1-3.王への謁見

 城の中に入ると、既に知らせを受けていたらしい家臣や召使達が集まってきた。人魚を召喚出来た王族には、こうして祝福の言葉を持って出迎えるのが通例であり、その時ばかりは仕事を投げ出しても良いとされている。

 それは、王族への祝福と言うよりはむしろ、海の国からやってきた人魚達への配慮とも言えた。この国の人間は人魚に危害を加えたりしない、と示すためのものである。


「ローテム様、よくぞ御無事で」

「お帰りにならないので心配しておりましたが、人魚を見事召喚されたと」

「国王も喜び、お帰りをお待ちでございます」


 一通りの祝辞を述べた後、家臣達はローテムの頭上に浮かんでいるリリィを見た。


「これがローテム様の元に来た人魚ですね」

「なんて可愛らしい」

「お兄様たちの人魚も美しかったですが、この人魚は特に愛らしいです」


 大勢に褒めたたえられたリリィは、黒い尾を何度も揺らした。

 そんな中でコックが一人、彼らの前に出て恭しく礼をする。


「ようこそ、人魚の国から。お名前をお聞かせ下さい」

「リリィだよ。よろしく」

「リリィ様、ささやかながらお食事の準備を致しますが、な……」

「チョコレートパイとチェリーパイ!」


 相手の語尾を打ち消す勢いでリリィが言い、それを追うように腹部から空腹を訴える音が出た。


「人間……じゃなかった、ローテムがお菓子持ってないって言うんだもん。チョコレートたっぷりのパイが欲しい」


 愛くるしい無邪気な様子に、人々は頬を緩める。だが正体を知っているローテムだけは冷や汗を流していた。人と関われば関わるほど、嘘が露見する可能性は高くなる

 もしリリィが人魚ではなく悪魔だと知られた場合、それを召喚したローテムには重い罰が下るだろう。国外追放か、最悪の場合は斬首刑でもおかしくはない。母親の生家である、北の領地を治める伯爵家も巻き添えになる可能性がある。

 昨日は半ば勢いで、リリィに人魚の振りをして欲しいと言ってしまったが、城に戻って改めてその危うさを実感した。何しろ他の王族が持っているのは正真正銘の人魚であり、もしかしたら人魚から見たらリリィが何かなど一瞬で看破されてしまうかもしれない。


「ローテムの部屋で食べるから、冷たい紅茶と一緒にね」

「腕によりをかけてお作りします」


 悪魔だと知らなかった、と白を切るのも一つの手ではあるが、それを言ったが最後、リリィに心臓を抉り取られるのは明白だった。

 ローテムに残された道は二つ。心臓を捧げないでリリィに帰ってもらう手段を探すか、あるいは王となってしまうか。王となれば、誰もその人魚が悪魔であるとは思わないだろう。


「……荷が重い」


 そもそも、ローテムは自分自身が王の器ではないと思っている。人魚が欲しかったのも、単に兄を見返したいという私利私欲も良いところな理由であって、王になろうだなんて微塵も思っていなかった。


「ローテム!」


 塞ぎこんでいたローテムの首に、冷たいものが巻き付いた。飛びついてきたリリィが腕を回しただけだったが、その肌は非常に冷たい。まるで氷漬けになっているかのようだった。


「チョコレートパイ作ってくれるって!」

「よかったね」

「どうしたの。胃に蠅でも入ったような顔をして」

「何でもないよ。これから父上に会いに行くけど、準備は良い?」

「うん!」


 余程パイが待ち遠しいのか、リリィはローテムの首に抱き着いたまま、鼻歌を歌う。浮力のためにローテムの体に体重は殆どかかっていない。暫く首から離れそうにないので、仕方なくローテムはそのまま歩き出した。


「お前の父親は国王なんでしょ。似てる?」

「全然。僕は母親に似てるんだ。といっても、僕が十歳の時に流行り病で亡くなったから、会わせることは出来ないけど」


 城の広い廊下を進む。すれ違うメイドや召使たちが口々に祝福の言葉をかけるのを、リリィは手を振って応じていた。

 やがて廊下の先に、他の部屋とは違い一際大きくて立派な扉が現れる。扉の前には執事が立っており、ローテムの姿を見ると一礼をした。


「王がお待ちです」

「うん、わかってる」

「人魚が首に絡みついてますが」

「それもわかってるよ」


 執事が扉を開くと、それを待ち構えていたかのように大きな声が響いた。


「ローテム! 我が息子よ!」


 王の謁見室であるその部屋には、中央に敷かれた豪奢な絨毯と、その先の玉座のみで構成されている。天井から吊るされたシャンデリアは、人魚に敬意を表してうろこ状にカットされた水晶で作られており、壁にかかる国章も人魚の姿を象っていた。

 玉座から立ち上がり、両手を広げて待ち構えているのは、身体の大きな男だった。年の頃は六十歳、身長も体重もローテムより一回り以上大きい。


「父上、只今戻りました」

「人魚を連れて星見の塔から戻っただけでなく、早速魔物を退治してくるとはな! 正直お前には王家の血は薄いと思っていた。先見の明のない愚かな父を笑うが良い」

「あー、いえ。大丈夫です」


 声の大きい父親に圧倒されながら、ローテムは曖昧な返事をする。何が大丈夫なのかは自分でもよくわかっていなかった。

 そんな反応はお構いなしに、国王であるミルトスは大仰な動作で天井に顔を向ける。


「喜んでくれ、シャーケード! 我が息子は全て人魚を手に入れたぞ!」


 その声に応じるようにして、絢爛豪華な彫刻を施した天井から一匹の人魚が降りて来た。

 真っ赤な鱗はシャンデリアに照らされて虹色の光沢を帯び、大きな尾鰭は限りなく薄く、向こうの景色が透けて見える。夜に混じるが如き漆黒の髪も艶があり、ただ一輪の薔薇の花のみ挿しているのが髪の美しさを際立たせていた。


「よろしうございましたね、王よ」


 ミルトスの肩に腰かけるように降り立った人魚は、険の強い眼差しと薄い口唇を持つ美しい顔をしていた。その顔に似つかわしい、落ち着いた低い声が祝福の言葉を紡ぐ。

 シャーケードは国王の人魚であり、ローテム達にとっても馴染み深い存在だった。


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