5-13.正念場

 鐘の鳴り響く中、ローテムは塔の見張り番が持っていた剣を握りしめる。剣術を怠けていた手に馴染むはずもない代物に汗が染みる。

 ローテム達をここまで連れてきた天使は、既にその場を離れて何処かに消えていた。去り際に、祈りなのか慰めなのかわからない言葉を投げかけられたが、それ以外には何も手を貸してもらえなかった。


「あいつはリリィと格が違うから。偉い奴はしがらみが多いの」


 髪を結い直しながらリリィが呟く。目元の薄紅色の鱗には太陽の光が薄く覆っていた。


「人魚共が何百年もかけてこの国を支配しようとしてるのなんて、あいつからしたら子供のお遊戯みたいなもんだよ」

「そんなのに勝とうとしてたの?」

「過去形にしないでよ。リリィ、まだ負けてないもん」


 頬を膨らませたリリィは、結い終わった髪から手を離した。


「此処が正念場だよ、ローテム。お前が人間として戦う以上、もう助けてやらないからね」

「わかってるよ」


 鐘の音が弱まるにつれて、塔の外側に設置された螺旋階段を駆け上る音が大きくなっていく。ローテムはそれを聞きながら、高まる鼓動を抑えるように右手を心臓の上に当てた。

 リリィに差し出すと決めた心臓は、まだ自分の中にある。確かにそこで鼓動を刻んでいる。


 此処まで、ローテムが一人で成し遂げたものなどなかった。ただ周りに甘え、流され、それでいいと思っていた。誰とも争わずに平穏無事に暮らしてこれたのは、自分の努力などではない。周りがそれを許してくれていただけに過ぎない。

 だが既に時は過ぎた。無知でいられなくなったローテムに、現実は辛辣に迫ってくる。


「僕しかいないなら、僕がやる。兄様に勝ってみせる」


 螺旋階段に銀色の鎧の鈍い光が見えた。青い人魚を連れて現れたジーラは、ローテムを睨み付けながら屋上へと足を下ろす。

 庶民達から人望が厚く、誰にでも優しいジーラ王子の姿は其処にはなかった。


「俺に勝つだと? 随分大きく出たもんだな、ローテム」

「それしか、僕が生き残る術はないんです」


 ジーラは舌打ちをすると、突然足元を蹴ってローテムの間合いに踏み込んだ。鎧同士の擦れる音が、思いの外大きく響く。


「お前なんかに俺が負けるか!」


 振り切られた剣を、ローテムはなんとか防御する。ヘンルーダに教えられた剣は、たった二週間程度の付け焼刃であったが、朝も晩も容赦なく叩き込まれたために、考えるより早く身体が動く。

 ジーラの剣を払って、半歩だけ前へ踏み込む。昔なら後ろに退いていたかもしれないが、今のローテムにその選択肢はない。ジーラは少し意外そうな表情を浮かべたが、比較的冷静に攻撃を弾いた。


「……ヘンルーダ兄上に教えてもらったか」

「はい。兄様もそうですよね」

「お前と一緒にするな!」


 ジーラは怒りを目に浮かばせて、剣を横に払う。慌てて後方に避けたローテムを追うように、憎悪に満ちた声が吐き出された。


「この際だからはっきり言っておく。俺は昔からお前のことが、反吐が出るほど大嫌いだ!」


 再び間合いを詰めたジーラが剣を振り下ろす。ローテムはその切っ先を静かに見据えていた。

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