八、裏切りと白薔薇
絹で仕立てられた夜着が肌の上を滑る。
慣れないドレスの次に、これまた慣れないものを着せられて、自分で言い出したことにも関わらず、ナギの機嫌は悪くなる一方であった。
「……スースーする」
「我慢なさいな。一応、そういう目的のために作られたものなのですから、少し肌も透けますけれど堪えてくださいまし」
「チッ」
髪を結わうマリーの指先に力が籠められる。いくらツケ毛だと言え、地毛に伝わってくる力の強さに、ナギは意外そうに目を丸くした。
「あの好色爺。よりにもよってナギ様に目を付けるだなんて! 私があまりにも綺麗に着飾ってしまったばっかりに!!」
「……後半はいらんが、驚いた。お前でもそんな言葉を吐くことがあるんだな」
「あら、お嫌いでした?」
「まさか! むしろ好感を持った」
「ふふ、なら良かった」
鏡に映る自分が、また違う表情を見せる。
先ほどまでの華やかな化粧から一転。濃い紅が差された唇が艶やかに、それでいて蠱惑的に、鏡の中で笑っていた。
「化粧一つで、こんなに変わるもんか?」
「元がよろしいからですわ。普通はこう簡単に印象は変わりません」
「へえ?」
普段は滅多に着ない「白」を基調とした夜着も、その役を買っているのだろう。一つに纏められた髪が胸元に下ろされると、もはや別人のようだった。
「……ナギ様。ひとつだけ約束してくださいまし」
「ん?」
「嫌だと思ったら、すぐに逃げてくださいね。私も陛下も、それにアストライア様だって貴女が傷付く姿は見たくないのですから」
「分かっているって。さっきから何回言えば気が済むんだよ」
ナギはそう言って笑うと、鏡の中に居る自分にそっと手を這わした。
無機質で、冷たい温度が指先から伝わってくる。
「行ってくる」
時計の針は十二時を示していた。
夜会が終わってから、一時間余りが経過している。
待たせるのも手だ、とはアスモデウスの言だが、あまり待たせすぎるのも良くない。
意を決して踏み出した廊下は、ひんやりと冷えていて、薄い夜着では何の役にも立ちそうになかった。
「それでは、ヴォルグ様には私から伝えておきます」
「ああ。頼む」
こくり、と頷いたマリーとは反対の方向、ベルフェゴールの待つ部屋へとナギは歩き出した。
「そう。仮面は付けたままなんだね」
「ええ。何事も用心に越したことはありませんから」
「……やはり、危険な気がする。今からでも止めに、」
「行けませんわ、魔王陛下。貴方は剣を抜いた。それを中途半端に収めることは剣自体が許してはくれません」
マリーの強い語気に、ヴォルグは押し黙ることしか出来ない。
分かったよ、と事の次第を見守ることを決意すれば、既に部屋にやってきていた女を蛆虫でも見るような視線で睨んだ。
部屋に入ってきた途端、短刀でヴォルグを刺そうとした彼女を取り押さえたのは、その場に同席していたアスモデウスだった。
床に転がる彼女の焦点は合わない。
アスモデウスの毒を真面に浴びたのだ。それも即効性のものを。
数時間のうちに絶命することが決まっている女に、ヴォルグがすることは一つ。
「……これから、質問することに正直に答えろ。そうすれば、命は助けてやろう」
「へ、いか」
「返事はハイかイイエ、だ。それ以外は全て雑音とみなす」
「ハ……イ……」
女は苦しそうだった。
声は潰れ、呼吸は乱れ、目には血の涙が浮かんでいる。
こちらにアスモデウスが付いていなければ、自分もこうなっていたのだろうか、とヴォルグは目を細めながらに物騒なことを思った。
「ベルフェゴールが俺を殺せと命じたのか?」
「イイエ」
「本当に?」
「ハイ」
女の目が曇る。
ヴォルグはそれを見逃さなかった。
首に手を添えて、女が呼吸できるギリギリの強さで力を加える。
「正直に答えろと言ったはずだ。もう一度問う。ベルフェゴールが俺を殺せと命じたのか?」
「ンぐッ……ハ、イ……ッ」
ドサリ、と乱暴に女を床に叩きつけると、彼女は苦しそうに身悶える。
その際に毒の浸食が進んだのだろう。ヴォルグが掴んでいた首の辺りが紫色に変色した。
「アレは、自らが王に相応しいと思っているのか?」
「……分かり、ませ」
「ハイかイイエだ。アレの部下は言葉も理解できないらしいな」
緋色の目が怒りと悲しみと、憎悪の炎で燃えていた。
ゾッとするような眼の光に、女の顔に恐怖が刻まれる。
「ホントに、しらな、い……っ!」
ふるふる、と助けを求めて首を振る姿に、ヴォルグは呆れたように溜め息を吐き出した。
次いで、ヴォルグから発せられた殺気の重圧に、女はうぐ、と言葉にならない声を上げて、無様な姿で床に張り付く。
「……アスモデウス」
「ここに」
影の中から音もなく現れたアスモデウスを一瞥すると、ヴォルグは女を指さして言った。
「こいつの首をアレに送り返しておけ」
「そ、そんな……! 命は助けると、そう言ったではあり、ませんかッ!」
女が縋るようにヴォルグを見るが、彼は無表情でそれを睨んだ。
「早く始末しろ」
「かしこまりました」
反吐が出そうだ、と呟いたヴォルグの声を最後に、女の視界は赤く染まった。
ようこそ。
歓迎の声に出迎えられ、ナギが導かれたのは既にベッドメイキングが済まされた大きな寝台の上だった。
隠そうともしないあからさまな態度に、嫌悪を通り越して尊敬の念が浮かぶ。
「あ、の……。お話をすると仰っていたのでは?」
「ええ。寝台の上で、ね?」
するり、と腰に巻き付いた腕に、鳥肌が立った。
だが、それを悟られないようにナギは愛想笑いを浮かべて、ベルフェゴールに促されるがまま、ふかふかのベッドに腰を下ろす。
「ふふ。見れば見るほど若い頃のアストライア様にそっくりだ」
恍惚とした表情で己の髪に触れる男に、ナギは上がりそうになった悲鳴を何とか飲み込んだ。
ぐっと押し黙ったナギの態度を良しと受け取ったのか、ベルフェゴールの身体がゆっくりと近付いてくる。
男の手が、ナギの腕を蛇のように這って進んだ。
薄い夜着越しに伝わってくる生温かい体温に、仮面の奥で眉根を寄せる。
「……さ、まずは何から話しましょうか」
話をする気など、さらさらないくせに。
ゆっくりと覆い被さってきたベルフェゴールの身体を享受しようとナギは震える心の中で決意を固める。
全て、主のため。
この身が汚されようとも、主がためになるのならば、痛くも痒くもない。
そう自分に言い聞かせた。
「声を出してもらえると、嬉しいのですがね」
「……ッ」
「それとも、あまり気持ち良くない?」
「ン、あ……」
「ふふ。可愛らしい」
男の手が不埒な動きで服の上から、ナギの身体を這い回る。
胸の頂を指先が掠めると同時に、堪えていた声が溢れた。
甘い声が漏れたことに気を良くしたのか、ベルフェゴールの熱い吐息が顔に当たって、気持ちが悪い。
「これも、もういらないでしょう? さあ、私に全てを曝け出して、」
「あっ、だめ、それは……!」
仮面に伸びてくる腕に、ナギはベルフェゴールの胸を押し返した。
「は、ずかしいので、顔は見られたくありません」
「おや」
「これは、外さずに、ね?」
「そういうことを言われるとますます見たくなるのが、男心というものなのですが」
「だめ、です。これ以外なら、何を外しても構いませんからっ……あン……ぅ」
最後まで言い終わらないうちにベルフェゴールの腕が、ナギの背中に回る。
笑い声が肌の上を撫でていく感触が不快だった。
ぎゅっと目を閉じれば、彼が楽しそうに声を漏らすのが分かる。
(早く、終われ……ッ)
きつく閉じた瞼の裏に、ヴォルグの顔が浮かんだ気がした。
綺麗な声が自分を呼んでいる。
辺りをそっと見渡せば、白い靄に包まれて何も見えなかった。
懐かしい声だ、とナギが目を細めれば、どういうわけか靄のかかっていた景色がはっきりとしたものに変わった。
青い地面、否――ネモフィラの花畑の中心に誰かが立っている。
『ナギ』
それは母の声だった。
たった一人の肉親が、こちらに向かって手を振っている。
「……ッ」
(母さん!)
呼びたくても声が出せない。
母さん、と何度も繰り返し呼ぼうとするが、喉の奥に何かがこびり付いていて、それは叶わなかった。
藍色の髪が風に揺れ、母の儚げな表情が見え隠れする。
『起きて、ナギ』
――大変なことになる前に。
その声を合図に、世界が音を立てて崩れ落ちた。
「……くださいっ! 陛下!! マモン、陛下を押さえて!!」
「離せ! マモン!! もう我慢ならない!!」
「駄目だ! 堪えろ、ヴォルグ!! 今までの苦労が水の泡になってもいいのか!!」
部屋の中が騒がしい。
いつの間に、朝がやって来たのだろうか。
瞼ごしに感じる太陽の光にナギはゆっくりと身体を起こそうとした。
だが、身体に力が入らない。
腰から下の感覚が鈍くなっているのに加え、腕も痺れていて、少しだけ浮いた頭はまた枕に吸い込まれるように元の位置に戻った。
「……ヴォルグ」
声も酷い有り様だ。
カスカスになった声に自嘲すれば、怒りで目が真っ赤になった王と目があった。
「ナ、ギ」
震える声でナギの名を呼んだヴォルグは、マモンとマリーの二人に羽交い絞めにされていた。
ズルズルと身体に二人をぶら下げたままこちらに歩いてきた彼に、小さく笑い声を漏らすも、その拍子に唾が気管に入ってしまい、咽てしまう。
「平気だ。少し、喉に詰まっただけだから」
「……」
「だから、そんな顔をするな。魔王」
「その呼び方は止めてってば」
くしゃり、と顔を歪めるヴォルグに、ナギは曖昧な笑みを返した。
「少し、二人きりにしてくれ」
「承知しました」
マリーとマモンは声を揃えてそう言うと、不安の色を浮かべたまま部屋を後にする。
ゆっくり、とヴォルグの手を借りて身体を起こすことに成功すると、ナギは静かに息を吐き出した。
「良い報告と悪い報告。どちらから聞きたい?」
金色の眼が真っ直ぐに己を射抜くのに、ヴォルグはそっと片眉を上げる。
そして、緩慢な動作で唇に弧を描いてみせた。
「そうだねぇ。まずは悪い報告から聞こうかな?」
「何だ。てっきり良い報告から聞きたがるものだとばかり思っていた」
「楽しみは後に取っておく派でね」
「そうかよ」
額に張り付いた前髪を煩わしいと言わんばかりに後ろに撫でつけると、ナギは未だ眠りの淵に足を引っかけたままの瞼を再びゆっくりと落とした。
脳裏で浮かぶ昨夜の光景に、嫌悪と吐き気が胸中を満たすが、それには目もくれず、ベルフェゴールの身体に刻まれていた文字だけに意識を集中させる。
「お前の言っていた『王殺しの呪印』だが、奴の身体にそれは無かった」
「……そう。やっぱり、直接手を下した者にしか浮かび上がらないのかな?」
「それは分からんが、代わりに面白いものを見つけた」
「もしかして、それが良い報告?」
「そうだ」
ベルフェゴールの元に赴くに当たって、ナギはマリーからヴォルグの伝言を聞かされていた。
『ベルフェゴール様のお身体に蛇の刺青があるかどうか、見て頂きたいのだそうです』
『蛇ぃ?』
『はい。蛇は裏切りの象徴。初代魔王陛下、ルーシェル様が愛した動物の一つにあげられます。王を裏切れば、蛇が浮き出る。ルーシェル様の残した巨大な魔力は、裏切り者を許さない。蛇の如くそれに噛みつく、というわけです』
魔界では王殺しは禁忌とされており、王を殺した者には呪いの印が浮かび上がる。先王であるヴァトラを殺したのは、彼の剣であったが、その剣は三貴人――ベルフェゴールの一族に名を連ねている者だったと噂されていた。
当時のヴォルグは幼く、事後処理などは全て三貴人が請け負った。そのため、王を殺した剣の処刑も三貴人が済ませており、ヴォルグが知っているのはあくまで紙面上のことでしかない。
間接的とはいえ、王を殺せと命じたのがベルフェゴールであるならば、彼の身体にも呪印が浮かび上がるとヴォルグは予想したのだろう。
だが、結果として、彼の身体のどこにも蛇は居なかった。
「聖アリス教会の信者の証って聞いたことあるか?」
「白薔薇の教会のことを言っているのかい? あの忌々しい、聖騎士団を指揮している?」
「忌々しいってのには同感だが、まあそうだ。我らが聖アリス教会の白薔薇が左胸に咲いていた」
「へえ?」
白薔薇。
それは神が仕える者に与えられる神聖な花。
間違っても魔界で貴族を束ねている者が身体に刻んでいいものではない。
「……先代の剣は人間だった、って噂はあながち間違っていないかもしれない」
「ああ。奴が教会と繋がっているとなると、鋼の如く固い身体を持っていたお前の親父を殺せたのにも納得がいく。――聖剣を使って、殺したんだろう」
「対魔族用の特殊武器、だね。父上の防御魔法は歴代魔王の中でも極めて異質なもので、攻撃を受ければ受けるほど、防御陣は厚くなるものだった。それを一撃で仕留めたとなると、やはりそれしか考えられない」
「でも、どうする? 教会と繋がっているとなると少し厄介だぞ」
戦力的な問題は勿論、先王の時のように再び聖剣を持ち出されると分が悪い。
ナギが眉根を寄せていると、ヴォルグはくく、と喉を鳴らして笑った。
「いいねえ! 面白くなってきたじゃないか!」
「はあ?」
「だってそうだろう? 君の古巣と戦えるだなんて、考えただけでワクワクする!」
「……この、戦闘バカ! 何でも武力で解決しようとするなっての! また聖剣を持ち出されたらどうするつもりだ!」
ヴォルグがにぃ、と悪戯っ子のような笑みを顔面に張り付けた。
凶器が見え隠れするその笑みに、ナギの背中を冷たい汗が伝っていく。
「父上と同じ末路は辿らない。だって僕には君が居るもの」
「!」
「俺を裏切らない騎士。それさえあれば、俺は何も怖くないよ」
きつく身体を抱きしめられて、ナギは息もままならない。
痛いくらいに自分を抱きしめるヴォルグの腕が僅かばかりに震えているのに、ナギは小さく笑みを浮かべるのがやっとだった。
「……げ」
抱きしめ返そうと腕を返したナギが出した声に、ヴォルグが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもな、い……」
どこか挙動不審な様子でこちらと視線を合わせようとしないナギに、ヴォルグは眉根を寄せた。
身体を抱きしめている所為か、バクバクと煩いくらいにナギの心臓の音が伝わってきて、何か良くないことが彼女の身体に起きているのではないかと、慌てて身体を引き剥がす。
「あ、ばか!!」
「…………」
「ちょ、駄目だ! 見るな、ヴォルグ!!」
どろり、と白い液体がナギの股を汚していた。
それは彼女を犯したあの男の残滓だった。
沸々と冷えていたはずの怒りが再び燃え上がろうとするのに、ヴォルグは唇を噛むことで何とか堪えようとした。
「み、見ないでくれ」
苦痛と羞恥と、それから。
色んな感情が綯い交ぜになっているナギの顔を見て、我慢は容易く決壊してしまう。
「……殺す」
低く放たれた一言に、ナギの身体は震えた。
呪詛のように「殺す殺す殺す」と繰り返し呟く魔王に何も言えないまま、彼の背中を掴む。
「ナギ」
少し落ち着いたのか、つり上がった目のままこちらを見下ろす彼にナギは「ん?」と首を傾げてみせた。
「身体、綺麗にしてあげるよ」
「へ?」
口を挟む間もなく、ナギの身体をシーツで包むと、ヴォルグはそっと彼女の身体を抱き上げた。
「マリー。ナギの服を用意しておいてくれ」
ドアを開けた先、驚いて固まっているマリーとマモンの二人にそう言い残すと、ヴォルグは廊下を縫うように進んだ。
「ちょっと! 本当に勘弁しろって!!」
「嫌だよ。アイツの一部が君の身体に残っているっていうだけで発狂しそうなんだ」
「だ、だから! 自分で洗えるって言ってんだろ! 外で待ってろよ!!」
「聞けないね。自分の目で汚れが落ちるのを確認するまで、僕はここから一歩も動かない」
「ヴォルグ!!」
「良いから、早く足を開きなよ。それとも、顔を見られながら掻き出してほしいの?」
カッと顔が熱くなるのが嫌でも分かった。
羞恥のあまり、滅多に緩まない涙腺が緩み、視界が潤んだ。だが、ヴォルグはそんなこと知ったことではないと言わんばかりの勢いで、ナギの衣服を剥ぎ取ろうとする。
「本当に、やめてくれ」
「嫌だと言っているだろ? 聞き分けのない子だなぁ。それともわざと煽って、乱暴にされたいのかい?」
ビクリ、とナギの身体が湯殿の熱さの所為だけではない赤に染まった。
それを見たヴォルグの顔が見る間に、錆びたブリキ人形のように固まる。
「……アイツにも同じことを言われたのか?」
「ち、がっ」
「素直に答えてよ、ナギ。僕は嘘吐きが一番嫌いなんだ」
「ひぅ」
後ろから足を抱え込まれ、赤子のような体勢で湯の中に入れられてしまう。
薄い夜着が肌に張り付いて気持ちが悪い。
嫌だ、と身を捩って逃れようにも、ヴォルグに腕を捕らえられている所為で、上手く力が入らなかった。
「洒落になんねえってば……!!」
「冗談でこんなこと聞かないよ。ねえ、アイツにも同じことを言われたの? ここをこうして弄られながら、淫らに腰を振って応えたのかい?」
「いい加減にしろよ!! 魔王!!」
触れる掌の熱に、気がどうにかなってしまいそうだった。
濡れた衣服ごしに伝わってくる彼の温かなぬくもりに、乱暴に抱かれた身体がズクリ、と慰めを求める。
「誰が、好き好んであんな変態に身体を許したと思ってるんだ! 俺は、お前の為に……っ」
他の誰に何を言われたって構わない。
けれど、ヴォルグにだけはそんなこと言われたくなかった。
無体に開かれた身体は快楽を拾うことを良しとはせず、行為の間は終始痛みに打ち震えていた。
ただ、縋るような思いでシーツを噛み、主の顔を思い浮かべながら必死に耐えていたというのに。
それを、この男は。
「……だから君を行かせたくなかったんだよ」
「でも、俺にしか確認できないと言ったのはお前だ」
「そうだ。でもそれは、こんな風に君を傷付けてまで知りたかったことじゃない」
堪えていた涙が、ナギの頬を濡らす。
「僕が怒っているのはね。君にそんなことをさせた自分自身と、嫌だと言わなかった君にだよ」
「う、わ!?」
「だから、身体を洗わせてくれ。そうじゃないと、君に申し訳が立たない」
「ヴォルグ……」
「初代様に誓って、疚しいことはしない。ただ掻き出すだけだから、少しだけ我慢してほしい」
そう断りを入れると、ヴォルグはナギを湯船の縁に座らせた。
そっと股を開いて、ベルフェゴールの名残をナギの身体から追い出す。
ぐちゅぐちゅ、と他人が聞けば厭らしい水音が湯殿の中に木霊する。
ナギはギュッと目を閉じて、ヴォルグの肩に縋った。
恥ずかしさが限界値を超えた所為で、心臓が忙しない。
「……まだかよ」
「もうちょっと」
「う、あっ……ひ」
「あ、喘がないでよ!」
「お前の触り方がやらしい所為だろ!!」
胸の高さにあるヴォルグの頭を軽く叩けば、彼は少しだけムッと唇を尖らせてそっぽを向いた。
「な、んだよ」
「別に」
それっきり何も言わずに黙々と作業を続ける彼の横顔を、ナギも黙って見つめ返すのであった。
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