ep5.終わりのはじまり

5-1.剣の稽古

 王城の訓練場で、剣同士が触れる高い音が響く。


「ちょ、ちょっと待ってください」

「戦場で待ったは効かないんだよ、弟!」


 金銀の精巧な細工を施した剣が宙を横に薙ぐ。それを受け止めた剣は騎士が用いる無骨なデザインのものだったが、あっさりと力負けして弾き飛ばされた。


「あ……っ」


 ローテムはそちらに視線を向けようとしたが、それより早く相手の輝く剣の切っ先が喉元に突き付けられた。


「此処が戦場だったら首が飛んでいるぞ。いくら僕の剣捌きが美しいからといって目を逸らすのは頂けないな」


 自信たっぷりに言いながら剣を収めた兄王子に、ローテムは口を尖らせた。


「僕は剣術が苦手なんです」

「面白いことを言う。戦争の際に王族が剣もまともに握れなければ、兵士達の士気を下げてしまう。苦手だろうが下手だろうが、剣を手放すことだけはあってはならないよ。まぁ、僕の場合」


 ナルシストな第一王子ヘンルーダは、茶色い長髪を手で掻き上げて口元に笑みを見せる。


「剣のほうが手放してくれないのだがね」

「それ呪われてませんか。……というか、ナルド兄様といい、ヘンルーダ兄様といい、僕に構うほど暇じゃないでしょう」


 朝日が訓練場を照らす中で尋ねると、その光を背に背負った第一王子は軽く肩を竦めた。


「弟を構って何が悪い。まぁ確かにこれまでのお前は、王族としての覚悟もなければ才能もない、どうしようもない奴だったから名前も覚えられなかった」


 しかし、とヘンルーダは人差し指を立てて続ける。


「変わろうというなら、美しく完璧なこの僕がお前を導いてやろう。兄として、そして人生の先輩として!」

「……そういう声が大きいところは、父上にそっくりですよね」

「声が大きいことは良いことだ。お前みたいにボソボソ喋るのは相手に失礼だからね。さぁ、朝食を食べに行こうじゃないか。今日は忙しくなる」


 優雅に踵を返した兄を、ローテムは慌てて呼び止める。踏み込んだ足元の土が鈍い音を立てた。


「本当に衣装比べをするつもりなんですか?」

「今更何を言うのかな」

「だって、兄様の人魚は……」

「彼女には可哀想なことをした。あれほどまで僕のことを慕ってくれ、そして僕を庇って命を落とした」


 二週間ほど前に起きた「不幸な事故」を思い出したのか、ヘンルーダは涙を拭う仕草をする。だがそれが事故でないことを知っているローテムは、全く心を動かされることがなかった。


「美しく煌びやかだった彼女への供養も込めて、衣装比べは盛大に行うつもりだよ。勿論、準備は順調だろうね?」

「まぁヘルベナが何かと口を出してきますから」

「美しい物への審美眼は女性の方が優れている。是非参考にするといい、弟。お前に美しい物を見極めるセンスはない。僕の才能を少し分けられないのが残念だよ」


 遠慮も何もないヘンルーダの言葉に、しかしローテムはさほど不快感は覚えなかった。ヘンルーダは正直なだけであり、ローテムの能力に苦言を呈しても、決して馬鹿にしているわけではない。

 「このような点が不足しているので努力するといい」という、一種の親切心にナルシズムが入り混じった結果、少々妙な言い回しになってしまうだけだった。


「ローテムー」


 城に戻ると、リリィが泳いで近づいてきた。

 銀色の髪は左右に分けられて編み込まれ、ピンクと白のリボンで結ばれていた。


「ヘルベナにリボンもらったの。可愛い?」

「可愛いよ。朝食だけど、一緒に行くだろう?」

「うん!」


 元気よく答えたリリィの腹部から、空腹を知らせる音が鳴る。それを聞いたヘンルーダが声を立てて笑った。


「空腹より先にお洒落だなんて、女性としての嗜みを身に着けているようだね」

「当然。リリィはレディだもん」


 リリィは自分の定位置と化したローテムの首に、腕を巻き付かせる。黒い尾鰭は後ろに投げ出し、横から見ると海岸沿いに設置された吹き流しのようにも見えた。


「衣装比べの時ね、リリィもいーっぱいお洒落するから」

「あぁ、それで最近部屋に色々置いてあるんだね。……そういえば、兄様」


 ローテムは首を回して兄を見る。


「どうしてこのような中途半端な時期に? 祭事などに合わせた方がよかったのでは?」

「客人の都合を優先させたのさ。向こうも何かと忙しいからね」

「お客様が来るのですか」


 初めて聞いた事実にローテムは目を丸くする。

 王城内のお茶会の延長のようにして執り行うとばかり思っていたので、まさか客人がいるとは考えもしなかった。


「どちらの方ですか?」

「えーっと……ほら、山の向こうの国があるだろう。女王が治めている」

「シャルハ女王ですか」

「そうそう、その方だ。前に婚約者を決めるパーティにジーラとナルドが赴いたことがあってね」


 楽しそうに話すヘンルーダとは逆に、ローテムは嫌な予感がして眉を寄せる。首に絡みついたリリィも、普段と違って妙に黙り込んでいた。


「その際にご即位のお祝いもしたんだけどね、是非挨拶に伺いたいと言われたんだ」

「シャルハ女王だけですか、いらっしゃるのは」

「それがなんと、天使様まで来るのだよ! これは是非とも皆で出迎えなければいけないだろう? だから衣装比べの提案をしたわけさ」


 ある意味予想通りの言葉が聞こえた途端に、ローテムの首にかかるリリィの腕に力が入った。喉を締め付ける圧迫感に、ローテムはその場で咳き込む。


「どうしたんだね、弟。天使様が見たいからといって興奮したのかな?」

「し、してません。ただ、ビックリしただけです」

「そうだろうとも! 確か僕達は先王の時分に一度拝見しているはずだ。滅多に神殿から出ず、国外にも出ないと言われている天使様が、わざわざこの国にいらっしゃる。こんな名誉なことはないよ」


 興奮気味に説くヘンルーダは、早足で先に行ってしまう。ローテムは極端に重くなった足でそれを追いながら、首を絞めつけるリリィの腕を軽く叩いた。


「どうしようか?」

「あの天使が黙ってくれるのを期待するしかないね。流石に今日中にマリティウムを始末する準備は出来てないし」

「なんだ、てっきり進めているのかと思ってたよ」

「おしゃれに時間取られたの」

「女の子だね」


 リリィの正体を知っている天使の来訪。それが何をもたらすのか、王子にも悪魔にも予想がつかなかった。

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