2-3.悪魔と葡萄

「我が人魚、シタンの働きを讃えて贈ってくれたものだ。有り難く食べるといい」

「何それ、聞いていませんわ。なんで私宛の果物を、あの変な人魚にあげなくてはいけませんの」

「別にいいだろう、一人で食べきれる量でもないんだし」

「よくありません。それを返しなさい!」


 シタンが手を伸ばしたが、リリィは葡萄をしっかりと抱きしめて首を振る。


「やだ。これはリリィのだもん」

「貴女には勿体ないものです。返しなさい」

「おい、シタン……」


 ナルドが止めようとした時に、シタンの胸の前に水の塊が出現した。丸い塊が回転しながら膨らみ、拳大の大きさから人の頭部ほどの大きさに変化する。

 シタンが手を振ると、その水の塊がリリィに直撃した。威力は押さえてあるとは言え、大きな塊に激突されたリリィは、思わず手の中の葡萄を放してしまった。

 そのまま床に落ちてしまったリリィを気に留めるでもなく、シタンは葡萄をキャッチする。


「ちょ、ちょっと……!」


 ローテムは慌てて椅子から立ち上がると、床に倒れたリリィに駆け寄る。リリィはすぐに起き上がったが、その両目には大量の涙が溜まっていた。


「リリィの……」

「べ、別の物食べよう? すぐに用意させるから」

「リリィの葡萄ーー!」


 その場で泣き出したリリィの声が、大広間に響き渡る。小さい子供が駄々をこねるのと変わらぬ状況に、ローテムは只管宥めるしかなかった。


「葡萄なら他にもあるし、後でおやつにもあげるよ」

「やだ! リリィはあの葡萄がいいの!」

「だったら同じものを将校に頼んで贈ってもらうから」


 泣き止みそうにない様子を見て、ナルドが片手で頭を抱えた。


「シタン。大人げないぞ」

「何故ですの。これは私のです。盗ったのはあの人魚でしょう」

「別にあの子だって盗んだわけじゃないだろう。なんでそんなに目の敵にするんだ」

「気に入らないからです。私のように高貴でもなければ美しくもない人魚なんて、見たくもない」

「じゃあその葡萄、アタシにくれよ」


 マリティウムが口を挟むと、シタンはそちらに目を向けた。


「少なくとも尻尾だけはあんたより綺麗な自信があるし」

「貴女はガサツだから嫌いです」

「別にあんたに嫌われても痛くも痒くもないね。で、くれるのか? くれないなら、色々「話し合い」しようか」


 暗に脅しをかけられて、シタンは言葉を飲み込んだ。それ以上食い下がるのは得策ではないと考え、渋々と葡萄を手渡す。

 マリティウムは葡萄を持ってリリィのところに行くと、泣きじゃくっているリリィにそれを与えた。


「ほら、葡萄あげるから泣き止めよ」

「……いいの?」

「シタンに貰ったやつだけどな。ほら、折角化粧したのに流れちゃうぞ」


 リリィはマリティウムに慰められて、漸く泣き止んだ。

 食べたかった葡萄が手元に来たので少しは機嫌が直ったようだったが、まだ何か警戒しているのかシタンから距離を取る。


「シタン、小さい子虐めたらダメだろ」


 マリティウムは元の場所に戻る途中で、シタンの前で止まった。


「苛めておりません」

「じゃあ何だよ」

「身の程を思い知らせているだけです」

「ふん。いつかあんたとは徹底的に話し合わないといけないようだな」

「えぇ、喜んで」


 二匹の人魚が火花を散らす中、リリィはローテムのすぐ隣で葡萄を食べ始める。上で行われていることなど気にも止めていない様子で、自分勝手な悪魔に相応しい振る舞いだった。


「美味しい?」

「うん」

「よかったね。今度マリティウムにお礼しないと」

「うん。でもそれより先に、することがある」

「え?」


 ローテムはその時、リリィの口元が不気味に微笑んでいるのを見た。それは到底、可愛らしいなどと言えるものではなく、悪魔としてのリリィの側面が急に表に出て来たかのようだった。


「殺さなきゃ。マリティウムがシタンと戦う前に」

「本気?」

「リリィはいつでも本気だよ。ローテム、勿論協力してくれるよね?」


 さもないと、とリリィは葡萄を一粒口に放り込みながら言った。


「お前の心臓、取ってやるから」


 その日の朝食の味を、ローテムは全く覚えていない。ただ覚えているのは、リリィが葡萄を食べた後に、とても幸せそうな顔をしていたことだけだった。

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