七、硝子の牙

 ヴォルグ様、と掛けられた声に、ナギは顔を曇らせた。

 振り返らずとも分かる。

 レヴィアタンだ、と露骨に嫌そうな顔をしていると、隣に立つヴォルグが小さく笑うのが気配で分かった。

「やあ、レヴィ。素敵なドレスだね。良く似合っているよ」

「ありがとうございます、陛下」

 杏子色のパンツドレスに身を包んだ彼女は、常の凛とした美しさに磨きがかかっている。

「シリウス様も、また会えて光栄です」

 銀色の仮面の隙間から覗く瞳が爛々と輝いているのに、背筋を冷たい汗が伝う。

「こちらこそ、レヴィアタン様にまた会えて嬉しいですわ」

 心の中でマリーの口調を意識しながら、いつもより高い声でそれに答えた。

 慣れない話し方にヴォルグが一瞬だけ「んふっ」と妙な声を漏らすのに、踵をヒールで踏み付けることで黙らせる。

「シリウス様をお連れになったということは、ご婚約を控えていらっしゃるので?」

 至極真面目な顔をしてそんなことを宣うレヴィアタンに、ナギは白目を剥きそうになるのを必死に堪えた。

「違うよ。母上が彼女に会いたがってね。この前は用事で泊まれないと言うから、今日の夜会に招待したんだ」

 事前から用意していた設定をつらつらと述べるヴォルグの口上に感心しながら、ナギは微笑みを浮かべることしか出来ない。

「というか、君。僕とシリウスをどうしたいのさ。この前は、くっつける気はないと言ってなかったかい?」

「ええ、そのつもりだったのですけれど。あまりにもお二人がお似合いなので、つい老婆心が顔を覗かせてしまいまして……。お気を悪くさせてしまったのなら、謝罪致します」

 ふふ、と笑いながら言うレヴィアタンの目だけが笑っていない。

 厄介な人物に目を付けられたと、ヴォルグとナギが疲弊していると、更に厄介な人物の声が場内に響いた。

「陛下!! 誰ですか、その女は!!」

 キーン、と耳を劈くような金切り声は、ヴォルグの教育係(自称)であるベルゼブブの物だ。

 レヴィアタンよりも更に更にそのまた更に、斜め上の具合で厄介な人物の登場に、ナギは今度こそ白目を剥く。

 仮にも伯爵でありながら、品位の欠片もない声を張り上げたと思ったら、ドスドスとこれまたマナーのマの字もなっていない足音を立て、こちらに近付いてくる彼に、ナギの額に大量の冷汗が浮かんだ。

「一体どこのどなたです?! このような場に連れ立つに相応しいご令嬢なのでしょうね!!」

「えーっと……」

「まあまあ、落ち着いてください閣下。アストライア様の遠縁にあたるお嬢様ですよ。陛下もそれを踏まえてお連れなさっているのですから」

 レヴィアタンが迫りくるベルゼブブを抑えるに成功するも、その顔色は怒りの赤から、嫉妬の黒へと変貌した。

「……ナニ?」

 じろり、とこちらを睨む彼の視線が怖い。

 眼力だけで人を殺せるのではないか、とナギが思考を巡らせていると、彼の手が柔く掌に触れるのが分かった。

「アストライア様のご血縁だとは露知らず、無礼をお許しください」

「い、いえ……」

 血管が浮き出るほど強く手を握られ、痛いどころの騒ぎではない。

 下手に動かせば、骨が折れるのではないか、と痛みのあまり苦悶の表情を浮かべることしか出来ないナギに、ヴォルグの救いの手が伸びる。

「不敬だぞ、ベルゼブブ。俺が選んだ女性に、何の不満がある」

 訂正。救いの手ではなかった。

 火にますます油を注いだだけである。

 ひ、と引き攣らせた声を上げたのは、勿論ナギだ。

 何の前触れもなく、ヴォルグが腰を擁したからであった。

 何をするつもりなのだ、と未だベルゼブブに掴まれた右手を振りほどけないままに彼を振り返れば、そこには真剣な表情を浮かべる魔王が居た。

「手を離せ」

「ですが!」

「離せ、と言ったのが聞こえなかったのか?」

 ぞぞぞ、と肌の上を滑る殺気に、ベルゼブブは漸くナギの手を離した。

 半ば放心状態の彼に、ヴォルグが呆れたように溜め息を吐き出す。

「今宵は彼女と先約がある。言いたいことがあるならば、明日聞こう。それでいいね?」

 腰を擁したまま歩き出した彼と、真後ろでまたも上がった奇声に、ナギは心臓が跳ねるのが痛いくらいに分かった。

 動揺か、あるいは昂揚。それに近い心臓の高鳴りに、息を整えるのがやっとだ。

「大丈夫? ごめんね。こうなることは分かっていたのに、そんな恰好をさせて」

 心底申し訳ない、と言わんばかりにヴォルグが顔を曇らせるので、ナギはぱちぱちと瞬きを返す。

「どうして、お前が謝る? これに袖を通すことを了承したのは俺だ。こうなることは俺にだって予想できた。だから、お前だけの責任ではない」

「でも、」

「――ヴォルグ。これはお前が真の王になるためには必要なことなのだろう? ならば、後悔するな。そんな暇があるのなら、前進することだけを考えろ。そうすれば、俺は最高の働きをして、お前の勝利を約束する」

 金色の瞳に、獅子が宿る。

 その様に、ヴォルグは暫し見惚れた。

 己が選んだ剣はかくも美しく、そして錆を知らない。

「……やっぱり、君を選んで良かったよ」

「そりゃ、どうも」

 悪戯っ子のように笑い声を上げたナギに釣られて、ヴォルグも喉を震わせて笑うのだった。


 今夜の夜会は魔王が直々に参加を表明したことから、貴族から平民までたくさんの魔族で城は賑わっていた。

 ヴォルグはあまりこういった場所が得意ではない。

 あちらこちらで飛び交う様々な思惑に振り回されるのが面倒くさい上、寄りかかってくる女性たちをあしらうのが苦手だったのだ。

 それに人が多い場所に立つと、いつどこから狙われてもおかしくはない。

 従って、むやみやたらと人前に立つことは控えていたが、今日は違う。

 壁際には美しい毒の花が咲き、すぐ傍には頼もしい剣が居る。

 きゅ、とナギの存外に細い腰を抱く腕に力を籠めると、ヴォルグはダンスフロアへと足を踏み出した。


そもそも、どうして今回の夜会に出ることになったのかと言うと、アスモデウスに「いつまでも受け身では、相手の尻尾も何も掴めない」と言われたことが大きい。

 婦人服を着たがらないナギを無理に口説き落としてドレスを着させたのも、夜会には「騎士」を連れてきていないと姿見えぬ敵に錯覚させるためであった。


(さて、一体誰が釣れてくれるのやら……)


 フロアに響き渡る静かなオーケストラの演奏に耳を傾けながら、ゆっくりとワルツを踊り始める。

「おい」

「ん?」

「踊るなんて聞いていないぞ」

 ナギがやや不満そうな顔で見上げてくるのに対し、ヴォルグはくふくふと妙な笑い声を出しただけで取り合おうとはしない。

 文句を言いながらも、ヴォルグの動きに合わせてナギが身体を揺らしていることに気が付いていたからである。

「これが終われば、アスモデウスのところに行って何か食べても構わないからさ。もう少しだけ付き合ってよ」

「チッ」

 一曲だけだぞ、と歯軋りしながら言われた言葉に二つ返事で頷くと、ヴォルグはそっと目を閉じて辺りの気配を探った。

 ざわざわと耳のすぐ後ろで感じる騒がしい気配に少しだけ顔を顰めるも、依然感じたことのある殺気と似たような気配を感じ取って、ダンスを踊りながらナギにそれを伝える。

「……この前の刺客と同じ気配がする」

「どこだ」

「人が多くて、そこまでは分からない……。でも、城の中に居るのは間違いないよ」

「今夜の出席者は全員城に泊まるって言っていなかったか?」

「それも罠の一つだよ。標的を前に牙を見せない獣が居ると思うかい?」

「……なるほど」

 どこか納得したように首を縦に振ったナギに笑みを浮かべていると、次の曲に変わろうとしていたフロアをざわめきが包み込んだ。

 ちら、と横目でそちらを見れば、ヴォルグと同じように仮面をつけた女性を連れたベルフェゴールがダンスフロアに足を踏み入れている。

「俺は出た方が良さそうだな」

「いや? むしろ居てくれた方が都合は良い」

「どういう意味だよ」

「今に分かるよ」

 一曲だけだと思っていたのに、再び動き始めたヴォルグに釣られてナギの足はまたステップを刻む羽目になってしまった。


(ダンスは苦手だって言ってんだろ!!)


 胸の中で盛大に毒吐けば、ヴォルグが眉根を寄せて、唇の形で「ごめん」と伝えてくるが、それどころではない。

 いつの間にか、ベルフェゴールのすぐ傍でダンスを踊っていることにナギは気が付いてしまった。

 最初からヴォルグは彼の近くで踊るつもりだったのか、冷汗を浮かべるナギとは対照的に流麗な動作で踊る横顔に、軽く殺意が芽生えた。

「……お前、まさか」

「察しが良いね。――次の曲で近くに居るカップルはパートナーを交換するんだ。君は彼と、彼女には僕と踊ってもらう」

「ふっざけんな!! ただでさえ、慣れねえ服で動きにくいのに、もう一曲踊れって言うのか!!」

「頼むよ、ナギ。他の皆は顔が割れているし、君にしかこんなこと頼めないんだ。ね?」

 お願い、と首を傾げて言うヴォルグに、ナギは唸り声を上げる。

 ヴォルグが時々見せるこの表情がナギは苦手だった。

 心底困った、と言わんばかりに、肩を竦める彼に盛大な舌打ちをすることで、命に従うことを伝える。

「大丈夫。彼は若い女の子が好きなこと以外は至って普通だから、君に危害は加えないと思うよ。君なら貞操の危機も自分で何とかしそうだし。頑張って」

「去り際に物騒な台詞吐くんじゃねえ!」

 小さい声でそう噛みつくと、ヴォルグはナギの手をそっと離した。

 曲が終わりを告げたのだ。

 グッと歯を食いしばると、ナギは意を決してベルフェゴールに声を掛ける。

「よろしければ、」

「よろこんで」

 食い気味に手を握られたことにより、背筋を悪寒が走り抜けていく。

 それに気づかれないように小さく身震いをして、ナギは愛想笑いを張り付けた。

「はて、どこかでお会いしたことがありましたかな?」

「い、いえ。今日が初めてだと思いますわ」

 じい、と吐息が触れ合う距離で見つめられて、ナギは内心で悲鳴を上げた。

 ターンの度に背中に指が触れ、腰元を探られる。明らかな意図を持った艶めかしい指先に反吐が出そうであった。

常であれば、すぐにでも殴りかかっているところだが、ヴォルグに頼まれた手前、軽はずみな行動は取れない。 

ぎりぎり、と歯軋りをしながら必死にステップを踏んでいると、ベルフェゴールが小さく笑みを零した。

「な、何か?」

「いえ、若い頃の王妃様を思い出しましてね。ダンスが苦手だったあの方に、ステップを教えたのは私なのですよ」

「そうなのですか?!」

「ええ。まだ先王様の婚約者になったばかりの頃ですが……。ダンス以外は何でもそつなくこなす方でしたので、皆で驚いたものです」

 アストライアの意外な一面に、ナギは素直に驚きの声を上げた。

 それがお気に召したらしい。

 ベルフェゴールは頼んでもいないのに、魔王や魔王妃の話を次々に紡ぎ始める。

 ダンスが終わる頃には、笑い疲れてふらふらになってしまって、それが少しだけ可笑しかった。

「楽しいひとときをありがとうございました」

「こちらこそ、貴女のような素敵な女性と踊れて光栄でした」

「それでは、」

「お待ちを」

「え?」

 振り返ると、そこには真剣な目をしたベルフェゴールの顔が迫っていた。

 思わず半歩後退ろうとすれば、するりと伸びてきた腕に再び腰を擁される。

「今夜私の部屋に来て頂けますか? 出来ればお一人で」

「でも、」

「陛下には上手く言って差し上げます。昔話でこんなに喜んでくれる人に会ったのは久しぶりでね。もう少し付き合って頂けると嬉しいのですが」

「……」

「一番北側の部屋で、お待ちしております」

 耳元に熱い吐息を吹き込まれ、ナギはグッと喉を詰まらせた。

 慣れない口説き文句を真正面から受け止めて、肌が粟立つ。

「それでは」

 最後に頬をひと撫でしてから去っていった彼の後姿を睨みつけると、壁際で肩を震わせているアスモデウスと目があった。

 なるべく上品な仕草を心掛けながら速足でそちらに近付くと、アスモデウスは堪えられないと言った様子で声高に笑い声を上げる。

「笑ってんじゃねえ!! どうすんだよ、アレ!!」

「どうするもこうするも……。せっかくのお誘いなのですから、行けば良いのでは?」

「行ったらどうなるか、俺でも想像がつく」

「く、ふふふ! 分かっているなら、尚のことお行きなさいな。それこそがヴォルグ様のためになるのですから」

「……っ」

 ――ヴォルグのため。

 睫毛を伏せるナギの姿に、アスモデウスはそっと口元を綻ばせる。

 王がためを思う故、葛藤しているのだろうことは明白であった。

 すると、そこへ件の王が眉根を寄せて、ダンスフロアから戻ってきた。

 妙に真剣な表情を浮かべる彼に、何と声を掛けて良いのか分からず、手元にあったグラスを傾けていると、グラスに入ったワインに影が落ちる。

「……部屋に来いと言われなかったかい?」

「あ、ああ」

「僕も、お誘いを受けたよ」

「え?」

「今晩、貴方の元に参りますって」

 ちら、とヴォルグが振り返ったのは、先ほどまで彼とダンスを共にしていた可憐な女性の後姿だ。

 その言葉に、ナギとヴォルグは互いを十秒ほど見つめ合って固まった。

 恐らくは「騎士」であるナギを連れていないことに、ベルフェゴールは気を良くしたのだろう。これ幸いと、ヴォルグの傍に自分の息が掛かった者を近付けさせようとしている魂胆が見え見えだった。

「断れば、せっかく繋がりが持てるチャンスを無くしてしまうと思って、頷いておいたんだけどまずかったかな?」

「いいえ。貴方の判断は正しいですわ。それにこの子も」

「行くとは言っていないのに、行く方向で話を進めるんじゃねえ」

 ム、と唇を尖らせたナギを見て、アスモデウスが笑う。

 だが、それを見たヴォルグは少しだけ顔を歪めた。

「さっきは冗談でああ言ったけど、ベルフェゴールは狙った子を逃がさないよ。危険すぎる」

「だが、それでお前に利があるのなら、俺は構わない」

「……駄目だ! リスクが高すぎる! 君を危険な目に合わせて、何も情報がなかったじゃ、済まされないよ!」

 ヴォルグの声に、会場の視線が一瞬だけ彼に集中した。だが、それもほんの数秒のことで、すぐに何事もなかったかのように、ダンスや食事に戻っていく。

 指先が白くなるまで握りしめられた拳に、ナギはフッと小さく息を吐き出す。

 そっ、と優しく彼の掌を包み込むと、不安に揺れる瞳に笑いかける。

「外に出ようぜ。ここだと、人目に付く」

「うん」

 テラスの方へと歩き出した若者二人を、アスモデウスは羨ましそうに見送った。

「もう少し若ければ、私がその役を買って出るのですけれどね」

 残念だわ、とおどけて紡がれた声はオーケストラの音楽に掻き消されるのであった。


 魔王城のテラスは広い。

 先々代の魔王、ヴォルグの伯父に当たる第七代魔王の手によって増築されたテラスにはいくつものテーブルとソファが置かれていた。

 そのうちの一つ。植木に囲まれ、人気のないソファに腰掛けると、ナギは肺いっぱいに空気を取り込んだ。

 立食用に準備された料理のストックが冷たい風に晒されて、香ばしい匂いで鼻をくすぐる。

「……ごめん。目立つような真似をして」

「今日はお前、謝ってばかりだなぁ」

「うっ、そうかな?」

「そうだよ」

 ナギがくすくすと笑うのに、ヴォルグは眉尻を下げた。

 どうにも今日は調子がよろしくない。

 それもこれも、眼前の彼女が見慣れないドレスを着ている所為だ、と責任転嫁なことを思った。

「俺はな、ヴォルグ。お前のためなら、死んだって構わないんだぜ?」

「……」

「だってもう、俺には何も残っていない。何も失うものがないなら、恐れるものは何もないってことだろ」

「ナギ」

 ヴォルグがナギの隣に腰を下ろす。

 二人分の体重に、ソファが少しだけ悲鳴を上げた気がしたが、ヴォルグは構わなかった。

 浅黄色の髪が彼女の目元を覆っている所為で、どんな顔をしているのか分からない。

 さっき彼女がそうしてくれたように、優しく掌を包み込めば、小さく身じろぐのが伝わってきた。

「俺は、お前のモノだ。お前はただ命じるだけで良い。あとは俺が――」

「君も今日は、よく喋るね」

「っ!」

「もしかして、緊張していたの?」

 ナギの肩が、大袈裟なまでに跳ねる。

 普段は見えない肌が、少しだけ赤く色付いているのを見て、ヴォルグは目を細めた。

「ねえ、ナギ。答えてよ」

 意地の悪い目が、ナギを縛る。

 少し身じろいだだけで響く布擦れの音が煩わしかった。

 知らない、と言わんばかりに頭を振れば、ヴォルグの手がより一層強く握りしめられる。

「ねえってば」

「ち、かい!」

「答えてくれるまで、離さないよ」

 やめろ、と内心で叫ぶも、ヴォルグが離れる気配は一向にない。

 面白がっていますと色濃く表情に乗せたかと思えば、伸びた腕が腰に擁されて、更に身体が密着する羽目になった。

「おま、楽しんでるな! なあ、そうだろ!」

「質問を質問で返すのは、ずるいと思うなぁ」

「ちょ、本当にマジで近い!! これこそ、誰かに見られたらまず、いっ!?」

 ナギの目が驚愕に見開かれる。

 その視線の先に、誰かが居ることは明白で、ヴォルグは悪びれもせず緩慢な動作でそちらを振り返った。

「……こんなところで何をしているのかと思えば。お前か、ヴォルグ」

「何だ、マモンか。じゃあ、大丈夫だね」

「じゃあ大丈夫だね、じゃない! こんなところで魔王陛下が逢引きしていたとなれば、大問題だろうっ!」

 懐かしい顔にヴォルグが思わず、声を立てて笑っていると、その下で組み敷かれていたナギがそっと彼の袖を引いた。

「誰だよ」

「幼馴染のマモンだ。今はベルフェゴールの部下として、働いてもらっている」

「つーことは……」

「そ、僕の味方の一人さ」

「んだよ、ビビらせやがって」

 小声でモソモソと話していると、マモンが片眉を上げてナギをじっと見つめた。

「貴女はさっき、閣下と踊っていらした……」

「こちらはシリウス、母上の遠縁でね。シリウス、こちらマモン男爵。僕の忠実なる部下の一人だよ」

 味方であるならば、いっそのことバラしてしまった方が良いのではないかとナギは白い目をしながら、マモンに握手を求めた。

 すると、彼は快くその手を握り、自然な動作で口付けを施す。

 ぞわり、と再び背筋を這った悪寒に、ナギがヴォルグの後ろに身を隠せば、マモンは不思議そうに首を傾げた。

「彼女、こういうことに慣れていなくて。気にしないでくれ」

「はあ」

「ところで、君の方こそ、ここで何をしていたんだい?」

「閣下に頼まれて巡回をしていた。今宵は客人も多い。城の衛兵だけでは信用できないから、と」

「ふーん?」

 ヴォルグの目が、何かを見定めるように細められる。

 マモンはそれを何も言わずに見つめると、辺りに誰も居ないことを確認してから、そっとヴォルグの耳に何事かを呟いた。

「……そう」

「お前のことだ。大事はないと思うが、用心に越したことはない」

「分かっている。いつもごめんね」

「気にするな。俺が望んでしていることだ」

 しなやかな猫のような仕草でヴォルグに背を向けると、マモンは小さく笑い声を上げた。

「そう威嚇してくれるなよ、陛下。俺は閣下と違って、お前の物に手を出す趣味はないぜ?」

「は」

「初心なレディは可愛いらしいが、男の初心は目も当てられんな」

 けらけらと笑いながら去っていった赤髪の騎士の背中に、ヴォルグの叫びが突き刺さる。

「ちが、違う!! この子とは本当に何もないから!! ねえ聞いてる!! マモン!!」

「くっ、ふふっ」

「ナギも笑っていないで、否定しておくれよ!!」

「ははは!」

 波間の空に、ヴォルグの悲鳴とナギの笑い声が反響する。

 背中で二人の声を感じながら、マモンはまた小さく笑みを噛み殺すのであった。

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