2-5.シタンとリリィ

「シタンはへたくそだね」

「何ですって?」

「倒すなら、もっとたーくさん攻撃しなきゃ」


 リリィは笑顔でそう言うと、少し体勢を落として尾鰭を振り上げた。闇に溶け込むような尾鰭が宙を揺らすと同時に、砂の中から無数の槍が突き出した。


「よーし、行けぇ!」


 リリィの号令に合わせて、槍が上下しながら動き出す。魔物達を下から串刺しにしようとする動きに、五匹の魔物が警戒を強めてヒゲから電流を放った。しかし槍はそれに臆することなく、魔物達を襲う。


 槍が砂を巻き上げて煙幕のようになった向こう側で、魔物の甲高い声が再び響き渡る。リリィは楽しそうにそれに耳を傾けていたが、不意に「あ、いけない」と呟いた。


「なんですの?」

「一匹しか仕留められなかった。あいつらヌルヌルしてて槍が刺さりにくいんだね」

「貴女、砂埃の向こうが見えているの?」

「見えないよ。でも音でわかるでしょ。肉を刺した音で」


 リリィは砂埃が収まっていくのを見て、その方向を指さした。

 シタンの耳には一切聞こえない。だがその疑問が口に出されるより早く、リリィは言葉を続けた。


「ほら、一匹いないよ」


 その言葉の通り、魔物は四匹しかいなくなっていた。いずれも槍で体を引き裂かれているが、致命傷には至っていないらしく、動くのを止めていない。

 一匹が口を開いて稲妻を放とうとした刹那、リリィは突然悲鳴を上げた。


「やだー、怖いー!」

「え?」


 シタンの後ろに小さい体を隠してしまったリリィは、相手が逃げないように腰を掴む。シタンはそれに焦る様子を見せたが、稲妻が届く寸前に盾を作り出した。


「何をしますの!?」

「リリィ、雷が嫌いなの」

「はぁっ!?」


 次々と放たれる稲妻を、シタンは弾き返し続ける。だが、四匹が交互に攻撃をしてくることと、リリィが離れないので反撃に転じることが出来ない。


「貴女、いい加減に離れなさい!」

「だって、怖いんだもん」


 涙を浮かべて訴えるリリィに、朝の大泣きを思い出してシタンは言葉を詰まらせる。そうしている間にも稲妻は二匹に襲い掛かっていた。


「おい、シタン! 何をしている!」

「リリィ! 怖いならこっち戻ってきなよ!」


 地上で叫ぶ二人の王子の言葉を聴きながら、リリィが涙声を出した。


「ごめんね、シタン。リリィ、邪魔だよね」

「えぇ、邪魔ですわ。貴女がいなければ、簡単に倒せますのに」

「リリィね、仲良くしたかっただけなの」

「こんな時に何を……」

「安心して。シタンの邪魔はしないよ」


 そう言った次の瞬間、リリィはシタンの腰から手を離した。一度その場で宙返りをして体勢を変えると、水の盾をすり抜けて敵の方へと突き進む。

 予想外のリリィの行動に、シタンは思わず固まった。前に出たことで、魔物達は標的をリリィへと変える。四つの口が一斉に開いたのを見て、シタンは我に返った。


 いけ好かない、可愛くもない人魚であるが、見殺しにするわけにはいかない。か細い体でしがみついていた感触が、まだ腰のあたりに残っていた。魔物達に一瞬遅れて口を開いたシタンは、その日最も大きな声を上げた。海がざわめき、風が吹く。シタンの歌声が砂浜を揺るがした。


 宙に現れたのは、大きな四本の剣だった。最初に生み出された短剣とは比べ物にならぬほど、その刃は大きくて分厚い。その切っ先は魔物達の頭部を的確に狙っていた。


「切り裂きなさい!」


 高らかな声に導かれ、剣が魔物へと突き刺さる。身体を真っ二つにするほどの威力を伴った剣は、先ほどよりも更に大きな砂埃を巻き上げた。魔物達の体の欠片も一緒に空を舞い、いくつかが海へと戻っていく。


 やがて砂浜が静かになると、シタンは何度か咳をした。今の一撃で喉を少し痛めたらしく、これ以上の魔力の行使は危険だった。喉を摩りながら、シタンは自分の成果を見るために魔物の傍へと近づく。首を跳ね飛ばされた魔物達は、もはや痙攣すらしていなかった。


「シタン、大丈夫?」


 リリィがシタンの元に駆け寄って尋ねる。その顔には砂がついていた。


「貴女、顔が砂だらけで汚いわよ」

「むぅ」

「まぁでも、無事なようでよかったですわ。正式に戦う前に大怪我でもされたら面倒ですもの」


 リリィは顔の砂を拭いながら、シタンを真っ赤な瞳で見上げた。右手で口元を軽く覆い、その下で口角を片方だけ吊り上げる。


「正式、か。リリィは正式じゃなくてもいいよ」

「それはどういう……」


 突然、二人の傍らから一匹の魔物が飛び上がった。否、飛び上がるという表現は適切ではない。その身体は槍によって串刺しにされており、更に長いこと砂の中にいたのか、身体が砂だらけだった。


 シタンがその意味に気付くより先に、魔物は口を開いていた。最初にリリィの槍に串刺しにされたまま、砂の中で反撃の機会すら与えられなかった魔物の稲妻は、他の四匹と比べ物にならないほど大きかった。


 リリィはシタンにだけ見えるように微笑む。それは余りに可愛らしい笑みだった。


「リリィのこと可愛くないって言うからだよ」


 稲妻がシタンの顔を目がけて発射する。咄嗟にシタンは顔を手で護ろうとしたが、その女心は魔物にも稲妻にも通用しなかった。

 近距離で、しかも最大級の威力を込めた稲妻を受けたシタンは、自分の意志と反して断末魔を上げる。美しい歌声を持つ人魚とは思えない末路だった。


 黒焦げとなる視界と共に砂浜に倒れ込んだシタンは、リリィを見上げる。愛らしい笑みは無邪気という他なく、其処には何の思惑も見えない。

 シタンは死に際になって、漸くその正体を理解する。出会った時から感じていた嫌悪感と違和感は、本能が警告していたものだった。焦げて炭化した指を伸ばしながら、もはや魔物よりも醜くなった声を絞り出す。


「あ……悪魔……っ」


 そして誇り高き歌声を持つ人魚は、砂浜で息絶えた。

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