3-2.怠惰な王子
その名前を聞いて、ローテムは少しだけ眉を寄せた。
「僕を呼び出しているってこと?」
「いえ、そういうことではありません。まだローテム様はお部屋にいると申し上げたところ、いきなり押しかけては迷惑だろうからと」
「ねぇ、誰の事?」
リリィが疑問符を上げたので、ローテムはそちらに視線を戻した。
「僕の妹だよ。この国の第一王女にあたる。兄弟の中では最も早く人魚を手に入れたので、外交を任されていてね。一ヶ月ほど周辺国を回っていたんだ」
「ふーん」
「僕、あまりヘルベナは得意じゃないんだよね。何だか知らないけど目の敵にされてるし」
思わずそう零したローテムだったが、執事がすかさずそれを窘めた。
「王子様、滅多なことを口になさいませぬよう。第二王子も皆さまが仲良くすることを望んでいます」
「僕だってそうしたいけど、向こうが突っかかってくるんだよ。……まぁいいか。ちょっと顔を出して来るよ。リリィもおいで」
椅子から立ち上がったローテムが声を掛けると、リリィは口を尖らせた。
「なんでリリィが行かないといけないの。向こうから来ればいいのに。大体、ローテムの方がお兄さんなんでしょ」
「年齢はね。でも説明した通り、僕は正妃の子供じゃない。兄と言えど、価値が違う」
「だからって、ローテムが気を遣うのは変だよ」
「別に気を使っているわけじゃないよ。無駄な争いを生みたくないだけだ」
好戦的な性格でもなければ、野心も持たないローテムは、ただ平穏に暮らすことを目的としていた。
リリィを召喚するまでは、ローテムに目を向ける者は殆どいなかった。母親は貴族令嬢とは言えど地方の出身であり、地位はさほど高くはない。父王はそれはそれは大事にしたそうだが、お陰で王妃の反感を買ってしまったと聞く。
ローテムは幼かったので母親のことは覚えていないが、父親が作らせた肖像画の出来栄えを見るに、確かに大事にされていたことは伺えた。
「ヘルベナに、すぐに行くと伝えてくれるかな。僕とリリィは少し身支度をしてから行くから」
「畏まりました」
執事が部屋を出て行って扉が閉められると、リリィはすぐに宙を泳いでローテムの傍までやってきた。
「前から思ってたんだけど、ローテムって目立つの苦手?」
「苦手だね。以前に言っただろ。僕は王座なんかに興味はないって。本当に人魚を呼び出せていたとしても、他の継承候補と戦うつもりなんか微塵もなかったしね」
「それってつまらなくない?」
「面白く生きるつもりなんかないよ。僕は誰にも恨まれないで平和に生きれればいいんだから」
だって、とローテムは明るい口調で続ける。
「身分が低くても、能力が低くても、僕はこの国の王子だからね。余程のことがなければ一生は安泰だし」
「そういう理由なの?」
「持って生まれた物は最大限使うべきだと僕は思ってる。リリィだって、その強さを使わないでおこうとは思わないだろ? 僕の場合は、それが生まれた家柄ってだけだよ」
リリィはその主張を聞くと、どこか感心したような声を零した。
「お前って怠惰の悪魔よりも、一層怠惰だね」
「悪いかな?」
「悪くはないけど、それならいっそ召喚なんかに手を出さなければ、こんな目に遭ってないと思うよ」
痛いところを突かれたローテムは、視線を逸らす。怠惰に怠惰を極めた人生に、少しばかりの刺激を求めた。父親と兄を見返したかった。そのせいで、興味もない王座を目指す羽目になってしまっている。
「偶には気まぐれを起こすこともあるよ、僕だって。水車みたいに毎日毎日同じ場所を回ってるわけじゃないんだから」
「別にお前が気まぐれ起こそうと、発奮しようと、リリィには関係ないけどね」
部屋を出たローテムは、廊下を見回して誰もいないことを確認する。誰かに見られて困ることをしているわけではないが、目立つことが嫌いなローテムは、常に人が少ない場所を好んだ。
綺麗に掃除された廊下には、青い絨毯が敷かれている。この城の内装は、海をモチーフとしており、使われる色も青、白などが多い。
周辺諸国では王の色を赤と定めているところが多いのに対して、この国では赤はさして重要視されていなかった。
「ねぇねぇ、お前の妹の人魚って、どんな人魚?」
「ラディアナという、ちょっと若い人魚だよ。愛想がよくて、他の人魚や王族にも可愛がられてる」
「可愛いの?」
「うん」
あっさりと答えたローテムだったが、リリィが黙り込んだことに気付くと少し慌てた。
可愛いと褒められるのが好きなリリィにとって、自分以外が褒められるのは不快なのではないか。そんな懸念と共に振り返ったローテムが見たのは、満面の笑みの悪魔だった。
「可愛い人魚見てみたい!」
「あ、割とそこは寛容なんだね」
「だって人魚と悪魔は違うもん。リリィのおうちには山羊が沢山いて可愛いけど、嫉妬なんかしないよ」
ローテムはその光景を想像する。
魔界の様子など知る由もないが、リリィが言うところによると実家は伯爵家に相応しい城で、召使も大勢抱えているらしい。調度品も魔獣の骨を使った一級品ばかりで、それが新月の夜には喋りだすのが、リリィにとっては「可愛い」とのことだった。
山羊が沢山いて可愛い、というのも人間の感覚から掛け離れた状況を指す可能性は捨てきれない。
「山羊ねぇ。ミルクは飲むけど、城の中では飼わないからなぁ」
「この城って、人間と人魚以外いないよね。天使が住んでる国は、庭に馬とかいたよ」
「あれ、そうなの?」
ローテムは意外に思って聞き返した。生まれてから育った場所が「普通」だと思っているため、他の国が違う造りであることなど、考えたこともなかった。
他の兄弟のように、外国に出かけることもあれば気付くこともあるだろうが、ローテムにはその機会が殆どない。
「馬や牛とかの家畜は、城の敷地内には置かないことになっているんだ。城の隣にある、専用の「牧場」で管理してる」
「どうして?」
「さぁ。考えたこともなかったな」
やがて、妹王女の部屋が近づいてくると、ローテムはリリィに指先で合図をした。
同じ城の中にあるので、扉の装飾や大きさはローテムの部屋と変わりはない。だが、扉の両側に置かれた花や、その添え物のように立っているメイドなどが、女性の部屋であることを示している。
近づいてきたローテムに対して、二人のメイドはスカートを軽く持ち上げて深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「王女様は中でお待ちです」
「じゃあ入ってもいいかな?」
「はい、勿論です」
最後の台詞だけは同時に言って、メイド達は扉の取っ手を掴んだ。内側に向かって押し開くと、その隙間から花の匂いが零れだす。
いつ来ても変わらぬ妹の部屋の匂いに、ローテムは心中で溜息を吐いた。
「王女様」
「ローテム様がお見えです」
扉が完全に開かれてから、ローテムは中に入る。その視界に入ってきたのは、窒息するほどのピンク色だった。
ベッドもカーペットも壁紙も、クッションもテーブルも、濃淡の差はあれどピンク色を基調としたもので揃えられている。流石に王族の物だけあって、決してけばけばしい物ではなく、上品さすら感じさせるデザインの物が多かったが、それでも過剰な量だった。
そのピンク色の空間に混じるようにして、一人の少女が立っていた。長い金髪は三つ編みにして背中に垂らし、部屋の華美な様子とは逆に銀色のドレスを身に纏っている。
銀糸で出来た光沢のある生地に部屋の色がわずかに反射されて、まるで部屋を一つの装飾品としているかのようだった。
「お兄様、ご機嫌麗しゅう」
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