3-12.用済みの墓標
空には月が出ている。それが白い砂浜を照らしていた。
いつも浜辺を照らしている松明は、今は消えてしまっている。それは松明係が王命により、ある人魚を探しにいってしまったためだった。
皮肉にもそのおかげで、ラディアナは誰の目にも止まることなく、砂浜に到達することが出来た。大きな岩の陰に身を隠し、尾を抱え込むようにして座り込む。
「どうしてぇ……? 私はしっかりやったのに……」
逃げ回ったせいで、髪は乱れて化粧も流れ、鱗も何枚か剥がれ落ちてしまっていた。憔悴した顔に、「可愛い人魚」と言われた面影はない。
「あの人魚のせいで……」
「なーにー? リリィに文句あるの?」
岩の上から、明るい声が響く。
驚いて振り返ったラディアナが見たのは、岩の上から覗き込んでいるリリィの姿だった。
「お前が悪いんだよ。リリィを馬鹿にするから」
「何で……、ローテム王子の人魚が、私を陥れるのー? 私の方が優れているはずなのに」
「ふん」
リリィは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「優れているはずなら、どうしてそんなことになってるんだろうね。リリィ、賢くないから教えてくれない?」
少し大きな波が、浜辺を打ち付ける。リリィはそちらに視線を動かした。
「お前さ、人魚なのに海に還らないのは何で? どうして陸を逃げ回ってるの?」
「え、だって……」
何かを言い返そうとしたラディアナは、何度か目を瞬かせた後に息を飲む。目の前にいるのが自分達とは違うことを確信したためだった。
「人魚じゃない……?」
「お前もシタンも、リリィに優しくしないから悪いんだよ」
ラディアナは尾鰭で砂を蹴って後方に飛びのいた。
「シタンを殺したのは貴女なの?」
「うん!」
語尾にハートか音符でも付きそうな口調でリリィは答えた。
「お前のお陰で楽しめたよ。この国の秘密も段々わかってきた」
天候が崩れる前触れか、段々と波の音が強くなってくる。砂浜を囲む木々が風に吹かれて、激しい音を立てていた。
岩場の上に立ち上がったリリィは、銀色の髪が風で乱れるのも構わず、真っ直ぐにラディアナを見つめる。その目には好奇心と喜びだけが浮かんでいた。
「だから雑魚は用済みだよ」
告げると共に、リリィは尾鰭を翻して宙に飛ぶ。小さな体を回転しながら、岩から飛び降りる。そして体が砂に接触する寸前に魔力を解放した。
鋭い不可視の刃が、地面を切り裂きながらラディアナへ迫る。だが刃が体に到達する寸前で、砂で出来た壁が出現してそれを遮った。
刃との衝突で砂壁は脆く崩れ、その向こう側から憤怒の形相をしたラディアナが姿を現す。両目は血走り、そこに垂れ下がった髪の一房を払いのける余裕すらないようだった。
「人魚でもないくせに、この国に首を突っ込まないでくれるー?」
間延びした喋り方だけは継続されていたが、声は怒気が混じって低くなっていた。
ラディアナが右手をゆっくり持ち上げると、それに伴って周囲の砂が浮上する。細やかな砂粒同士が、互いに引き寄せられるように動き、一本の巨大な槍となる。
「食らえ!」
その砂槍は月明りの下で地表に影を刻みながら、リリィ目掛けて投擲される。リリィはそれを右に飛びのいて避けたが、槍の穂先は砂浜を大きく抉って砂埃を舞い上げた。
視界が確保出来ない中、衝突によって崩れた砂の槍は、再び同じ形に構築される。構築しながら向きを変えた槍は、リリィを追い回すかのように穂先を向ける。
「逃げても無駄だよー。ここは砂が沢山あるから。いくらリリィちゃんが小さくても、串刺しにしてズタボロにするのも時間の問題」
口角を歪めてラディアナが醜く笑う。リリィはそれを横目で見ながら、槍の追尾を振り切るかのように宙を泳いだ。
視界は砂で塗りつぶされたようになり、月明かりすら遮っていく。何も見えない中で、槍は何度も再構築を繰り返してリリィを貫こうとしていた。
「あー、もう! リリィが可愛いからって追い回さないで!」
後ろから迫る槍の気配を感じながら、リリィは突然停止した。背中を丸めて体を抱え込むような格好になると、直後に全身の力で砂浜に尾鰭を叩きつける。
辺りを覆っていた砂が衝撃により四方に散り、視界をわずかに回復させる。その一瞬でリリィはラディアナの姿を捕えたが、相手のは全く別の方向を向いていた。
「……なるほどね」
独り言を呟いたリリィは、その拍子に口に入ってしまった砂を吐き捨てた。
「やっぱり雑魚じゃん」
尾鰭に魔力を込め、砂を掬うように強く振り払う。衝撃波が宙を裂き、砂を払い、ラディアナを直撃した。
先ほどのように砂の壁を作る暇すらなく攻撃を受けてしまったラディアナは、呆気なく弾き飛ばされる。それと同時にリリィのすぐ後ろに落ちた槍が再構築されたが、穂先は何故かラディアナに向けられていた。
「あ……!」
宙でバランスを失ったラディアナが、それを見て青ざめる。
何かを叫ぼうとしたのか口が中途半端に開かれたが、その腹を槍が勢いよく貫いた。
血飛沫と砂が混じり合い、宙を飛散する。
「お前が槍を操ってたんじゃない。動くものを追いかける魔法を使っていただけ」
ラディアナを貫いた槍は放物線を描きながら地面に突き刺さり、その体を砂浜に縫い止める。
地面に倒れた人魚は、抗おうとするかのように手を宙に伸ばしたが、何も掴むことは出来なかった。周囲に舞い散っていた大量の砂が、重力に従って体の上に容赦なく降り注いで行く。
「だからお前はリリィが何処にいるかわからなかった。攻撃も避けれなかった」
砂がラディアナの体を埋めていく。槍を墓標とするかのように積もっていく様は、退廃的な芸術のようだった。
リリィはその下でもがくラディアナの生命が、段々と消滅していくのを感じながら、身体についた砂を両手で払い落とす。もうこの場でするべきことは全て終わっていた。
「何かが出来る振りをしたいなら、もっと大胆に狡猾に鮮やかにするべきだよ。まぁそれでも、お前が勝てることはなかっただろうけどね」
誰もその言葉に応える者はいなかった。
砂で出来た墓標から、ラディアナの指だけが僅かに覗いていたが、リリィはそれを無理矢理砂の中へと押し込んだ。
「だってリリィのほうが可愛いんだもん。当然だよね」
END
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