5-10.逃走経路

 隠し階段の終着点は、城の三階の廊下へ続いている。

 ローテムはそこを目指して進んでいたが、二階に差し掛かった時に突然目の前で別の扉が開いたのを見て硬直した。細い扉から腕が伸び、ローテムの袖を掴む。そしてやや力任せに、しかしどこか丁寧な所作で廊下に引きずり出した。


「うわっ!?」


 突然のことに反応できず、廊下に倒れ込んだローテムだったが、まだ掴まれたままだった腕が上に引っ張られて、強制的にその場に引き起こされる。

 混乱した状態で自分を掴む相手を見たローテムは、驚いて声を出した。


「ナルド兄様」

「三階はジーラが先回りしている。お前が隠し通路を使うことぐらい、王族なら予想しやすい」


 ナルドはいつもの王族用の服を着用していたが、袖口のボタンは外れたまま、ベルトも適当に締めた状態だった。そして何故か、上着を頭の上から被って顔を隠していて、鼻から上は殆ど影になっている。


「悪魔だの魔物だの騒々しくて、目が覚めてしまった。ジーラが三階に向かうのが見えたので、二階でお前を待ち伏せしたというわけだ」

「僕を捕まえるために?」


 自棄気味の苦笑を向けたローテムに、ナルドは似たような表情を返す。


「その程度で、こんなだらしない恰好で出てくるような人間だと思っているのか?」

「違うんですか」

「違う。お前を逃がそうと思った」


 それはローテムにとって意外な言葉だった。悪魔の使役者と名指しされ、城を逃げ回る者を助けるなど有り得ない。少なくともローテムであれば、部屋に籠って関わり合いにならないようにする。


「お前の考えていることはわかる。だが私はお前と違って勤勉な質だからな。気になったことは確認しないと気が済まない」


 ナルドは熱のために苦しそうな息を吐きつつ、ローテムとリリィを交互に見た。


「シャーケードが魔物で、リリィが悪魔というのは整合性が取れない。だが天使は嘘を吐かない。そして人魚であるマリティウムが魔物と別の物を見間違えるとは思えない」


 従って、とナルドはリリィを指さした。


「その子が悪魔なのも、シャーケードが魔物なのも事実と考えるべきだ。となれば協力関係にあるという仮説は成立しなくなる。種族が違うからだ」

「熱が出てるのに、随分頭が回るんだね」


 リリィが心底感心したように呟く。ナルドは上着の下で小さく笑った。


「頭が温められて暴走気味なんだ。そうでなければ、役立たずの弟王子など助けるものか」

「頭冷やすの手伝ってあげようか? リリィの尻尾、とっても冷たいよ」

「次の機会にお願いする。……シャーケードが魔物で、リリィが悪魔で、マリティウムが人魚というのは図式としておかしい。でもさっきの論理の破綻から、マリティウムは悪魔では有り得ない。そしてもしシャーケードが魔物だったとしたら、他の人魚は何故気付かなかったのか」


 上階にジーラが到着したのか、天井を通して足音が聞こえた。暫くの間はローテムのことを待ち構えるために留まるだろうが、それも長い時間ではない。

 ローテムの不安を汲み取ったナルドは、早口で結論を告げた。


「つまり他の人魚も全て魔物だとすれば、リリィが悪魔でも構図として成立する。違うか?」


 静かな廊下にナルドの声が溶け込む。

 国を守る人魚と、国を襲う魔物が同じ存在。事実だとすれば、この国の根幹を全て覆しかねない。

 ローテムがリリィを見ると、小さな悪魔は目を細めて笑っていた。


「大正解だよ、人間。口にするにも勇気がいるだろうに、頑張ったね」

「では……」


 尚も何か言いかけたナルドだったが、階段を下りてくる兵士達の気配に気付くと、後方を振り返った。ジーラが兵士に指示をする声が入り混じっている。


「ローテム、兎に角逃げろ。それがこの国の真実なら、人魚ではない力を得たお前だけが状況を打破出来る筈だ。私は此処で奴らを食い止める」


 兵士たちがローテム達を見つけて、一斉に向かって来る。ナルドの肩越しにその姿を見たローテムは、考えるまでもないことを声に出す。


「兄様一人では無理です」

「武力を使わずとも食い止める方法などいくらでもある」


 ナルドは頭から被っていた上着を払いのけた。その下から現れた顔を見て、ローテムは息を飲む。額から鼻、頬に掛けて火傷のような炎症が広がり、膨れ上がった水泡が顔の輪郭を崩していた。


「井戸の視察の帰りに発症した。王族であれど、火傷病になれば助からない」


 ナルドはローテムに背を向けると、兵士たちに向かって両手を広げて立ちはだかる。火傷病にかかったと一目でわかる風貌を見て、兵士たちの足が止まった。


「私に触れれば感染するぞ。それでもローテムを追うというなら、殺してから行くがいい!」


 感染力は低いが、それでも火傷病に対する恐怖心は大きい。そしてローテムには捕縛命令が出ているが、ナルドに対しては何の指示もない。

 兵士達は二つの戸惑いを抱えたまま、その場で踏みとどまる。


「早く行け。ジーラが私を排除する命令を下す前に。お前なんかに任せるのは癪だが、それしか道が無いなら、私は迷わずその道を選ぶ!」


 刹那、風が吹いた。

 春の草原を撫でるような優しい風が兵士達の後ろから流れ込む。ローテムがそれを知覚した時には、目の前に白い何かが迫っていた。


「回収ー」


 暢気な声と共に、ローテムの体が浮かび上がる。腕を掴まれて持ち上げられたまま、地面から引き離されていた。


「離せ、暴力天使!」

「はいはい、お魚は静かにね」


 右手にローテム、左手にリリィを掴んだ金髪金眼の天使は、軽い調子で言いながら宙を軽やかに蹴って廊下の奥へ飛翔する。


「天使様!?」

「喋ると危ないよ」


 天使は廊下の突き当りにあるバルコニー目掛けて、迷いもなく突っ込む。大きな窓は施錠されていたが、誰もいないのに勝手に解錠して外への道を開いた。

 窓から外へ飛び出した天使は、ローテム達を両手に持ったまま城の屋根へと上昇する。中の喧騒が嘘のように、外は穏やかな天気だった。


「はい、到着〜!」


 屋根に降り立ったウナは、両手に持った人間と悪魔を荷物でも放り出すかのように投げる。

 リリィはすぐに体勢を立て直したが、ローテムはまともに腰を打ちつけてしまい、数秒の間悶絶した。


「天使! どういうつもり!?」


 そんなローテムを尾鰭で踏みつけ、リリィは抗議を口にする。だがウナは平然とした様子で、両手の手首から先を揺らしながら口を開いた。


「困ってそうだから手を貸してあげた。私は愛の天使だから」

「なーにが愛の天使だよ。リリィ、お前のことは暴力の天使だと思ってるから。あと、助けろなんて頼んでない!」


 怒りを表現して振り回された尾鰭が、ローテムの腰を更に痛めつける。


「ちょっと、リリィ。僕の腰が砕ける……!」

「人間は黙ってて! あれぐらい、リリィだけでどうにか出来たもん!」

「お魚だけならね。ローテム王子には無理でしょ」


 ウナはローテムの手を取り、屋根の上に立たせた。


「この国のことは前から気になっていたけど、少し目を離している間に随分面白いことになってたようだね」

「前から、ですか」


 潮風に晒されて滑りやすい屋根の上で、ローテムは必死に足を踏ん張りながら問い返す。


「うん。人魚みたいな変な生き物がうろついてるからね」

「人魚が魔物、というのは先ほど聞きましたけど、一体なぜ人魚は同族を殺すんですか?」

「失敗作だからだよ」


 リリィがあっさりとした口調で言った。


「魔物と人魚、同じ存在にしては姿形が違いすぎるでしょ。あれはね、人魚になれなかった連中なの。昨日倒した魔物から、何か拾ったでしょ?」


 指摘されて、ローテムはその存在を思い出した。誰かに聞こうと思って上着のポケットに入れていたそれを手に取り、リリィへ差し出す。


「これ……あのブヨブヨした魔物についてるのは変だと思って」


 掌の上で太陽の光を受けて輝くのは、深い緑色の鱗だった。一枚だけなので判然としないが、ナルドの人魚であったシタンの鱗によく似ていた。

 一番最初に死んだ人魚は、決まりによって海へと流されたはずだった。


「やっぱりね。あの魔物、リリィにやたらと敵意向けるから変だと思ったんだ」

「じゃあ、あれはシタンだったの?」

「正確には、シタンの遺体を利用して作った魔物かな。人魚達がそうであるように」


 その言葉の意味を考えたローテムの脳裏に、ある映像が蘇る。小さい頃に見送った母親。固く閉ざされた棺。海の中への埋葬。


「まさか……」

「そうだよ。あの魔物も人魚も、ぜーんぶ元は人間。火傷病で死んだ人間を海に沈めて、新たな人魚を生み出していく。失敗作は殺していく。それが人魚に与えられた使命」

「じゃあ火傷病も人魚の仕業ってこと?」

「素材として使えそうな人間を病気にして、海へと送り込む。大体さ、変でしょ。魔物だらけの海に死体を投げ込むなんて」


 ローテムがまず考えたのは、死んだ母親のことだった。しかしそれはすぐに、さっき別れたばかりのナルドのことに置き換わる。


「ナルド兄様を火傷病にしたのは……」

「マリティウムだろうね。本当、おめでたいお話。人魚、人魚って崇拝してさ、火傷病も魔物もどんどん増やしてたんだから」


 リリィは笑いながら言ったが、すぐに表情を引き締める。


「多分最初は偶然だったんだろうね。人間と魚が混じり合って人魚が生まれた。半分人間だから海にいることが出来なくて、陸に出て人間に寄生した」

「そしてその人間を王に仕立て上げた?」


 顎を小さく引いて肯定したリリィは、そのまま続けた。


「最初の人魚がどうやったかは知らないけど、今の状況を見れば、十分に信用させることが出来たんだろうね。段々と人間は人魚がいることが当たり前になって、何の疑問も持たなくなっちゃった」


 実際、この国の人間が人魚を妄信していることは、リリィに説明されるまでもなくローテムも身に染みてわかっていた。この状況下でも、何処か信じきれない気持ちがある。

 リリィはそんな考えを見透かしたかのように、溜息をついて続けた。


「このまま放っておいたら、人魚はどんどん増えていくよ。王族のみに留まらず、他の人間達に寄生する日も遠くない。そうなったらどうなると思う?」

「皆が人魚を持つ……いや、寄生される」


 ヘルベナやナルドの性格の変貌。それが人魚によるものだとすれば、寄生された人間の思考や行動を乗っ取れることになる。

 だがそれに本人たちは気付いてもいなかった。


「自分で考えることも出来ない、人魚に支配されていることに気付きもしない、ただ道具として使われるだけ。それがこの国に用意された未来ってことだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る