十 調査人と調査対象の告白
一緒に保健室行こう、としつこく言ってくる中谷を巻き、教室へと向かう。きっとあいつは校舎内を駆け巡り、僕を探していることだろう。時刻は十七時、夏の夕はまだ明るく、蒸し暑い。教室の戸を開け、僕は室内を覗き、そして息を呑んだ。
「……どうも」
静謐とした教室内には、ただ一人が席についている。漆色の髪を揺らめかせ、三原真由はこちらを振り返った。
「……なんでこんなところにいるんだ」
「あなたと話がしたくて」
「話がしたいだけなら、そこに座らなくてもいいだろ」
睨みつけると、三原はクスリと笑った。厭らしい笑みに、背筋を不快感が駆け巡る。
「そんなにここに座られるのは嫌?」
「自分の席があるんだから、自分の席に座ればいい。それだけだ」
「分かった。大人しく立ってる。あなただって、立ってるしね」
そして三原は立ち上がる。ゆったりと余裕を持たせ、愉しそうに笑みを深め。
「私のこと、たくさん聞いて回ってたみたいね。私の……失恋のこと、かしら」
「森か大沢にでも聞いたのか?」
「その二人はもちろんだけど、吉井からも聞いたわ」
吉井と呼んだ、その一瞬だけ、三原の細い眉は不機嫌そうにしかめられた。分かりやすい変化だ。無表情という評価を改める必要がありそうだ。
「今日一日、いろんな人に聞いて回ったよ。お前の友人、元カレ、いろんな人にな。それで、分かったよ、お前の失恋相手が誰なのか」
三原から表情が消える。ぞっとするほどの無に、威圧される。どうやら当たっていたようだ。
「なぁ、三原。――好きな人から親友って言われる気持ち、どうだ」
言い終えた、その瞬間。目の前の黒が激しく揺れる。その黒に惑わされている内に、痛みが、頬を貫いた。パシン、という音が、鼓膜を突き抜け、脳を揺らす。正気に戻され、目の前に意識を戻すと、そこには三原がいた。不自然な位置にある右手と、息を切らしたその様子が、僕は彼女に叩かれたのだという事実を示していた。
「図星かよ」
「っ、うるさい! あなただって、私と同じくせに!」
その言葉に、僕は一瞬言葉を失う。しかし、平静はすぐに戻って来た。この教室に入ったときから、三原には僕のことなどお見通しということは分かっていた。さっきまで三原が座っていた席に目をやる。窓際の、前から二番目。そこは、馬鹿で間抜けな、僕の親友の席。
「同じだから、僕には分かったんだよ。親友って言われるたびに辛くなる気持ちも、分かる。叶わない思いを持ち続ける辛さも、それを隠す辛さも」
「同じじゃないわ。だってね、女の子って男の子よりも賢いのよ。あなたは彼にバレていないかもしれない。でもね、私はバレちゃったのよ。……もうずっと前から、気づかれていたのかもしれない。でも、完全に晒されてしまった。私の醜い汚い部分を、彼女に、見られてしまったのよ」
もう隠せない、誤魔化すこともできない気持ち。それでも捨てられないことの、なんて絶望的なことか。三原の瞳から、涙がぼろぼろあふれ出す。その涙は、彼女だけのものではない。きっとそれは、僕のものでもある。そして、彼女の感じる痛みも、僕の感じる痛みでもある。
「お前に執拗に男を勧めていたのも、きっと気づいていたからだろうな。親友ってバリアさえ貼れば、お前の気持ちを誤魔化せるって思ってたんだろう」
「馬鹿ね……そんなことで揺らぐほど、私の気持ちは脆くないんだから。本当、残酷よ……ひどいわ」
きっと彼女の恋は、とうの昔に死んでいた。彼女の親友は、優しい故意の笑顔を武器に、彼女の恋を殺していた。それは僕も同じなのだ。僕の恋も、とうの昔に死んでいて、あとは腐敗するのを待つだけ。それだけの、未来のない恋。
そんな恋を持ち続ける僕たちを、きっと人は笑うだろう。笑われても、死骸となった恋を、僕たちは捨てる術を持たない。だからきっと、三原は吉井と付き合い続けることはできなかったし、僕もこの先誰かに恋をすることはできない。
「僕さ、お前のこと、嫌いだよ。お前は僕の恋敵だからな」
「知ってる。あなたがあんまりにもこちらを睨むから、彼があんまりにもこちらを見つめるから、分かってしまったのよ」
「……これからどうする?」
「さぁね。私はまだ好きよ。きっと、ずっと、好きだわ」
三原は笑う。全てを諦めた笑みだった。きっと僕も、いつかは彼女と同じ末路を辿る。それは仕方のないことだろう。僕らの選んだ道は、誤った道なのだから。
ああでも、どうか。彼に全て気づかれてしまう、そのときには。
どうか僕の恋を笑わないでほしいと、そう願うのだ。
僕の恋を笑わないで 志麻樹 @SKEINYK
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