二、魔王の剣

魔王が人間を新たな配下として迎え入れたらしい、という噂が魔界中を震撼させていた。

 何故、人間のようにか弱い存在を自らの配下として迎え入れたのか、魔王城には連日連夜、魔王に謁見を求める魔族が殺到していた。

「……本日も見事に、長蛇の列だな」

「ええ」

「まったく、我が君には毎度驚かされる」

 はあ、と深い溜め息を同時に吐き出したのは、魔王の側近である三人の魔族だ。

「若には若なりの考えがあるのだろうが、長年人間たちと戦ってきた同胞たちとしては怒りが先立つのも無理はない」

 長い前髪を掻き分けながら気怠そうに言葉を吐き出したのは、初代魔王からその身を捧げているベルフェゴール公爵である。

「閣下、若という呼称はお控えください。我らの『魔王』は、今やヴォルグ様なのですから……」

 二度目の溜め息を吐き出して、ベルフェゴールの発言を咎めるのは魔王軍参報にして、世話係を一任されているベルゼブブ伯爵だ。

「これは失礼。何分、先代様に比べてまだまだ幼さが残っているように見えてなぁ。以後、気を付けるとしよう」

「お二人とも、そこまでになさってください。これから陛下に謁見するというのに、そう殺気立たれては民のことをとやかく言えません」

 男性陣二人を諌めた、細く美しい腕の持ち主は女性にして初めて三貴人に選出されたレヴィアタン子爵であった。

『三貴人』とは、魔界において魔王の次に力を持つ三人の貴族のことである。魔王が何かを決めるときはそれが例えどんな小さな事柄だったとしても、必ず彼らを招集し、会議を開くのが習わしだった。

「それにしても、遅いな」

「ええ……。一体何をしていらっしゃるのか」

 少し見てきます、とベルゼブブが席を立ち上がろうとしたのと同時に、黒を基調とした重厚な扉が勢い良く開かれる。

「お待たせ!!」

 にっこり、と満面の笑みで登場した魔王ヴォルグの姿に、一同は瞬きを繰り返す。

 その傍らに、見たことのない小汚い人間が抱えられていたからである。

「なかなか言うことを聞かない子でね。ちょっと説教していたら、遅くなってしまった」

「はあ……」

「ベル、この子に何か飲み物をあげてくれる? 小一時間は泣き喚いていたから、喉が渇いていると思うんだ」

「畏まりました」

 臣下たちの驚いた顔をもろともせず、ヴォルグは傷だらけになったナギをベルゼブブに手渡した。

 ぐったりとした様子の人間を横抱きにして隣の部屋に消えていくベルゼブブの後姿を尻目に、ヴォルグが一人掛け用の豪華なソファへと腰を下ろす。

「アレが噂の人間ですか?」

 口火を切ったのは、意外にもレヴィアタンだった。

 普段ならば、魔王が発言してからでないと決して口を開かない彼女が渦中の人間を前に、動揺を隠せなかったのだろう。ちらちら、とナギが連れていかれた部屋の方を見ながらヴォルグの表情を窺うのに、ベルフェゴールが目を見開く。

「うん、可愛いでしょ。気難しい猫みたいで、気に入っているんだ」

 ゾッとするほど美しい満面の笑みを浮かべるヴォルグに、レヴィアタンは背筋を冷たい何かが這っていくのを感じた。

「……恐れながら、何故あのような者を配下に加えられたのか、理解できません」

「君も皆と同じことを言うんだねぇ。……そうだなぁ、何故って言われると困るんだけど。強いて言うなら顔が好みだったから?」

「真面目に答えてください」

「まあ、最後まで聞いてよ」

 ヴォルグは、ぽつりぽつりとナギを臣下に迎えることになった経緯を二人に話し始めた。

 最初は、互いに憎しみをぶつけ合う敵だったこと。出会った場所が、酷く荒れた戦場で人も魔族も、分からぬような変わり果てた姿で焼け野原となった森に転がっていたこと。

 ヴォルグは魔力が、ナギは体力が尽きそうになっていて、その時に互いに出会い、殺し合いをしたこと。

 まるで子供が母親にその日あった出来事を聞かせるような、そんな楽しそうな表情でナギとの出会いを語る魔王に、ベルフェゴールとレヴィアタンは彼に気づかれないように視線を交差させる。

「……つまり?」

「ああ、ごめん。長くなってしまったね……。つまり、何が言いたいかというと、彼が僕に向ける『殺意』に満ちた顔が好みだったって話だよ。あんなに純粋な殺意を向けられたのは、実に三百年振りだ!」

 狂ったように笑い始めるヴォルグに、レヴィアタンは呆れたように溜め息を吐き出した。

 どうも魔王の一族は血気盛んなところがよろしくない。魔族としての本能が強い一族だと聞いてはいたが、殺し合った人間を臣下に迎えるなどと言い出すとは露ほど思ってもいなかった。

「では、いつ寝首を掻かれてもおかしくはないスリルを楽しんでいらっしゃる、と?」

 ベルフェゴールが冗談めかしてそう言うと、ヴォルグはますます笑みを深めるだけで、何も答えようとはしない。

「……魔王、陛下」

 すると、そこへ件の人間がやや顔色を良くして戻ってきた。

 よくよく見やれば美しい面立ちの青年は、その場に居た魔族の目線を一心に集めているというのに、怯えた様子も見せずに、ヴォルグの前に頭を傾いだ。

「ごめんね、ナギ。さっきはきつく殴りすぎてしまった」

「いえ……」

「ほら、綺麗な顔をよく見せておくれ」

 くい、とナギの顎に手を添えて、己の顔を近付けたヴォルグを咎めるように、ナギを追って部屋に入ってきたベルゼブブが悲鳴に近い声を上げる。

「い、いけません!! 魔王陛下!! そのような下賎の者にお手を触れては!!」

「下賎の者って酷いなぁ。仮にも僕が『剣』に選んだ勇者なんだけど?」

「私は認めません!! そのような、小汚い子供を陛下のお傍に控えさせるなど、許しませんよ!!」

 声を張り上げて泣く癇癪持ちの子供のように喚くベルゼブブの言に、今度はベルフェゴールとレヴィアタンが悲鳴を上げる番だった。

「はあ!?」

 二人して素っ頓狂な声を上げた臣下に、ヴォルグは眉間に皺を寄せて「うるさいなぁ」と呑気に悪態を吐き出す。

「お待ちください!! まさか、この者を貴方様の『騎士』になさるおつもりですか?!」

「そうだけど?」

「な、なりませぬ!! 『騎士』になる者は代々魔王陛下のお傍をお守りしてきた我ら三貴人の家の者でなければ!! そんなどこの馬の骨とも分からぬ小童を陛下の剣にするなど、我らは絶対に認めません!!」

 普段滅多に声を荒げないベルフェゴールとレヴィアタンの攻撃に、ヴォルグは眉間の皺を更に深く刻んだ。

「……君たちを疑っているわけじゃあないんだけどさぁ。近年、僕の命を狙う不届き者が増えているんだよねえ?」

「そ、それは、こやつら人間の仕業ではっ」

「だぁかぁらぁ、さっきから最後まで聞けって何度言わせれば気が済むんだよ?」

 ギロリ、と緋色の瞳に揺れる炎に、ベルゼブブは口を噤まずにはいられなかった。指先ひとつ動かせば、悲鳴をひとつでも漏らせば、殺される。そんな空気を纏ったヴォルグを前に、三人の配下はさっきまでの勢いが嘘のように、静かに口を閉ざす。

魔界こっちで居るときの方が襲われる頻度多いんだよね。それってつまり同族に狙われているってことでしょ? 君たちのことは頼りにしているけれど、もし君たちの中に僕を狙っている者が居て、僕を殺す術を持った『騎士』を贈られては堪ったものじゃない。いくら、僕が歴代最強の魔王とは言え、用心に越したことはないだろ?」

 だから、彼を連れて来たのさ。

 皮肉たっぷりにそう告げられてしまえば、二の句を告げる者などこの場には居なかった。

 全員、冷汗をだらだらと流しながら、魔王の前に頭を傾ぐことしか出来ない。

「お、恐れながら、申し上げます」

「ん。何だい、レヴィ」

「その者は、ヴォルグ様の剣に値するほどの強さを持っているのでしょうか」

 凛とした声が、心地良く耳を打つ。

 ヴォルグは、ちらりとナギに視線を移した。

 殴られたかと思えば、気絶させられるは、で現状をいまいち理解していないらしい虚ろな目と目が合う。

 昨日、急に三貴人が来ることを従者から聞かされたヴォルグは、自分で手紙を出したにも関わらず盛大に混乱していた。

 彼らは忙しい身の上だからと、一月後くらいに訪れることを予想していたのだが、それに反し手紙を出してから僅か一週間足らずで顔を出した彼らに、蟀谷に激痛が走ったことは言うまでもない。

 ナギには、簡単に話を済ませてはいたが、まさか気絶させられるとは思ってもいなかったのだろう。本気の抵抗をされ、こちらも本気で急所を狙う羽目になってしまった。

「ナギ」

 触れた頬の温度は、人の頃とそう大差はない。

 熱いくらいのそれに、思わず目を細めていると、ナギが小さく含み笑いをするのが分かった。


(俺は、お前のものなのだろう? ならば何を迷うことがある?)


 黄金に輝く目が、己をまっすぐに見つめる。

 それに応えるように、ヴォルグが彼の髪を一房持ち上げた。

 ちゅ、と鳥が木の実を啄むように、柔く口付けを施す。

「これは俺が選んだ至高の剣だ。疑うならば、お前が直接相手をすればいい」

 王の口付けは、最高の賛辞。

 口を利けぬまま、眼前で繰り広げられた蛮行に、三人は静かに気を失っていた。

「と言うことらしいですが、どうなさいます? ってありゃ、白目剥いてるぞ」

「はは、やっぱり君を選んでよかった」

「どういう意味だよ」

「退屈しなさそうってことさ」

 けらけらと笑いながら、会議室を出ていくヴォルグの後ろを、ナギは不満そうな顔をしながら続いた。

「…………厄介な者を招き入れおって」

 静まり返った会議室の中に舌打ちと共に小さく響いたそれは、誰が放ったのか、扉の閉まる音に掻き消されたのだった。

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