5-2.王族の朝食
「ローテムお兄様、随分朝からお疲れの様子ですわね」
妹のヘルベナ姫の言葉に、ローテムは短く「まぁね」と言った。
「早起きして馬術や剣術の稽古なんて、僕の柄じゃないよ」
「その割に続いてらっしゃるようですけど」
「寝ていても叩き起こされるだけだしね」
朝食の用意された部屋は、窓から太陽の光を取込んで明るく、壁に描かれた人魚の絵を鮮やかに見せている。
これまでは大広間で食事を摂っていたが、二週間前の事故でシャンデリアが破損してしまったため使えなくなった。その代りに用意されたのは昔の食堂であり、少し狭いが十分に機能は果たしている。
「ヘンルーダ兄様も、お兄様をあまりイジメてはいけませんわ」
「妹よ。僕は可愛い弟が恥をかかぬようにしているのだよ」
先に席についていたヘンルーダは、シチューをスプーンに掬って口へ運ぶ。その所作一つ取っても絵になりそうなほど優雅だった。
「明日は衣装比べで時間が取れないし、今日は少し張り切ってしまった」
「明日はシャルハ様が来るんでしょう?」
既にヘルベナは食事を終えていたが、紅茶を手にして興奮気味に体を乗り出す。
「あの騎士姫殿下がいらっしゃるなんて夢のようだわ」
「おい、ヘルベナ」
ヘンルーダの隣でパンを食べていたジーラが口を開く。
「殿下じゃなくて陛下だぞ。失礼がないようにな」
「騎士姫様のほうが馴染み深いんですもの」
「ただでさえ、あの国初めての女王ってことで、色々言われてるんだ。ちゃんと女王陛下と呼ばなきゃ、気を悪くする」
「わかってますわ」
ヘルベナは少し頬を膨らませる。シャルハ女王は二十歳で、即位の前は「騎士姫」と呼ばれていた。短く切った硝子色の髪、整った顔、鎧に身を包み黒い馬に乗り、戦場を駆ける勇ましき姫。
その姿は若い女達の憧れの的であり、その武勲は男達にとって脅威でもあった。
「ジーラ兄様とナルド兄様は婚約者を決めるパーティに行ったんですよね?」
ローテムが話を振ると、丁度口にパンを頬張ったばかりだったジーラは急いでそれを咀嚼して飲み込んだ。
「ヘンルーダ兄様は外交中だったし、ローテムはあちらの女王様より年下だからな。しかし流石は天使に護られた国だよ。資源も兵力も十分。出された食事は美味いし、城下町も栄えてた。元々婚約者候補にはなれなかったから、食うだけ食って帰ったけどな」
「何でですか?」
「人魚がいるからだよ。この国を離れて別の所に行くなんて出来やしないだろ」
なぁ、とジーラは天井を仰ぐ。その人魚であるマリティウムは、相変わらず美しく立派な青い尾鰭を揺らしながら浮かんでいた。
「んー? アタシは今、リリィに餌付けするので忙しいんだ」
マリティウムの手にはガラス製の器が握られ、中には苺が山ほど入っている。そのうちのいくつかは、すぐ横にいるリリィの腹の中に飲み込まれている。
新しい苺をマリティウムが差し出すと、リリィは口を開けてそれを受け取り、両の頬を押さえて尻尾を振った。
「美味しい」
「だろ? 今度は砂糖かけるか?」
楽しそうな二匹を、王族たちは微笑ましく見守る。唯一ローテムだけは、作り笑いを浮かべていた。
「結局、婚約者は決まったんでしたっけ?」
その笑みを崩さぬようにして問いを投げる。ジーラはパンを皿に戻し、サラダの方に手を伸ばしながら頷いた。
「隣国のユスランだよ。俺より少し年下の」
「あぁ、あの馬がお好きな第五王子」
ヘルベナがどこか遠くを見るような目をしながら呟く。
「あの国の方々は馬が大好きですけど、特に輪をかけて熱愛なさってましたわね。白い馬を娘だと言い張って」
「馬が有名なの?」
「……全くもう、お兄様ったら。隣国は聖馬の国とも言われて、渓谷にペガサスがいることで有名ですのよ」
「へぇ」
ローテムはパンを千切って口に入れる。レーズンを練り込んだパンを噛むと、瑞々しい味が舌の上を撫でていった。
「第五王子と言っても、上の四人のお兄様達は側室の子供で、ユスラン様が唯一の正妻の子ですの。ローテムお兄様と逆ですわね」
「それで跡継ぎにならずに、他国に婿に行ったの? 変わってるね」
「色々あるようですわ」
言外に含まれた意味を、ローテムは追及しなかった。ユスランという名前は聞き覚えがあるものの、思い出すほどの理由も見当たらなかったため、そのまま記憶の引き出しを閉じてしまった。
「そういえばナルド兄様は? 朝食の時間に遅れるなんて珍しい」
「朝から城下町の方に出かけていきましたわ。町はずれの井戸が壊れたとのことで、その視察に」
海に面しているため、この国では金属製の物の耐久度が非常に低い。水に困らない代わりに井戸の滑車が壊れたり、石囲いが割れたりすることは日常茶飯事だった。
国の技術者たちが日々、より良い設備を作ろうと知恵と技術を出し合っているが、自然の力には勝てないことも多い。
その労いや、使用者を安心させるために王族が出向いて状況を確認するのは、この国では当然のこととされていた。
「ローテムお兄様もそろそろ怠惰な生活を改めて、王族としての公務を増やしていくべきですわ」
「まぁ、それはほら……」
「手始めに、明日の衣装比べでシャルハ様へのご挨拶をなさるというのは?」
それにローテムが異を唱える前に、ヘンルーダが「素晴らしい!」と拍手をした。
「妹よ。それは良い考えだね。以前なら第一王子であり、美しく気高い僕がするべきかもしれないが、人魚を失ってしまった今、王位継承権もない」
「あの、それなら僕じゃなくてジーラ兄様のほうが……」
「俺は別にいいぞ。お前もちょっとは公務に関われ」
ローテムは誰も反対をしない状況に冷や汗を垂らす。女王に挨拶をすると言うことは、当然のことだが女王が連れた天使とも顔を合わせることになる。
リリィを一時的に離しておくしかないが、それでも天使が悪魔の気配を察知する可能性は捨てきれない。
「僕、明日はお腹が痛くなる予定なんだ」
「朝食を全部平らげておいて、何を仰いますの。不安なら、外交における礼儀作法を私が全て教えますわ」
その時、魔物の襲来を告げる鐘が鳴り響いた。ローテムは急いで立ち上がり、リリィを呼び寄せる。
「ジーラ兄様、参りましょう! 王族として魔物を退治しないといけませんから!」
「お、おぉ……?」
気圧されるようにしてジーラは呻くような同意を返す。
食堂から急いで飛び出したローテムを、リリィが慌てて追いかけて来た。口の周りには苺の欠片が少しついていたが、、それを舌で丁寧に舐めとってから口を開く。
「お前、そんなに女王様に挨拶したくないの?」
「天使の前に出たら、リリィのことがバレるじゃないか」
「それもそうだけど……、絶対半分ぐらいは単に仕事したくないだけだよね」
「勿論」
城を駆け抜けるローテムの傍で、リリィは最早呆れることにすら飽きかけていた。
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