5-5.天使の国の女王
翌日、伝統の感じられる豪華な馬車から降り立った人物を見て、メイド達が小さく歓声を上げた。
「あれがシャルハ殿下……」
「違うわよ、即位なさったんだから陛下だわ」
「あぁ、なんて綺麗なのかしら」
馬車から城の中まで続く青い絨毯を、女王はその足で踏みしめる。大きく肩を出した白いドレスは腰を絞って細さを強調し、裾のボリュームを抑えている。腰から背中側へあしらわれたレースのリボンは、青色と灰色の二色を複雑に組み合わせたもので、それが大輪の花のように広がっていた。
「騎士姫様としてのお姿も素敵でしたけど、ドレス姿もお美しいわ」
メイドと同じように頬を紅潮させるヘルベナを、ヘンルーダが窘めた。
「そう興奮するものではないよ、妹。まだお傍にすら参上していないのだからね。喜びは後で取っておくものだ」
男装の麗人と言われた女王が身に着けたドレスは、決して華美とは言えなかった。しかし、歩くたびに揺れる布の表面を見れば、それがどれだけ高級な品かわかる。
女王は美しい銀髪を短く整え、唇に紅を引いた他は化粧も何もしていなかった。その凛々しい美しさを引き立てるのには十分すぎるほどの装いと言えた。
「ミルトス王、久しくご挨拶も出来ず失礼いたしました」
城に足を踏み入れたシャルハは、澄んだ声で言いながら深く礼をする。
ローテム達の父親であるミルトスは女王の立ち姿にしばし呆気に取られていたが、咳ばらいを一つすると、頭を上げるように促した。
「我が国へようこそ。以前お会いした時より、一層お美しく成長なさいましたな。そちらの国の噂はよく耳にしますが、随分とご活躍のようで」
「いえ、まだ未熟者です。父や祖先の名を汚さぬよう、精進あるのみと思っております」
「そのお心がけこそ、良き王の証でしょう。今日は天使様もいらっしゃると伺いましたが……」
ミルトスは辺りを見回す。シャルハが連れているのは執事が一人とメイドが一人。どこにも天使の姿はない。
「国外に出るのが久しぶりだからと、辺りを飛び回っているのです。後から来ると思います」
「なるほど。天使様にもこの国が気に入って頂けると良いのですが。これより先は、息子のローテムが案内をします。ローテム、しっかりやるんだぞ」
それまでミルトスの後ろに隠れるように立っていたローテムは、遂にその時が来たのを悟ると、諦めたように女王の前に進み出た。
「第四王子、ローテムです。遠いところからご足労頂き、誠にありがとうございます」
遥か向こうで、長兄と妹が応援している気配を感じながら頭を下げる。
「役者不足ではございますが、ホールまで女王様の案内役を務めさせていただきます」
「よろしく頼む。城には天使の他に、ボクの給仕係として執事とメイドを同伴したいが、構わないだろうか」
一人称が男のものであることに少し驚きつつも、ローテムは頷いた。
「畏まりました。どうぞ、こちらに」
城の者達が見守る中で、ローテムはシャルハの先に立って歩き出す。天使が居ないことで精神的負荷は下がっているとは言え、緊張が失せるわけでもない。
「この国には人魚がいるはずだが、後で見ることが出来るのかな?」
「はい。父と第二王子、そして僕が所有しています」
「それは楽しみだ」
長い廊下に入ると、城の人間の目も少なくなった。ローテムはヘルベナに教えられた通り、相手の国の名産品や著名人などについて話を振る。
シャルハは律儀な性格なのか、その一つ一つに答えていたが、ふと思い出したように連れて来た執事を見た。
「ルーティ、大丈夫か?」
「何がでしょう」
「足音が乱れている。やはりまだ本調子ではないのではないか?」
執事の男は少し顔色が悪かった。首回りが緩い服を着ているが、それは着こなしの問題ではなく、何かの事情で痩せてしまったのが原因のようだった。
「だからベルストンが行くと言ったのに」
「姫の初めての外交に私が行かないわけには行きません。第一、ティアを連れていくのに私だけ置き去りなど」
執事がメイドを睨み付ける。茶色い髪をツインテールにした若い女は、何処か猫を思わせる目で相手を見返した。
「私の方が護衛としては貴方より有能です。場数が違いますわ」
「姫の護衛は私です」
「私に引き裂かれた喉で言っても説得力はありませんわ」
勝ち誇ったようにメイドが言い、執事は悔しそうに口を閉ざす。ローテムがその様子を見て黙り込んでいると、シャルハが苦笑いを零した。
「気にしないでくれ。この前のクーデターで色々あってね」
「いえ。もしお加減など悪いようでしたら、ゲストルームをご用意しますので、仰ってください」
「ありがとう。まぁまだ平気だろう。この二人は意地の張り合いが長いから」
再び歩き出した四人だったが、中途半端に会話が途切れてしまったことで暫く沈黙が続く。ローテムが必死に話題を見つけようとしていると、シャルハの方が先に口を開いた。
「君は最初から王子なのか?」
「はい?」
「いや、済まない。どうもこういった場面に不慣れなようだったのでね。ヘルベナ姫より年上なのに公務に慣れていないとなると、庶子の出で最近王族になったのかと」
その指摘にローテムは頭を掻く。国王の嫡子として生まれ、女王になるべく育ったシャルハの目は鋭かった。
「一応最初から王族ではあります。ただ、僕だけ側室の子供なので、公務に関わることが少なかったんです」
「成程。ヘンルーダ王子にあまり似ていない理由もわかった」
「母親似なもので」
廊下を抜けると、明るく広いダンスホールが現れた。磨き抜かれた床には天井から吊り下げた数多の照明が反射している。シャルハはそれを見て、少し感心したような声を出した。
「素晴らしい。この床は何で出来ているのだろう?」
「鏡石という鉱石を硝子に溶かし込んだもので出来ています。我が国ではこの鉱石が豊富に採れ……」
今度はナルドに叩き込まれた城に関する知識を披露する。半分以上は丸暗記しただけで意味もよくわかっていなかったが、シャルハはそれを見抜いているのか深く聞いてはこなかった。
大理石で出来た長いテーブルの一端にシャルハを導き、来賓用の椅子を引く。
「どうぞ。もうすぐ父が参ります」
「ありがとう。何でも今日は王子と姫が衣装比べをするそうだな。君は今から着替えるのか?」
特に目立って着飾ってもいないローテムの服を見てシャルハが尋ねる。
「はい。ですので失礼ではありますが、一度退出させていただきます」
「楽しみにしているよ」
ローテムは父親が人魚を連れてホールに入ってきたのを見ると、早々にそこから脱出した。
元来た道を逆に向かい、途中で別の廊下に曲がる。早足で、しかし極力音を立てぬようにして自室へと戻ったローテムは、盛大な溜息を一つ吐き出した。
「つ、疲れた……」
「お疲れ様」
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