5-14.悪魔と人魚、王子と王子

「マリティウム。よくもやってくれたね。どこが「正々堂々」だよ」

「アタシの正々堂々はアレなんだよ」


 一方の人魚と悪魔は、互いに笑みを浮かべたまま対峙していた。マリティウムは楽しくて仕方ないと言わんばかりの表情で、口角を吊り上げる。


「いやぁ、まさか悪魔だとは思わなかったよ。ちょっと変だとは思ってたんだ。そんな小さい人魚が召喚出来るわけないからな」

「子供を火傷病にはしないから?」

「おいおい、火傷病と人魚に何の関係があるんだよ。あれは魔物の呪いだぞ?」


 大袈裟に肩を竦めるマリティウムは、おどけた口調ながらもリリィから視線を逸らさない。それを正面から受け止めたリリィは、鼻で笑う仕草をした。


「お前達のやってることなんて、賢い悪魔のリリィにはお見通しなの。人魚の召喚なんて嘘っぱち。王族達が使っている「召喚の儀式」の時に海の中の人間の死体と魔物が混じり合って、人魚の形になったものだけが出てくるだけ。だからお前らは海に入れない」

「リリィはお話が上手だな。寝物語に聞きたいぐらいだよ」


 手を打ち鳴らして、マリティウムは楽しそうに返す。しかしその口調はリリィを小馬鹿にしたものだった。


「でも、それは変だぞ。その理屈だと人魚が召喚された時にしか魔物は出てこないことになる。現に誰も召喚しなくなった今も魔物は作られ続けてるじゃないか」

「お前らがやってたんでしょ」


 間髪入れない返答に、マリティウムの笑顔が凍り付く。


「人間が儀式を行うことを条件に人魚が作り出せるのなら、お前たちがやれば出来上がるのは失敗作ばっかり。まぁ海の中の人間の死体を無駄に腐らせるわけにもいかないしね。有効活用ってやつ?」


 リリィは小さな尾鰭を揺らし、透明な板でも踏みつけるかのように体勢を屈める。


「海の王様も人魚も魔物の呪いも、ぜーんぶ嘘。人間に寄生するために作り出しただけの偽物」


 尾鰭で宙を蹴ったリリィは、勢いを殺さぬままマリティウムへ突っ込む。


「だからリリィが、この国を終わらせてあげる!」

「……させるかぁ!」


 これ以上取り繕えないことを悟ったマリティウムは、右の拳を握りしめてリリィに向かって打つ。空気を貫くような音がして、リリィの頬を拳が掠めた。

 だがリリィはそれに怯まず、マリティウムの首に手を伸ばす。小さな両手で喉笛を掴むと、浮き上がった血管目掛けて噛みついた。


「離せ!」


 マリティウムはリリィの体を掴むと、力任せに首から引きはがした。その途端に皮膚の一部が食いちぎられるが、痛みが体に伝わるより先にリリィの体を持ち上げ、思い切り下に叩きつけた。

 屋上にリリィの体が減り込み、砕けた石が粉塵となる。怪力の持ち主であるマリティウムが魔物を倒す時に使う手段の一つで、大抵の魔物はそれで四肢を潰される。


「てめぇが悪魔なら、徹底的にやってやる!」


 粉塵の中にマリティウムは身を投げ込み、その先にいるリリィへ手を伸ばす。


「アタシがこの国を手に入れるんだ!」





 ジーラの剣を受け止めたまま、ローテムは静かに言った。


「僕が嫌いなんですか」

「当たり前だ。俺達が王族として努力している間、お前は何をしていた? 人魚を手に入れた俺達を見て、何か一つでも反省したか?」


 互いの剣が軋んだ音を立てて、二人の間で拮抗する。


「お前は昔からそうだ。努力も苦労もしないで、それで同じ王族としての恩恵だけ受けて! なのにヘルベナはお前に懐いていて、兄上やナルドもお前を気に掛けている!」


 二人から少し離れたところで、石の塊が砕けるような音がしたが、どちらもそれを耳に入れながら視線一つ向けなかった。抜けるように青い空の下、ジーラの目にはローテムへの憎しみしか映っていない。


「それだけでは飽き足らず、人魚を手にして王位を継ぐ? 俺が今までどれだけ努力して、他の兄妹から見劣らず済むようにしてきたと思っているんだ! 何で俺とお前が今、対等になっているんだ!?」


 悲痛な叫びと共に、ジーラは突然剣を引いた。バランスを失ってよろけたローテムの腹を、鎧で覆われた足が蹴り飛ばす。

 仰向けに倒れたローテムが立ち上がるより早く、その首にジーラが剣を突き付けた。


「お前が王位継承なんかしようとするからだ。それさえなければ、ずっと見下していられた。兄上やナルドに比べて才覚がなくとも、お前と言う役立たずがいれば、俺は安心出来た!」

「ジーラ兄様」


 いつも気さくで優しかった次兄の本当の姿に、ローテムは目を細める。それは呆れたわけでも失望したわけでもない。吐き出された本音を全て受け止めようとする決意があった。


「兄様の怒りはわかります。僕だって自分がどうしようもない人間であることはわかっている。何も考えずに生きてきて、偶然にばかり頼ってきて、それが兄様の尊厳を傷つけた」


 ローテムにとって、誰にでも分け隔てなく接する兄は憧れだった。それが偽りであったとしても、少なくともジーラは人を傷つけたりはしていない。何もしなかったローテムとは違う。

 それは人魚の力などではない。だがこのままローテムが負ければ、ジーラが培ってきたものは全て人魚の物になってしまう。


「だから僕は、兄様の尊厳のために王になる」

「何を言っている?」

「僕がこの国を、人魚から解き放つ!」


 叫ぶと同時にローテムは自分に突き付けられた剣を握った。刃が皮膚を切り裂き、血が流れる。ジーラは驚いた顔をして剣を引きかけ、しかしそれを途中で思いとどまった。

 ローテムはその一瞬のためらいを見逃さなかった。否、ジーラがそうすることを知っていた。左足を思い切り蹴り上げて、ジーラの右手首を打つ。手から離れた剣が落ちる前に、それを横から奪い取った。

 掌から飛んだ血が、ジーラの白銀の鎧を少し汚した。ジーラは反射的にそれに目を向け、それから奪われた剣を見る。今起こったことが信じきれないように、両目は細かく震えていた。


「剣を引いたら、僕の指が落ちてしまう。だからやめてくれたんでしょう?」

「違う、俺は、ただ」

「信じていました。兄様は優しい人だから」


 人には様々な側面があり、一筋縄ではいかない。リリィを得て、兄妹と向き合うようになってから、ローテムはそれを学んだ。


 自信家で臆病なヘンルーダ。優しくて狡猾なジーラ。高慢で控え目なナルド。人任せで責任感の強いヘルベナ。

 どれも矛盾するようで、しかしそれぞれの中に確かに存在している。

 ローテムはジーラの側面の一つである「優しさ」に賭けた。そしてその賭けに勝った。


「これで終わりです!」


 大きな声と共に、ローテムは剣を持った手を振り切った。

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