5-6.林檎と悪魔

 ベッドの上で林檎をかじっていたリリィが労いの言葉をかける。


「どうだった?」

「何て言うか……生まれつきの王族って感じだね。ヘンルーダ兄様も典型的な王子様だと思ってたけどさ、全然違うよ」

「緊張感でそう見えただけなんじゃないの?」

「まぁそれもあるけど……」


 冷や汗を吸った服を、ローテムはその場で脱ぎ始める。本来なら執事かメイドを呼んで着替えるところだったが、ローテムは部屋に他の人間を入れたくない理由があった。


「天使はいなかったよ」

「うん、知ってる。外を飛んでるのが見えたから」


 リリィは驚いた様子もなく、窓の外を指さした。

 雲一つない空に太陽が輝いている。それを反射した海が、ダンスホールの床とよく似ていた。


「相変わらず、ムカつく天使。リリィが本調子だったら、喧嘩しに行くのに」

「なんで好き好んで殴られに行くの?」


 リリィがベッドの上のクッションを手に取り、思い切りローテムに投げつけた。幸いにも当たらずに床に落ちただけだったが、何故かクッションカバーが裂けて中の綿が覗いている。ローテムは万一直撃していた時のことを考えて、少し血の気が引いた。


「リリィは真面目に言ってるのー!」

「はい! わかりました! お願いだから林檎は投げないで!」


 白いシャツに着替えたばかりだったローテムが慌てて制止すると、リリィは頬を膨らませて林檎をベッドに落とした。シミになるのは必至だが、ローテムは注意せずに目を逸らす。


「お前なんかに召喚されなきゃ、おうちに戻って特訓出来るのに」

「此処じゃ出来ないの?」

「城にいる人間を皆殺しにしていいならやるけど」

「うーん……それは後片付けが面倒だからやめよう」


 この日のために仕立てた白いシャツは、襟と袖に銀色の糸で刺繍が施されていた。シルクで出来たベストを着て、襟にはスカーフタイを締める。金糸の刺繍の入った黒いコートを肩に引っ掛ければ、立派な一人の王子がそこに出来上がる。


「どうかな?」

「いいと思うけど、やっぱり地味だよ」


 リリィはベッドを離れてローテムの後ろに回ると、髪を止めているリボンを解いた。


「リリィが髪を結ってあげる」

「嫌な予感がする」

「大丈夫だって。可愛くしてあげるから」

「可愛くしなくていい」


 逃げようとしたローテムだったが、リリィの手に頭を掴まれて引き戻された。


「おでこにお洒落な穴を開けられたくないなら、大人しくしてなよ」

「はい……」


 リリィは尾鰭を動かすと、ローテムがいつも使っている櫛を鏡台から手元に移動させた。豚の毛を使った、この国では非常に多いものである。要するに何も拘りはない。


「なんかお前の持ち物って、総じて可愛くないんだよね」

「悪かったな」

「まぁ、可愛いリリィちゃんが持てば、全て可愛くなるからいいんだけど」


 前髪を分け、サイドの髪を編み込み、リリィは極めて軽快な手つきで整髪をしていく。ローテムはそれに任されるがままだったが、ふと足元を見るとブーツの先が汚れているのに気が付いた。

 どこかで汚してしまっただけだろうが、一度気付くと気になって仕方がない。まして何もすることがない今の状況で、その汚れが強く存在を主張していた。


「どうしたの、ローテム」

「靴が汚れていて」

「どこの水たまりで遊んだの?」

「遊んでないよ。雨降ってなかったでしょ。ホールに何か落ちていたのかな。後で拭かなきゃ」


 それから少しして、リリィがローテムの頭から手を離した。


「わーい、出来たぁ」

「……えっと」


 頭に手を当てたローテムは、自分がどんな髪型になっているか悟り、言葉を失う。


「あの、リリィ?」

「なぁに?」

「これ、リリィと同じ髪型だよね?」


 サイドを複雑に編み込み、後ろを馬の尻尾のように高く結い上げた髪型は、色と長さが違うとは言え、リリィと全く同じものだった。


「この髪型可愛いでしょ」

「男がするものじゃないと思うんだけど……」

「だってローテム、髪も中途半端に長くて、中途半端に傷んでるんだもん。このぐらいやらないと目立たないよ」

「まぁ折角やってくれたから、このまま行くけどさ」


 ローテムは何となく落ち着かない髪を指で触りながら、部屋の外に向かう。後ろからついてきたリリィは、結び目や編み込みが気になるのか、同じように指先で弄る。


「髪飾りも用意すればよかった。鼠の頭蓋骨に揚羽蝶の前翅使った、リリィのお気に入り」

「いいです、やめてください」

「後翅の方が好き?」

「どっちも使わないから!」

「あ、そうだ」


 ローテムの言葉は綺麗に無視して、リリィは廊下の先へ向かう。そしてそこにあった物を手に取り、頭より高く掲げて見せた。


「これ使おうよー!」


 反対しても無駄なことがわかっているローテムは、嘆く代わりに肩から落ちたコートを引き上げた。

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