黄昏に勇者は笑う

神連カズサ

第一章、燃える瞳

一、白銀の勇者、異界の王

「……さあ、立っておくれよ、勇者。君の力はこんなものではないだろう?」

 耳鳴りが、止まない。

 男の声が頭の中をぐるぐると忙しなく駆け巡る。

「だま、れ!」

「はは。元気だねぇ、君」

 くつくつと笑い声を上げる男に、ナギはぐっと歯を食いしばった。

「黙れと言った!!」

 最後の力を振り絞って、大剣を振るう。

――ヒュン。

 風切音が洞窟の中に空しく響いた。

「危ないなぁ。もうちょっとで脳天が割れるところだったじゃないか」

「わ、ろうとしてんだから、当たり前だろっ!」

「おお、怖い」

 欠片ほど思ってもいないようなことを宣う眼前の男に、ナギの目は険しくなる一方だった。

 視界の端に映るのは、今朝一緒に宿舎を後にした戦友たち。

 肉塊と化した彼らの悲痛な呻き声が聞こえてくるような気がして、胃の辺りがカッと熱くなる。

「もう、いい。もう、喋るな」

 それは男に向けると同時に、地に伏す彼らに向けた言葉だった。

 息をしている者はもう居ないというのに、ナギの中で彼らはまだ生きていた。

「今、敵を討ってやるから……っ」

 嗚咽の混じる声に、言うことを聞かない身体に、怒りが込み上げる。

 のろのろ、と立ち上がったナギに、男が満足そうに笑みを深めた。

「ああ、いいね。その顔、とてもいい」

 恍惚とした表情を浮かべて、燃えるように紅い瞳がナギを射抜く。

 ぞわり、と背筋を冷たい何かが這う。

足を踏み出したのは両者同時であった。

「くたばれ! 魔王!」

 ナギの剣が、男を捉える。

 男の目と同じ、紅が宙を舞った。

 鈍い衝撃がナギを襲う。

 剣を振るったのはナギのはずであったのに、いつの間にか、己の大剣に腹を刺し穿たれ、倒れていた。

「ごふっ」

 たらり、と口の端を伝う生ぬるい感触に、ナギは顔を顰めた。

 一瞬の出来事に、痛覚がおかしくなってしまったのか、痛みを感じない。

 死の恐怖が静かにナギを蝕んでいく。

「……君は僕を殺せない」

 悲哀に満ちた声でそう言った男に、ナギは震える手を伸ばした。

「だま、れ」

「ふふっ。おかしな人間だね、君。死に際の言葉が『黙れ』だなんて」

 冷たい掌が、ナギの頬を覆った。

 それが男の手であることに気が付く頃には、ナギの身体は動くことさえままならなくなっていた。

「……さわるな」

 目だけは鋭く、光を失っていない。

 男はにやにやと、人の悪い笑みを浮かべると、ナギの腹に刺さっている剣を勢い良く引き抜いた。

「ぐあっ!?」

「ああ、ごめん。加減が分からなくて、つい力任せに抜いてしまった」

「この……!」

「わざとじゃないんだ。許しておくれよ」

「な、にを」

 男の手が、ナギの腹に開いた穴に触れる。

「君のような面白い人間を殺すのは忍びない。だから、堕ちておいで」

――こちら側の住人魔族になれ。

 魔王の目がそう語っていた。

「いやだ、と言ったら」

「……その身が僕の玩具になることに変わりはない。死を受け入れるなら、僕の命令のまま動く人形になるだけだし、生を選べば、意思を持った僕の剣となるだけ。そう違いはないだろう?」

「どちらにしろ、お前の人形になるんだな」

「それは仕方ないよ。だって、君は僕に負けたのだから。敗者は勝者の好きにされる。昔からの決まりだろう?」

 屈託ない笑顔でそう告げられてしまえば、ナギはもう何も言えなかった。

 身寄りのない自分が死んだところで、誰も悲しまない。

 視界の端に映る死体のほとんどが、身寄りのない戦争孤児で、教会に命を拾われた者ばかりだった。

「……なら、俺はお前の剣となることを選ぼう」

 唇を噛み締めながら、吐き出されたナギの言葉に、魔王は満足そうに笑った。

「おいで、白き甲冑を纏う神の愛し子。僕がその身を全て食らって、新たな命を与えよう」

 あーん、と大口を開けて近付いてくる男の気配を最後に、ナギの意識は途絶えた。


 腹が焼けるように熱い。

 ドンドン、と何度も何度も繰り返しノックするように腹を叩かれている気分になって、ナギは「ううん」と唸り声を上げた。

(……腹を、貫かれて、それで)

 にや、と笑った男の顔が脳裏に鮮烈に蘇る。

「魔王!!」

 鼻息荒く起き上がった、視線の先。

「なあに?」

 こてん、と姿に似合わず子供のような仕草をする男と目が合った。

「ここはどこだ!」

「寝起きなのに、元気だねぇ。まあ、そんなところが気に入ったのだけれども」

「質問に答えろ!!」

「はいはい、まったくちっとも可愛げがないんだから」

 きっと、母親の胎内に落としてきたんだろうね。

 訳の分からないことを言いながら、男はそっとナギの手を引いてベッドから出るように促した。

「ようこそ、我が愛しの魔王城へ」

 バン、と男の手によって開け放たれた窓から、身を刺すように冷たい風がナギを襲う。

 あまりの突風に目を伏せていたナギに、男は小さく笑い声を上げた。

「ゆっくり、目を開けてごらん」

 言われるがまま、緩慢な動作で目を開いたナギは、眼前に広がる光景に息を飲んだ。

 空には青くどこまでも澄んだ波のカーテンがかけられ、地には星屑の絨毯が広がっていた。ここは夢の世界なのではないかと、思わず目を擦ったり、頬を抓ったりしてみるが、眼前の光景は変わらない。

「ど、どうなっているんだ、あれは!」

「すごいでしょう? ここは君たち人間が住んでいた場所の『裏側』にあたる場所。空は地面に、地面は空に。君たちが住んでいる場所とは全て逆になっているのさ」

「へえ」

 あんぐり、と口を開けたまま、外の光景に夢中になっているナギに、男の腕が伸びる。

「さて、我が剣。新しい身体の具合はどうかな?」

「え?」

「君の身体は一度僕に食われ、体内に溶け、新しい身となってから吐き出した。以前より格段に力は付いたと思うのだけれど、何か変わったところはないかい?」

 食うだの、吐くだの、聞き捨てならないようなことをいくつか並べられたような気がしたが、ナギは深く考えることを止めた。

 魔族と人間が相容れないことなど、端から分かっていたことである。

 ふう、と一息吐き出すと、グッと握り拳に力を込めて、眼前の魔王に向かって突き出す。

「ぎゃっ!? ちょっと、何をするんだい! 掠ったじゃないか!」

「悪い悪い。わざとじゃないんだ。力加減が出来なくて」

「まったく……」

 普通の正拳突きを魔王が食らうわけがないと、つい力任せに振るってみたのだが、人間の頃に比べると格段に威力もスピードも増しているようだった。


(今なら、こいつを殺せる)


 不穏な考えが頭を過る。

「だぁから、殺せないってば」

 肩を竦めてそう言った魔王に、ナギはパチパチと忙しなく瞬きをした。

「なっ!? 声に出してなかっただろ!」

「君は僕の配下になったんだよ? それもただの配下じゃない。血の眷属だ。頭の中で考えていることを筒抜けにするくらい、造作もないね」

「……(キモッ)」

「はっはっは、だから筒抜けだってば~」

 さっきの正拳突きの仕返しだと言わんばかりに、頬をこれでもかと引っ張られる。

 赤い跡が残るまで引っ張られた頬を何とか男から引き剥がすことに成功すると、ナギは掌を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返した。

 人間の頃に比べると、少しだけ肉付きが良くなった気がする。

 肌もこんがりと焼けたような色合いになり、昨日までの自分とは違うことをまざまざと感じさせられた。

「それで? 俺はここで何をすれば良いのかな?」

 魔王陛下、と嫌味を込めて彼を呼べば、猫のように目を細めた魔王と視線が交差する。

「その呼び方はあんまり好きじゃあないんだよなぁ……」

「じゃあ、何て呼べば良いんだよ」

「――ヴォルグ」

 燃えるように赤い緋色の目が、ナギを射抜く。

 耳が火傷でもしたように、彼の声を反響させる。

「ヴォ、ルグ」

 言葉を覚えたての赤子のように、恐る恐る音に出した名前は酷く美しく、同時に恐ろしい響きに思えた。

――雷の落胤ヴォルグ

 古い言葉を使っているのか、聞き慣れない音にナギの胸に恐れと同時に高揚が広がった。

音のない者ナギ、か。身体つきと言い、随分と貧相な名前だねぇ?」

「悪かったな。貧相で!」

「ははっ。これは失敬。お詫びに朝食を持ってくるよ。少し待っていてくれ」

 浅黄色の髪を優しく撫でると、ヴォルグは笑いながら部屋を出ていった。

 とても魔王には見えない細い背中を見送り、ナギは再びベッドへと身体を沈める。

「……これは運命か、呪いか。どっちだろうなぁ」

 脳内で翻った銀色の髪を想って、ナギは片手で両目を覆った。

 一度だけ見たことのある父の後姿が、さっきのヴォルグのそれと重なる。

『あの人は、恐ろしく美しい人だったわ』

 母の、優しい声がナギの耳を震わせる。

「すまない、母さん」

 貴女が望んだようには、生きられそうにない。

 そう呟いた、ナギの声は誰に伝わるでもなく異界の風に吸い込まれていった。

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