5-12.死ぬ前の大博打

 ジーラは捕縛されたナルドを見下ろして、鼻で笑った。


「どうせ死ぬのに、あいつに加担するのか」

「死ぬ前に大博打でもしようかと思っただけだ。私はお前ではなく、ローテムに国の命運を賭ける」


 舌打ちをして、弟に剣を向けたジーラだったが、それをマリティウムが制した。


「火傷病の人間を、わざわざ此処で斬ることもないさ。それより悪魔を探す方が先だろ、王サマ?」

「……マリティウムの言う通りだ」

「そうだよ、王サマ。アタシの言うこと聞いてれば間違いないんだ。今も、これからも」


 愚かな人間の頭上で、マリティウムは陰湿な笑みを浮かべる。

 リリィが悪魔であると天使から明かされた時は、意外な事実に驚きもしたが、悪魔と魔物を退治したという実績が残れば、ジーラの強引な王位継承も許容される。


「だから、ローテムとリリィは殺しちゃおうぜ」

「殺す?」


 ジーラは少し驚いたように目を瞬かせた。


「ローテムを?」

「そうだよ。生かしておいたら、ジーラの首を狙うかもしれないだろ?」

「でも、殺すなんて」

「王サマ」


 マリティウムはその両手でジーラの頬を包み込み、上からその顔を覗き込んだ。


「アタシの言う通りにすれば、ご立派な兄貴や優秀な弟に焦燥しなくて済むし、誰からも愛される妹に羨望しなくていいし、我慢して背伸びして、良い人間であろうなんて思わなくていいんだぞ?」


 召喚されてから幾度となく囁いた甘言を繰り返す。人魚は人間に寄生する時に、その人間が強く持つ特性を引き出す。そうすることで本能的な部分が引き出されて扱いやすくなる。

 ヘンルーダは虚栄、ナルドは高慢、ヘルベナは他人本位。そしてジーラは狡猾。


「ジーラは王サマなんだから、もう良い王子サマの振りなんかしなくていいんだよ」


 ヘンルーダのように自分を愛することも出来ず、ヘルベナのように愛されることも出来ず、ナルドのように勤勉であることも、ローテムのように怠惰であることも出来なかった王子。

 それでも狡猾に人々を欺き、「人当たりの良い王子」として振る舞って来たジーラを操るのは、マリティウムにとってはあまりに容易だった。


「そうだよな。俺は王として悪魔憑きを殺す。間違ってなんかいないよな?」

「そんな泣きそうな顔するなって。アタシが傍にいてやるからさ」


 人魚達はこれまで、王族を操ることで国民をも支配してきた。国民がその羨望や敬意を向けるのは王族ではない。

 人魚がいなければ、この国の王に意味などない。


「そうだろ、王サマ?」

「ジーラ兄様は王ではありませんわ」


 可憐な声が兵士達の向こうから聞こえた。ナルドを取り囲むようにしていた兵士達が、一斉に廊下の両端に身を寄せて道を作り出す。

 絨毯を踏みしめて歩いてくるのは、一人の姫の姿だった。


「まだローテムお兄様がいますもの」

「これはこれは、お姫様。面白いことを言うじゃないか」


 マリティウムは笑いながら首を傾げる。


「ラディアナを殺したのはリリィだぞ? パピルスもシタンもあいつが殺した。そんなのと手を組むローテム王子を、信用するって言うのか」

「ラディアナは行方不明のはずよ。どうして死んだと知っているの?」


 ヘルベナの言葉に、人魚は一瞬息を飲む。


「それにさっきは、シャーケードが人魚を殺したと言っていたわ。話が食い違っている」

「どっちでも変わらないだろ。シャーケードもリリィも裏切り者なんだから」

「魔物が殺したか、悪魔が殺したか。これが軽微な違いだと言うならば、人魚が殺したとしても同じね」


 黙り込んだマリティウムを見て、ジーラが不安そうな眼差しを向ける。

 そんな兄の様子を見て、ヘルベナが聞えよがしな溜息をついた。


「ジーラ兄様。貴方が王になりたいのなら、一つぐらいご自分の言葉で話して下さい。先ほどから、貴方の言葉には何の重みもありません」

「俺に意見するつもりか。人魚も既にいないくせに」

「それがご自分の言葉ですか。見損ないました」


 嗚呼、とヘルベナは意地の悪い笑みを浮かべた。


「別に見るところもありませんでしたわね」

「ヘルベナ……!」


 挑発に対してジーラが怒りを示す。今にも剣を振り下ろしそうな勢いだったが、ヘルベナは唇を固く噛んだまま一歩もそこから動こうとしない。その背面にいる兵士やナルドを護るかのように手を広げた。


「殺したいなら殺せばいいですわ」

「出来ないと思っているのか」

「あら、とんでもない。ジーラ兄様には出来ますわ。丸腰の妹を斬り、その武勲を知らしめれば良いでしょう」


 ジーラは自尊心と怒りの狭間で、目尻を小さく痙攣させた。一人の人間としての自尊心と、王族としての怒りが、ヘルベナを斬ることも剣を下ろすことも遮っていた。

 その様子を見たマリティウムは、剣を下ろすように声を掛けようとする。だがそれより先に、城中を震わせるような音が全員の思考を一瞬奪い去った。


 その大きな鐘の音は、城に住む者にとっては耳慣れたものだった。何十年、何百年もの間、その鐘は王族達を浜辺へと駆り立てて来た。


「見張り塔の鐘……?」


 マリティウムがそう呟くと、ジーラが近くの窓から外を見下ろした。

 見張り塔は円柱型をしており、その上に鐘が設置されている。大人十人がかりで持ち運べるような大きな金色の鐘。日の光を浴びて輝くその傍らに、ローテムが立っていた。

 ジーラ達を真っすぐに見つめたまま、自分の足元を指で示す。そのすぐ後ろにはリリィの黒い影が見えた。


「こっちから来いとさ。生意気な王子だね」

「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって」


 その身体から湧き上がる憎悪に、マリティウムは興奮して口角を歪める。長い両腕で自分の二の腕を抱きしめるようにして、身体を反らした。


「あぁっ、いい! イイよ、王サマ! 悪魔も弟もブッタ斬っちまえ!」


 マリティウムにとって、この国の人間は地上を移動するための道具に過ぎない。何を考えているか、何がしたいかなど、心底興味がない。

 だが愚かな人間達が、自分のために互いを殺し合う姿を見るのは楽しいと思っていた。

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