第6話 焦燥
それからあかりは僅かな荷物を抱えて気遣う母親を振りきって家を出た。
俺の家に向う道中、あかりは自転車の荷台に腰を掛けて俺の腹を力強く抱え込み、背中に顔を埋めていた。
俺の家に付くとあかりは親父とお袋にぴんと背筋を伸ばして頭を下げた。
憔悴してはいるが凛としたその態度に俺は感嘆する気持ちと同時に恐怖さえ感じた。
親父とお袋はそんな俺を無視するかのように諸手を上げてあかりを迎え、新しい家族に歓喜した。
その夜、俺のベッドであかりは横になり、俺は隣に引いた布団で暗い天井を見詰めていた。
夜中。月明かりが差し込んでいた。
空白の意識のなかでまどろんでいたときすすり泣く声が聞える。
俺は起き上がって横向になっているあかりの肩を抱いた。
あかりは俺の手を痛くなる程握り、絞り出すように喉を震わせた。
「・・・。ごめんなさい・・・。ごめんなさい・・・お父さん・・・」
俺は一体何者なんだろう。俺はあかりに何をしてやれるんだろう。俺はこの先、どうなるんだろう・・・。
元気づける言葉も投げかけられないまま、俺はあかりの傍にいてやる事しかできなかった。
それから暫くしてあかりは学校を辞めた。
お袋とあかりの母親とは連絡を取っていたらしく退学の手続きは滞りなく終えた。
母親が夫に内緒で俺の家に来て「あかりのこと、どうかよろしくお願いします」と頭を下げたとき、あかりとごく親しく口の堅い女友達に呼び出され「あかりを泣かせたら承知しないから!」と言われたとき、俺は大人の顔を見せてはいたが俺を蝕む正体不明の何かに内心戦いていたのだった。
自分の中から自分を急き立てる衝動が湧いて来る。
それは手足を震わせ身体の芯を凍りつかせるような不安から逃れたいという本能的な思考に駆られただけなのかも知れない。
「やっぱり俺、学校辞めて働くよ・・・」
しかし親父は首を縦には降らなかった。
「じゃぁ、進学しないで就職する」
それも駄目だと言う。
「なんでだよ。俺だってあかりの為に何かしてやりたいのに・・・。俺だけ温々と学校なんかに行ってらんねぇよ」
「うっせぇんだよ。お前は黙って俺との約束を果たせ。金の事なら心配するな。ガキが3人できたと思えばなんのことぁねぇよ」
何の取り柄もないこの俺が職を求めたところで高が知れている。
あかりの父親とのやり取りが無かったら俺は焦る気持ちのまま突っ走っていたかも知れない。
そしてなにより、あかりの姿そのものが逸る俺の心を抑えつけた。
家に帰ることを許されず、自ら秘密を証さずに学校を辞め、全ての退路を断たられたのにもかかわらず、変わらない態度で俺に接してくれる。
お袋と二人で台所に立つあかりはずっと昔から俺の家にいたかのようにはしゃいでいた。
月明かりが注ぐ俺の部屋で父親に謝りながら泣いたあの日以来あかりは泣き言も言わず、ましてや涙の一つも見せた事はない。
精神的にも経済的にも自立出来ないでいた俺に対して何の蟠りも無く、寧ろ子を産むと言うことが自分の幸せの全てであるかのように喜びに満ち溢れた笑顔で俺を包みこんだ。
「ねぇ、見て」
ある日学校から帰って来るとあかりは俺の前でくるりと回った。
「髪、切ったのか」
腰まであった髪が肩の当たりまで短くなっていた。
「似合う?」
「どうしたんだよ、いきなり・・・」
「なんかね・・・、うん、気分転換」
あかりはもう一度「どう?」と言いながら俺の首に両腕を回して言葉を欲した。
「似合ってるよ」
俺もあかりを引き寄せ、抱きしめて感じた体温。落ちて行くような安らぎ。
「ありがと」
そう言ってあかりが離れた時俺は居たたまれない不安に駆られ、始めて孤独を感じた。
何かをしなければいけない。呑気に学校に行っている場合じゃない。
何かをしなければ俺を蝕む得体の知れない不安が俺を飲み込んでしまう。
俺は親父に「必ず大学には行く。そのかわり・・・」と無理やりバイトする事を承諾させた。
少なくとも忙しさの中で身体を動かしている時には不安や孤独に苛まれる事は無かった。
その代わりあかりと過ごす時間は減った。
学校から真直ぐバイトに行き、夜家に帰ると食事もそこそこに受験勉強に勤しむ。
同じ屋根の下で暮らしているのにあかりとは日に僅かしか会話をしない毎日が始まった。
その間、どんなにあかりが寂しい思いをしていたのかなどと思う余裕も無く、俺は俺自身の不安を掻き消す事だけに集中していたのだった。
ブルー・ライト・ブルー 道人 @mitihito
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