5-4.王族の教養

 魔物退治から戻ったローテムを待っていたのは、二人のメイドを連れたヘルベナだった。

 強制的に食堂まで連れ戻されて行われたのは、明日来るシャルハ女王が治める国についての、徹底的な予備知識の授業だった。風土や風習、タブーに始まり、経済的軍事的な側面までもを頭の中に叩き込まれた。


「何でこんなこと……」

「良いですか、お兄様。城に来るお客様には、個人ではなく「国の代表」として振る舞わなければいけません。相手の国のことも知らずに出迎えてごらんなさい、笑い者になりますわ」

「だから、他の兄様でいいじゃないか。というか同じ女性なんだし、お前でも……」

「ですから、王位継承権のない私が出迎えてどうするのです。それこそ無礼ですわ」


 ローテムが溜息を吐くと、隣の椅子に座ったリリィが「頑張って」と応援をする。だがその言葉には一切の感情が込められていなかった。


「ヘルベナもこんなこと毎日してたの?」

「当たり前でしょう。お兄様とは違います」

「リリィがいなくなれば、やらなくて済むのかなぁ」


 つい漏れた本音が、リリィの尾鰭を動かした。真横からの一撃は意外に重く、ローテムはテーブルの上に突っ伏して痛みを堪える。


「可愛いリリィに居なくなってほしいなんて、よくも言えたね」

「はいすみません。リリィは可愛いです」

「当たり前のことは言わなくていいの」

「いつも言わせるくせに……。痛かったぁ」


 身体を摩りながら顔を上げたローテムに、ヘルベナは仕方なさそうな表情を向ける。


「お兄様、そういう軽口も来賓の前では慎まれますよう。シャルハ様は私の憧れの方なのです。失望されたくありません」

「わかってるよ」

「一度、休憩にしましょう。紅茶とお菓子を持ってきますわ」


 ヘルベナ達が出て行くと、ローテムは大きな溜息をついた。


「面倒くさい……」

「その言葉、他のレパートリーないの?」

「それを考えることすら面倒くさい。……マリティウムはどうするの?」


 誰の気配も無くなったことを確認して、ローテムが尋ねる。リリィは愛らしい口元に人差し指を当てて小首を傾げて見せた。


「色々考えたの。シタンは戦闘中の事故、ラディアナは謀殺失敗による行方知れず、パピルスは王子を庇って事故死。となると残るのは自害かなって」

「自害なんかするようなタイプじゃないと思うけど」

「そうなんだよね。これ以上事故死パターンは使えないし、二匹も行方不明になったら流石に不自然でしょ。ローテムならどうする?」

「えーっと……、事故死と行方不明がダメ、自害するような性格じゃない、となると他殺かな?」

「そうそう。じゃあ誰に殺されるのが自然?」

「うーん……、僕だと本末転倒だから、ジーラ兄様」


 リリィは拍手しながら尾鰭を左右に動かした。


「いいね。お前、悪魔に向いてるよ」

「嬉しくないなぁ」

「ジーラにマリティウムを殺させればいい。パピルスから盗った剣を使えば致命傷を与えるには十分」


 二週間前にシャンデリアの中に仕込んだ剣は、誰もいなくなった隙にリリィが回収してローテムの部屋に運び込んだ。ヘンルーダは剣が奪われたことには気づいておらず、他の者はそもそも存在すら知らない。


「でもどうやって?」

「衣装比べの後で、ジーラが着替えをする時を利用する」

「となると、天使に会った後になるよね。大丈夫?」

「多分ね。あの天使は人間界に余計な口出ししない筈だし。バレたらそこまでの命ってことで」

「軽いなぁ。……そういえば、僕が心臓あげたら誰でも殺すって言ったよね」


 少々忘れかけていたことをローテムが確認すると、リリィは目を輝かせた。


「え、心臓くれるの?」

「いやあげないよ。確認したいだけだよ。もし天使を殺してって言ったら殺せるわけ?」

「……お前、凄いこと言うね」


 リリィは怯えたように両手を胸の前で組み、首を左右に振った。


「流石に天使は無理」

「あ、そうなんだ」

「出来るならとっくにそうしてるもん。というかリリィも長年生きてるけど、天使殺せるか聞いたのはお前が初めてだよ」

「だって明日のこと考えると憂鬱すぎて」

「だったらお前だけ死ねばいいじゃん。たかが挨拶如きを嫌がって、禁忌を犯そうとしないでよ」

「いいかい、リリィ。世の中には死ぬより嫌なことがあるんだよ」

「絶対、それじゃないと思う」


 暫くしてヘルベナが戻ってきたが、紅茶の他に大量の本を抱えているのを見て、ローテムはまだまだこの地獄が終わらないことを悟った。

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