第18話 塩商人ギルドの朝は早い
※視点が変わります。ご注意ください
塩商人ギルドの朝は早い。日が昇るとすぐに店開きの準備を始め、客が目を覚ますと同時に、塩の販売を開始する。そんな塩商人ギルドの長、針金のようにピシっとした背筋で立つ男は、名をアルフォードと言った。
アルフォードは部下に開店準備を指示し、自分は自室で目覚めの紅茶を口にする。紅茶の優雅な香りはフランク王国の商人から買った高級品だ。一杯で銀貨一枚が飛んでいく紅茶を口にしながら、今日の予定を頭の中で組み立てた。
「割れない杯が手に入る。さらに上手く立ち回ればインダスの塩も。今日は人生最高の一日になりそうだ」
インダスの塩は現物を見た訳ではないので本当に存在するか確証はないが、割れない杯の例がある。あの男なら持っていても不思議ではない。そうなればまた脅し取れると、アルフォードは口角を歪めた。
「アルフォードさん、大変です!」
「どうしたんですか、騒がしいですね」
アルフォードは優雅な一日の始まりを台無しにされたことで、語調を強くする。だが彼の怒りなど気にせず、男は言葉を続ける。
「し、塩の価格が暴落しましたっ!」
「馬鹿馬鹿しい。そんなこと起こるはずがないでしょう」
塩は生成するのに手間がかかるし、販売するには塩商人ギルドの許可がいるため、値段の調整もギルドの気持ち次第なのだ。そのため値が崩れることのない安定した商品なのである。
「アルフォードさんも、あの光景を見ていただければ分かると思います」
「見ずともあなたの口から説明してくださればいいでしょう」
「それは……アルフォードさんが信じないと思います。私もまだ信じられませんから」
「なんだというのですか、まったく」
アルフォードは部下に連れられ、塩商人ギルドを後にする。石畳の道を歩き、たどり着いた先は、商業都市レリックの中央にある広場だった。普段なら何もない丸い空間が大きく広がっているだけだ。だが今朝の光景は違った。
「は、ははっ……な、なんですか、これは……」
崩れるようにアルフォードは倒れこむ。目の前の景色が信じられず、目尻には涙まで浮かんでいた。
「塩の山ができているんです」
「それは見ればわかります! なぜ! 誰があんな真似を!」
塩の山には大勢の市民たちが群がり、欲するままに塩を拾い上げる光景が広がっている。塩は高級品だ。大量の塩をばら撒くことに何の意味があるのか、アルフォードは理解できなかった。
「塩商人ギルドの誰かですか?」
アルフォードが犯人として最初に思い浮かんだのが、塩商人ギルドのメンバーだ。彼らなら塩を扱っているため、大量の塩を手に入れることは可能だ。もちろんなぜこんなことをしたのかまでは分からないが。
「アルフォードさん。それは違うと思います。見てください、この塩。不純物が一切ない真っ白な塩。こんな高品質の塩、ギルドの誰も持っていません」
部下の男が塩の山から拾ってきた塩を見せる。サラサラとした塩には見覚えがあった。
「まさか、あの男が……」
「何か心当たりでもあるんですか?」
高品質の塩を大量にばら撒く理由で起こり得る結果はただ一つ。塩の値段の暴落だ。なにせ店で売られている塩より品質の良いモノがタダで手に入るのだ。誰も金を払って購入するものなどいない。
「私に復讐するためだけにこんな馬鹿げたことをしたのか!」
アルフォードは既にそうとしか思えなくなっていた。
「必ず後悔させてやる!」
アルフォードは近くにいた憲兵二人に声をかけ、三名で事件の主犯である新庄の元へと向かう。
「まだです。まだ私には割れない杯がある」
割れない杯を奪い取り、製造方法を拷問してでも聞き出せば、塩商人ギルドの次の目玉商品ができあがる。そうすれば塩が値崩れしても塩商人ギルドは再起できる。自分を敵に回したことを許さないと、アルフォードの表情には、怒りの形相が張り付いていた。
「随分と豪華な宿に泊まっているのですね」
宿は周囲の建物と比べても一際大きな建物で、宿屋というより貴族の別荘のような趣である。宿屋の入り口には美丈夫の石像や、瀟洒な陶磁器などが置かれている。
「あの男、どうやらかなりの商売人のようですね」
アルフォードは新庄のうだつの上がらない風貌から、ちんけな旅の商人だと思っていた。だが冷静に考えれば、インダスの塩や高品質な塩を簡単に用意できるのだ。並の商人であるはずもない。
「さぁ、いきますよ」
アルフォードは宿屋の店主に犯罪人がいることを一言告げて、新庄の居場所を尋ねる。店主は引き攣った笑顔を浮かべて、彼が二階をワンフロア丸ごと借りていると口にした。
「あの人がなにかやらかしたんですか?」
「お前には関係のないことだ」
「あ、ちょっと……」
店主の静止を無視して、アルフォードは階段を昇り、勢いよく、新庄のいる部屋の扉を開いた。
「さぁ、割れない杯を受け取りに――」
アルフォードは息を呑む。後から入ってきた憲兵二人は室内を見渡すと、勢いよく外に飛び出ていった。自分も逃げなければと思うが、膝が笑って動けない。
アルフォードの前には新庄と、ヴァイキング姿の屈強な男、数十人が仁王立ちしていた。
全員顔や腕に切り傷を負っており、歴戦の勇士であることが見て取れる。
「そこに椅子があるから座れよ」
「けっ、けっ、結構です」
「どうしてだ? この落としても割れない杯を受け取りに来たんだろ」
「いえ、もう結構です。まさか、あなた様がヴァイキングだとは思わなかったもので」
額に浮かぶ玉の汗をアルフォードは必死に拭う。膝の笑いは止まらないし、目尻には涙も浮かんでいる。失禁しないのが奇跡だった。
「俺がヴァイキングだと知ったら、随分と態度が変わるんだな」
「そ、それはもう、天下のヴァイキング様ですから」
アルフォードは憲兵隊に金を渡しているため、多少の便宜は図ってもらえる。だが凶悪で名高いヴァイキングたちと憲兵隊が戦ってくれるかと云えば、答えはノーだ。当然自分の力だけでヴァイキングたちと戦うこともできないのだから、アルフォードが取るべき手段は一つだけだ。
「すいません、勘弁してください」
「俺から割れない杯を奪い取ろうとしただけでなく、塩も無理矢理奪い取ったくせに、お前の謝罪は口だけなのか?」
「い、いえいえ、滅相もない。以前頂いた塩も割れない杯の代金も、きちんと正規の値段で買い取らせていただきます」
「もうそんなものはいらないな」
「では代わりのモノ、例えばそう。美人の奴隷はどうですか? 他にも貴族ですら羨ましがる宝石などもございますよ」
アルフォードは必死に媚びを売る。眼前の太った男の判断で自分の生死が決まるのだ。靴を舐めろと云われれば、必死に舐める覚悟でさえいた。
「すべてだ」
「全部とは美人も宝石もということですか?」
「違う。まさしくお前の持つモノすべてだ。資産はもちろん、塩商人ギルドの権利ごと俺に寄越せ」
「なっ……」
あまりに法外な要求にアルフォードは唖然としてしまう。なんとか言い訳を考えるべく、頭をフルで回転させる。
「わ、私がいきなり塩商人ギルドの権利を譲り渡せば、周囲のモノは不審がります。せめて引き渡しは十年後にしていただけませんか」
「駄目だ。十年後だと遅すぎる。すぐに寄越せ。それに急に経営者が変わる問題は誰も不審がらんさ。なにせ塩の値段が暴落したんだ。ギルドの権利を投げ出すのも不自然ではない」
「で、ですが、ですがっ! 塩商人ギルドは私のすべてなのです。資産はすべてお渡ししますので、せ、せめて、塩商人ギルドだけは勘弁して貰えませんか」
「どうやら俺の優しさを分かっていないようだな」
「や、優しさですか?」
「本来なら俺はお前を殺す権利がある。当然だ。してもいない罪を着せられて、塩をだまし取られたんだからな。そこを身ぐるみ剥ぐだけで許してやろうというんだ。俺って優しいだろう」
新庄の言葉を無理矢理同意させようと、屈強な男たちから決断を急ぐ声が飛んでくる。アルフォードは必死に窮地を脱する方法を考えるが何も思いつかない。
「命よりも大切なものはない。答えは決まっているだろ」
「し、塩商人ギルド……」
「なんだって? 聞こえないぞ!」
「塩商人ギルドも資産もすべてお譲りします。なので命だけはどうかご容赦をっ!」
アルフォードにとって人生最高の一日は人生最悪の一日として終わりを告げたのだった。
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