四、狩人


「にしても、君が女の子だとは思わなかったなぁ」

 ニマニマとだらしない顔をしたヴォルグがこちらを見てくるのに対し、ナギはムッと唇を尖らせた。

「……聞かれなかったから答えなかっただけだ」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

 着慣れないドレスに四苦八苦しながら部屋の中をウロウロと彷徨うナギに、ヴォルグは一層笑みを深める。

「偶にはそういうのも着てくれる?」

「絶対、嫌だ」

「えー。似合っているのにぃー」

「そんな笑いながら言われても、説得力がないぞ」

 チッ、と鋭い舌打ちを零して、ヴォルグの前に書類の束を置くとナギは乱暴な所作でソファに腰を下ろした。

「大体、俺がこんな格好をしていたら、あの三貴人とやらにまたガミガミ言われるんじゃないのか」

「あー……」

 肩を竦めたヴォルグに、ナギはそら見ろと舌を突き出した。

「でも、本当によく似合っているよ」

 満面の笑みでそんなことを宣う主に対し、ナギは思わず瞑目した。

 女のような格好をすることを嫌っている身としては、侮辱されているにも等しい言葉だというのに、彼の声で賛辞の言葉を並べられると不思議と嫌な気分にならない。

 ドレスを褒められて嬉しい、だなんて――そんなことは初めてだった。

「……どうも?」

「どうして、首を傾げるのさ。褒めているのに」

「ドレスは苦手なんだよ。見て分かんねえのか」

 びらびら、と裾を持ち上げるとナギは不貞腐れたようにそっぽを向いた。

「あの女、思いっきり殴りやがって……。魔族はみんな物理攻撃力が高すぎる……」

「くっ」

「おい、何笑ってんだ。その『魔族』の中には、てめえも含まれているんだからな」

 死んだ魚のような目をしてそう言ったナギに、ヴォルグはケラケラと笑い声を上げる。

 執務室に響く楽しそうな笑い声に釣られたのか、扉がノックされる音に、ナギが見る間に表情を強張らせる。

「……はい」

「陛下、レヴィアタンです。頼まれていた式典の書類をお持ち致しました」

「どうぞ」

 三貴人が紅一点、レヴィアタンを快く部屋に招き入れた魔王に、ナギは声にならない悲鳴を上げた。

 先程、バレたらまずいのではないのかと、そういう話をしていたばかりだというのに、容易く三貴人を部屋の中に通したヴォルグに心の中で抗議の声を上げる。

(ふざけんなよっ!! 絶対バレるに決まってんだろ!!)

「……だーいじょうぶだって。マリーが薄く化粧して、髪形も変えてくれているから! 今の君はどこかの貴族のご令嬢にしか見えないよ! 自信もって!」

(持てるか!!!)

 どうするんだよ、と半泣きになりながら、部屋に入ってきたレヴィアタンの姿を見つめていると、彼女はナギのことを不審に思ったのか、一瞥だけ寄越すと、主に書類を差し出す。

「こちらになります」

「はい、確かに。いつも悪いね」

「いえ。これが私の仕事ですから」

 微笑んだ彼女の姿は、さながら野に咲く可憐な一輪花のようだ。

 凛と咲く綺麗な女性の姿に、暫くぼうっと見惚れていると、先程から感じる視線に耐えかねたのか、星の運河が束ねられたような美しい髪を翻して、レヴィアタンがナギを振り返った。

「……何か?」

「え、あ、いえ」

「見たことのない顔ですわね。どちらのお家の方かしら?」

「え、えーっと……」

(ヴォルグ!!)

 無理だ、助けてくれと、目線と心の中で必死に訴えると、彼は小さな笑い声を上げて、ナギに助け舟を出した。

「母の遠縁の娘でね。名前はシリウス。母上によく似ているだろう?」

「……ごきげんよう」

「これは失礼致しました。レヴィアタンと申します」

 存じてます、とはとても言えない。

 ひい、と半ば気が狂いそうになりながら、ナギは彼女に向かって小さく頭を垂れた。

「ヴォルグ様と同じ年頃の方がご親戚にいらっしゃるとは初めて知りました」

「ははは。それはそうだよ。だって、そんなことが知れたら君たちは僕と彼女をくっつけたがるだろう?」

 それを聞いたレヴィアタンは、猫のように目を細めて笑った。

 にぃ、と口角を上げたかと思うと、緩慢な動作で瞼を上げ、睫毛を震わせる。

「あら、そんなことはありませんわ」

 妖艶な美しさを放つ女に、ナギは背筋に寒気が走るのが分かった。

「結婚相手を決めるのは、魔王陛下の自由ですもの。先代様がそうであったように」

「……そうだね」

「シリウス様が貴方様の想い人ならば、私は止めません。閣下たちにも上手くお取次ぎ致しましょう」

「その時は、よろしく頼むよ」

 バチバチ、と眼前で閃光が飛び交うさまを、ナギは黙って見つめることしか出来ない。

 ふ、と先に笑い声を漏らしたのは意外にも、ヴォルグの方だった。

「あはは。もう! 意地悪しないでおくれよ、レヴィ。君のその顔には弱いってこと、知っているだろ?」

「ふふ、これは失礼しました。陛下とのやり取りが楽しくて、つい」

 先程までのピリピリとした雰囲気が嘘のように、穏やかな表情になった彼らに、ナギは呆れたように頭を振った。

「では、今日はこの辺で失礼いたします」

 礼儀正しく、綺麗なお辞儀をして去っていったレヴィアタンの後姿を見送ると、ナギは深い深い溜め息を吐き出す。

「……仲が良いなら、そうだと言っておいてくれ」

「レヴィは三貴人の中でも若いからね。古い考えを持っているベルフェゴールやベルゼブブとは違って話が合うんだ」

「無駄に変な汗をかいた気がする」

「はは、なら一緒に湯浴みでもするかい?」

「笑えない冗談は止してくれ」

 本日何度目になるのか分からない深い溜め息を吐き出すと、ナギは力なくソファに身体を沈めた。


 魔王城の湯殿は、波間の空が一番高く美しく見える場所に作られている。

 星屑が散りばめられた湯に浸かり、ほうと悩ましい息を吐き出したナギは、ドレスの所為で凝り固まった肩を和らげようと緩慢な動作で腕を回した。

「あー! 気持ちいいー!!」

 薄紫色に染まった波の空は、人間界の夕日とはまた違った美しさを醸し出す。それをぼんやりと見つめていると、その夕暮れの端、闇が色濃くなってきた西の森の方で何かが蠢いたような気がした。

 魔族になってからというもの五官が鋭敏になったナギは、スッと目を細めてそちらの方に視線を集中させる。

「何だ? 炎が揺れている?」

 ぽつぽつと行列を作って揺らめいていたのは、青白い炎だった。

 意思を持つかのようにゆらゆらと空を彷徨う姿に思わず「ひ」と引き攣った声を漏らしながら、もっとよく見ようと目を凝らす。

 闇に紛れ込みやすいようになのか、黒い衣服を身に着けた集団が手に手に松明を持っていた。

「……方角的にこっちに向かってきているようだな」

 ナギは勢い良く湯から立ち上がった。

 ザパァン、と湯が派手な音を立てて波立つが、今はそんなこと気にしていられない。

 濡れた身体もそのままに、ヴォルグの元へと急いだ。


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