3-3.ヘルベナ姫
ローテムの異母妹であるヘルベナは、口元に笑みを浮かべながら挨拶をした。
繊細な陶器のような肌、無駄な肉のついていない顔は小さく、目の大きさを引き立てている。長い睫毛は化粧による効果も含まれているが、カーブを描きながら上を向いていて美しい。
十七歳になるヘルベナ姫は、その容貌の美しさと教養の高さから「国の至宝」とすら言われる存在であった。
「ご苦労様。疲れただろう?」
「いいえ、これも王族の務めですから。でも執事には、お兄様のご都合を聞いてきて、と言っただけなのに、なんだか呼び出すような形になってしまって申し訳ないですわ」
「別に大した距離でもないから、僕は構わないよ」
ローテムの言葉に、ヘルベナは一瞬だけ眉を寄せる仕草をしたが、すぐに何事もなかったかのように笑顔に戻った。
「いない間に、色々あったようですわね。でも最初に、お兄様の人魚を紹介して頂きたいわ」
「勿論だよ。……あれ? リリィ?」
後ろにいたはずのリリィが、忽然と消えていたのでローテムは不思議に思って周囲を見回す。
リリィは壁にかかった豪奢な鏡の目に釘付けになっていた。鏡の額縁は銀で出来ており、薔薇の模様になっている。鏡はまるで濡れているかのように滑らかで、傷一つない。
「リリィ、こっちにおいで」
「この鏡、とっても綺麗」
「あら、その鏡の良さがわかるのね」
ヘルベナは嬉しそうに言って、鏡の方に近寄る。
「ある国の外交で、迎賓館に飾られていた品なの。とても綺麗だから見惚れていたら、その国の王族の方が譲ってくださって。欲しいとねだったみたいで恥ずかしかったわ。そんなつもり全然ないのに」
恥じらうように言う様子を、ローテムは離れたところで見ながら「また始まった」と呟いた。
ヘルベナは慎み深い王女として評判が良いが、ローテムに言わせれば非常に我儘な性格をしている。
何かが欲しい、何かをして欲しい。そういう時にヘルベナが使う手はいつも決まっている。伏目勝ちになって、小首を傾げて黙り込む。その状態で人々の視線を集めることに成功した後に、可憐な声で独り言のように呟く。
「チョコレートが食べたいけど、どうしようかしら」
「ドレスの生地を新調しようとしていたの、忘れてたわ」
「天空丘のスミレの花が綺麗って本当かしら」
決して自分でそれを決断したり、明確な言葉で誰かに言ったりはしない。誰かがそれを聞きとめて、対応してくれるのを待っている。
例えそれが失敗に終わったとしても「私は頼んでいない」で一蹴出来るし、望みのものが手に入っても「相手が勝手にくれた」で片付けられる。
要するに、ヘルベナは自分が罪や罰を負うことを是としない人間だった。四人続けて男が生まれ、やっと生まれた姫だからと皆が甘やかした結果である。
水が欲しければ視線を少し動かせば良いし、果物が気に入らなければ泣きそうな顔をすれば、皆が慌てて取り換える。何もなくても窓辺で溜息を吐けば、新しい人形でも服でも宝石でも手に入る。
「確かに綺麗だし、美しいとは思ったけど、人様の物をねだったりしないわ。なのに向こうが下さると言うから、退くに退けなくなってしまったの。でも私の部屋に似合うでしょう?」
「うん、似合うよ」
リリィは素直に認め、鏡から視線を外した。
「この鏡にはお話はないの?」
「お話? あぁ、由来のことですわね。これはその国の有名な細工しにより作られた品で、魔界の鋼を用いて作った物ですの。だから、悪魔などが近寄らないと言われていますわ」
「悪魔が近寄らない、か。面白いね」
無邪気に笑みを浮かべるリリィを見て、ローテムは自分も笑いたいのを必死に堪える。
魔界の鋼という話の真偽は兎に角として、悪魔を近づけないというのは眉唾物に違いなかった。
ヘルベナはリリィの視線が向いたことに気付くと、話を中断して向き直った。銀色のドレスを少しだけ持ち上げて、王族式の礼をする。
「貴女が、お兄様の人魚ね。初めまして、私はヘルベナ。この国の第一王女です。この国へようこそ」
「リリィだよ。よろしく」
「私の人魚も紹介しますわ。ラディアナ、いらっしゃい」
ヘルベナが部屋の奥に向かって声を掛ける。
ピンク色の家具の隙間から、同じ色の鱗を持つ人魚が姿を現した。腰あたりは鮮やかなピンク色、それが尾に向かうにつれて白くグラデーションになっている。
髪の色は淡い緑色。長いその髪をヘルベナと同じ三つ編みにして、ピンク色に染めたサンゴを櫛代わりに挿していた。
「あ、可愛い」
リリィがそれを見て思わず呟く。それを聞き逃さなかった人魚は、優し気な笑みを見せた。
「ありがとー。あなたも可愛いよ、リリィちゃん」
ゆっくりと語尾を伸ばすような話し方をするラディアナは、笑うと笑窪の浮かぶ、少々幼い顔立ちをしていた。
ふっくらとした頬には赤みがかかり、ヘルベナやリリィよりも長くて豊かな睫毛は瞬きする度に揺れる。
美人というよりも可愛い。それがラディアナを示すのに丁度相応しい言葉だった。
砂を自在に操る能力を持ち、魔獣退治で何度も大手柄を立てている。地面を這うようにして現れる魔獣が圧倒的多数である中で、それは非常に大きな価値を持っていた。
「ラディアナも小さいと思っていたけど、リリィさんも小さいわね」
並んだ様子を見たヘルベナは、そんな感想を零した。
「子供の人魚ですの?」
「みたいだね。といっても年齢は僕達よりずっと上らしいよ」
「人魚は長生きですもの。……ラディアナ、リリィさんと遊んでてくれる? 私はお兄様とお話があるから」
ローテムは、ヘルベナが自らそんなことを言うのは珍しいと思って、目を瞬かせた。
だが小声で「シタンのことで」と言われれば、すぐにその意味が分かって頷き返す。
「じゃあリリィちゃん。お散歩しようかー」
「するー」
好奇心旺盛なリリィは、尻尾を振って喜ぶ。
人魚が悪魔を連れて部屋を出て行くと、ヘルベナが「さてと」と呟いた。
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