3-5.王子の提案
ヘルベナは慌てたように首を左右に振る。
「言葉が過ぎたのは謝ります。けれど、不安に思うのもわかって頂きたいのです」
今のいくつかの言葉の意味について、ローテムは考え込む。
如何にも悪気のないように振る舞っていても、ローテムにその演技は通用しない。
それは別に観察眼が優れているとか、冷静だとかいう理由ではない。まだヘルベナが、今のように完璧に振る舞えるようになる前、つまり繕いきれずにボロを出していた頃を知っているせいだった。
「じゃあ僕にどうして欲しいんだ?」
ヘルベナは「わかってほしい」と言ったが、具体的なことは何も口にしていない。恐らくは「リリィをラディアナに近づけるな」という願望が根底に存在しており、その言葉をローテムから引き出そうとしている。
平素であれば、面倒くさいのでヘルベナの望んでいる言葉を口にするローテムだが、こればかりは事情が異なる。
リリィが悪魔だと露見しないようにするには、他の人魚を全て排除しなければならない。そのためには、一緒にいる機会を少しでも多くする必要がある。
「別に、その……」
ヘルベナは言い淀むように、口を何度か上下に動かす。その合間も、ローテムに察して欲しそうに視線を向けたりしていたが、いずれも無意味に終わった。
お互いに何も言いださないまま時間が流れ、紅茶のカップから立ち昇る湯気だけが雄弁に時間の経過を語る。湯気の量が当初の半分ほどになった頃、ローテムは「あぁ」と明るい声を出した。
「なるほど、リリィが未熟だから心配なんだね」
自分の意図が伝わったと思ったのか、ヘルベナが笑顔になる。しかしローテムは相手が何か言う前に言葉を続けた。
「じゃあラディアナに色々教えてもらいたいな」
「え?」
「だって、そのほうがいいじゃないか。ヘルベナは僕達が未熟なことを気にしているようだし。「弟子入り」というやつさ」
「い、いえ。その、妹に教えを乞うと言うのは王族としてどうかと」
「王族だからこそだよ。僕もこの国を護る人間の一人だ。国民を護るため、我が国のためなら、兄だの妹だのは些細なことにすぎないよ」
「それはその通りですが……」
ヘルベナは返す言葉を探しているようだったが、普段から人の言葉を引き出すことのみを得意としている弊害で、自発的な言葉が浮かばない様子だった。
それとは逆にローテムは、小さい頃から殊更主張しなければ、好きな服も玩具も手に入らない状況に置かれていた。待望の姫の前に生まれた妾の王子など、そんな扱いである。
目立ちたくない、争いたくない、でも注目されたい、という複雑な性格はそのあたりに起因していた。
「ヘルベナ。僕達は人魚を持つことで王位継承候補として等しく並ぶ。王になるのに相応しいのは、人魚の力も勿論だけど、それ以上に個人の資質が問われるべきだ」
ローテムはどうすれば相手を納得させられるか、あるいは黙らせることが出来るか、十分に知っていた。
「僕は王になるつもりはない。でも人魚を持つ身として相応しい振る舞いまで放棄するつもりはないよ。勿論、同じ考えだよね?」
他人から好きなように言葉を引き出し、それに甘えて来た王女を言いくるめることなど容易い。
ヘルベナが好きそうな言葉を並べ立てて、少し自分を下に見せれば、どんなに我儘に振る舞っていても「王女」である彼女に拒否は出来ないとわかっていた。
ヘルベナはまるで助けを求めるかのように左右を見るが、メイドも人魚も、悪魔ですらその場にはいない。
他の三人の兄であれば、ヘルベナを甘やかして色々と助け船を出すだろうが、ローテムにそのような感情は一切無かった。
「そうだ、今から父上にお伺いを立てて来よう」
「ま、待ってくださいませ」
漸く明確な言葉を口にして、ヘルベナがその場に立ち上がる。テーブルの上の食器たちが互いに触れ合って高い音を奏でた。
「何?」
「お父様まで巻き込む話ではないかと思いますわ」
父王はヘルベナには過度な愛情と共に、大きな期待を寄せている。例えばローテムが、ちょっとした手違いで大袈裟にこの話を伝えれば、父王はそれこそ城中にそのことを告知するに違いなかった。
誰かに何かしてもらうことで生きて来たヘルベナが、そのような状況を望まないことぐらい、ローテムは百も承知である。
「お兄様がそこまで言うなら仕方ありません。ラディアナに頼んで、リリィを鍛えるように言いましょう」
「そう言ってくれると思ったよ。何しろヘルベナは第一王女だしね」
「と、当然です」
どこか納得しないような表情で、しかし王女らしい態度は保ちながらの言葉に、ローテムは必死に笑いを飲み込んだ。
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