予兆
時刻は午前八時。空はとっくに明るくなっていたが鳥の鳴き声さえ聞こえない路地はしんと静まり返っていた。男は黒いコートに黒い靴に黒い帽子といういでたちでそそくさと歩いていた。しかしふと不安になって公園掃除を終えたらしいおじいさんを見つけると、できるだけ警戒されないように笑顔で話しかけた。
「すいません。立花高校はこっちの方角でよかったですか?」
しかしおじいさんは警戒した。黒づくめのよそ者が高校はどこですか?とたずねてきたのだから無理もない。この界隈では以前変質者が現れたことがある。その男は無事逮捕されたものの、この男は見たところ教師でも保護者でもなさそうだし、だとしたら変質者かもしれないと思ったのだ。コートの下には何も着ていないかもしれないじゃないか。なのでおじいさんは横顔を向けたまま、男を足元から顔までゆっくりと眺めまわして「あんたどちらさん?」と言おうとした。が、実際には無言で背筋を伸ばして、立花高校のある方角を指さした。男はなおも笑顔で「どうも」と言って帽子をとって挨拶してから、おじいさんが指さした方角に向かって歩き始めた。その間もおじいさんは無言で立花高校の方角を指さし続けていた。
学校に到着するまでの道のりで、田中は昨日の出来事についてまだ考えていた。マリアが言っていたことが気にはなるものの、確かめようがない。そもそも目立たないように普通に生活してくれだなんて到底無理な話だ。目立たないようにというのは今まで通りで大丈夫だろうが、闇論のような突拍子もない理論をこねくり回しているのが田中隆にとっては普通なのだから、あえてそれをやらないのは逆に不自然になりかねない。それともまだ誰も思いついていないような話はないか、新しく考えたほうがいいだろうか。そんなことを考えていたらいつの間にか教室の扉の前まで来ていた。
田中はそこでふとある不安に駆られた。しかしそれは防ぎようがなかったのでそのまま教室に入った。すると案の定千歳が声をかけてきた。
「隆!闇論についてなんだけどさ!俺すげー事気づいたぜ!」
田中はちょっと待てと手で千歳を制して、横目でマリアの席を見た。特に表情に変化はなかったが、気のせいか小刻みに震えているように見えた。
「なんだ、どうしたんだ?」
何かを察したのか千歳が小声で聞いてきた。田中は防ぎようがないならないで何かしら対策を講じておくべきだったと後悔した。なのでここはとりあえず「後で…話す…」と口ごもる事しかできなかった。千歳は真剣な表情になった。
「何かあったのか?」
「いや何かあったかと言われれば何もない。けどとりあえず今はだめだ」
「そうか分かった」
千歳はそう言うと自分の席に戻っていった。田中は心底千歳が聞き分けのあるやつでよかったと思った。今ここで闇論についてまた話し始めたらマリアが発狂しかねない。しかし千歳もマリアと話し合う必要があると思った。まだ完全にマリアの話を信じたわけではなかったが、目立つように闇論について話さないという約束をしてしまっている。約束は約束だ。約束を守るのが誠実な男というものである。そう思った瞬間頭の中でゼノウチスがささやいた気がした。「そうそうマリアの前では誠実な男であり続けなくっちゃ」田中は心の中で黙れとつぶやいた。
マリアの周辺の席で女子たちが話しているのが聞こえてくる。
「マリアちゃん大丈夫?顔色悪いよ、まだ体調悪いんじゃない?」
「だ、大丈夫だよー。昨日ゆっくり休んだからー」
田中はなるほどと思った。体調不良という事にして部活を休んだのか。よほどダークレリジョンの存在を信じているらしい。そのうえよく知らない男子を家に上がらせるとはよっぽどだ。しかしそれでも田中の中では千歳にも言った通り何かあったのかと言われればなにもないの内なのだ。幽霊が見えたり宇宙人が接触してきたり超能力者が現れたわけじゃない。
ホームルーム開始のチャイムが鳴った。ざわついていた教室が静まり返っていく。しかし担任の教師はまだ教室に入ってきていなかった。田中は何かがおかしいと思った。なぜこのタイミングで静まり返る?教師が来る前から静まり返るほどクラスメイト達はお行儀がよかったか?一番前の席の田中は振り返って教室の中を見渡した。するとさっきまで楽し気に話し込んでいた女子も頬杖をついてあくびをしていた男子もマリアも千歳もみんな黙って田中の方を見ていた。
「な…」
「なんだ?」と言いかけたところで教室中の全員が立ち上がった。その時に全員が椅子を引く衝撃で田中は後ずさりして椅子から転がり落ちそうになった。何とか机と椅子の間に挟まる形で落下は免れた。クラスメイト達は田中のそんな様子など全く気にせずに、黙ったままゆっくりと田中を指さした。いくつもの無表情な顔と指の先端が田中に向けられている。そのあまりにも異様な光景に田中は絶句した。緊張で悪寒が走り、しかし額には汗が浮いた。すると突然後ろで教室のドアが開く音がした。田中が振り返るとそこには黒いコートに黒い帽子をかぶった中年の男が立っていた。
「やあはじめまして、アルブレヒトだよ。君が田中君だね?」
田中はパニックに陥っていた。逃げ出そうにも尻が机と椅子の間に挟まって立ち上がれない。それに緊張で体が動かない。心臓は早鐘を打つように脈打っている。頭の中ではまさかダークレリジョン!?本当に僕を殺しに来たのか!?皆にいったい何をした!?などなどの考えが渦巻いたが混乱している田中の口から出たのは至極どうでもいい質問だった。
「日本人みたいな名前だな」
これは単に田中の言い間違いだったのだが、アルブレヒトと名乗った男はそれを皮肉と受け取って短く笑った。男の顔はどう見ても日本人だった。
「驚かせてしまって申し訳ない。でもこれは必要なことなんだ。今君が理解する必要はないけどね。とにかく僕は君の敵じゃない。むしろ助けに来たんだ。それで今日は挨拶をしに来たってわけ」
そこで男は帽子をとると教室中を見渡した。
「君は真理に気づいたんだろう?誰かに話した?」
田中は答えなかった。そして自分でも驚くほどその質問を冷静に理解した。この男はダークレリジョンで、なぜかはわからないが田中が真理に気づいたことを知った。そして田中を始末する前に、他に知っている者を聞き出して一緒に始末する気でいるのだ。ふとマリアの家で見たメールが思い出される。あれは人間じゃなかった…。
「誰が教えるものか」男をにらみつける。
「疑ってるんだね僕のこと。まあしょうがないか。それじゃあ出直すとするよ。また近いうちに会うことになるだろうけど、その時は僕が敵じゃないってきっと信じてくれると思う」
男は帽子をかぶりなおすと「またね」と言い残して教室を出て行った。すると入れ違いで担任の教師が入ってきた。
「はーい。じゃあホームルーム始めるぞー。おい、なんだ田中その姿勢はー、しゃきっとしろー」
田中はハッと我に返って教室を見渡した。何人かはこちらを見ているが誰も立ち上がってはおらず田中を指さしてもいない。いつもの教室に戻っていた。驚くことに誰も今起こったことに気づいていないようだった。
授業は全く頭に入ってこなかった。それは田中にとってはいつものことだったが今日は教師の声をBGMに妄想にふけってたわけではなかった。先ほどの事実を千歳とマリアにどう伝えるべきかを考えていた。もはやダークレリジョンの存在を否定することはできない。千歳はまだよかった。二人で話しているところを見られても不思議に思う者はいないだろう。しかしマリアは問題だ。マリアの周りにはいつも女子が群がっていて男子が話しかけることをより困難にしていた。田中が話しかけようものなら周りの女子は途端に騒ぎ立てるに決まっている。そんなことを気にしている場合かとも思ったが、あくまでも冷静に、目立たないようにやらなければいけない気がした。そこで下駄箱に手紙を残すのが一番だろうと思った。しかしこれにはリスクがある。誰にかに見られようものなら間違いなくラブレターを入れたと思われ、噂は一気に広まるに決まっている。それは目立ちすぎる。だが田中にはその方法しか思いつかなかった。
授業終了のチャイムが鳴る。田中は千歳の席へと向かった。
「さっきは悪かった。実はな‟何か”が起こった」
「マジか。それ、やばいやつ?」
田中は千歳もリアリストタイプの中二病だと思っていたのでこの反応は意外だった。なぜかワクワクしているように見える。案外陰謀論とか信じているのかもしれない。
「まあ…そうだな。だから明日ちょっと外で会えないか。交差点のところのファミレス分かるだろ?あそこに十時に来てくれ」
「いいね、明日は部活も休みだし!」
嬉しそうに言う千歳に田中は明日会うまでは闇論のことを口外しないように言ってから席に戻る。意外とすんなりいって田中はほっとしていた。次はマリアだ。放課後に人がいなくなるまで待つのも手だが帰宅部の田中がいつまでも居残っているのは不自然に思われかねない。そこで田中は校庭に出ていく生徒もいないであろう授業間の休み時間を利用して下駄箱まで降りていくことにした。
田中は「トイレに行くか」と独り言をつぶやいて教室を出た。すぐに今のは不自然だったと後悔した。しかし別に悪いことをしようとしているわけじゃないんだから堂々とすればいいんだと思いなおして階段を駆け下りた。マリアの下駄箱はすぐに見つかった。一応周りに誰かいないかを確認してから手紙を滑り込ませる。急いで下駄箱を後にしてもう一度周りを見渡した。誰もいない。田中はうまくいったと思った。 しかしその時視線を感じてさっと振り返った。さっきまでいた下駄箱の近くに一匹の猫がいてこちらをじっと見ている。しばらく視線が交わった。田中は追い出すべきだろうかと考えたが、そのうちだれかが見つけるだろうと思ってそのまま教室へ向かった。
バスケットボール部の練習を終えた手塚美穂はいつものように彼氏の帰りを待つために校門に向かっていた。
この日美穂は田中という変人について隣のクラスのバスケットボール部員からいくらかの情報を得ていた。名前は隆(田中隆!あまりにも平凡!)。義孝を除いて彼と好んで話をする人はいない。なので美穂が田中についての情報を仕入れようとしただけで「あいつのこと知りたいとか変わってるねー」と言われた。これは相当だ。今後は気を付けなければいけない。ミイラ取りがミイラになりかねない。変人扱いされるなんて御免だ。
バスケットボール部員の話だと、義孝はほとんど毎朝田中と訳の分からないことを話しているらしい。義孝が田中から変な影響を受けているのはこれでほぼ間違いないと思った。しかし義孝が美穂に何を隠しているのかについてはわからなかった。それはこれから直接本人に聞いてみるしかない。しかし前日に今はまだ話せないと言われてしまっている以上答えるかどうかは別だった。もちろん答えてほしいが、少なくとも彼氏を気遣う彼女というステータスは得られる。
ちょうどその時いつものようにサッカー部員たちが小突き合っている姿が目に入った。美穂はいつものようにおしとやかな女子になって彼氏の名前を呼んだ。
「義孝おつかれー!」
義孝が笑顔で駆け寄ってくる。しかしその笑顔は前日にも増して不自然だった。その不自然な笑顔は相手に警戒されないように無理やり作ったものに他ならない。義孝は何を警戒されないようにしているのか。
「おう、お待たせ美穂。じゃあ、行こうか」
「おう」とか「じゃあ」なんて言葉は義孝はめったに使わない。動揺しているのだろうか。だとしたら何に動揺しているのか。隠し事は昨日からあったが、昨日はそんなそぶりはなかった。直接聞いてもよかったが、美穂はあえていつもの笑顔で促す作戦に出た。質問の多い女は嫌われると何かの雑誌で読んだのだ。義孝がそんな理由で美穂のことを嫌いになるとは思わなかったが、頭が悪い女と思われかねない。それはステータスを重視する美穂にとってあってはならないことだ。
美穂はしばらく義孝に向かって無言の笑顔を振りまき続けたが、義孝はまるでそのことに気づかない。いつもなら目を見て話しかけてくるのに、今日はあちこちに視線がさまよっている。ついにしびれを切らして美穂は質問した。
「ねえ、何かあったの?」
義孝はびくっと体を震わせて美穂を見た。かろうじて保たれていた作り笑いは消えていた。そして美穂が聞いたことがないぐらい低い声でゆっくりと言った。
「うん、何かがあったらしい」
何かがあったらしい…とはどういう意味だろう。美穂は笑顔を振りまくのも忘れて眉根にしわを寄せた。その表情を心配してくれていると受け取ったらしい義孝は、まるで目の前のろうそくの灯を消さしてしまわないようにするかのごとく細く小さい声で続けた。
「美穂に嘘はつきたくないから言うけど、まずいことになると思う」
吹奏楽部の練習を終えたマリアは、部員たちと一緒にその日の出来事やテレビ番組のことなんかを話しながら帰宅の途についていた。ある程度話を合わせてはいたが、本心は先ほど下駄箱に入っていた手紙を早く確認したいという衝動に駆られていた。下駄箱ではみんなと一緒にいたので手紙の内容を確認できず、なんとか気づかれないように鞄に滑り込ませることしかできなかったのだ。
別に何かを期待しているというわけではない。もし…いや大抵そうだろうが、手紙の内容が愛の告白で、放課後に体育倉庫裏に来てほしいなんて書かれていた場合相手を待たせることになってしまう。受けるつもりはないのだから、それは相手に悪い。だから早く確認しなければいけないのだ。それに愛の告白が手紙に書かれているとは限らないではないか。マリアは自分にそう言い聞かせた。もしかしたらダークレリジョンの脅迫状かもしれない。その可能性がある以上一刻も早く確認しなければならなかった。
「ねえマリアちゃんは気になる男子とかいないのー?」
「え!?」
いつの間にか部員たちの話題は気になる男子の話になっていた。そのことに全く気付いていなかったマリアには部員の質問は不意打ちだった。そのせいで声が裏返ってしまった。しかし部員たちはマリアのそのリアクションを「気になる男子がいるから質問されて驚いた」と解釈してしまった。部員たちの顔がパーッと明るくなる。
「えー!だれだれー?マリアちゃんの気になる人ー」
「内田君?松山君?それとも千歳君?」
「千歳君はだめだよー隣のクラスに彼女いるらしいよー」
「それ関係あるー?」
「うわーゲスだー」
こんな時マリアはある程度調子を合わせていれば彼女たちの話題は勝手にそれていくことを知っていた。なのでこの時も「えーそうなのー」「へーそうなんだー」などと適度に相槌を打つことで気になる人を答えることなくやり過ごすことに成功した。我ながら完璧なあしらい方だと思った。
マリアはようやく最後の一人と別れて家までの道を一人で歩き始めた。念のため角を曲がってから鞄の中の手紙を取り出した。それはもちろん田中が書いた手紙だった。マリアはなぜか無性に腹が立った。別に愛の告白の手紙を期待していたわけではない。昨日目立たないように今まで通り過ごしてくれと言っておいたばかりなのに、田中が手紙をよこしたせいで腹が立ったのだ、という事にして自分を納得させた。
「今日は学校どうだった?」
「いつも通り」
田中は母の質問に上の空で答えた。明日千歳とマリアを合わせてから今日の出来事をどう説明するべきかを考えていた。そもそも本当にあの出来事に誰も気づかなかったのだろうか。どうしてアルブレヒトと名乗るあの男は田中の存在を知っていたのか。そして何をしに来たのか。冷静になった今、田中にはそれがどうしても疑問に思えてきた。田中が他の誰かに闇論を吹き込んだとみてその誰かを特定できなかったから?それなら田中をさらって拷問でもすればいい。しかしそれだと騒ぎになるから様子を見ている?マリアはダークレリジョンは真理を知った者を消していると言っていた。目立つのはまずいのだろう。待てよそれならわざわざ姿を現す必要はないじゃないか。考えても答えは出ない。男は近いうちにまた会うことになると言っていた。それが嘘でないならその時までに対策を考えなければ。
「あら、美人さんねー。この人昔はモデルをやってたらしいのよ。それで今は大統領補佐官だなんてすごいわ。才色兼備ってやつよね」
田中の母は焼き魚をつつきながらテレビを見て言った。近くアメリカ大統領が来日するらしく、それに先立って大統領補佐官が来日したというニュースだ。ダークレリジョンは外部の権力者を招き入れる。もしかしたらアメリカ大統領もそうなのかもしれないと田中は思った。田中が闇論を書き始め、アルブレヒトという謎の男が訪問してきたこのタイミングでアメリカ大統領が来日…しかし田中はさすがに考えすぎだろうと思った。
部屋に戻った田中はまだ明日のことを考えていた。しかしやるべきことはアルブレヒトの存在を二人に知らせることだけだ。考えたところで今できることはない。そもそも未知の存在にどう対処するかなんて、考えたところで分かるはずがない。そう納得すると、また部屋の電気をつけずにパソコンに向かって、闇論に新たな項目を書き加えた。
闇が邪悪視されることについて
闇はあらゆる媒体で邪悪なものとして描かれてきた。これは人が闇を恐れていることに起因している。ではなぜ恐れるのか。ここからは少し闇の考察からは脱線することになるが、より深い理解を得るためにまずは恐怖についての考察を試みたいと思う。
またいきなり結論になるが、恐怖とは知らないという事である。
人は宇宙人や幽霊を恐れる。それはなぜか。知らないからである。まず何よりもその事実が先にある。そしてそのあと宇宙人はきっと地球に侵略戦争を仕掛けに来るから怖いんだとか、幽霊はこの世に恨みを持って死んだ人が現れたものだから、きっと人を呪い殺そうとするんだ、だから怖いんだ。とかいう後付けで本当の理由(知らないから怖いということ)を隠蔽し自分を納得させているのである。
人間には常識というものがある。常識には範囲があり、その外側にあるものを理解しようとすると必ず‟知らない”という壁にぶつかる。壁の向こう側がどうなっているかはよじ登ってみないと分からない。しかしそんなことをしなくても振り返れば常識の中にみんながいる。みんなと一緒にいれば安心である。壁をよじ登るなんて危険を冒す必要はない。そして壁の向こう側は(知りもしないのに)きっととても危険なんだと言い訳をして常識の中へと帰っていくのである。
つまり闇はこの壁の向こう側にあるのである。それが何かを人類は知らず、だからこそ恐怖し、闇はきっと邪悪なものに違いない、だから怖いんだ。と納得しているのである。
ちなみにこの闇論そのものは壁に立てつけられた扉であり、そのドアノブに手をかけて壁の向こうを知ろうとしているあなたは勇敢である。それは恐怖に立ち向かうことに他ならないのだから。
千歳はベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、なぜ隆にもう少し詳しく話を聞いておかなかったのかと後悔していた。それはもちろん隆が闇論について周りに聞かれてはまずいと察したからだろうし、そのことは千歳も理解している。それはなぜか。千歳義孝は自分がダークレリジョンの一員であることを知っていた。それは両親から教えられたからだが、同時にその宗教的観念に疑問を抱いてもいた。知らない誰かに両親が従い、その両親に自分が従って生きている。
千歳は誰かに教えられたことよりも自分の中からくる自由な発想を好んだ。それがどんなに突拍子のないことでも理論づけて納得できるまで突き詰める。そしてそのことを両親に何度か話していた。両親はその都度関心のないふりをしていたが、千歳が闇の正体を語りだしたときついに本当のことを打ち明けた。
「いつかは話すつもりでいたんだ。お前は賢いから受け入れることができると信じていた。しかしまさか自分で気づいてしまうほどとは」
そのあとの両親の話は千歳にとってあまり心地いいものではなかった。千歳家は代々ダークレリジョンの末端としてある任務を遂行しているというのだ。そしてその見返りとして組織の上層部から社会的に優遇された処置を受けているという。ところが実際にやることはただ繁栄すること。社会の中に溶け込みエリートとしてのし上がる事だけだった。秘密の回線で不穏分子を密告したり、自ら手を下すという事はしない。それはある特別な存在が代行してくれるのだという。ちなみにここでいう不穏分子というのは闇の真理に気づいた者のことをいう。
ダークレリジョンはそれまでの価値観を崩壊させかねない闇の真理をひた隠しにして平穏を保っているのだ。それに貢献できることは誇りであり、それこそが理想の人生なのだと両親は力説した。ここまで聞いて千歳は激怒した。それは自分の人生がダークレリジョンの理想のために利用されていると知ったからではなく、両親が他人の理想のために利用され、それを知っていながら黙って受け入れているからだった。両親はひどくおびえた。それは紛れもなくダークレリジョンを信じているからであり、その理想に疑問を呈している息子がダークレリジョンに消されかねないと思ったからである。これをみて千歳は落胆した。何が闇の真理。何が理想の人生。結局は恐怖で他人を言いなりにして理想を押し付けているだけ、そこに自由はないじゃないか!
しかし実際は自由だった。両親との話し合いの後、親子の間に同じ話題は二度と出てこなかった。千歳が特別な存在とやらに消されることもなかった。それどころか田中に闇論についての話をされた時でさえ、何も起こらなかった。この時になって初めて千歳はダークレリジョンは存在していないのではないかと思った。そんなものは両親が作り出した妄想の産物に過ぎないのではないかと。しかし今朝田中は‟何か”が起こったと言っていた。田中が消えていないことを考えると最悪の状況ではないだろうと判断したが、それが何だったのかが気になって眠れなかった。
それともう一つ、美穂にこのことを打ち明けたのが果たして正しいことだったのかどうかが猛烈に不安だった。美穂を危険にさらすわけにはいかなかったので闇の真理については詳しく話さなかったが、ダークレリジョンについては教えてしまった。話を聞いている間美穂は不安そうな顔をするばかりだったが、理想のためには人を殺しかねない闇の組織の話を聞かされて不安を感じるのは当然だろう。美穂も明日田中と会ってくれればよかったのだが断られてしまった。なのでこのことは後回しにするしかなかった。
「果歩ー!!義孝がおかしくなったー!」
帰ってくるなり美穂は果歩に泣きついた。果歩は相変わらずパソコンの前に座って‟何か”をしていたが、後ろから姉に肩をつかまれてゆすられたので、キーボードに置いた手を止めて首を前後させながら「へえ」と生返事を返した。首にひっかけているヘッドホンがガチャガチャと音を立てる。
「ねえ聞いて!もうわけわかんないの!ダーク何とかがどうのこうのとか、特別な存在がどうのこうのとか義孝が何を言っているのか私にはさっぱりだよ!」
「あたしには姉ちゃんが何を言っているのかさっぱりだよ」果歩は姉の顔を首をそらせて逆さまに見ながらけだるそうに答えた。
「それで、何が問題なの?」
果歩は姉に彼氏と別れるつもりなのかという意味でそう聞いた。しかし美穂にそのつもりはないらしい。美穂は果歩の座っている椅子をくるりと回して自分の方に向かせると妹と対面になって肩をつかみなおした。
「何もかも全部が問題だよ!義孝がおかしくなってしまったこと、それは田中とかいうやつに影響されたらしいこと、このままじゃ義孝がおかしくなったことに周りのみんなも気づきだすだろうこと、そうなると私は頭のおかしい男の彼女になってしまうこと!それだけは絶対にごめんだけど、別れるのも嫌!」
美穂は一気にしゃべって息を切らした。ぜえぜえ言いながら果歩の目をまっすぐに見据えている。果歩はその目に狂気をみた。感情に任せて無責任な行動を正当化しかねない狂気の目。しかし口には出さないでおいた。姉には相手の表情を見ただけで何を考えているかを見抜く才能がある。果歩は考えを悟られないようにけだるそうな表情を保った。
「それでどうするの?姉ちゃんはステータス重視だから別れたがると思ってたけど」
美穂は果歩の肩をつかんでいた手を離すと、へなへなとその場にへたり込んだ。必然的に果歩は姉を見下す形になってしまい、さすがに悪いことを言ってしまっただろうかと思った。しかし日ごろからステータスステータスと声高に言っているのは美穂なのほうだ。
「正直言うとね果歩、私どうしていいかわからない。義孝は明日田中と会うんだって。私にも会わせたいって言ってたんだけど、どう答えていいかわからなくって断っちゃった。だっていきなり闇の組織が実在していて命を狙われてるかもしれないとかさすがに意味わかんないもん」
美穂は涙で声を震わせながら「怖いよ」と付け加えた。いつもは姉のやることに対してあまり興味を持たない果歩だったが、さすがに不憫だと思い椅子から降りて姉の背中をさすった。
「明日義孝君はどこで田中に会うの?」
果歩が意外な質問をしたので美穂ははっと顔をあげてその顔を見た。そして‟もしかして”の可能性を閃いて早口で場所と時間を教えた。
「交差点のファミレス前に十時ね。義孝君とは前にうちに来た時に面識あるし、あたしから事情聴いてきてみるよ」
美穂はぱっと笑顔になって果歩に抱き着いた。
「果歩ありがとー!さすがは我が妹ー!」
抱き着いてきた勢いで果歩は姉の下敷きになった。しかし姉の気が済むまでそのままにしておいた。これは別の思惑を悟らせないためだったが、どちらにしろ美穂の相手の顔を見ただけで考えていることを見抜く能力は妹の前で発揮されることはなかった。
午前九時三十分。まだ時間には早かったが田中はすでにファミレスの前に来ていた。そのファミレスは隣に十階建てのオフィスビルが建っており、先の交差点からはちょうど陰になっている。昼時こそテナントに入っている会社のサラリーマンやOLでにぎわうものの、普段は立地の悪さゆえに客足は少ない。それに今日は休日という事もあって店内に客はほとんどいなかった。ここでなら集まっても大丈夫だろう。しかしいつ襲撃されるかわからない。そのために田中はすぐ取り出せるようにポケットに刃を出したままのカッターナイフを忍ばせていた。
交差点から一人の女が歩いてきた。白いコートから黒いストッキングをはいた長い脚が生えている。田中はファッションには詳しくなかったが、女が白いニット帽で金髪を隠しサングラスまでしているところを見て、まるでお忍びの芸能人のようだと思った。マスクまでしていたらまさにそのものだっただろう。目立たないようにという心理が裏目に出て逆に目立ってしまっている。しかし一瞬それをマリアと気づかなかったことを考えるとあながち効果がないわけではなさそうだ。
「それで緊急事態って何なの?大方千歳君のことだろうけど」
マリアの下駄箱に忍ばせた手紙にはこう書いてあった。「緊急事態 明日午前十時 交差点近くのファミレス前 田中」必要最低限である。それでマリアは、呼び出しは前日のホームルーム前に千歳が田中に闇論について語りだそうとしたことだろうと思ったのだ。特に身構えることも、あせることもなく冷静な態度を崩さない。
「それもある、千歳には隠しておけない。あいつは物分かりがいいからきっと理解してくれるよ。ただ僕の説明だけじゃ不安だから鶴野さんからも説明してもらいたくて今日呼んだんだ」
「ということは千歳君も来るのね…」
ここでマリアは田中の妙な言い回しに気づいた。
「待って‟それもある”って、他にも何かあるの?」
「ああ、実は緊急事態はそっちのほうなんだ」
田中は昨日のホームルーム前に教室中が静まり返って、全員が田中を指さして突っ立ち、アルブレヒトと名乗る男が現れたこと。闇の真理を知っている者が他にもいるのかと聞かれたこと。また会うことになるだろうと言われたことを説明した。マリアはサングラスを外した。眉間にしわが寄っている。
「鶴野さんなら何か知ってるんじゃない?例の情報筋や鳥山さんから人を操れるアルブレヒトとかいうやつのことを何か聞いてない?」
マリアは首を振った。そしてしばらく顎を触りながら考えて言った。
「マリアでいいよ。鶴野さんって呼ばれるのなんかいや」
「え」
田中が唖然としているのを見て、マリアはため息をついた。
「事態はかなり深刻なのかもしれない。もう目立たないように普通に生活するってだけじゃダメなところまで来てるのかも…。
でもごめんなさい、実はそれも想定のうちだったの。巻き込むつもりはなかったんだけど、この際隠し事はなしにするね。私、両親の仇を打つつもりでいるから。向こうから現れたんだったらこっちから探す手間が省けたわ。この際協力してもらうから!」
今度は田中がため息をついた。マリアが両親の仇打ちを考えていることなんて少し考えればわかったことではないか、あんな得体のしれない存在に立ち向かう?平凡以下の高校生が?頼む勘弁してくれ!田中がそれを口に出しかけたところで交差点の陰から千歳が現れた。
「よーお隆ー…って鶴野?どんな取り合わせ?」
午前十時二十分。手塚果歩は交差点のファミレス前に来ていた。しかしすでに誰もいなかった。集合時間はとっくに過ぎているのだから当然だ。もしかしたらファミレスの中にいるかもしれないと思い店内を覗いてみたが空振りだった。時間に間に合わなかったせいもあって果歩は落ち着かない気持ちになっていたが、ほとんどはいつも首から下げているヘッドホンをつけていないせいだった。
家を出る前、果歩は当然のように寝ぐせとヘッドホンと上下スウェットで外出しかけた。それを見た美穂は半ば発狂したように玄関まで追いかけて止めた。そしてまるでお人形さんのように妹に自分の服を着せては鏡に映してコーディネートをし始めてしまったのだ。いったい何のためにこんなことをするのか果歩にはさっぱりわからなかったが、姉にとっては自分の代理人として彼氏に会いに行く妹がダサい姿なのもステータスとしてはいただけないのだろうと思うことにした。しかし姉の問題解決のために引きこもり気味の妹がわざわざ外出しようというのに、コーディネートに時間を使いすぎたせいで遅刻してしまうとは本末転倒だ。
「さてどうしたものか」
果歩は独り言をつぶやいてファミレスの周りを眺めた。するとオフィスビルの玄関にファミレスの入り口周辺もカバーできそうな監視カメラがあるのを見つけた。あれならハッキングできそうだ。
果歩はファミレスに入ると、持ってきたノートパソコンを開いてさっそくハッキングを始めた。うまくいけば二人がどこに向かったかわかるかもしれない。
マリアの提案で三人はマリアの家に来ていた。どんなに客の少ないファミレスでもどこにダークレリジョンが潜んでいるかわからないという事だった。道中田中は千歳にマリアやダークレリジョン、アルブレヒトのことをざっと説明した。田中はこんな突拍子もない話をすんなり聞き入れる人間がいるとは思わなかったが、千歳は初めて闇論を聞かせた時のように、黙って何度か頷くばかりで意見を挟むこともなく静かに聞いていた。マリアが例の情報筋からのメールを見せた時も何も言わず、険しい表情でそれを見ていた。田中は千歳なりに理解しようとしているのだろうと思った。今マリアの部屋には三人のほかに鳥山さんもいる。
「困ったことになりましたね」
鳥山さんがあまり困ったようには見えない顔で言った。もともと表情豊かなほうでもないのかもしれない。
「何か知ってるの?」
相変わらず険しい口調でマリアが問いただす。
「アルブレヒトという男の噂は聞いたことがあります。実際に会ったことはありませんが、人を操る能力を持っているらしいです。詳しいことは私にもわかりません。
困ったことになったというのは、こうして闇の真理を知る者が集まってしまったことです。そのアルブレヒトという男がダークレリジョンならこの状況こそ向こうの思うつぼだと思いませんか?」
田中とマリアは顔を見合わせた。二人ともさっと顔から血の気が引いた。なぜこんなことに思い至らなかったのか不思議だった。しかし千歳だけは先ほどから黙りこんでうつむいている。何度か何かを言いだそうともごもご口を動かしていたがついに意を決したように口を開いた。
「すまん!俺なんだ!」
田中は千歳が何のことを言っているのかわからなかった。しかしマリアと鳥山さんにはそれが分かったらしい。マリアは憤然と千歳に殴りかかろうとした。それを鳥山さんが取り押さえる。その様子に腰を抜かしながら千歳が叫ぶ。
「頼む!話を聞いてくれ!」
果歩はマリアの家の前に来ていた。ハッキングした監視カメラの映像からは彼らが向かった先は大雑把な方角しかわからなかったが、予想外にも鶴野マリアが映っていたことで場所を特定することができた。
「テレサ…これまずいんじゃないかな」
立派な屋敷の門の前で果歩は目を閉じて独り言のようにつぶやいた。もし誰かに見られていたら、立ったまま寝ってしまったうえに寝言を言っているように見えたかもしれない。果歩はうんうんと何度か頷いた。
「そう…エーリヒがね…それはあたしも思ったけど…まあ、テレサがそう言うならあたしは構わない。だけど姉ちゃんと義孝君のことはどうするのさ」
語り掛けた相手の反応を待つ。しかし相手は何も答えなかった。痴話げんかに口を挟むつもりはないらしい。果歩はため息をついて目を開いた。その目には豪邸の屋根からどす黒い悪意が渦を巻いて空に昇るさまが見えていた。
まるで修羅場だった。マリアはベッドで鳥山さんに付き添われて泣きじゃくっている。「どうしてどうして」とマリアが繰り返し、鳥山さんが何事か耳元でささやきながらなだめている。千歳は千歳で今にも泣きだしそうな顔で腰を抜かしていた。田中はその間で両者をかわるがわる見て何が起こっているのかをようやく察した。
「千歳、お前もしかしてダークレリジョンなのか?」
千歳は力なくうなずいた。そして今度は力いっぱい首を振った。
「俺はただダークレリジョンの両親のもとに生まれただけなんだ!真理に気づかないことが人間の幸福だとは思わないし、ましてやダークレリジョンの理想のために人を殺そうなんて思ったことはない!でも…」
「でも?」
田中はこんなに動揺している千歳を見たことがなかった。それでも詳しく話してもらわなくてはいけないと思った。ダークレリジョンの殺し屋の正体を知っておかなければならない。
「知ってるんだ。隆からアルブレヒトの話を聞かされるまでは正直信じてなかったが、ダークレリジョンにはある特別な存在がいて俺がいくら人を殺そうと思わなくても、それを代行するんだ」
「なんだ、その特別な存在って」
「俺も実際に会ったことはない。両親に聞いた話だと、闇の真理を知っている者を送信器みたいにすることができるらしいんだ。それで俺たちみたいな末端のダークレリジョンに接触してきた人間のデータをそいつが受信する。そしてその中に闇の真理に気づいた者がいたら誰にも気づかれることなく消すことができるらしい」
「そんな…馬鹿な…」
そう言いつつも田中はそれが間違っていないのだと思った。ダークレリジョンが実在していることも、千歳がダークレリジョンだったことも衝撃だった。しかし話を聞いていれば本人にはどうすることもできなかったというじゃないか。千歳はそんな適当な嘘を言うような奴じゃない。それよりも問題なのは、マリアのメールの差出人が言っていた‟人間じゃない存在”‟アルブレヒト”‟ダークレリジョンの特別な存在”それらが同一で、ダークレリジョンの末端である千歳を通して田中たちの存在を知ったであろうこと、そしてわざと田中の前に姿を現すことで今の状況を作り上げたのだろうということだ。次に何かが起こるとしたらそれは襲撃に違いない。襲撃者は今ここへ向かっているのか、それともすでに近くまで来ているのか。田中はポケットの中のカッターナイフを握りしめた。
そしてそれは起こった。
「やあ皆さんお揃いで、アルブレヒトだよ」
その場にいた全員が凍り付いた。体を動かすことができない。それは比喩ではなく実際に誰も動くことができなかった。体の自由が利かなかった。田中は動かすことができない目でできるだけ視界の隅の隅まで相手の姿を探した。しかし声の主をとらえることはできない。それはその場にいる全員が同じだった。
「正直言って出ていくにはタイミングが悪いとは思ったんだ。でもね、話が妙な方向に進みすぎてるから、これ以上悪くなる前に出ていくことにしたよ」
田中は男の話し方が昨日の朝聞いた時と違っていることに気づいた。男の口調はそのままだが、どこかしゃべりづらそうな唸るような感じで話している。
「世の中にはティーンエイジャーは皆馬鹿だっていう連中がいる。でも僕は違うと思っている。実際には馬鹿なティーンエイジャーがいるんじゃなくて、ティーンエイジャーはきっと馬鹿なんだと思っている大人がいるだけなんだ。だからこれから言う事は君らを冷静な判断ができる思慮深い人間だという前提で話すよ。まあ大人も一人混じってるみたいだけど」
田中は何か変だなと思った。何故この男は体の自由を奪っておきながら殺すことなく話している?
「田中君には言ったんだよ。僕は敵じゃないって。残念なことに忘れちゃってるみたいだけど。そこではっきりさせておきたいんだ、今ここで争いあうべき相手はいない!そこのマリア君だっけ?君は千歳君を恨むべきじゃないし、もちろん僕のことも恨むべきじゃない。千歳君はどちらかと言えば奴らのやり方に反対しているようだし君の両親の死には関与していない。それから僕は君らを助けに来たんだ。間違ってもダークレリジョンの殺し屋じゃない。今の僕の姿を見てもらえればわかると思うけどね。それで、全員理解してくれたら各々うなずいてくれるかい?首は動くから」
全員が小さく頷いた。これが首は動くのうちかというぐらい小さな頷きだった。
「よろしい」
突然体が動くようになった。全員さっと身をひるがえして声のしたほうに視線を注ぐ。視線はしばらくさまよったが、次第にそろって下へ下へと下がっていった。そこには田中が昨日下駄箱で見た猫がちょこんと座っていた。猫は全員の驚愕そっちのけで言った。
「頼むから殺さないでくれよ?抵抗の意志はないけど手を挙げるのはしんどくて」
意外な出来事というのは時に人を冷静にする。殺し屋の襲来だと思っていたら猫がしゃべり始めた今の状況もそれだった。それか猫という存在が人の警戒をゆるめるのか。全員の視線を一身に集めながら猫は再び話し始めた。
「まず状況を理解してもらいたい。君たちが思っているのとは違うけど状況は確実に悪い。奴らはある計画を近々実行するつもりでいて僕はそれを阻止するために君らに接触したんだ」
「どうやって中に入ったんです?」
鳥山さんが話を遮る。
「あなたに入れてもらったんだ。覚えていないだろうけど」
猫は鳥山さんを見ながら返した。鳥山さんは怪訝そうな表情で自分が操られたのだと悟った。
「とにかく計画を阻止するうえで、まずは奴らの気を逸らす必要があった。それでわざと目立つように田中君に接触した。ちなみに田中君のことはそこにいる千歳君から教えてもらったよ。僕は以前から千歳君がダークレリジョンだという事を知っていたからね。もっとも千歳君もそのことは覚えていないだろうけど」
千歳は田中を見て申し訳なさそうな表情で「すまん」と言った。田中は「謝る必要はない」と言った。千歳の意志ではない。というかそれはこの猫のせいなのであって、人を操っておきながら悪びれることもなく話している猫に田中は苛立ちを覚えた。
「それでそのあと予想通り奴らが現れて僕は殺された。おかげで今は猫だ」
「ちょっと待って、殺された?さっきから人を操れるのを当たり前みたいに言っているのもそうだけど、あなたいったい何者なの?」
マリアの目はまだ赤かったがすでに落ち着きを取り戻していた。猫は喉を鳴らすようにうなってから答えた。
「僕のような存在はミスルトウと呼ばれている。と言っても知る者は限られているけどね。純粋な闇の意志の存在なんだ。もともとは僕も君らと同じように人間の体の中に存在した個別化された闇だった。でもミスルトウが君らと違うのは死後に自らをシードと呼ばれる状態に変化させて別の肉体に移ることができることなんだ。それで僕はこの猫の肉体に移ることで今も生きてる。殺されたのが僕だけだったことを考えると奴らの気を逸らすのには成功したと思っていいだろうね」
「人を操る能力は?」
感情のこもらない声で田中が聞いた。
「それは何百年か生きたところで身についたんだ。人間なら誰でもできるようになる可能性があるんだよ。何百年か生きることができればね。ああそうだ、まだ知っておいてほしいことがある。これから相手にしなきゃいけないやつもミスルトウだ。さっきの千歳君の話を聞いた限りじゃ相手はハイドリヒだな。やつは自らが触れた相手と、その相手が触れた相手と、といった要領でネットワークを広げてそれを監視する能力を持っている。どうやら君らは触れ合っていないみたいだから千歳君以外は監視対象外のようだ。でなきゃとっくに殺されてる」
「じゃあ今俺がお前の話を聞いているのはまずいんじゃないのか?」
千歳も落ち着きを取り戻していた。もうおびえるようなそぶりはない。
「それは大丈夫だよ。確かハイドリヒの能力は屋外でしか発揮できないんだ。ここは圏外さ!」
猫は尻尾を立ててからぺたんと床にたたきつけた。
「もう一つ教えてもらえますか?あなたを殺したのは?」鳥山さんが聞く。
「それなんだけどね、正直分からない。僕も初めて見たんだが、あれはどうも人間じゃないみたいだった」
「トランスヒューマニズム」
マリアが言うのを聞いて猫は首を傾げた。マリアはパソコンの乗ったデスクまで来るように猫に手招きしてから、メールを開いてパソコン画面に表示した。猫はひょいとデスクに飛び乗るとまじまじとメールを見たが、そのまましばらく黙り込んだ。
「どうしたの?」
「いや…そうか君にこのことを知らせたのはDIなのか」
「DIを知ってるの?」
「うん…イエスでありノーだな」
マリアにとってこの答えは意外だった。実は話の流れからマリアはアルブレヒトこそがメールの差出人か、少なくともDIに関わる人物だと思っていたのだ。
「どういうことなの?」
「DIはダークインフィニティの略だ。闇は永遠の意志に成りうる。つまりミスルトウが結成した組織だよ。僕もずいぶん前に所属していたことがあるんだ。ただ…僕は組織的なものに慣れなくてね…それで今は…このとおり野良なんだ。当時は人類に闇の真理を証明してみせるって息巻いていたけれど、今の彼らが何をしているのかは知らない。ところでメールはこれが最後かい?」
「そうよ、一週間ぐらい前から途絶えてる。こっちからは田中君のことについて何度かメールしたんだけど返信はなし。彼に何かあったのかも…いや、彼女かな?」
「なるほど。まあいいさ」
猫はパソコン画面からちょこちょこと足を交差させて皆の方に向き直った。
「さて、ようやく本題だ。さっきも言った通りダークレリジョンはある計画を実行に移そうとしている。僕はそれを阻止しなきゃならない。そのために君たちに力を貸してほしいんだ」
「そのダークレリジョンのある計画ってなんなんだ?」
千歳は今や陰謀論を信じてそうな昨日までの千歳に戻っていた。陰謀論者からしたら闇の組織の陰謀を阻止する手助けをするなんてきっと心躍る事なのだろう。しかし田中は不安を感じていた。この猫を信用していいものかどうか。そこでマリアの表情をうかがう。するとマリアはマリアでダークレリジョンの計画を阻止することに興味をひかれているらしく、猫の言葉の続きを真剣な顔で待っている。もともと親の仇を打つつもりでいたのだからこれは願ってもないチャンスというところだろうか。
猫はもったいぶった間を空けてできるだけ深刻に聞こえるように低い声で言った。
「奴らは核戦争を起こすつもりでいる」
猫の説明によると、現在同時多発的に世界中で闇の真理に気づく者が出てきているらしい。そのせいでダークレリジョンはその一つ一つに対応することができなくなった。そこで昨今の不安定な世界情勢を利用して核戦争を引き起こし、その混乱に紛れて闇の真理に気づいた者たちを一掃しようとしているとのことだった。
「お前はどうしてそのことを知っているんだ?」
相変わらず疑い深いまなざしで田中が聞く。そもそも核戦争なんて起こしたら闇の真理に気づいたものどころか人類が滅亡するだろうに。
「僕は千歳君の家族のほかにもダークレリジョンの諜報員を何人か知っているんだ。彼らに教えてもらったのさ。それより田中君、君はまだ僕の言っていることが信じられないようだけど、それはなぜだい?」
田中はうーんとうなった。考えてみればそうだ。なぜ自分はこの猫を信用できないのか。話が突拍子もなさすぎるのも確かだが、それは今に始まったことじゃない。
君の妄想は現実なんだと言われた妄想癖は喜ぶべきなのかもしれないが、リアリストタイプの中二病である田中からすればそんなことを言うやつはおかしい。そう思っているからだろうか?それとも今会ったばかりだからだろうか?自分はもともと人を信用できないのか?田中は人づきあいが多いほうじゃないので判断がつかなかった。
「田中!大事なのは事実認識よ。どんなに疑ってかかっても目の前の事実を否定してちゃダメ。向き合わないと!」
考えに沈んでいた田中は、いつの間にか呼び捨てになっているマリアに言われてはっとした。確かに猫がしゃべっているという現実は認める。昨日のホームルーム前の出来事も否定しない。だがそういった非現実的なでき事が多発している中でそれらに対応しようとした時、それらが起こる以前の常識で行動していいものなのかどうか。田中はいったん立ち止まって何が正しくて何が間違っているかを考えるべきじゃないかと思った。しかし猫はまくしたてる。
「実はもう時間がないんだ。核戦争を起こそうとしているというところで気が付いたかもしれないが、何を隠そうハイドリヒは今アメリカ大統領なんだ。そろそろ来日するころだろう。その時が勝負だ」
「なんてこった」千歳がそう言ったきりその場は静まり返った。
昨今の世界情勢は確かに不安定だった。核戦争が起こりそうな気配も確かにあった。なのでアメリカの核の傘に守られている日本も実際に核戦争に発展したら巻き込まれるのではないかという不安が広まってもいた。しかし当事者である両国は首脳同士がああ言えばこう言うの論争とも言えない子供じみた言い合いを繰り返すばかり。その言い合いが長引けば長引くほどその不安は逆に薄れていったものである。なのにこの猫はその核戦争が現実になると言っている。それも表向きの世界情勢とは関係なしにダークレリジョンとかいう排他的で危険極まりない謎の組織の陰謀によって。
田中は話の筋は通っていると思った。最悪の予想が的中した形なのだ。それももっと悪い方向に。マリアの仇討ちに協力するつもりはない。誰かを恨んで殺す手伝いをするなんてまっぴらだ。だが人類が滅亡の危機に瀕しているなら話は別だ。平凡以下の高校生に何ができる?その考えはまだあった。しかしやれることがあるならやるべきだ。それならばここはこの猫を信用するべきだと考えた。そして静寂を切り裂いた。
「何から始めればいい?」
手塚美穂は妹の帰りを今か今かと待っていた。やっぱり自分で行くべきだっただろうかと少し後悔もしていた。時間をかけて妹を着飾らせたのも、もしかしたら迷いに区切りをつけることができなかったがための時間稼ぎだったのかもしれない。しかし時刻はすでに昼の十二時になろうかというところだ。美穂はベッドの上でぬいぐるみを抱きしめながらうめくことしかできなかった。
ふと何かをしないといけないと思った。しかし気持ちが焦るばかりで何をすればいいかわからない。ベッドから降りて部屋の中をぐるぐる歩き回る。歩き回りながら今度は床や壁をじろじろと観察した。まるでこの焦りを解消してくれる答えがそこらへんにあるのではないかと期待しているようだった。もちろんそんなものがないことはわかっていた。どんなに観察したところでいつもの部屋そのものである。しかし妹のパソコンに目が留まった時、なぜか美穂の視線はそこにくぎ付けになった。妹はいつもパソコンで何をしているのだろう。それはいつも疑問に思っていたが特に口に出して聞くことのなかった疑問だった。
いけないことだとは思ったが美穂はパソコンのディスプレイの電源を入れた。妹はいつもパソコン本体の電源はつけっぱなしで、ディスプレイの電源だけを切っていることは知っていた。画面が点くとメーリングソフトがディスプレイに表示された。そこでいつも妹が座っている回転椅子に腰を下ろして、今自分がやっていることの言い訳を考えてみた。妹のことをもっと知りたいから?今までパソコンを覗くなと言われたことはないから?もしかしたらSNSでやばいおっさんとやりとりをしているかもしれない。つまり妹が心配だから?そんなことを思いながらも本当は自分のためだと分かっていた。今のどうすることもできない焦りから少しでも気をそらすためにやることだ。
真っ先に画面に表示されたのがメーリングソフトなのを見て、本当に妹はメールを打っていたのだという事が分かった。しかし誰とメールをしているのか。その昔文通という文化があったらしいことを美穂は知っていた。美穂の知るところでは文通は、周りに共通の趣味を持つ人がいない者同士が雑誌の募集欄なんかで知り合って、思い切り趣味についてやりとりするというものだった。妹も現代版のそれをやっているのだろうかと思った。しかし画面に映し出されている受信メール一覧には無記入のタイトル欄のその横に、送り主の名前がDIと書かれた簡素なメールが並んでいた。とても共通の趣味について語り合っているとは思えない代物だ。美穂は一瞬躊躇したがメールの一つをクリックして開いた。
美穂にとってそのメールの内容は到底許容できるものではなかった。
玄関に入ってくるなり果歩は胸騒ぎを覚えた。ダークインフィニティとして活動する手塚果歩の中にはテレサという名前のミスルトウがいる。テレサには人の悪意を黒いオーラとして見る能力(悪意の定義は人それぞれだが、テレサには明確な定義があり「自分のために無責任な行動を感情で正当化する事」としている)がある。それはテレサが表に出ているときにしか発動しないが、ほとんど二十四時間テレサの影響を受けている果歩は、人よりも多少相手の表情や態度からその悪意を感じ取ることができるようになっていた。しかし玄関には誰もいない。果歩はこの胸騒ぎがどこから来るのかが気になった。二階に続く階段を上って姉妹の部屋のドアを開けた時、胸騒ぎは一層強くなった。
姉はベッドの上でぬいぐるみを抱きしめている。しかし今朝あれだけそわそわしていたのに果歩が帰ってきても何も聞かないでいる。
「どうしたの姉ちゃん」
果歩は本当に心配になって聞いた。美穂は黙って首を振った。よく見ると美穂の目は赤くなっている。泣いていたのだろうか。
「何かあったの?」
やはり美穂は答えない。今までこんなことはなかった。果歩は何か悪いことがあったのだと察した。そしてそれは美穂が黙ってパソコンの方へと歩きだしてディスプレイの電源を入れたことではっきりした。メールを見られたのだ。
「ねえ果歩、これってどういうこと?ダークレリジョンとか闇の真理とか、義孝が言ってたことと同じだよね?二人して私をからかってたの?それとも二人は…」
美穂は言葉が詰まってしまった。きつく抱きしめたままのぬいぐるみは原型を失っている。
果歩は心の中で「さて、どうしたものか…」とつぶやいた。ただばれただけならまだしも、余計な勘違いまでされてしまっている。もしこの光景をテレサが見ていたら姉はどす黒いオーラで包まれていることだろう。そういった相手には何を言っても通じないものだ。果歩は無言で姉の目を見ながら首を振った。人間は言葉よりも態度で本当のことを語ることが多い。それに言葉は時に薄っぺらく響いてしまうものだ。相手の表情を見ただけで何を考えているかわかる姉の能力はこの時こそ発揮してほしかった。
その思いが通じたのか美穂は流れそうになった涙をぬぐって言った。
「果歩、説明して」
田中とマリアはとあるアパートの一室に来ていた。そこはアルブレヒトがまだ人間の体だった時に住んでいた部屋だった。表札はなく、外見からは人が住んでいるなんて言われなければわからないような寂れ具合だ。二人はここにある物をとりに来ていた。それはアルブレヒトが言うにはミスルトウに対抗できる唯一の武器だそうだ。しかし部屋の中は物であふれかえっており二人がかりで部屋中を探し回る羽目になっている。
「もう、まるで整理がなってない!」
マリアがいらだたしげに言う。しかしどこか嬉しそうだ。それもそのはずである。今までマリアがやってきたことと言えばダークレリジョンに気づかれないようにひたすら普通を装って生活することだけだった。それが今や親の仇である相手の喉元をかっさばく術を手にしようとしているのだ。田中はそのことに一抹の不安を覚えた。
「ねえ鶴…マリア。一ついいかな」
女の子を呼び捨てにするのは初めてだったのでイントネーションがおかしくなった。
「何?」
マリアは段ボールに詰められているものを取り出す手を止めて田中を見た。
「君は僕にダークレリジョンについて忠告してくれた。それは君の優しさから出た行動だと思っているんだ。だって僕が闇の真理に気づいたことが知れ渡って、そのまま放置していればダークレリジョンは僕を殺しにやってくる。君はそのタイミングを待って仇討ちをすることだってできたはずなんだ。でもそうしなかった。それは君の両親のような犠牲を二度と出したくないと思ったからだろ?」
マリアは視線をそらした。恥ずかしがっているのだろうか。両親のことを考えているのだろうか。それとも今田中が言ったことを当時の自分が思いつかなかったことを後悔しているのか。
「だから僕たちがこれからやることは人類のためであって、誰かを救うためであって、間違っても恨みからくるものであってほしくないんだ。それを約束してほしい」
マリアは視線をそらしたまましばらく黙り込んだ。それからゆっくり段ボールから物を取り出す作業を再開しながら、震える声で何かを言おうとした。しかしそれは言葉にならず目からはボロボロと涙がこぼれコートの裾で必死に拭い始めた。田中はまたどうしていいかわからず突っ立ったままでいる。マリアを泣かせるのはこれで二度目だ。いつもクラスの女子達の中心にいて大人な存在感を放っているマリアがこんなに涙もろいとはつい先日まで知る由もなかった。
田中は両親のことを引き合いに出したことを謝るべきかと思ったが、先にマリアが謝った。
「ごめんなさい。私泣いてばっかりで迷惑だよね。大人にならなきゃなのに」
この時はもう涙は流しておらず声の震えもだいぶ収まっていた。
「田中の言ってること正しいと思う。確かに私はずっと復讐を考えて生きてきた。それを否定されて正直ちょっとイラっと来たけど、パパに昔言われたことを思い出したの‟人の幸福になることを考えなさい。そしてそのためにやるべきことをやって、やらなくていいことはやるな”って。今は人類を救うことをやるべきであって、仇討ちはやるべきじゃない」
田中はマリアの父親の考えには大賛成だと思った。そしてそんな人を殺してしまったダークレリジョン…ハイドリヒに嫌悪感を覚えた。
マリアの顔はぱっと笑顔になった。
「だから、思い出させてくれてありがとう。約束するよ」
田中はその時始めてマリアの笑顔を見た気がした。
二人がマリアの家に戻ると玄関で鳥山さんが迎えてくれた。マリアの部屋ではハイドリヒに監視されているために外に出ることができなかった千歳が貧乏ゆすりをしながら二人の帰りを今か今かと待っていた。二人の姿を見ると「おお!無事だったか」と大げさに手を振って部屋に招き入れた。
田中がアルブレヒトの部屋から持ち出したDSと書かれた布袋を全員の輪の中に下す。そしてその中から鉄でできた円柱の物体を一つ取り出した。袋の中には同じものが他に三本入っている。それはそれなりの重量があり、ここまで運ぶ間に田中は二度の休憩をはさんだ。
「持ってきてはみたが、これ一体どう使うんだ?」
千歳とマリアもそれぞれ袋から円柱を取り出すとしげしげと眺めた。表面はつるんとしており、重石の部分が取れたダンベルを思わせる。
「それの真ん中にボタンがあるだろ?それを押すと刀身が出るんだ。けど扱いには注意してくれよ。言った通りそれは対ミスルトウ用の武器だから僕に…」
猫がそこまでいったところで千歳の円柱から黒い刀身がシュッと伸びた。その剣先は猫の鼻先ぎりぎりまで伸びた。猫は目を見開いて瞳が細くなっている。全身の毛が逆立ったようにも見えた。そして開けっ放しになっていた口をゆっくり動かして言葉をつづけた。
「向けないでほしいな…できれば」
「すげえ!かっこいい!」
千歳は猫の話そっちのけで興奮しながら対ミスルトウ用の武器を振り回している。田中とマリアも円柱のボタンを押して刀身を出してみた。黒い刀身はボロボロと空中に霧散しているように見える。軽く振ってみても剣を振り回しているような手ごたえはない。物質ではないが確かに目に見える…それはまるで闇を固めたようだと田中は思った。しかしこの形状は有名なあの映画に出てくる武器を連想せずにはいられない。
「この武器名前はあるのか?」千歳が興奮した様子で猫に聞く。
「あるよ、ダークセーバーだ」全員が猫を見た。
「本気で?」
「本気だよ。言っておくけど、某スペースファンタジーを思い起こしたならそれは間違いだ。こっちが先だから。保証する」
果歩は順を追って事のいきさつを姉に説明した。ダークレリジョンの存在、ミスルトウの存在、自分の中のテレサの存在…しかし美穂は疑い深い目で鼻息も荒く、到底信じているようには見えなかった。
「それで果歩と義孝はそのことを知っていただけで、二人の間には何もなかったんだね」
説明に一つ区切りがついたところで美穂は言った。果歩はそのことについて説明してはいなかったが、言われてみれば姉が一番に気にすることといえばそれだっただろうと納得した。そしてちゃんと説明を聞いていてくれたかどうか不安はあったが、とりあえず頷いた。
「これはとても危険なことだから姉ちゃんには教えられなかったんだよ。だけど姉ちゃんが義孝君からそれを教えられたって聞いて、もしかしたら義孝君はダークレリジョンかもしれないって思ったんだよね。それで事情を聴いてみようと思ったの。でも今日は会えなかったから確かめられなかった」
「そっか、会えなかったんだ」
美穂はそっけなく言った。その様子から姉はまだ信じていないという事が果歩にもわかった。信じたなら「じゃあ義孝は頭がおかしくなったんじゃないんだね!」と喜んでくれたはずだ。
「あのさ果歩、義孝がどこに行ったかはわかる?」
「多分…」
果歩には姉が直接義孝に確かめに行く気になったのだと分かった。そうしてもらえると果歩としても助かる。疑い深い姉が誰の言う事なら信じるのかさっぱりわからない。そもそも説明されたところで「なるほど、そうだったのか」とすぐ納得できる類の話でもないが…。しかし義孝が具体的にどこに行ったかはまだ話さないでおいた。話せばまた話がこじれかねない。何せ義孝が向かったのは鶴野マリアの家なのだから。
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