3-10.疑惑の眼差し
咳き込みながら椅子から床へ崩れ落ちるローテムは、血の気の失せた顔をしていた。
「ローテム! ローテム、しっかりして!」
リリィがその身体にしがみつく。その拍子に尾鰭で弾き飛ばした椅子が派手な音を立てて倒れたが、最早誰もそれを気にしていなかった。
「こ……紅茶に……」
ローテムが震える指を割れたカップに向ける。
立ち上がったヘルベナがカップに近づき、そこに残っていたものを見て目を見開いた。
「これは……「白馬の涙」!」
カップに青い花弁が数枚ついていた。特徴的な形をした花弁は、この国に住んでいる人間には常識であり、間違えることはない。
「い、医者を呼びなさい!」
ヘルベナは焦ったようにメイドに言ったが、目の前で起こったことに驚いてしまったのか、二人ともその場に硬直していた。
その様子に焦れたヘルベナは、一層大きな声を出す。
「医者を呼んできなさい! 第四王子が「白馬の涙」を飲んでしまったと伝えるのよ!」
メイド達は我に返って、一目散に部屋を出て行く。
ヘルベナはまだ使っていないカップを手に取ると、それに水を注いで一口分飲み込んだ。
異常がないことを確認すると、中身を零さないようにしながらローテムの傍に膝を付く。そしてカップの縁をローテムの口に当てながら声を掛けた。
「お兄様、しっかりして下さい。すぐにお医者様が来ますから」
「ローテム、死んじゃやだよぉ」
泣きすがるリリィだが、ローテムは口に含んだ水を吐き出す作業に精一杯で、とてもそちらに気を配る余裕はない。
代わりのようにヘルベナがそれを宥め、落ち着かせる。
「大丈夫です。落ち着いて下さいな」
「だって……」
「我々王族は、毒を飲んだ時の対処は心得ています。お兄様も異常を察してすぐに吐き出してますし、白馬の涙は強い毒でもありません。心配しなくても大丈夫です」
メイドが出て行ってから数分もしないうちに、医師と召使たちが広間に雪崩れ込んで来た。
真っ先に医師が、ローテムの様子を見る。表情や眼球の動き、口の中の状態などを確認すると、少し安心したように肩を落とした。
「致死量は飲んでいません。命に別状はないでしょう」
「あぁ、よかった……」
「すぐに別室で処置を行います。また後でご報告に上がりますゆえ」
ローテムが部屋から運び出されると、後には荒れた床と、もはや誰も手をつける気になれない紅茶や菓子が取り残された。
ヘルベナは椅子に腰を下ろして、大きな溜息を吐く。肺の中の空気を全て出してしまうかのような長い溜息の後、小さく息を吸ったヘルベナは疑問を口にした。
「何故、ローテムお兄様の紅茶にあんなものが入ったのかしら」
誰も何も言わない。だがヘルベナの視線は一匹の人魚だけを見ていた。
「ラディアナ。貴女、何かした?」
「し、していませんよー。なんで私を疑うんですかー?」
「紅茶を淹れたのは貴女じゃない」
「それはただの偶然ですよー」
笑いながら否定をしたラディアナだったが、三つの疑惑の視線に気付くと、顔色を変えた。
「私じゃない! 私はそんなことしません!」
「なら、他に誰がいるの」
「王子が自分で飲んだのかもしれないじゃないですか」
「何のために」
単純な問いであったが、ラディアナは答えを提示出来なかった。
「念のため言っておくけど、お兄様は自殺なんかするほど真面目な人ではないわ。怠惰者だから」
「だ、だったら、リリィちゃんは? ローテム王子のすぐ傍にいましたしー、不可能じゃないと思いますけど」
「そりゃ変だろ」
横からマリティウムが反論を唱える。
「だってリリィはあの毒草のこと知らないし、他の青い花とも区別つかないんだろ? 自分なら出来るけど、ってさっき言ってたじゃねぇか」
「さっき……?」
花束のことを知らないヘルベナが、不思議そうに眉を寄せる。
「お花を摘んだの」
リリィは涙を拭いながら口を開いた。
「その時に青い花が毒草だって教えてくれたよ。本当に白い顔で青い涙流すのか気になるって言ってた」
「ちょっと、何言ってるの!?」
思わず怒鳴り声を出したラディアナだが、それが一層、ヘルベナの心証を悪くした。
「それでお兄様で試したのかしら」
「私は……私はそんな……」
焦りと理不尽な怒りで震えながら、ラディアナは何とか言い返そうとする。椅子から降りようとした時に、何かが落ちる音がした。
「なんだこりゃ? 硝子瓶?」
マリティウムが落ちたものを手に取る。小さな瓶には青い花弁が何枚かと、紙切れが一枚入っていた。
細長く切られた紙きれには、「白馬の涙」と書かれている。
マリティウムにそれを見せられたヘルベナは、妙に落ち着いた声で呟いた。
「貴女の字ね、ラディアナ」
ラディアナはその紙が何かわかると、口を開こうとした。
だが、もはやこの場に誰も自分を信じてくれる者がいないことに気が付くと、床に座り込んで両手で顔を覆う。
何故こんなことになったのか、どうしてこんな目に遭うのかわからないまま、ラディアナは悲痛な叫び声を上げた。
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