闇の王

 田中はタイプする手を止めて、椅子の背もたれに体重を預けながら、今打ち込んだ文章を最初から読み返した。読み終わって一つ頷くと、携帯電話で千歳に電話をかけた。

「おう隆、どうした?」

「終わったよ。これから家に来れないか?」

「マジか、やったな!」

 千歳は喜びながらも声を潜めていた。周りに誰かいるのだろう。現在千歳はダークインフィニティの中でも闇の真理に気づいた者をジョナサンから守るための部隊を指揮している。そのためしょっちゅう世界中を飛び回ってはダークレリジョンとの衝突を繰り返していた。不本意ながら何度か国際警察からスパイ容疑で逮捕されたこともある。

「でも悪いな、俺今スペインなんだ。またジョナサンがらみでな。歴史的な瞬間に立ち会えないのは残念だが、そっちのことは任せるぜ!」

 たった数日の間に起きたダークレリジョンとダークインフィニティとアルブレヒトの三つ巴の闘争、それに巻き込まれた者たちの中で最も多くを失ったのは千歳だった、両親にハイドリヒを倒したこと、これからはダークレリジョンの監視におびえる必要がないことを教えたがために、縁を切られてしまった。両親はそれほどにダークレリジョンの教えに深く傾倒していたのだ。さらに手塚美穂とも結局別れることになった。美穂がジョナサンに人質に取られているときに言った言葉は、恐怖から出たものでもなんでもなく本心だったのだ。それでも千歳は明るくまっすぐな性格のままだった。

 田中は一度心配して単刀直入に「大丈夫なのか?」と聞いたことがあるが、本人が言うには「うつむきながら生きてもしょうがないからな、それに大事なのは過去じゃなくて未来なんだろ?いちいち失敗するたびに落ち込んでたら、明るい未来を目指しましょうなんて言ったところで説得力ないぜ」とのことだった。

「そうか、そっちも大変だな。気をつけろよ」

 千歳は短く返事をして電話を切った。しかしダークセーバーを持っているとはいえ、千歳のようなただの人間がジョナサン相手に今まで無事でいられたことは奇跡だった。だからこそこの計画を終わらせて世界を変えなくてはいけない。

 田中たちがハイドリヒに挑んでから数年が経っていた。その間に世界は驚くほどの変化を遂げていた。ゼノウチスが予言していた知識が売り買いされる世界は予想より早く到来した。ゼノウチスの仲間の一人に、人の記憶をコピーして他の人に植え付ける能力を持っているミスルトウがいて(ゼノウチスが田中に見せた鶴野正義の記憶もこの能力で得たものだった)その能力がシステムの構築に一役買った。システムを完成させたのはダークインフィニティの技術者だったが、大手販売会社に売り込みに行ったときに開発費の元を取る程度の金額で売り払ってしまった。千歳は「もったいないことするな」と言ったが、金もうけが目的でやっているわけではない。それがシステムを普及させるために最も効率のいいやり方なのだ。それにハイドリヒがいなくなったために監視能力がなくなったとはいえ、ダークインフィニティの活動を、今はジョナサンが率いているダークレリジョンに気づかれるわけにはいかない。そのためにシステムの普及はダークインフィニティとは関係のない会社に代わってもらうことにしたのだ。システムの評判は上々だったが、システムを利用するためのウェアラブルデバイスは値段が高かったこともあり一般に普及するまでには少し時間がかかった。しかしそれも今では十分な量が流通している。

 ちなみに結局のところ、アルブレヒトがいなくてもアメリカ大統領は核兵器を投入した第三次世界大戦を勃発させた。まずアメリカが仕掛けた。標的となったアジアの某国に打ち込まれた核ミサイルは意図してか、空中分解し不発に終わった。それでも半同盟状態にあった中東とアジアの大国とは、対話路線を訴え続けていたにも関わらず先制攻撃をしたアメリカに対して、今こそ打って出る口実ができたとばかりに総攻撃を仕掛けた。しかし核戦争に発展することはなかった。実際に核弾頭は何度も発射されたのだからあれは核戦争だったという人もいたが、それぞれの国はひそかにミサイル防衛システムを発達させており、どの核弾頭も一つとして着弾することなく撃墜されたのだ。なので海上での武力衝突は何度かあったものの、民間人にまで被害が及ぶようなことはほとんどなかった。

 戦争が勃発してから一か月と経たないうちに事態は急変した。アメリカ大統領が一方的に勝利宣言をしたかと思うと、敵も味方も次々と政府の重役が辞任していき、あっという間に新体制が敷かれ、敵として戦った国で、新たに首脳になった者たちがアメリカ大統領と握手している映像がテレビで大々的に流され始めた。

 そしてアメリカ大統領が暗殺された。犯人はまだ捕まっていない。ゼノウチスはもしかしたら今はジョナサンを中心としているダークレリジョンが何かしたのかもと言った。それが彼らなりの平和維持なのだろう。田中はそう思うことにした。と同時に、大統領が死んだという事は、アルブレヒトの意志は今どこの誰になっているのだろうと思った。もしかしたら本当にまた猫になって会いに来るのではないかと思ったが、それが実現することはなかった。

 核戦争の脅威が去ったころ、世界はまだ混乱状態だったが、田中と千歳を中心にダークインフィニティは活動を再開させた。そして今闇論を書き終えた田中がそれを仮想現実空間にアップロードすることで、世界中で接続されている何千万という人間の脳に闇論が上書きされることになる。計画がここまで進行するまでの間、幾度となくジョナサンの妨害を受け、時には犠牲も出した。しかしとにかくここまで来た。最後の推敲は終わった。あとはエンターキーを押すだけだ。

 その時後ろのドアが開いてマリアが部屋に入ってきた。腕には赤ん坊を抱えている。田中は椅子の背もたれから身を乗り出して、赤ん坊の顔を覗き込んで笑った。

「どう、順調?」

 今や田中夫人となったマリアは夫をねぎらうようにやさしく言った。

「今終わったところだ。と言ってもとっくに書き終わっていたわけだから、ざっと点検しただけだけど。

 そういえば、千歳にも連絡してみたんだが、今スペインで忙しくしてるんだそうだ。またジョナサンがらみだって言ってた」

「そう…心配ね」

「そうだな、だからこそ終わらせなきゃいけない」

 そう言った田中の目をマリアはしばらく見つめていた。そして微笑んでからやさしく首を振った。

「終わらせるんじゃない。これから始めるのよ」

田中は微笑み返した。

「そうだな…人類に闇の真理を広め、人間とは何かを知らせることで、より高い次元へと成長させ、世界平和を目指す!僕はそれを導く王になる!」

田中はエンターキーに指を乗せた。

「さあ、神に挑もう!」

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