第10話
何も言えず硬直している僕に、刑事が軽くため息をついた。
「・・・君、ファンの人だね? 全く、困るんだよなあ、この手が増えて。・・・ちょっと話を聞かせてもらうよ」
なんだ、という雰囲気が周囲に流れた。取り囲んだ警官達の輪が緩む。
いけない。
これでは全員が赤の男爵の追跡に回ってしまう。
何とか信じさせなければ。
僕が、
赤の男爵だと。
__どうする?
僕は背後の警官をちらっと見た。
__赤の男爵なら。
僕の真後ろには。
背の低い警官が、一人。
僕のすべき事は。
赤の男爵が笑っている。
__頼りにしてるよ。
すべき事は、
今やれる事だ。
__赤の男爵なら、どうする?
僕はシルクハットのつばに軽く左手を添え、真田刑事を見てにやりと笑った。
「これは真田刑事。随分なご挨拶ですね。長い付き合いだと言うのに、分かりませんか」
「何っ!? 」
僕は言いざま、数歩後ろへ下がった。
後ろには、警官が。
__赤の男爵なら。
僕は前を向いた体制のままシルクハットを脱いで後ろへ投げ飛ばした。間髪入れず軽く腰をかがめて両手を振り上げたと同時に、両足で思い切り地面を蹴る。
身を反らせ、背後にいる警官の肩をがっしりと掴んで突き放し、
ふわっと。
バク転した。
そのまま警官達の輪から飛び出す。
「なっ! そんな!! 」
真田刑事の驚愕した声が聞こえる。
しかし逆さまに宙に浮いた時、僕のポケットから玉がぽろぽろこぼれ出てしまった。化学の青山先生からもらった物だ。
「あっ」
拾える暇もなく、玉は僕が地上に着陸すると同時に落ち、そして__
「うわっ!! 」
「煙が!! 」
玉が割れると同時にものすごい量の煙が噴出した。
風下にいたらしい警官達はまともに煙をくらい、全員目をこすったり咳き込んだりしている。
煙玉って、この事だったのか!
僕は偶然の幸運に呆気にとられながらもすぐに気を取り直し、シルクハットを拾い、身を翻して通路の奥へと駆け出した。
とにかく、ここから逃げ出さないと。
「ごほっ! や、奴が逃げるぞ、追え! 」
背後で真田刑事の声が聞こえる。
全速力で通りを走りぬける。
背中のマントが風でばたばたと揺れる。
無線で北島先生に連絡を取ろうとマイクを口元に近づけようととして、やめた。
予想外の出来事で脱出ポイントからかなり外れてしまった。先生もすぐには来られないだろうし、逆に今来られたら真田刑事に見られるかもしれない。却って危険だ。
このままではそのうち追いつかれる。どこかで撒かなければ。
さらに走って十字路を左へ曲がる。
しかし曲がってすぐに後悔した。
だだっぴろい道路とその両脇に住宅街があるだけで、身を隠せそうな場所がどこにもないのだ。
どうする。
やりすごさなければ。
僕は広い道路を見渡した。
しばらくして真田刑事達がやって来た。
刑事が悔しそうに舌打ちする。
「こっちへ曲がったかと思ったが・・・ごほごほっ、くそ、右へ行った奴らの報告を待つか」
「ごほっ、真田刑事、あの人物は本物だったのでしょうか? 」
「ああ、間違いない。あの身の軽さ、機転の良さ、素人にできるわけがない。__しかし何故今回は黒だったんだ? 」
それからさらにバタバタと数名の警官が走って来た。
「真田刑事! こちらにもいませんでした。しかし、たった今連絡が入りましてA地区で赤の男爵を見たと・・」
「な、何だって!? A地区!? まるっきり反対方向じゃないか!! 」
「は、はい。しかし、本物に間違いないと・・・」
「どうなってるんだ、赤の男爵は二人いるのか? では今までは? それともどちらかが偽者か? さっぱりわからん。__しかし今のは・・・宙を飛び煙のように消え・・・見事だったな・・・」
「真田刑事? 」
「い、いや、何でもない。とにかくA地区へ確認だ。急ごう」
「はっ!!」
警官達が走り出す。真田刑事も後に続こううとして走り出す前に一瞬通りを振り返り、つぶやいた。
「黒、か・・・」
警官達の足音が遠ざかり、通りは完全に静寂に包まれた。
それからたっぷり五分待った後、通りにあったマンホールを動かし、僕は地面から顔を出した。辺りを見回す。
「ふう。ここに逃げ込めなきゃ、アウトだったなー」
マンホールから這い出し、素早く近くの塀まで移動する。
無線のスイッチを入れると、学長の慌てた声が飛び込んできた。
「もしもし、シャドウ、大丈夫かね!? 聞こえているかね、もしもーし!? 」
シャドウとは誰だろう、と一瞬考えた後、任務遂行中の自分の呼び名だったと気付いた。
「あの、シャドウです。はい、何とか大丈夫みたいです。すみません、もう少し小さな声で・・・。はい、今D町の、えーとここは・・あ、二十四番地にいます。はい、色々あって・・。回収を急いで下さい。あっ! 赤の男爵は・・大丈夫ですか。そうですよね。・・・はい、わかりました」
無線のスイッチを切ると、どっと今までの疲れがが襲ってきた。足がだるい。
「良かった。何とか作戦、成功か。 それにしても、あててっ」
僕は背中をさすった。
「最近体操やってなかったから無謀だったかな。この若さで整体デビューかも・・」
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