3:星の鎖
最初に連れて来られた部屋には、今は誰も居なかった。寂しいような、ほっとしたような気持ちで、フォイユは持ったままの掃除道具を片付けると、床に置き去りにしていた荷物をソファに乗せた。大きなカバン一つだけなので、そう場所は取らないだろう。
――フォイユは元々孤児だ。そして、ミロワールの発動も物心つく前からだったせいで、命こそ無事だったが、育ての親である院長からも、同じ孤児たちからも、遠巻きにされていた。つまり最初から一人だったともいえる。
当然のようにいじめられたが、ミロワールの暴走がその被害を上回る事が多く、それが繰り返される度にいじめは減っていった。その代わりとして「いう事を聞かなかったら出ていけ」という脅しを誰彼構わずかけてくるようになった。そして生きていたいだけの必死さで、フォイユはプライドを捨てた。
学校にも通ったが、それは与えられた義務であって、本来ならフォイユは一生閉じ込められていたかもしれない。早々に餓死してもおかしくなかった。
運が良かっただけなのだと言い聞かせながらも、自分の居場所を得られず、十五歳で孤児院を追い出されたフォイユは、いよいよ路頭に迷いかけた。
そしてミロワールの力を隠して何とか下宿先を見つけたり、就職出来たりしたのにも関わらず、突発的なミロワールの暴走によって結局台無しになってしまっている。
流れに任せて辿り着いたここで、ようやく落ち着けるのだろうか。レクシオである彼女たちは、ティフ以外ほぼ歓迎していないのがよく分かる。だが、フォイユにとってここが最後の居場所である事も明らかだ。
「……何で、死にたくないんだろうな。俺」
答えの出ない疑問を呟きながら、カバンを開けて荷物を確認する。
服が数着と下着類、それから最低限の筆記具と、少しのお金。だがよく考えたら、外に出られないのにお金は必要なのだろうか。
だが、食料を何とかして手に入れなくては。水だけで生きてはいけない。一体どうしろというのか。
「釣った魚に餌をやらないタイプか、あの社長……」
ため息と共にぼやくと、それに返す声が聞こえた。
「そういうわけじゃないよ。レクシオと共存して欲しいから何も与えないだけだと思うな、ボク」
誰だ、と思って周囲を見渡すと、入り口に派手な格好の少女が立っていた。オレンジの髪が非常に目立つ。そして恐らく、彼女もレクシオなのだろう。
「……どうも。今日からお世話になります。フォイユ・エトワールです」
立ち上がって、ぺこ、と頭を下げると、少女はくすくす笑ってこちらに歩いて来る。
「うん、みんなの言ってた通りだね。ボクはシャル。気付いているだろうけど、レクシオだ。ボクはサラマンダーだよ」
「火の精霊ですか?」
「そうだよ。ああ、堅苦しい言葉は必要ないからね。それで、キミ……フォイユは、自分がどうしてここに来たか知ってるんだよね?」
「……知ってるけど、君達に選ぶ権利があるのなら、俺からは特に何もないよ。俺は……生きてさえいればいいから」
「そうはいかないかな。キミにもちゃんと役割がある。そうでなければ、王は時間切れを待ってキミを処分してしまうよ」
「処分?」
不穏な言葉に、何だそれ、とフォイユは目を見張る。そんな事は初耳だ。
「そう。無用の長物を生かしておけるほど、甘くないし暇じゃない。ボク達も無能を相手にしたくない。王に殺されるのが先か、ボク達に殺されるのが先か、だ。生きていたいなら、役割を果たそうとしないとね」
嫌だとは言わないが、本当に自分でいいのかという思いが強い。結果はともかく、自分が頑張ってそれを得ようとしていいのか、迷うのだ。
逡巡している間に、すっとシャルが手を差し出す。
「キミ、そういえばミロワールが大きいんだっけ? はい、手」
「え」
「試してみたくなるじゃないか。ああ、心配は要らない。コントロールくらいボクがするよ」
今日会った中で一番不思議な相手だな、とフォイユは驚きながらも手を伸ばす。だが、触れるか触れないかではたと気付いた。彼女は火を操るサラマンダーではなかったか。
「し、しまっ……」
下手をすれば火事、と危惧したフォイユは、だが手を握られた途端、まったく真逆の光景を目にする。
――パキン!!
周囲が、異様な冷気に包まれた。二人を中心に、氷が床から突き出している。
「こ、これは……」
「サラマンダーは火だけじゃない。氷も操れるんだ。熱を操る、と言った方が正しいかな。一般的には火のイメージが強いようだけど」
「……驚いた……そうだったのか」
ただ、寒い。これはいつ溶けるのだろう。むしろ溶けた後の掃除が大変だな、とフォイユが呑気に思っていると、一瞬で氷は蒸発した。
「!?」
「キミの力が分かったところで、もう一回尋ねるよ。フォイユ・エトワール。キミはボク達の中の誰かを選ぶ事が、出来るかい?」
手を離したシャルは、そう問いかける。
風のエルフであるティフ、水を操るドワーフのリュイ、土を司るドラゴンのミーヌ、サキュバス族のロット、吸血鬼のミエル、そして――目の前にいる、精霊サラマンダーのシャル。
彼女たちは皆、レクシオという存在で、人間とは異なる時間と感覚で生きている。人間の輪を最初から外されて生きて来たフォイユにとって、彼女たちが人間でない事が、一番の救いなのかもしれない。
そういう意味では、きっと、答えは決まっているのだろう。
「そうだな。……選ぶ事は、出来ると思う。選んでもらえるかは別だけど」
曖昧な答えではあるが、フォイユにとって選択の余地がある、という事実が大事なのだ。その状況を今はただ、受け入れる事しか出来なくても。
「うん、まあ、合格かな。ミロワールとしての器は申し分ないし、これまでの奴と違って馬鹿でもなさそうだし。いいよ、ここに置いてあげる」
シャルが頷いてそう告げると、ふわりとその場に他の全員が現れた。隠れて様子を見ていたのかもしれない。――フォイユが不合格なら、すぐに殺せるように、と。
レースとフリルに彩られた、モノクロのドレスをそっと摘み、シャルは可愛らしくお辞儀をする。
「ようこそ、フォイユ・エトワール。キミをエグザのマスターとして歓迎しよう」
何とか、当面の居場所は得られたらしく、フォイユはほっとして頷いた。
と、真っ先に駆け寄って抱き着いてきたのは、ティフ。当然だが、途端に二人をつむじ風が取り巻く。
「フォイユはやっぱり、すごいの! あたし嬉しいわ!」
「……ティフ。部屋が散らかるから離れるんだ」
「う、ううー……こればっかりは困るの、本当に……」
しぶしぶ離れたティフは、しゅんと落ち込む。
「……ふん。改めてようこそ。貴公が停滞から抜け出さなければ、結末は最悪のままだと思っておいてくれ」
リュイが腕組みをしてまだ不機嫌そうに告げた。何だかんだ言って、面倒見はいいのだろう。
「そうだな。……努力してみるよ。上手くいくかは分からないけど」
「あらぁ、ついでにその枯れた部分も、改善してみなぁーい? めちゃくちゃ気持ちよぉくしてあげるわよぉ?」
至近距離まで近づくロットの言葉に、触れないよう気を付けながらフォイユは「まだ遠慮しておく」と答えておいた。あの感覚は当分、必要にはなりそうもない。
「んもぉ、やっぱりノリ悪いわぁー」
「…………フォイユ。わたくし、喉が渇きましたの。血を分けて下さらない?」
「え」
「ほんの一滴でいいですわ。味見ついでに飲ませていただけませんこと?」
お嬢様らしきミエルに、自分の血など飲ませて大丈夫なのだろうか。
困惑していると、あくびをしながらソファに座ったミーヌが助言した。
「飲ませてやれ。吸血鬼からは首筋あるいは心臓でなければ、血を吸われても同族にはならぬ」
「……あ、はい。そういうことなら……」
言いながら小さいナイフを荷物から出し、フォイユは人差し指の先をわずかに切った。薄く血が滲むのを見て、少しだけ血を膨らませる。
「……飲めそう?」
「ええ、十分ですわ」
躊躇いなくフォイユの指先を口に含み、わずかに吸い上げるミエルは、すぐに解放してくれた。ただし周囲にはわずかながら赤い霧が漂っている。
「あら、失礼しましたわ。幻惑の霧が出てしまいましたのね」
「幻惑……?」
「あまり吸い込まない方がよろしいですわよ。幻覚を見てしまいますわ」
それは困る、と口元に手を持っていくと、さっき切ったはずの傷が見事に癒えている事に気付いた。
「……血のお礼ですわ」
「あ、ありがとう。俺ので良ければ、いつでも」
「まあ、でしたらまずは血の味をもう少々良くして下さいな。人間は何を食べるんですの? 特に美味しい血にするには何を食べさせたらよろしいのかしら」
「確か、動物の肝臓や特定の成分を多く含む果実なんかが有効らしいな。同族以外の生き物の血肉を好むのは他の種族にも居るが、人間はとりわけ悪食らしいから」
リュイが少々偏った、若干の悪意を含む知識を披露するが、慌ててフォイユはそこに訂正を足した。
「あ、いや、俺は別に肉食ってわけじゃないから……あ、そうだ。食料の調達ってどうすればいいんだ? 俺はここから出られないんだよな」
「そこに関しては心配要らないよ。キミにも仕事をしてもらうから、必然的にボク達と外に出る事になる。そのついでに食料も調達してしまえばいいさ」
「ちなみにその調達方法って、具体的には?」
「……貴公は何を不安に思っているんだ? 貴公の存在はもはや人間側には無いと思え。人間の掲げる倫理観や道徳観は、人間の為のものだ。貴公には通用していない事も、既に承知のはずだろう」
その言葉を聞く限り、真っ当な方法ではなさそうだ。だが、背に腹は代えられない。これまでの生活に比べたら、遥かにまともな生活になるはずだから。
「……分かった。君達のやり方を学ばせてもらうよ」
そして、元々フォイユは方針には逆らわない主義だ。どんな内容だろうが、いずれすぐに慣れる。これまでのように。
ただ、まずは掃除をしよう。と、フォイユは埃がうっすら積もった奥の机を見た時に思ったのであった。
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