闇論


 まず初めに、闇とは何かを定義できた人間が今までいるだろうか。少なくとも私は知らない。そこで闇についての考察をしてみようと思い立ったのである。

闇はいつでもどこにでも存在し、時間や空間によってその存在が左右されることはない。物質ではなく、しかし目に見えることから概念的なものでもない。確かに存在している。目に見えるといったが、本来なら目に見えないから闇なのだろうが、ややこしいので見えるということにする。闇についてわかっていることといえばそれぐらいなものだろう。

 早速だが結論を言わせてもらう。闇とは人間であり神だ。意志や霊魂という言い方もできるだろう。正直言ってそうとしか考えられないのだ。なぜなら先にも言ったような時間にも空間にも左右されることのない不変の存在があるとしたらそれは神だからだ。そう神はどこにでもいる。そして人間の意志もまたどこにでもあるのだ。


闇は人間であるという事について

 結論を急いでしまったが、まずは人間の場合を考えてみよう。人間の意志が闇であるというのは、至極単純なことだった。人間は心の存在を信じているが、それがどこにあるのかと聞かれると(分からないという答えは別として)頭か胸のあたりを指さす者がほとんどだろう。ではその頭の中にある脳みそや胸の中にある心臓は人間の体の中でどうなっているかを考えてみるとおのずと答えは出る。そう闇の中にあるのだ。人間は誰もが体の中に闇を持っていて、その意志によって脳で思考し、ニューロンを電気信号が行き来するようになるのだ。そういう仕組みなのだ。


闇は神であるという事について

 次に闇は神だということについて考えてみよう。これも実は単純だ。時間も空間も存在しない世界。現在の宇宙が誕生する以前の世界。そこには何があったのかを考えてみる。闇だろう。闇は時間にも空間にも左右されないのだから。であるならば光を生み出すことができたのは闇だということになる。闇だけが宇宙を創造できたのだ。そこに意思があったのだとしたらそれこそが神だということになる。

 意思があったのだとしたらと言ったが、私はあったと思う。その根拠については神についての考察になるのでここでは省略する。


闇の意思の目的について

 闇は意思である。であるならば、人間の内面にある自己という意思を持った闇と、目で見ることのできる外的な闇とがあることになる。こちらは一見意思があるようには見えない。ひとりでに動いたり大きさを変えたりすることがないからだ。この闇が神であるのであれば祈った時にだけ都合よく救ってくれないのも納得である。ただそこにあるだけなのだから。しかしこの二つの闇は本質的には同じなのだと思う。つまり断言してしまえば神と人間は元々同じ存在だったということだ。

 まず神としての闇があり、おそらくは個としての存在を欲したのではないかと思う。そして光という自らを分断する事ができる手段を創造し、宇宙を創造し、最後に人間というインターフェースを創造し、その中に分断された自らを移した。そして人間の脳による記憶によって他の闇とは違う個としての存在を獲得することに成功したのだ。単純明快である。


 ここまで一気に書き終えて田中は一度タイプする手を止めた。そして頭から一度読み直してみて納得したようにゆっくりうなずいた。

 田中は論文というものを書いたことがなかったし、書く必要性に迫られたこともなかったが、数時間前にこの闇論をひらめいたとき彼の中の無意識がこれを書き記しておくべきだと訴えてきた。田中はそれを使命だと感じた。とはいえ田中が使命を感じるのは日常茶飯事のことなのだが。

 腕を組んでゆっくりとデスクの周りを見渡す。闇論を書くのだからという理由で部屋に電気はついていない。パソコン画面の白い残像の奥に、闇に染まったオーパーツの複製品、永久には動かない永久機関、空のフラスコなどがぼんやりと浮かび上がっている。それらはどれも通販で何となく買ったものである。何のために買ったのかは田中自身もわからなかった。常に備えていなければならない。宇宙人や未来人や冥界からの交信、あるいは自らが超能力に目覚めるとか、細胞に刻まれた遺伝的使命に目覚めるとか、とにかくそういった事柄に備えなければならないと無意識が訴えてくるのである。とはいえその無意識は具体的にどう備えるかは示してくれないので、ただやみくもにガラクタを買い集めては何もできないもやもやを発散させるしかなかったのだ。しかし闇論を書くことに関しては、今まで感じたどんな使命よりも手ごたえを感じていた。ここから何かが始まる気がしていた。

 ふと田中は闇を感じてみたくなってパソコンのディスプレイの電源を切った。部屋は闇に染まった。そしてしばらく闇の意志が語り掛けてくるのを待った。しかし聞こえてくるのは外の草むらで合唱しているコオロギの鳴き声と階下の台所で食器がぶつかり合う音だけだった。当然闇は語り掛けてはこない。闇は神であり、神は人に語り掛けることはなく、問いかけに答えることもない。ただそこにあるだけ…。

 しばらく闇に浸るうちに田中に確信めいたものが沸き上がってきた。闇論を突き詰めることでいずれ神の正体を暴くことになるだろう。その時、神は果たして語り掛けることなくやり過ごすことができるだろうか。闇である神は個を得るために人間にはこの闇論を、真理を、記憶および理解できないようにプログラムしたはずだ。しかし今こうして気づいた。まるで神に挑んでいるようではないか。そう考えると田中の口元は自然と緩んだ。

「つまり"真理は闇の中”にあったわけだ。今まで多くの人間がこの言葉を口にしただろうが、その真の意味に気づいた者はいまい。そうこの僕を除いて!ククク…フハハハハ、アーハッハッハッハッハ!」その時階下から声がした。

「隆ー。楽しそうねー。食事ができたから降りてらっしゃーい」


 秋も深まってきた十月の後半。田中が通う立花高校は東京の片隅に位置する立花町の一角にあった。田舎すぎず都会すぎないこの界隈では、通学中に公園掃除のおじいさんに笑顔でいってらっしゃいと挨拶されることもたびたびあった。田中も一応そのたびに挨拶を返したが、なにせ仏頂面なので自然とおじいさんの方から挨拶を控えるようになっていった。この日もおじいさんをスルーしながら、あるいはおじいさんにスルーされながら高校までの通学路を歩いていた。

 田中隆は平凡な高校生であった。いや平凡以下だといってもいい。勉強ができるわけでもなく運動神経も悪い。そのうえクラスの人気者には程遠く、常に存在感を消して周りとの距離を置いていた。さらには周りの人間は皆馬鹿だと思っており、故に人間関係を持つ必要性などないと思っていた。この日も田中が教室に入った時、その存在に注意を払うクラスメイトはいない。ただ一人を除いては。

「よう隆!昨日お前が言ってた人類は蟻に支配されてるんじゃないかって話さ、俺なりに考えてみたんだけど、やっぱあるかもしれないぜ!」

 この男は千歳義孝。田中とは対照的に勉強もできるし運動神経も抜群、さらには誰にも相手をすることができない田中のような人間にも臆することなく接することができるクラスで唯一の存在だ。

「お前は蟻が人間を家畜みたいに育ててるって言ってたけどさ、俺は蟻は直接人間の鼻から脳に侵入して操れるんじゃないかって思ったのさ!それなら人間が気づかないうちに蟻に都合がいいように世界を作り変えてるって考えられるだろ?」

 初めて千歳が話しかけてきたとき、田中はどうせこの男も他の奴と同じように、自分から話しかけてきたくせに特に話題を提供することもせず、だからといって田中が話題を振ったところで話についてこれなくなり「あぁ…そう…」とか言って距離を置くのだろうと思っていた。しかし千歳の答えは「お前面白いこと考えるね」だった。 ちなみにこの時田中が振った話題は「先天的色覚異常者は、どうして自分が異常だってことに気づけると思う?」だった。この話題は何が正常で何が異常かの議論に発展していき、それを定義できないとなると結果的に人類は皆色覚異常者に違いないという結論に落ち着いた。これは聴覚や味覚に異常がある人にも言えることだったのでこの話題は二人の間で大いに盛り上がった。

 こうした一件があって以来二人の間には奇妙な話題を繰り広げる奇妙な関係が成り立っていた。今でこそ二人が話している光景はいつもの光景として認識されるようになったが、千歳が田中に話しかけるといつも教室は変な空気に包まれたものだ。それでも千歳はそんなことは気にしなかった。

「なるほど、なかなか面白い考えだ。いつものことながら斬新だと思うよ。だが僕はそんなことがどうでもよくなるような真理にたどり着いたのだよ」

「真理だと!?」

 千歳は露骨なオーバーリアクションをとったが、半分本当に驚いていた。それまで二人の間で交わされた議論の中ではあくまで懐疑的で、どんな発想にも「その可能性がなくはないと思う」などといって保険を掛けた田中だったが、たった今「真理にたどり着いた」と言い切ったのだ。

 田中は千歳の反応を楽しんでから、この先はもっとすごいことになるぞと思いながらもったいぶった間を空けて言った。

「そう真理は闇の中にあったんだ!」


 一瞬耳を疑った。今まで意識したことがなかった者の口から信じられない言葉が飛び出したのだ。‟真理は闇の中”

 鶴野マリアは日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれたハーフで身長は174センチ、瞳はグリーンでモデル体型、髪は暗めのブロンドだった。どう考えても目立ちすぎる。しかしそれでも目立つ範囲の中で目立たないようにふるまってきた。高校に進学したのだってそれが世の中の半数以上の人間がそうするからだ。男子とも女子とも必要以上に関わらないが、避けているという印象を与えない程度には関わる。この時相手を子ども扱いしないのも重要だ。「私は皆と同じだよー」というオーラを放っていなければならない。それで平穏が保てる。しかし事態は急変した。気づく者が現れてしまった。しかも男子である。マリアは自分でも女子からは好かれているという自負があった。しかし男子はだめだった。完全に避けられていた。クラスの男子は皆そろってハーフ女子恐怖症にかかっており、マリアを前にすると話しかけるどころか目を合わせることもなくそそくさと逃げてしまうのだ。避けられると分かっている相手に話しかけるのは勇気がいるものだ。

 ホームルームが始まった教室で、マリアは小刻みに震えていた。手のひらにはぐっしょりと汗をかいている。そこで周りには気づかれないようにゆっくりと呼吸を整えて体の震えを沈めた。そしてまずはゆっくりとじっくりと観察することだと自分に言い聞かせた。やるべきことをやる。そしてやらなくていいことはやらない。心の中で父から教えられて、今は自分のものとなった信条を唱えた。そこでまずは手のひらの汗をスカートでぬぐった。

 マリアにとって高校は何も知らない普通の人という皮をかぶるための手段でしかなかったが、そこで使命を果たすことになるとは考えていなかった。それも男子を相手に。


 その日の放課後、どの部活にも所属していない田中はさっさと帰宅の途に就いた。休み時間に千歳に闇論について細かい説明をしたところ、自分でも考えていなかった考察が次から次へと湧いてきて、これを早く帰って闇論に書き加えなければいけないと思っていた。ちなみに千歳はサッカー部である。しかもキャプテンでエースストライカーで部員からの信頼も厚く、コーチからも絶大な信頼を得ている。もちろん女子からもモテモテだ。なぜ田中の相手をしてくれるのかは、田中にもわからなかった。闇論を語っている間、千歳は珍しく黙って聞いていたが、話し終わるといつものように闇論を自分なりに解釈してみると言っていた。田中は千歳のこの自分なりの解釈というものがどうして毎回自分の考えとかぶることがないのか以前から不思議に思っていた。もしかしたら人づきあいができるかどうかで人の思考というものは変化するものなのかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていた田中はある違和感に気づいた。横断歩道を渡った先にあるコンビニのガラスや、ふと見上げたカーブミラーにチラチラと女の姿が映っている気がした。どうも同じ高校の制服を着ていたように思える。毎日歩いている通学路である。しかしこの時間に同じ高校の女子生徒が歩いていたことはない。そこで急いではいたが田中は至極古典的な確かめ方をした。振り向いたのだ。


「わー!田中君偶然だねー!」

 突然振り向いた田中に対してマリアは反射的にあまりにも典型的な偶然を装うセリフをはいていた。そして固まった。田中のほうも固まっている。しかし視線を逸らすことなくこっちをじっと見ている。その目は幾分残念な人を見る目に見えた。どうやら田中の方は緊張で固まったのではなくマリアが何かを言うのを待っていたらしいが、何も言わずに固まっているのを見て先に口を開いた。

「鶴野さん…。何してるの?家こっちじゃないでしょ」

「うん!」

 マリアにとって大事なのは事実認識である。何を信じて何を信じないかは人の自由である、しかし目の前で起きたことや自分で確かめたことは否定することができない。どんな残酷な事実だろうと、こんなことはあり得ないと否定することなく事実として受け入れていかなければならないのだ。この時もそうだった。間違いなくマリアの家はこっちではない。

「で、何してるの?」

 田中がこう質問してきた時マリアの中ではすべての事実認識は完了していた。田中はクラスのほかの男子とは違いマリアを避けないという事実。なのでいかに相手が警戒しないように、逃げないようにと気を使う必要がないという事実。それならもう変に緊張する理由はなかった。なのでマリアはさっきまでとは打って変わって自信に満ちた声で宣言した。

「私がここで何をしているかって?あなたを保護しに来たの。ダークレリジョンからね!」

「ダーク…レリジョン…だと!?」田中の目は見開いていた。

「そう、ダークレリジョン!」


 中二病には大きく分けて二つの種類が存在している。自分は中二病だと気づいている人種と気づいていない人種である。田中は前者だった。あらゆる妄想や設定を考えるが、それが現実とは何の関係もないことを知っている。このタイプの中二病は現実に退屈しており、妄想の世界に逃げ込もうとする。ちなみに意外にもリアリストであることが多い。なぜなら現実を正しく認識できていなければ、現実とは違う妄想に逃げることができないからだ。

 そんなリアリストな中二病の田中は、最初こそ興味をそそられたが、だんだんマリアの話に飽き始めていた。話が大きくなりすぎて現実味を失い始めていたのだ。

「ダークレリジョンは世界中のあらゆる機関にスパイとして潜り込んでいて…」

 このあたりから田中の頭の中ではアコーディオンが単調なメロディを繰り返し演奏し始めていた。

フォンファッファ~フォンファッファ~

「常に人々を監視しているの…」

フォンファッファ~フォンファッファ~

「これまでも真理に気づいた多くの人が消されてきた…」

フォンファッファ~フォンファッファ~

「奴らはどこに潜んでいるかわからない。だからね田中君、気を付けてほしいの。今朝みたいに教室中に聞こえるように真理について話さないでほしいの」

 アコーディオンの演奏は中断された。不快な言葉に田中の脳が反応したのだ。今のは提案及び命令だった。

 自分は中二病だと気づいていない中二病には悪質な人種がいる。自分の妄想に他人を巻き込もうとする人種だ。このタイプの中二病は嘘を嘘で塗り固めてでも結局のところ他人を自分の思い通りにしたいという至極自分勝手な人種である。虚言癖といえばわかりやすいだろう。マリアの今の言葉はまさにその類のものに思えた。

 しかしここで田中は一度冷静になった。そもそもクラス一の美人である鶴野マリアがわざわざ自分にこんな話をするために後をつけてくるのはおかしい。それに彼女は確か吹奏楽部だったはずだ。まさかさぼってまで追いかけてきたのだろうか。そこで一度様子を見るために調子を合わせてみることにした。

「なるほど、つまりそのダークレリジョンというやつは闇は神であるというのが真理だと信じていて、だから闇を信仰している。そして闇が個を得るという目的を達成した今、人間はその真理を知る必要がないから気づいた人間を消しているという事なんだな?」

 マリアは黙って頷いた。闇が個を得るために人間を創ったというのは、学校で田中が千歳に話していたのでそれを聞いていたのだろう。そこからダークレリジョンとかいう闇の組織を思いついたのかもしれないが、田中からすればそれは余計だった。とはいえ自分の考えた設定を真に受けている人間を見るのは初めてだったので田中は幾分高揚していたが、それでも冷静に続けた。

「だがそれは矛盾しているだろう。真理に気づいた者を消しているのなら新たに真理に気づく者がいないのだから組織としての存続が保てなくなるのは時間の問題じゃないか。自分で自分を否定している」

 田中からすれば虚言癖の一番痛いところをついてやったつもりだったが、マリアはまじめな表情のまま返した。

「そのとおりよ。たまに外部の権力者を招き入れることもしてたみたいだけど、今までダークレリジョンは身内の中だけで発展してきた組織なの。でもね、私の情報筋では最近になってどうも彼らはその矛盾を解消する手段を得たみたい」

「私の情報筋って?」

 聞きながらも田中は次はどんな設定が飛び出してくるのかと期待半分呆れ半分の気持ちでいた。

「それについては…」

 そこでいったんマリアは考え込んだ。大方設定に矛盾が生じないようにそれらしいつじつま合わせをしているのだろうと田中は思った。しかしそれにしてはずいぶんと真剣に悩んでいるように見えた。そして意を決したようにマリアは言った。

「ねえ、ここで立ち話ってのもなんだし今から家に来てくれない?」


 鶴野マリアの家は控えめに言っても豪邸だった。田中の家の居間ほどもある玄関に入ると目の前には螺旋階段がそびえ立ち天井には巨大なシャンデリアがつるしてある。床や柱は大理石で、格式高い西洋風の建物といった風情だ。田中が唖然としているとアラフォーと思しき女性がやってきた。

「おかえりなさいませお嬢さま。あらお友達ですか?はじめまして、わたくし使用人の鳥山ともうします」お嬢さま…使用人…。

「ところでお嬢さま、今日は部活動はお休みではなかったと思いますが、どうなされたんです?」

「田中隆です」と自己紹介したきり唖然としている田中を見て、マリアは一つため息をついた。そして使用人の鳥山さんには目もくれず「何してるの早く上がって」と促した。そこでようやく田中がマリアに連れられて螺旋階段を上っていると、なおも鳥山さんが声をかけてきた。しかしマリアは「はい!ありがとう!」と言っただけで顔を向けることもしなかった。

 マリアは田中を部屋に押し込むと、自分も滑り込むように部屋に入りながら同時に扉を閉めた。そしてまた一つため息をついた。

 意外なことにマリアの部屋は一般的な板張りの床で大きな本棚がある以外は田中の部屋と大して変わらなかった。むしろ通販で買ったガラクタがそこらへんに散乱してないだけマリアの部屋の方が殺風景に見えた。女の子の部屋に上がるなんて田中には初めての経験だったが、漠然とキャラクターものや動物のぬいぐるみが並んでいたり、クリップボードに写真やシールがやたらめったら貼られているのを想像していたので意外に思った。本棚にはどれも難しい内容を思わせるタイトルの背表紙が並んでいる。

「使用人さんと仲悪いの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど…って今はそんなことはどうでもいいでしょ!とにかく見てほしいものがあるの」そういうとマリアはパソコンを立ち上げて一通のメールを開いた。田中に見るように促す。


title:

from:DI

to:M

このメールを見たらすぐに返事が欲しい。君の安全を確かめたいんだ。ダークレリジョンはどうやら本格的にトランスヒューマニズム計画を実行に移しているらしい。実は連絡を取り合っていた仲間が一人やられたようだ。奴らの襲撃に会って一度は逃れて連絡をくれたけれど、その後の消息は途絶えている。彼は「あれは人間じゃなかった」と言っていた。君も十分気を付けてくれ。


 読み終わって田中はマリアが心配になってきた。マリアは虚言癖タイプの中二病じゃないかと思っていたがどうやらもっと悪い。他人に影響されたらしい中二病なのだ。これはもうだいぶやばい。自分の意志ですらない。その思いは田中の表情にも表れていた。それを見て、察したマリアが言った。

「疑ってるんでしょ?わかるよ、私も最初はそうだったから。でもね信じてほしいの。これは事実よ」

「疑っているって分かっているなら言わせてもらうけどね、どうかしてるよ!こんな突拍子もない話を信じているなんて。大体このDIって誰なの?ダークレリジョン?トランスヒューマニズム?君が信じるのは勝手だけどね、そのために僕に自分の意見を言うなって強要するのは間違ってる!」

 田中は思わず声が大きくなってしまっていたことに気づいた。しかし吐き捨てるように付け加えた。「絶対にごめんだね!」

しかしマリアはひかなかった。そしてパソコンに向かうと無言で別のメールを開いて田中に見るように促した。田中はまだこんなことに付き合ってやらなきゃいけないのかと思いながらいやいやメールを読んだ。


title:

from:DI

to:M

これまでのメールで闇についての真実やダークレリジョンについて理解してくれたことと思う。突然のことで戸惑っているだろうけれど、君には知っていてほしかった。以前のメールにも書いたように、私たちはこの事実を適切な時に適切な場所でもっとも効率よく人々に理解してもらえる形で公表する準備をしている。奴らに気づかれないように表立って君と協力することはできないけれど、君にもできることがある。それはもしこの真実に気づいた者がいた時には、それを公表しないように説得してほしいんだ。

ダークレリジョンは強力なネットワークを持っていて真理を公表しようとする者が監視に引っ掛かったら真っ先にターゲットにするだろう。

私たちは決して闘争を好まない。しかしダークレリジョンは違う。真理を公表しようとする者がいれば手を下すだろう。君の両親のような犠牲を二度と出さないためにもぜひ協力してほしい。


 読み終わって田中は言葉を失った。マリアを見る。その顔には様々な表情が読み取れたがそのすべてを押し殺したように落ち着いた声で言った。

「そう両親は海外に出張してることになってるけど実際には違う…そもそも両親が出発したのは私が七歳のときよ。たくさん手紙を出すよってパパは言ってたのに実際には一通も来なかった。私の手紙への返事もよ。それでDIからの最初のメールが来たのが十歳の時。鳥山さんはね、知ってたの本当のこと。でも嘘をついてたの。パパとママは仕事で郵便局もないような田舎に行かなきゃいけなくなったんだって。笑っちゃうよね、私それを信じてたんだよ。私のことを思ってしてくれたことなのはわかるけど、それでもまだ…」

 マリアは震えていた。懸命に涙を流すまいとこらえていたが、ついに田中から顔を背けて制服の袖で涙をぬぐった。こんな時田中はどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。視線はマリアを避けて部屋の中をさまよった。そこここに家族の写真が飾られている。しかしどの写真に写っているマリアもまだ幼かった。


「なあ義孝。お前今朝も田中となんか話してたけどさー、実際あいつどうなの?」

 サッカー部の練習を終えた千歳は、汗のにおいが充満する部室でチームメイトたちと帰り支度をしていた。この時間はいつも千歳が会話の中心だったが、最近ではしばしば田中の話題が出てきた。田中は本人の知らないところで不名誉にもやばいやつというレッテルを張られて有名になっていた。なのでチームメイトたちは田中と付き合いを持っている千歳のことが心配になっていたのだ。

「どうって?」千歳はおどけた顔をしてチームメイトに聞き返した。

「いやー、田中ってなんか陰気じゃん?いつも仏頂面で何考えてるかわかんないし、そのうちなんかしでかすと思うぜ。俺なら関わらないけどなー」

 千歳が田中と関わるようになってからこの話題は何度も出た。そのたびに千歳は「話してみないと相手がどんな人間かなんてわからないだろ。それに相手が何考えてるかわかる奴なんているのかよ?超能力者じゃあるまいし」と笑い飛ばしたものだが、この日は違っていた。田中から闇論を聞かされてから千歳は真剣に考えていた。

「あいつは普通の人間が持っていない視点を持っているんだよ」

 部室中が静まり返って部員たちは千歳の方を見た。そこで真剣な考えに沈んでいた千歳は自分の声が思いがけず低いものになっていたことに気づいた。そこで思いっきり笑顔を作って「なーんてなー!」と叫んでごまかした。部員たちは安心したように笑いだした。

「焦ったー、田中に影響されてお前まで陰気な奴になっちまったかと思ったぜー」

 部員たちは皆口々にそんなようなことを言ってなおも笑った。千歳も話題を変えていつもの明るい人気者に戻ったが、内心は穏やかではなかった。

 部員たちが部室を出ると、コーチが車の鍵を指でくるくるとまわしながら「寄り道するなよー」と声をかけて駐車場へ歩いて行った。部員たちは「おつかれさまでーす」と声を合わせて一礼した。

 彼らが校門の近くまでくると、そこに一人の女子生徒の陰が見えた。外はすでに暗くなり始めていたので、誰にもはっきりとその姿が見えたわけではなかったが、誰なのかはみんな知っていた。

「義孝おつかれー」

 女子生徒が声をかけてきたので、いつものように千歳は部員たちからからかわれることになった。彼女は手塚美穂といって隣のクラスにいる千歳の彼女であった。手塚は女子バスケットボール部に所属しており、練習が終わるといつも校門の前で千歳を待っていた。

 千歳は部員たちに小突かれたり、部員たちを小突き返したりしながら、なんとか集団から抜けると美穂のほうに駆け寄った。

「お待たせ美穂」

千歳は内心の不安を悟らせまいと笑顔で言ったが、美穂にはその表情がいつもと違うように見えていた。

「何かあったの?」

 千歳は驚いた。そして心の中で「相手が何を考えているかわかる奴なんているのかよ、超能力者じゃあるまいし!」と一度叫んで、初めているのかもしれないと思った。ただこれは良い事かもしれないとも思った。付き合っている彼女が自分のことをよく理解してくれる人だと分かったからだ。しかし大切な彼女だからこそ無駄な心配をさせたくなかった。なので「何かあったの?」に対する‟何か”については、本当のことはまだ言わないでおこうと決めた。

「いや別に…ただ今後は、一緒に帰るときの待ち合わせ場所変えないか?あいつらに毎度毎度からかわれるのにも飽きたしさ」

 とりあえず今思いついた言い訳でごまかそうと試みる。

「そう?私は皆に隠れてこそこそ会うほうが嫌だけどなー」

 美穂はそう言うと、いたずらな笑顔を向けた。千歳はごまかし方を間違えたと後悔した。確かにこそこそ隠れて付き合う必要はなかった。それは千歳自身も嫌だった。そこからは話題をそらすために、いつもに増してよくしゃべった。千歳は彼女を家まで送る道中何度か表情をうかがったが、ごまかし切れていないのは明らかだった。なので結局別れ際に本当のことを話しかけたが「必ず話すから、今は待ってくれないか」と言うにとどめた。美穂は「うん、待ってる」とだけ言って家に入って行った。


 手塚美穂にとって、彼氏である義孝が田中とかいうやばい奴と付き合いを持っているらしいという噂は大問題であった。人間は人生を楽しむために生まれてくるのだ。そしてどれだけ人生を楽しめるかはステータスで決まる。美穂はそう信じている。だからこそ勉強ができて運動神経抜群でサッカー部のキャプテンで人気者の千歳に近づいたのだ。いかにできる男を彼氏にできるかというのは女としてのステータスなのだ。それなのに変人と名高い田中なにがしが愛しい義孝に変な影響を及ぼしているらしいとサッカー部の部員から気いた時には寒気が走った。

 今二階の姉妹共用の部屋の窓からその彼氏に笑顔で手を振っている。彼氏も笑顔で手を振り返しているが、彼は何かを隠している。義孝がまっすぐな性格の人間であることは知っている。だがそれゆえに隠し事をしていることを公言されてしまい、それなのに内容は教えられないときた。もしかしたら田中に何か悪い影響を受けているのかもしれない。やばいことに手を貸すようにそそのかされているのかもしれない。気になる。気になりすぎる。

「気になるー!!」

 思わず声に出して叫んでしまった。もどかしさのあまりぬいぐるみに顔をうずめる。

「姉ちゃんうるさい」

 突然妹の声がしたので美穂ははっと顔をあげた。

「果歩!いつからそこにいたの」

「ずっといたよ。姉ちゃんが気づかなかっただけでしょ」

 声の主はパソコンに向かって‟何か”をしている。スマートフォンに依存気味の美穂にとってパソコンで行われていることはすべて‟何か”である。パソコンでできることなんて今どきスマホで大抵できてしまうと聞いたことがある。だったらパソコンをわざわざ使う理由はない。いつだったか一度だけ妹にパソコンで何をしているのかを聞いたところ「メールを打っている」と答えた。スマートフォンのメッセージアプリが主流の時代にパソコンでメールをしている人間が身近に存在しようとは思っていなかった。美穂にとって時代遅れのことに執着するのはダサいことであり、ダサいことは自らのステータスを下げることにつながると考えていたが、相手が妹故に何も言わないでいた。それにパソコンを愛用するこの手塚果歩という妹はどことなく世間を達観しているところがあり、最近では姉である美穂にも何を考えているのかわからない節があった。

「大問題なんだよ!義孝が私に隠し事してるの!」

「聞いてないよ」

 果歩はあきれ顔でパソコンから姉の方に向き直った。年が二つ下の妹は姉とは違い、いかに人生を楽しむためのステータスを築き上げるかなんてことにはさっぱり興味がなかった。着ている服は外に出ているときは制服で、部屋にいるときはスウェットだった。休日は大体引きこもっている。癖のある髪の毛は四方八方に飛び散っているし、ヘッドホンを外せない病にかかっている。まるでそれが自分のアイデンティティーでありステータスより重要だと主張しているかのように。

「ていうか隠し事してるって分かってるなら本人に聞いてみたらいいじゃん」

「聞いたよ!いや、具体的にはそれとなーく笑顔で促したんだけど。そしたらさ!今はまだ話せないっていうんだよ!それって私のこと信じてないってことなのかなー?信じてないってことだよねー!」

「浮気じゃなさそうだし別によくない?」

 美穂は果歩に恋愛経験がないことは知っていた。なので浮気かどうかなんてどうしてわかるのだと言いかけたが、これもまた妹相手故に言わないでおいた。どんなにダサかろうと恋愛経験がなかろうと美穂にとってはかわいい妹なのだ。

「そうとも限らないよ。義孝モテるから。それはまあ、私がモテる男に目を付けたから当然なんだけど。それより疑わしいのは隣のクラスの田中とかいう変人が関わっているのかもしれないってことなの」

「変人?」

「そう!聞いた話じゃ決して笑わないサイコパスで、目に映るすべての人間を恨んでいるソシオパスで、未来のマッドサイエンティストに間違いないらしいんだよね。義孝はマインドコントロールされてるんだよきっと!それでやばいことに巻き込まれてるんだと思う。絶対に見つけ出して、義孝に関わらないように言ってやらなきゃ!あるいは私がこの手で、ふふふふふ」

 美穂は家と外で百八十度人格が変わってしまう。彼氏の前でのおしとやかな彼女の姿は今はなく、彼氏に近づく者をその手でどうかしようという魔女のような笑いを浮かべている。そんな姉を見て妹はあきれ顔で言った。

「姉ちゃんってさ、腹黒いよね」


昼と夜について

 昼と夜というこの時間的分断は闇にとって重要な意味を持つ。

 昼は人間として個を得た闇がそれを実感するための時間である。他人と接することで宇宙以前の闇には知る事の出来なかった愛情や友情を知るための時間なのだ。光によってその姿が現れるのでお互いは別の個であるという認識をより強くしている。

 夜は逆に闇に帰る時間である。睡眠という状態を通して肉体としての死を疑似的に体感するのだ。こうすることで肉体の死後も個としての意志を存続するための準備をしている。闇にとって個を得ることが最も重要なのだから、そのためにこのような"慣らし"が必要になってくるのだ。それによって死後本当に個としての意志を存続できているのかは死んでみないと分からない。闇のみぞ知るといったところか。


人間が死ぬことについて

 そもそも人間はなぜ死ぬようにできているのか。

 生まれてくる理由は先述の通り闇が個を得るためである。しかし死んでしまったらその意志は闇に溶けると考えられる。つまり個を失いかねないのだ。ではなぜそんな設計になっているのか。おそらく闇は永遠を恐れているのではないかと思う。宇宙以前の闇の意志が宇宙を創造した理由として考えられるのが、変化を求めたというものである。闇の中で変化のない日々を永遠に送らなければならない事を創造してもらえればいい。耐えられる者はいないだろう。宇宙を創造できる力を持っていればなおさらだ。なのでもし人間が永遠に生きて目に見えるものすべてに飽きてしまったなら、それもまた永遠の退屈の始まりだと考えたのだ。だから寿命がある。

 人間が死ぬようにできている理由はもう一つある。それは人間の知能の発達スピードと関係がある。人間はたいていの場合常識というフィルターを通して物を見ている。実はこのフィルターは巧みに自らが個を得た闇であるという真実に気付かないようにできているのだが、完ぺきではない。そう、もし人間が二百年も三百年も生きることができたならその間に培われた知識によって真実に気付きかねないのだ。だからそうなる前に死ぬようにできているのだ。


 闇論に新たな項目を書き終えたところで田中はタイプする手を止めてため息をついた。帰ってきてから色んな考えが渦巻いていた。

 マリアの言ったことは嘘とは思えない。さすがに両親の死を利用してまで嘘をつくはずがない。という事はダークレリジョンは実在しているという事になる。自分より先に闇の真理に気づいた者がいるなんて!いやそんなことはこの際どうでもいい。これからどうすればいい。実際に人を殺すような連中に狙われる理由があるとは。いや待てよ。マリアが嘘をついていなくてもあのメールの差出人が嘘をついていないとは限らない。マリアも実際に会ったことはないと言っていたし、実は悪質な詐欺師なんじゃないだろうか。しかしなんのためにそんな嘘をつく?十年近くも手の込んだメールのやりとりで?いや待てよ…マリアの家を思い出せよ。かなりの豪邸だったじゃないか!そうだ金だ。マリアの資産が狙われているのだ。全てを知っていたという使用人の鳥山さんは帰るころには夕食の買い出しに出かけていて話を聞くことはできなかった。しかし鳥山さんがメールの差出人とグルでマリアを洗脳しているんじゃないだろうか。これはダークレリジョンより現実味がありはしないか?その場合マリアの両親を殺したのはメールの差出人かその仲間という事になり、つまり鳥山さんも…!

 田中は一瞬今からマリアの家に行って本人に忠告しようかと思ったが(連絡先は教えてくれなかった。結局目立たなように生活をする事しか頼まれなかったので、今まで通り学校ではお互い話しかけないという約束さえしていた)すぐにばかばかしいと思えてやめた。マリアは鳥山さんを許してはいないようだったが信用している。鳥山さんからすればマリアを守るためだったのだし、マリアからすれば母親代わりだ。それをただの憶測でぶち壊しにするわけにはいかない。それにたとえマリアが驚くほどの金持ちだったとしても、詐欺師が十年だまし続けて今行動する理由も思い当たらない。そもそも警察に相談するべきなのだ。もっともダークレリジョンを信じているマリアは警察内部にも奴らがいるので信用できないとのことだったが。

 何が真実で何が嘘なのか、田中にはさっぱりわからなかった。


 真っ暗闇が広がっている。いや広がっているという表現は違うのかもしれない。実は目の前に黒い板があるだけかも。しかし目の前とはどこだ?闇の中では距離がわからない。田中は瞬きをする瞼がないことに気づいた。と同時に体の感覚が失われていた。自分が上を見ているのか下を見ているのかもわからない。ずっと前から‟ここ”にいるような気もするし、たった今‟ここ”に自分が現れたような気もする。‟ここ”とはどこだ?疑問は沸く、しかし不思議と不安はなかった。

「よう隆」

 突然誰かの声がした。その声は耳を介して聞こえてくるそれと違い直接脳に響いているようだった。

「誰だ」

 そう返した田中の声もやはり直接脳に響いた。しかし体の存在が感じられないのに脳に響くというのもおかしい話だと田中は思った。おそらく脳も存在しておらず意識に直接響いているのだろう。こう考えた時も不安はなく、ただそうなんだろうと認識した。

「俺が誰かなんて本当に知りたいと思ってないだろ?重要なのはマリアのことだ」

 やけになれなれしいなと田中は思った。それに相手が誰なのかを知りたいのは本当なのになぜこいつは知りたいと思っていないなんて断言するんだ。

「それは俺がお前だからだよ」

 口に出していない考えを読まれて田中は戸惑った。しかしすぐに気付いた。口に出していない?口があればの話だ。そう考えるとだんだん状況が理解できて来た。ここは意識の世界なのだ。そしてこいつはもう一人の自分。おそらくは無意識の自分。

「理解できたな。おめでとう!それじゃ早速本題に入るけどな。お前は視野が狭すぎるよ。そこでわざわざ俺がこうやって面と向かっていいことを教えてやろうって出てきたわけだ。おっと、面と向かってっていうのは比喩だからな」

「わかるよ。本題に入るって言っておきながらさっそく脱線しているじゃないか」

 自分の中にこんな軽い面があるとは田中にはにわかに信じがたかった。しかし無意識というのは意識できないから無意識なのだと考えると、気づけないのも無理はないと思った。

「まったく冗談通じないな…まあいい、とりあえずお前はマリアのことどう思ってる?素直に言えよ。自分に嘘をつくのはよくない」

 正直うっとうしかったが言っていることはもっともだと思った。他人に知られるわけでもあるまい。

「美人だと思うよ。それに心配だ。他人に利用されている気がしてならない」

「だよな!けど問題はそれだよ。ここで俺の意見を授けよう。お前はそう思うようにマリアに仕向けられたのさ」

 無意識の田中はここで間をとった。静寂。

「わかんないか?お前マリアに好かれてるんだよ!今までずっと関わらなかったのに、突然話しかけてきたのもお前の好きそうな話をでっちあげて興味を引くためさ!それに一度興味を引きさえすればマリアの方は女としての武器を持ってるから一気に自分になびくって思ってるんだよ。実際お前はマリアのこと気になってるじゃないか」

「そういう意味で気にしているわけじゃない」

「お前思春期だろ!そういう意味もこういう意味もないの!それは相手も同じだぜ?そうじゃないならいきなり家に招き入れたりしないだろ?とにかく相手にそう思わされてるとしてもだ、お前がマリアとどうにかなりたいと思うんだったらこれはチャンスだ。チャンスは活かすためにあるんだぜ!」

 言われてみればない話じゃないなと田中は思った。しかしその場合でっちあげた話の性質が悪すぎる。男の気を引くために両親を死んだことにするような女になびいてなるものか。

「お堅いなあ…まいっか。とにかくお前にはこういう視点が足りないんだ。物事はもっと広い視野を持って見なくっちゃ」

 無意識の田中がそう言って勝手に話を締めくくる。と同時に真っ暗闇の世界は次第に白く明るく照らされ始めた。田中は正直こいつの視点はいらないなと思っていたが、ふとあることが気になって聞いてみた。

「お前名前はあるのか?」

 聞く間に目の前はまぶしいくらいに明るくなってきていた。

「え?なんだ忘れたのか。俺の名前はゼノウチスだよ。お前がつけてくれたんじゃないか」

 言葉の最後の方は尻切れになった。そして田中は目が覚めた。本当にくだらない夢だと思った。ゼノウチスというのは田中が中学生の時に考えたいわゆる真名であった。つまり先ほどの夢は中学生時代の自分との対話といったところか。あんなに盛りのついた犬みたいなこと考えてただろうか。そうだったかもしれない。ちなみにゼノウチスという名前に特に意味はない。

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