1-4.シャーケード

「ローテム王子、我々は海の王の元を離れ、この地で生きる人魚。貴方の行いがよければ、人魚は常に貴方の傍におりましょう。そして貴方の行いが悪ければ人魚は海へと還ります。貴方の善行が長く積まれることを祈っておりますよ」

「はい。ありがとうございます」


 頭を垂れたローテムだったが、その頭を冷たい二本の手が更に下に押し込んだ。


「わぁ、すっごい綺麗!」


 リリィはローテムの頭に手をついて、身を乗り出していた。


「あなた、綺麗な人魚だね。いいな、その鱗」

「おや」


 シャーケードの目がリリィを捕える。ローテムは一瞬脂汗を流したが、赤い人魚は目元に優し気な笑みを浮かべた。


「黒い人魚とは珍しいが、どこから来たのですか?」

「暗いところ!」

「深海の人魚ですか。可愛いこと」


 おいで、とシャーケードが手招きをする。リリィは無邪気にそちらに近寄った。シャーケードはリリィの頭を撫でて、少し落ちかけていたサンゴを挿し直す。


「こんなに幼い人魚を召喚出来るとは、ローテム王子の素質によるものでしょう」

「ふむ。確かに私もこんなに小さい人魚は初めて見たな」


 リリィはシャーケードと比べると頭一つ分以上小さい。十歳ぐらいの子供と同じような背丈しかないのに加えて言動も子供っぽいので、周囲が愛らしさを感じるのも無理からぬことだった。


「ローテム王子は他の王子と比べると、少々幼いところがあります。それに呼応したのでしょう」

「ふーむ、なるほど。人魚は召喚者に似ると言うからな」


 その小ささが気に入ったらしいシャーケードは、子供を愛でるような仕草でリリィに接する。一方のリリィは上機嫌で尾鰭を振っていた。

 蚊帳の外に置かれたローテムは、数分ほど我慢していたが、やがて我慢することにも飽きて咳ばらいを一つした。


「父上」

「なんだ?」

「今日はすでに日も落ちました。僕はリリィに王城を案内した後に休もうかと思うのですが」

「おぉ、そうか。確かに召喚されたばかりで魔物退治までしては疲れただろう。今日はゆっくり休むと良い。国についての様々なことは遠慮なく我々に聞いてくれ」

「うん、わかった!」


 リリィは元気よく返事をしてから、ローテムの所に戻った。上機嫌な様子でローテムの耳元に顔を近づけると、弾んだ声で囁く。


「お前の父親は美味しそうだね。リリィ、あぁいう人間は好きだよ」

「食べないで……。国が混乱しちゃうから」


 ローテムは父親に挨拶をしてから謁見室を出て、自室に向かって歩き出す。リリィは左右の壁や天井などを物珍しそうに見ながら、好き勝手に話し始めた。


「わぁ、あのピカピカしたの可愛い。リリィのおうちには髑髏をピカピカに磨いたやつに蝋燭を立てるんだけど、人間は髑髏は飾らないんだね。絨毯も面白い匂いがする。あ、人魚の刺繍。リリィも刺繍得意だよ。ママに教えてもらったの」

「元気だね、リリィ……」


 放っておいたら朝まで喋り続けそうな勢いに、ローテムは辟易して呟く。小さな子供が親に話しかけるかのように、とりとめもなく終わりも見えない。


「あ、人間。此処にはお風呂はないの?」

「お風呂?」

「リリィはお水が好きなの。あったかいお風呂に入るとよく寝れるでしょ」


 ローテムはその光景を想像して、どう頑張っても魚の調理にしか見えないので首を傾げた。

 父親や兄達の人魚も、入浴時には人間から離れて部屋で寛いでいるか、自分達だけで水風呂に入っている姿しか見たことが無い。


「お湯に入るの?」

「水風呂は嫌い」

「ふーん。一応お風呂はあるけど、他の人魚に見られないようにしてね」


 父親には「人魚に城を案内する」と言ったものの、ローテムは早く部屋に帰って休みたかった。

 これから先のことを考えると、休息は取れる時にたっぷりと取っておかねばならない。寝不足や疲労の時に、リリィの正体が露見する失態を犯さないとも限らなかった。

 自室に続く廊下を曲がった時に、リリィが弾んだ声で「人魚だ」と言った。その言葉に釣られてローテムが顔を上げると、一人の人魚を連れた男が歩いてくるところだった。


「兄上」


 ローテムが声を掛けると、男は立ち止まった。

 二十代半ばで背が高く、豊かな栗色の髪はウェーブを描いている。瞳はハシバミ色をしており、険が強い。意思の強そうな太い眉と広い額が、理知的なものを感じさせる風貌だった。


「ローテム。人魚を召喚したらしいな」


 低い声で男は腹違いの弟であるローテムに話しかける。その頭上では、橙色の鱗に砂色のロングヘアの人魚が浮かんでいた。

 男はリリィを見ると、上から下まで無遠慮に見回してから笑顔を作る。


「人魚の国からようこそ。私はこの国の第三王子、ナルドだ」

「リリィ、こちらは僕のすぐ上の兄であるナルドと、その人魚であるシタンだよ」


 リリィはシタンを見上げて笑みを見せるが、それは冷笑でもって返された。


「随分小さい人魚だこと。それに鱗も変な色だし」


 少しザラついた声を誤魔化すかのように、少し上ずった声で話す癖があるシタンは、リリィの体格が小さいのを見て自分より力が下だと判断したようだった。


「リリィ、まだ子供なんだもん」

「だったら早く海に帰ることね。全く、ローテム王子にも困ったものだわ。お父上や兄上達から歯牙にもかけられないからって、こんな人魚を呼び出すなんて」

「おい、やめないか」


 ナルドは人魚を嗜めたものの、その口元にはわずかに笑みが覗いていた。その内心で何を考えているかは、問いかけるまでもなく明らかだった。


「済まないな、ローテム。シタンは素直なんだ」

「配慮がないことを素直と言うんですね」


 思わずそう言ってしまってから、ローテムは慌てて口を押えた。平素は末王子として大人しくしており、兄たちの言動に対して異を唱えたことなどない。だが仮にも自分の「人魚」を馬鹿にされたという憤りが、理性を押しのけて口から出てしまった。

 ナルドもローテムの反論に驚いたように目を見開いていたが、少々決まりが悪そうな顔をすると、黙ってその傍らを通り抜ける。突然歩き出した主に、シタンは少し戸惑った様子で、しかしすぐにその後ろをついて行った。


「……言っちゃった」

「嫌味っぽくてよかったよ、人間。今のが第三王子?」

「ナルド兄様は僕より五つ年上だ。乗馬や狩りが得意で、貴族たちからは人気がある。シタンは歌を歌うことで水を操る人魚で、既に何匹もの魔物を退治してるんだ」

「あのシタンって人魚、嫌い。リリィの鱗が変って言った」

「まぁ、此処にいる人魚は皆鮮やかな色をしているからね」


 ローテムは廊下の先を見ると「ほら」と指さした。


「もう一人来るよ」

「また嫌な人魚だったら、噛みついてやるから」

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