップの手を止めた。

「後で、置いている場所を教えてあげる。パンケーキっていうの、食べたい!」

 笑顔はとても可愛らしいが、何で教えてくれなかったのか。

 そこまで考え、フォイユは彼女たちが「そもそも小麦粉を人間が使うという発想が無かった」という結論に至り、妙な脱力感を覚えつつ廊下掃除を完了させたのであった。


※ ※ ※


「人間が何を食べるかなんて、久しく見ていないから忘れていたな。だが、それならもっと早くに僕達に訊くべきだっただろうに」

「全くですわ。どうしてもっとくまなく探さなかったんですの? あなた本当にここで生きていくつもりはおありですの? フォイユ」

「ていうかぁ、アタシ達が人間と同じものを食べるっていう発想が、このお兄さんには無かったんでしょーぉ? 心外よねぇ。常に人間を餌にしているほど、飢えてなんかいないわよぉ」

「……みんな、ちょっとひどいの……」

「まあ、どれも反論の余地が無いから、俺の落ち度かなと思ってるよ。で、パンケーキはどうかな」

「ふわふわして美味しいのね! 素敵素敵!」

 嬉しそうにパンケーキを頬張るティフだけではない。この場に居るメンバーが全員、フォイユお手製のパンケーキを口にしていた。驚くことに、リュイまで。

「随分甘いんだな。シロップをかけるまでもなかったか」

「フォイユの血の味がもう少しまともになりましたら、是非ベリーと合わせたソースにして頂きたいですわ」

「そんな事したらフォイユが貧血になっちゃうじゃなぁい? アタシとパンケーキより甘い時間がもっと先延ばしになっちゃうわぁ」

 ロットの言葉にフォイユはむせた。そんな約束はしていないし、予定もない。

 リュイが言うように、シロップ無しでも十分甘くしている。その理由は単に、自分の分だけシロップが無い状態、なんて事がいつもの日常だったためだ。言う程の理由が無いので黙っておく。

「それで、貴公はここで家政夫にでもなるつもりか? そこの廊下がやけに磨かれていたようだが」

「いや、掃除も洗濯も料理も、俺が生きる為に必要だからやらせてもらうよ。このパンケーキはティフの話を聞くお礼代わりだったし」

「あら、そうだったんですのね。失礼しましたわ、ティフ」

「ううん、いいの。みんなで食べるのは好きだから!」

「話ぃ? ティフの話って、なぁに?」

「うん、戦争の話をフォイユに教えるの。フォイユは人間側の知識しか知らないから、レクシオから見た戦争の話を知りたいって」

 瞬間、鋭い視線が一斉にこっちに向けられた。興味本位とも少し違うが、やはり覚悟が云々と言われてしまうのだろうか。

「……どういうつもりだ」

「知らない方がいいのか?」

「そうじゃない。貴公が知りたいなんて言うくらいだ。何か意味が」

「いや、無いよ」

 リュイの警戒は分からなくもないが、フォイユはただ生きたいだけであり、生きていく上で何となく知りたい事を口にしただけだ。それ以上の深い理由なんてものは、持ち合わせていない。

「無いって、アナタねぇ……あの戦争、生半可な気持ちで聞いたら、後悔するわよぉ?」

「止めはしませんけれど、それを聞いてどうしたいんですの?」

 呆れるロットや怪訝そうなミエルに、フォイユは首を傾げた。

「うーん……ティフにも言われたけど、別に話したくないとか、俺に知って欲しくないっていうなら、それでもいいんだよ。差し支え無ければ教えて欲しいってだけで。聞いてどうするかは、その時にならないと分からないかな」

「どこまでも能天気だな。……ティフの話の補足ぐらいはしてやるから、ちゃんと頭に叩き込め」

「そうねぇ。むしろこの先、知ってないと損するわよぉ?」

「同感ですわ。それに、人間がどう事実を捻じ曲げて伝えているか、見物ですわね」

 つまり、話をする気は全員ある、という事か。なら聞こう、とフォイユはお茶のお代わりを彼女たちのカップに注いでから、自分の席に座ってティフを見た。

「じゃあ、とりあえず……俺の知識、つまり人間側の解釈から話そうか」

「うん、お願いね、フォイユ」

 こくこくと頷くティフは、フォイユの隣に椅子を置いている。移動するつもりはないようだ。

 一呼吸おいて、フォイユは昔、授業で習った知識を総動員しながら話し始めた。


※ ※ ※


 ――昔の話。人間とレクシオは共存していた。互いに助け合い、協力しながら魔法の力を使い、穏やかに過ごしていた……はずだった。

 ある時、レクシオが突然、どこかの国の小さな村を一つ、理由も分からずに滅ぼした。それが戦争の始まりだと言われている。

 そしてそれを皮切りに世界のあちこちで小さな惨劇が繰り広げられ、次第に国家問題に発展し、レクシオと人間の関わりは次々と途絶えてしまったという。

 それだけならば、ただの歴史の変わり目で終わったのかもしれない。

 だが、レクシオは人間の中でも自分たちの魔力を媒介し、増幅してくれる存在――ミロワール保持者を味方につけ、同族で殺し合いをさせるようになったのだ。

 人間など滅んでしまえ、とレクシオ達が叫び、操られた者達は泣き叫びながら、あるいは同調し、普通の人間達を次々と殺していった。

 それを受けて人間達は、ミロワール持ちを優先的に殺し始めた。レクシオの味方をする人間は人間に非ず、と叫びながら、実に多くのミロワール持ちが死んだという。

 泥沼になりかけたその争いに決着がついたのは、戦争が始まって数年後。

 唐突にレクシオ達が撤退し、姿を消すようになったのだ。当時の生き残ったミロワール保持者が遺した言葉によると、『女王が手を引けと命じた』から、らしい。

 レクシオの一方的な退避によって戦争は終結、以後、レクシオは表に出てくることもなく、その存在だけが独り歩きし、御伽噺などの悪い魔物として語り継がれるのみとなっている。

 その終わり方の裏側にあると言われているのが、「王」の存在だ。

 レクシオはミロワール保持者と契約する事が出来る。それはレクシオと特別な関係になる事であり、同時にレクシオと人間が対等になれるという事でもあるそうだ。そして女王は、人間の王とその契約を結んだことで、レクシオを撤退させ、終戦を余儀なくされた、と言われている。

 ともかく、王あってこその今の平和であり、王だけは別格、それ以外のミロワール保持者は基本的に戦争の時に操られた経緯も相まって、今では「生まれてはいけない子供」とも囁かれているのだ。


 ――そこまででフォイユは話を止める。うろ覚えな部分があったかもしれないが、おおむね、一般的に知られているのはこの程度の内容だ。


 当然かもしれないが、レクシオである彼女たちの表情は厳しい。納得など誰もしていないようだ。

「ねーぇ、それ本当なのぉ? ちょっと色々おかしいと思うわぁ」

「大体こんな内容だよ。絵本とかにもなってる。……まあ正直、俺も都合良過ぎるだろとは思ってるけどさ」

 ミロワール持ちの人間が成した功績の恩恵にあやかっておきながら、ミロワール持ちを迫害する。大変いい度胸だ。腹立たしいと思わなくもない。聞いた当時のフォイユの感想だが。

「相違点を挙げればきりがないな。ティフも、どうだ?」

「ううー……嘘ばっかりなのね、人間の話は」

 ティフですらそう言うのだから、何とも笑えない。どこまで捻じ曲げたのやら、とフォイユもさすがに呆れた。

「戦争の始まりからして、嘘ですわよ」

「そこから!?」

「嘘というよりも、人間の視点は狭い上に記憶さえ改竄すると言うべきか。……村を滅ぼしたその理由は、人間にとって不都合なものなんだよ。昨日教えたはずだ。ミロワール持ちの子供は簡単に捨てられ、レクシオに押し付けられていたと」

「あ、ああ……扱いは今も昔も変わらないって……」

「もったいぶらずに、教えてあげたらぁ? 戦争の発端となったあの村は、レクシオの力を怖れてミロワール持ちの娘を殺そうとしてぇ、守ろうとしたレクシオの怒りがミロワールで増幅されて、一瞬で皆殺しになっちゃった、ってねぇ?」

 ロットの説明に、ぞわりとフォイユの背筋が凍り付く。正体が分からないレクシオの魔力を感知してうっかり放出するフォイユにとって、他人事とは思えなかった。

 この時代にレクシオは表に出ない。ミロワール保持者はだからこそ、堂々と迫害されているともいえた。

 ただ、それ故にエレジーと呼ばれるのは知っていても、その前は何と呼ばれていたかまでは知らない。

「ねぇねぇフォイユ、どうしてフォイユはエレジーと呼ばれていたの? 昔は、ミロワールを持った人間をそう呼ばなかったわ」

 ちょうど思っていた事をそのままティフに問われ、フォイユはわずかに驚く。だが、驚きよりもその疑問を互いに持っていた方が気になった。

「いや、エレジーって『狭間の子供』って意味らしくて。レクシオにも人間にもなれず、有益にもならないし無害にもならない。どっちかに居られない存在だから、らしいんだよ。昔は何て呼んでたんだ?」

「共存時代なら、イドルと呼ばれていたぞ。レクシオと人を繋ぐ媒介、異なる存在の結び目。解釈は真逆になったんだな」

「へえ……。全然違ったんだな、やっぱり」

 とはいえ、人間扱いされていないのは同じだろう。同じ人間でありながら異なる資質を持った人間を別の呼び方で区別するというのは、数多いであろう普通の人間達が持つ、群れの優越感だ。

「人間は、勝手に名前を付けて勝手に枠組みの中に押し込もうとする。レクシオというのも、僕らではなく人間が呼び始めたんだ。……いつでも、人間とそうでないものを分けてしまえるように」

「分けるって、どういうことだ?」

「戦争の時のように、敵味方を区別する記号と同じだと思え。人間が人間だと認めない存在は全て、人間にとって殺していい相手だ。今もな」

 彼女たちの中で、戦争は終わっていないのかもしれない。百年以上経った程度では、まだまだ最近の記憶なのだろう。

 気を取り直して、フォイユは彼女たちの話を聞くことにした。

「人間の教える歴史がでたらめなのは分かったよ。レクシオ側……君達の話を、次は聞かせてくれないか」

「何だ、本当に聞くつもりだったんだな」

 ことごとく人を信用しないリュイの言葉に、フォイユは苦笑した。そしてリュイもリュイで当たり前のように話を始める。

「元々、レクシオとイドルの絆は人間の夫婦よりよほど強い。契約さえすれば伴侶の魔力以外は干渉を受け付けないし、その分集中して威力を増す事も出来るんだ」

「それを狙った者ももちろん居りましたけれど、簡単に出来るものでもありませんの。わたくし達レクシオは、人間のように相手をとっかえひっかえなんて、浅ましい事は致しませんのよ」

「まぁ、仮にどっちかが死んでも後を追うなんて事はしないけどぉ? 一度失うと、それ以上の相手を見つけるって相当きっついらしいわよぉ」

 始まった話が早くも脱線しそうだな、と思ったが、すぐに本題へと移っていく。

「レクシオとしても人間としても、生涯に一人がせいぜいと言われている。そして、それが原因で村を滅ぼした夫婦が居た。……娘は村人であり、相手のレクシオは旅人だったという」

「ミロワール持ちの娘だったその方は、村人から疎まれながらも村から出るような備えもなく、ひたすら怯えながら、何とか暮らしていたそうですわ。それでも、村人の暴力を受ける事は多かったようですけれど」

「その暴力を止めたのが、レクシオの男性だったの! 彼はあたしと同じ風のエルフで、旅をしている途中だったのよ!」

 なるほど、ティフにとっては身近な存在の話だったらしい。少しばかり嬉しそうだ。

「そこで止めようとした時、娘のミロワールが反応して、周囲の村人を風の力で弾き飛ばしたそうだ。きっかけはそれだが、しばらく旅人のレクシオは娘の所に留まる事になった」

 淀みなく語るリュイに、ロットがしたり顔で頷く。

「ミロワール持ちの娘に、レクシオのエルフ。まぁ、村の中で孤立してる状態じゃぁ、あっという間に恋の沼の底、よねぇ」

「……恋の比喩、おかしくないか……?」

「あらぁ、恋がふわっふわの綿菓子みたいなものだと思ったぁ? 逆よ逆。ヌガーみたいに、甘くてべたべたしてまとわりつくような感覚。美味しくないわけじゃないけれど、いつかは飽きがくるものよぉ」

「…………出来れば、一生知りたくないなと今思ったよ。面倒そうだ……」

 ロットの恋愛観にフォイユは頬をひきつらせた。そんなものに溺れたら、とても生きていける気がしない。

「村の二人の恋愛がそこまでだったかはともかく、半年もあれば二人の仲は深まって、契約にも至るものだ。祝福もされず、ただ静かに契りを交わした二人は、ミロワールの力ももちろん、普段から使っていた」

「……結ばれた事によって普段以上の力を目の当たりにしてしまった村人が、二人を追い出すか、殺すかしなければならない、と思い込んでしまったのですわ。これまでしてきた暴力の仕返しを怖れたのでしょうけれど……愚かな事ですわね」

「奥さんが一人になった時を狙って、武器を持った村人が、一斉に襲い掛かったの。……何とか風の魔法で防げたけれど、村の人たちはますます怖がって、逃げた奥さんを追いかけ出したんだって。奥さんがレクシオの所まで辿り着いた時には、かなり怪我もしていて、服もボロボロで、髪も……ところどころ短くなっていたそうなのよ」

 その姿を見た、夫となったレクシオは、一瞬で怒髪天を突いたらしい。

「そしてお望み通り、これまでの暴力の仕返しとばかりに、妻のミロワールで増幅された風の刃で、そのエルフは村人を全員八つ裂きにした。これが真相だ。レクシオの間では共有情報だから、当時生きていたレクシオはほぼ全員知っていると言っていい」

 なるほど、隠されるのも道理である。とはいえ、それが直接の戦争のきっかけとは思えなかった。何かもう一つくらい、原因がありそうなのだが。

「じゃあ、その後の各地の暴動は?」

「その夫婦が引き起こした情報がレクシオに行き渡ったのは、女王の力だ。先の事件を知らせてレクシオとイドルの人間に危機感を持たせるつもりだったのかもしれないが……やられる前にやれ、という奴らが次々と暴動を起こした。元より迫害対象となっていた以上、恨みや憎しみはいくらあっても足りなかったんだろうな」

 そこでちらりとフォイユを見るリュイに、フォイユは首を横に振る。残念ながらその辺りの感情も既に枯れているのだ。

「恨みつらみだけじゃ生きていけないから、俺は考えてないよ」

「無気力め」

「喧嘩は後になさいませ。話は終わってませんわよ」

 ミエルに遮られたが、喧嘩と言う程のものはしていない。初日の事を考えたら、仕方ないのかもしれないが。

「そうだな。……レクシオの暴動を怖れた人間達は、レクシオを一斉に掃討する兵器を生み出した。それを使った事で、世界はレクシオと人間の戦争時代に突入したんだ」

「ミロワール持ちが操られた、なんていうのはぁ、人間が都合よく解釈しただけよぉ? 大半は自分の力を認めて受け入れて役割を与えてくれるレクシオだから味方についた、ってだ、け」

 だろうな、とフォイユも頷いた。当時生きていたら、自分だってそうしているだろうことは、容易に想像がつく。

「ただ、レクシオが撤退した理由は、ある意味そのままかもしれないですわ。確かにわたくしたちに、女王の命令は届きましたもの」

「でも、フォイユの話とは全然違うの。だって、女王様は『私があなた方を壊す前にお逃げなさい』って……『鏡をこれ以上使われては、世界が崩れてしまいます』って……言ってたの」

「……全然違うな。撤退しろ、という意味では同じだけど、危機感が具体的だ」

 御伽噺ではこっそりレクシオを操ったり使役したりして悪事を成している扱いの女王だが、本来は全く異なる性質なのかもしれない。

 そしてレクシオは女王に従う存在が故に、それに逆らう事は出来ない。どのみち、戦争はそれで終結に向かったのだろう。

「ということは、女王の意思で戦争が止められたのは、王と契約してからって事になるのか? それまではどういう理由か、止める事が出来なかった、と」

「そうだ。そして王は、あろうことか女王を支配下に置いた! ……それは、今も続いている」

 怒りをあらわにするリュイに、他の面々も神妙な面持ちで頷いている。彼女たち含むレクシオにとって、それはきっと耐えがたい屈辱なのかもしれない。

 しかし、それならばなぜ、大人しくこんな所に押し込められているのだろうか。フォイユのような人間と違って、彼女たちならば外にも出られるし逃げられるはずなのに。

「フォイユ……もしかして、何であたしたちが逃げないのか、分からない?」

「ん、ああ。逃げようと思えば逃げられそうなのにな、と思ってたんだけど……ひょっとして、女王に命じられたとか?」

「他に何がある! こちらは女王を人質に取られているんだ。女王はもはや王の傀儡として、王の望むままに僕達レクシオに命令を下すだけの人形になってしまっている。抵抗する意識はありながら、それをどうする事も出来ず、涙ながらに命じる女王を、どのみち無視なんか出来るわけないだろう!」

 なるほど、とフォイユはリュイの剣幕を見て納得した。それは逃げようがない。そして人間嫌いにもなる。

「それに、女王の命令は正確には「新たなる王と契約しろ」ですわ。女王が代替わりする事は知りませんの?」

「いや……昨日聞いたけど、結局どういう仕組みなのかはさっぱりだよ」

「そうねぇ。アタシ達も、何から何まで知ってるわけじゃないのよぉ。ただ、代替わりしたらすぐ分かるってだけでぇ」

「それも早くて千年程の期間が空く。知らない奴の方が多いだろうな。女王はレクシオの母でもあるが、その姿を見せる事はほとんどないんだ。どこに居るかも知らなかったしな。そう考えると、王はどうやって見つけたのか……答えを得られた試しはない」

「じゃあ、謎だらけなんだな。何で契約しなきゃならないんだろう。女王はそれ単独ですごく強いって事だろう? わざわざ、人間と契約する必要はなさそうなのに」

「わたくし達にもさっぱりですわ。でも、女王が選び、命じた以上はやり遂げなくてはなりませんの。……とはいえ、ここに来て十数年。今までまともな人間など、一人も来ないままですけれど」

「色んな人間が来たけどぉ、どれもほとんど初日に殺しちゃったわよねぇ」

「中には、非常にはしたない方もいらっしゃいましたわね。女のレクシオというだけで、獣のように襲い掛かる愚か者でしたわ」

「小さい女の子が好きって、あたしも襲われそうになったの……」

 選ばれた男が変態趣味なのはともかくとして、相手が悪かったとしか言いようがない。そもそもレクシオによくそんな無謀が出来ると思ったものだ。

「……もれなく餌にされた、のか?」

「餌になる価値も無かったですわ。血はあなたより不味かったですし、最終的にどうしましたかしら?」

「足しになると思って、アタシが精気を残らず吸い取ってあげたんじゃなぁーい。まぁ、やっぱり不味かったけどぉ」

「後はミーヌに潰されて庭に埋められ、植物の土壌くらいにしかならなかったと思うぞ。王はそれを聞いて呆れていたようだったが、それで無駄だと言ったのにも関わらず、今度はこんな自堕落な奴を連れて来るなんて。いい加減、諦めて他の方法を探して欲しいものだ」

「だ、か、らぁ。アナタには是非とも、誰か一人を選んで欲しいしぃ、選ばれて欲しいわけぇ。別に誰を選んでもいいからねぇ?」

「……あ、ああ……うん。決めると言った以上は、ちゃんと選ぶよ。……まだ決められないけど」

「当たり前だ。適当に決めたら怒るからな」

 リュイを選ぶときはきっちりとした理由が必要になりそうだな、とフォイユは内心だけで思っておく。

 もっとも、自分が誰かを選ぶというその行為自体にわずかな不安が拭えないままでは、きっと選んでも選ばれはしないだろう。

「真面目に決めるよ。……一生に一人、だもんな……」

 戦争の話からは逸れてしまったが、知りたい事は大体分かった。

 ただ、一つだけ気になっている事がある。

「王が社長って事は、もしかして……女王もこの会社の敷地内のどこかに居るのか?」

「あらぁ、やっとわかったぁ?」

「貴公が引っかかったトリガー結界は、推測だが女王の力を利用しているんだろう。それによって王が貴公の器としての力を察知し、迎えに来たというわけだ」

「……じゃあ、女王を探し出して助けたりはしないのか?」

「出来るならやってる。というか、貴公は他人事だと思っているのか? 貴公が僕達の中の誰か一人を選び、新たな王となる事でようやく女王が解放されるんだ。それ以外の方法なんて、とっくの昔に全部試して失敗している」

 ぎりぎりと睨まれ、フォイユは謝罪の意を込めて両手を上げた。彼女に関しては本当に言葉を選んでも選びようがないらしい。

「ここを出る結界はあるけど、ここを出る時はお仕事の時だけで、お仕事は王様がシャルに直接命令するの。そこでようやく出られるのよ」

「昨日も言ったけどぉ、それ以外で出ようなんて思ったら、結界に魔力を持っていかれて、抜け出る前に死ぬわよぉ? もちろん、仕事に乗じて逃げようって考えた事もあったけどぉ……」

 げんなりした顔になるロットが、付けているイヤリングを示した。六芒星のシンプルなそれが、どうかしたのだろうか。

「こ、れ。連れて来られた初日につけられたのよぉ! ぜーったい外れないしぃ、逃げようとしたら魔力が一気に封じられて動けなくなっちゃってぇ」

「あたしもあるわ。ブレスレットなの」

「僕は指輪だな。恐らく、このアクセサリーそのものに特殊な魔法を仕込んでいるんだろう。トリガー結界といい、絡め手が好きなようだな」

「わたくしはネックレスですわ。ミーヌはアンクレットですけれど、あの通りドラゴンになっても、伸縮自在らしく壊れたりは致しませんのよ」

「シャルはチョーカーなのよ。みんな、王様に監視されているの……」

 よく分かった。彼女たちに自由なんてものはない。結局、自分と同じ境遇なのだろう。

 だからと言って仲間意識が芽生えるわけではなかった。彼女たちに出来ない事は、自分にも出来るわけがないと思っていい、と考えるくらいである。

「しかし、六人もよく見つけたな……十数年で」

「あたし達は、女王様の呼び声に引き寄せられたの。おいで、って呼ばれて、気が付いたらここにいたのよ」

「女王は母だ。逆らえるわけもない。そして、この有様だ。……貴公が新たな王になるのは反対しないが、相手はよくよく考える事だな」

 リュイの目が「間違っても自分を選ぶな」と言っている気がする。彼女に睨まれないよう、あまり近付かない方がいいのかもしれない。

 そこに、扉が開いてシャルが入ってくる。

「ただいま! あっ、お菓子の匂いがするね!? ボクにも後でちょうだい!」

「おかえり。いいけど、後で?」

「そう。その前に仕事だ。そしてフォイユ。キミにも今回からついて来てもらうよ」

 唐突に言い渡された仕事の二文字、そして。


「キミがすべきことは、ボク達の為にそのミロワールを最大限に使う事だ。そうすれば、少なくともボクはキミの命を保証しよう。フォイユ・エトワール」


 その言葉に、堂々とした態度に、フォイユは立ち上がって頷く。

「ああ。好きに使ってくれ。この力はレクシオの為にあるんだから」


 ――そしてフォイユは踏み込む事になる。この世界で今も続く、争いの中へと。

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