鏡の中の記憶

影山洋士

第1話


また同じ夢を見た。


輪郭が曖昧なゆっくりとした時間。

それは子供の頃の自分の夢だ。

赤いシャツを着て鏡に映っている。鏡の中の自分は太陽を眩しそうにしている。後ろには大人が一人いる。その大人は誰なのか分からない。



ゆっくりと上半身を起こす。


起き抜けに熱いコーヒーを飲みたいところだがそう自由にもいかない。

何故ならここは拘置所で、自分は死刑囚だからだ。目の前を占めるのは殺風景な狭い一室。



俺は三人を殺した罪に問われ、死刑判決を受けた。

しかし俺には人を殺した記憶はない。何故ならば記憶喪失だからだ。

記憶が存在するのは逮捕される直前から。家でぼーっとしているところに刑事達がやってきて逮捕された。しかし俺にはその時から自分の名前も何故そこに住んでいるのかも全然分かっていなかった。


それから後は怒涛の生活。留置所と尋問と裁判。

俺は記憶がないことを訴えたが検察には記憶喪失のフリをしてるだけと捉えられていた。

記憶はないが裁判によると物的証拠も状況証拠も完全に自分が犯人らしい。事件現場近くのコンビニの監視カメラに俺が映っていたらしいし、現場に落ちていた髪の毛のDNAも俺と同じだったらしい。


俺は裁判を「そうなんだ」と他人事のように見ていた。

記憶喪失のアピールも責任逃れと捉えられてしまった。


死刑判決に対しての控訴はしなかった。記憶はないが物的証拠まであるのなら自分がやったのかもしれない。記憶がないので犯行に対して肯定もできないが同時に否定もできなかった。

それに何より、生きなきゃいけない理由が見つからなかった。



日がな一日をぼーっとして過ごす。考えることも特にない。


いや、一つだけあったそれはあの夢のことだ。


あの夢に出てくる子供は自分なんだろう。顔形が今の自分の顔の面影がある。

記憶はなくなっているのに夢は別なんだろうか。しかし見るのは同じあの夢だけだ。


コツコツと足音が響いてきた。「125番、面会だ」 独房のドアの向こうから刑務官の声がした。

面会か。またあの人らか。




ガラスを隔てた向こうには、髭をきちんと剃ってない三十代後半くらいの男と二十代くらいの男がいた。


「よお元気か」椅子に座った三十代の男はぶっきら棒に話しかける。


「話せることは何もないですよ、刑事さん。何回来てくれても」面会というかこれは取り調べだ。


「いやいやなんかあるだろう。思い出したことが」


そうは言っているがこの刑事は俺のことを記憶喪失だとは思っていない。


「なにも思い出さないですね」


「なにも思い出さない……か。それだとこの事件はうやむやになっちまう。そんなのは許されないことだ」


「そうはいっても思い出さないものは思い出さないです」


刑事は苦虫を噛み潰したような顔になった。ずっとこんなやり取りを今まで続けている。


「……本当のことを言えば減刑されるかもしれないぞ。このままだといつ死刑になるか分からない。それでもいいのか?」


「だから何も記憶が無いですから」そう答えるしか出来なかった。



結局刑事達は何の収穫もなしに帰る他なかった。

拘置所の殺風景な廊下を二人が歩く。

「あいつは本当に記憶喪失なんですかね? 自分に死刑が迫ってるかもしれないのに黙ってなんていられるもんなんですかね?」

若い方の刑事が話しかける。


「いや、分からん。俺にもどっちなんだか。しかし話して貰わないと困るんだ、この事件は」



刑事達は去って行った。いつもと同じ調子で。

俺としては何かしら刑事達に貢献してあげたいが何にも出てくるものがないから仕方ない。

嘘の記憶をでっち上げてもいいが結局混乱をさせるだけだろう。もう生きることに執着のない自分にはそんな気力も湧いて来ない。


刑務官がやって来た。

「散歩の時間だ」



散歩、と言っても当然外に出られる訳ではない。拘置所の中庭をトボトボと歩くだけだ。

間に合わせのように植えてある立木とベンチが真ん中にある中庭。四方は高い壁に囲まれている。

いつものようにトボトボと歩く。こんな粗末な環境であっても外は空気が違うし気が和らぐ。

今日は日差しが強い。太陽がまだ高い位置にある。


俺は太陽を見上げ目を細める。あの夢の中の自分のように。


そこで俺はふと気付いた。

太陽を見上げている? 鏡の中の自分なのに?

あれが鏡なら太陽を見上げている時、自分の視界にあるのは太陽の筈。しかし俺の目には見上げている自分の姿が映っていた……。


その時曇りガラスが晴れるように、幼少期の記憶が明晰に現れ出てきた。




◆  ◆  ◆




「調べて欲しいことがあるんです」

俺はいつもとは逆にあの刑事達を呼び出していた。


「なんだヤブから棒に……」

刑事も戸惑い気味だ。


「俺には双子の兄がいた筈なんです。それを調べて下さい」




俺が取り戻した記憶は一部だけ。それも幼少期の記憶だ。

俺には双子の兄がいた。それも一部の期間だけ。夢の中の対面してる人間は鏡の中の自分ではない。ガラスの向こうにいる赤いシャツを着た双子の兄だ。

そう、あれは別れのシーン。あれを最後に会ってはいない。





「戸籍を調べたら本当に居ましたよ。双子の兄みたいです。かなり小さい頃に里子に出されて別れているようです」ガヤガヤとした警察署内で若い刑事が興奮気味に喋る。

「そうか……」先輩刑事が顎を擦りながら応える。

「どうします? また面会に行きますか?」

「いやまだだ。先にその双子の兄を探してみよう」





俺はあれからずっと記憶を呼び戻そうとしていた。暫く期間が経ったが、双子の兄がいたという記憶以外には記憶は戻ってこない。

コツコツと足音が聞こえてきた。

「125番。面会だ」

あの刑事達がやってきたか。


しかし面会場に行くといるのは刑事達ではなく別の人間。それは、タイプの違う「俺」だった。


俺は唖然として棒立ちになる。


「まあ座れよ」その男は落ち着いて言う。

俺と違い、顔や身体は浅黒く、体型はがっしりしている。しかしその顔は紛れもなく俺と同じ顔であることが分かる。


俺は取り敢えず椅子に座った。

「お前は……、兄なのか?」



「その通り」


「何故今まで面会に来なかったんだ。事件はニュースで知っていたんだろう?」


そこでこの「兄」は眉をひそめた。

「記憶はどこまで戻った?」


「幼少期の頃だけだ。あの別れたシーンまで」


「ふーん……」そいつは何かを思案げだ。

「……俺がやってきたのは、俺を探る奴が現れたからだ。調べたらそいつは刑事だった。それで思ったんだもしかしてと」


「もしかして?」


「そう俺は可能性を見つけに来たんだ」


「可能性? よく分からんけど、よく面会に来れたな。親族関係とはいえ簡単ではなかっただろう。何故なら俺は死刑囚だし」


「そんなのは簡単だ。どうにでもなる。そもそもお前を死刑囚に仕立て上げたのは俺だ」



「……はっ!?」意味が分からない。



「あの被害者三人を殺したのは俺だ。老夫婦と仲介者、あいつらは死ぬべき奴らだった」初めてそこで怒りの感情らしきものを出した。


「あいつらは表向きは身寄りのない子供を引き受ける里親だったが、実際は裏で引き受けた子供を売り渡す人身売買をやっていたんだ」


話が読めない。



「お前はそんなことを全然知らなかっただろう。一人で母親の寵愛を受けて育った。それは不公平だ。だから罪を押し付けたんだ」


「えっ! 押し付けた?」


「そうだ」そいつはあっさりと返答する。


なんでそんなことを……、言葉が出てこない。


「まあこのまま放置しても良かったんだが、一つの可能性に気付いてな」


「可能性?」


「お前の記憶を消したのも俺だ」


今度も言葉が出てこない。何を言ってるんだこいつは。


「都合が良過ぎると思わないか? 記憶を失うタイミングが」


「……そうだ、その通りだ。だからこそ誰にも信じて貰えなかった」不信げなあの顔顔は忘れない。


「俺はある能力に目覚めた。他人の記憶をコントロールする力だ。ここに入って来れたのも俺が警察関係者だという記憶を刑務官達に植え付けたからだ」


「……」


「対象の人間の目を見て、強い言葉で植え付ける。それがその方法だ」


ついていけない俺をそいつは完全に置いていく。


「俺はチャンスをあげに来たんだ」


「チャンス?」


「そうだ。俺の思っていた通りならお前はここから出て行ける筈」


「出て行く!? 死刑囚なのに?」


「じゃあな。もう言うべきことは全て言った。後はお前次第だ」

そいつはそう言い残し、あっさりと面会室を出ていった。




真夜中、拘置所の部屋の中でずっと考えていた。


「他人の記憶をコントロールする力。チャンス……」


そして俺は俺に起こったこと、俺が起こすべきこと、全てを理解した。





◆   ◆   ◆





その後、とある死刑囚が拘置所内で自殺をしたというニュースが巡った。しかし不思議なことに自殺した死刑囚の死体がどう埋葬されたのか、それを知る関係者は誰もいなかった。




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