5-8.そして動き出す

 散々な紹介の後に、ローテムは部屋の中に足を踏み入れた。最後に入ったため、全員の視線が集中するのを、少々煩わしく思いながらも顔を上げた。

 家族の視線に追われるように、シャルハの前に再び立ったローテムは丁寧に頭を下げる。


「お待たせいたしました」

「……驚いたな」


 シャルハはローテムの頭に釘付けとなっていた。


「頭に花を飾る男は初めて見たぞ。それも結い方まで女性的だ」


 結い上げた髪を飾るのは、大小二つの百合の花だった。色鮮やかな二輪が互いを競うかのようにそこに咲き誇っている。


「僕は生憎、兄や妹のように情勢にも詳しくなく、美的センスもありません。従いまして、僕の大事なリリィに髪を結って貰いました。おいで、リリィ」


 ローテムが声を掛けると、出入り口で待っていたリリィが顔を出した。頭には小さな百合の花が飾られている。廊下にあった花瓶から抜き取ってきたため、まだ少し濡れていた。


「あ、黒いお魚」


 リリィを見たウナがそう呟いた。しかしそれ以上は何も言わず、ローテムの方に視線を移す。


「そなたのは厳密に言うと衣装じゃないね。でも黒い服に百合の花は似合ってるよ」

「ありがとうございます。これらの服を選ぶのは兄や妹に協力してもらいました。兄妹の力、そしてリリィの力を合わせたのが、僕の衣装です」


 傍にいたヘンルーダが感動したように頷いているが、実際のところはローテムの口からでまかせだった。廊下を歩いている最中に、如何にも感動的な言葉を思いついたから口にしたに過ぎない。

 だがそんなローテムに、その場にいた面々は感銘を受けたような顔をしていた。


「あの何の役にも立たない息子がここまで成長するとは……」


 率直な意見を口にして目頭を熱くする父親を見て、ローテムは少し良心が咎めたが、それよりも気になることがあったため、ヘルベナの元に移動した。


「ナルド兄様は?」

「御加減が悪いそうです。私も先ほどジーラ兄様に聞きました」

「いつから?」

「昨日、井戸の視察から戻った時にはお元気でしたわ。夜ではないでしょうか」


 ヘルベナは心配そうに眉を寄せる。


「ただの風邪とかなら良いのですけど」


 その言葉の裏に潜む懸念はローテムにもわかっていた。長年に渡り国民達を悩ませている、流行り病。原因も治療法も一切不明な魔物の呪いは、例え王族であっても免れない。


「まぁ、今気にしても仕方ないよ」

「そう、ですわね」


 二人の視線の先では、ヘンルーダが再度女王の前に立っていた。


「如何でしたか、女王陛下」

「どれも良いものだったよ。この国の流行や技術力を拝見出来たことを嬉しく思う」

「楽しんでいただけたなら幸いです。では後は食事などしながら、細かい説明を……」


 その言葉に突然、ジーラが割り込んだ。


「お待ちください、兄上。その前に父上……国王に申し上げたいことがあります」

「後にしないか」


 弟の無礼とも言える行動をヘンルーダは諫めたが、ジーラは構わずに部屋を横切って、父親の元へ歩み寄る。

 ミルトスは不思議そうな表情で、椅子に腰かけたまま息子の一人を見上げた。


「どうしたんだ、ジーラ。客人の前で」

「父上、実は大いなる裏切りが発覚いたしました」

「裏切り?」

「この国の存続を揺るがす裏切りです」


 ジーラはそこで一度後ろを振り返り、部屋にいる全員の顔を見回した。精悍な顔立ちからは、感情が読み取れない。


「その者は、本来の姿を隠してこの国に入り込み、我らを欺き続けている」


 ローテムはその言葉を聞いて、思わず一歩退いた。リリィは両手で口を隠すように押さえて、赤い瞳を鋭く光らせる。


「そして我々王族を操り、本来あるべき王位継承の形を壊そうとしているのです」

「それは本当か!」


 驚いて大声を出したミルトスだったが、ジーラはそれに返事はせずに言葉を続ける。誰もがジーラの一挙一動に釘付けとなっていた。


「俺は王位継承権を持つ者として、そのような裏切りを許すわけにはいかない。だが事態が事態だけに、王室内だけで処理するには限界があります。従って、無礼は承知でシャルハ女王がいらっしゃる日を選んだのです」

「誰だ、その裏切り者は!」


 部屋中にミルトスの声が響き渡る。

 その中で、リリィの小さな呟きを拾い上げたのはローテムだけだった。


「マリティウムがいない」


 ジーラについていた筈のマリティウムの姿が、いつの間にか消えていた。ローテムが周囲を見回すと、床に青い影が揺れるのが見えた。しかし、その本体を見るより先にジーラが腕を持ち上げる。その指はある一点をしっかりと指していた。


「裏切り者は、お前だ。シャーケード!」


 王の人魚であるシャーケードは、突然の名指しに驚愕を浮かべる。その口が何か言おうと開かれるより先に、天井から一つの影が落下して肉体を貫いた。


「よくも今までアタシ達を騙してくれたなぁ?」


 天井に姿を隠していたマリティウムが冷たい声を出す。シャーケードは口から血を吐き出しながら、胸部から飛び出した剣の切っ先を抱え込み、床に落ちた。


「どういうことだ、ジーラ!?」


 狼狽する王の顔には、シャーケードの返り血が掛かっていた。


「父上、このシャーケードは人魚ではなく魔物の仲間なのです。これまで父上を、いや国民を欺き続けていた悪しき魔物なんですよ」

「人魚の振りして王サマを信用させて、自分の仲間を地上に増やそうとしたってわけだ」


 マリティウムは天井から下りてくると、シャーケードに刺さった剣を掴んで、一気に抜き取った。その剣の柄を見て、ローテムは息を飲む。

 それはパピルスを殺すために使い、そして自室に隠してあったはずの剣だった。


「リリィ!」


 剣の先がリリィへと向けられた。


「お前、シャーケードの仲間なんだろ? シャーケードはお前を次の人魚サマにしようとして、他の連中の人魚を殺した。この剣が何処にあったか、皆に教えてやろうか?」


 黙り込んだリリィに対して、マリティウムは笑みを見せる。口を歪めて首を傾げ、灰色の瞳は恐ろしい程に澄んでいる。


「なぁ、天使サマ。あんたならわかるだろ。リリィが人魚じゃないって」


 マリティウムがウナに視線を向けて問いかける。白いドレスを身に纏った天使は、最後の焼き菓子を口に放り込むと、噛まずに飲み込んでから、「そうだね」と声を出した。


「訊かれたから答えてあげる。その黒いお魚は悪魔だよ」


 リリィは舌打ちをして、尾鰭を振った。大気が歪む音と共に黒い衝撃波が四方に放出される。テーブルの上の食器が倒れ、床に大きなヒビが入る。天井から吊るされた灯りが大きく揺れて、殆どの蝋燭の火が消えたことで部屋の中が暗くなる。


「ローテム、逃げるよ!」


 腕を引かれたローテムは、慌てて出口へと走り出す。その背中に、ジーラの声が突き刺さった。


「悪魔とその使役者を捕らえろ! これは次期国王の命令だ!」


 召喚当初から恐れていたことが遂に訪れた。ローテムは絶望を感じながら、それでも逃げるために廊下を走る。


「マリティウムにやられた……!」


 先を飛ぶリリィが悔しそうに呟く。ローテムは先ほどの混乱を思い出しながら問いかけた。


「どういうこと? シャーケードも悪魔だったの?」

「違う。シャーケードはマリティウムと同じ人魚。勿論今まで殺していたのも同じだよ」


 城の中に緊急事態を知らせる鐘が鳴る。魔物が出た時に使われる物より、何倍も大きく不快な音だった。

 ローテムを捕らえるために、兵士たちが廊下に先から走ってくる。慌てて脇道に逃げ込んだローテムは、今度はリリィを先導する形になった。


「マリティウムは今の王を廃する為に、あんな手段を取ったんだよ。一度に二匹の人魚を葬り去れるように」

「じゃあ今まで、リリィに対して友好的だったのは演技ってこと?」

「そういうこと。あの天使がリリィを悪魔だって正直に言ったのは、誤算だっただろうけどね」


 廊下の途中にある細い隠し扉を開け、中へと逃げ込む。非常用の通路は王族にしか知らされておらず、多少の時間稼ぎにはなる筈だった。


「誤算って、僕達にとってだよね?」

「違うよ、マリティウムにとって」


 人一人が通れるだけの狭い階段を上に進んでいく。ローテムは小さい頃から、この階段を使っては公務から逃れていた。入るのは久しぶりになるが、感傷に浸る間はない。


「悪魔だと知っていたなら、「人魚じゃない」なんて回りくどいこと言わないよ。マリティウムはただ天使が、「リリィは人魚じゃない」って言うと思っていた筈」

「なんでわかるの?」

「だって、あいつら人魚なんかじゃないんだもん」

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