第28話 君の忘れた時間と



「あれ、僚哉どこいくの?」

「僚哉君?」

「あ、ちょっと。」


 おいおいおいおい。

 いやいやいやいや。

 マジで?何でここにいんの!?

 もしかして、家通過した時についてきた、とか?だとしたら家に張り付いてたの?そうまでするか?


「ワッケわかんねぇよ……!」


 俺一人、皆から離れて兎に角走る。

 家族を庇うような様子を見せれば家族まで標的になる。俺一人身勝手に逃げれば、ついてくるんじゃないか。

 咄嗟に、そう思ったのだ。

 しかし、ベストな選択としては知らないフリをする事だった。奴等の顔を見た瞬間、俺は気付いてしまった。そして顔に出してしまった。こうなったら一先ず逃げるしかない。

 後ろを振り返る余裕はない。というか、振り返りたくない。が、きっと追ってきている事だろう。

 端の階段に繋がる少し細い道を曲がり、そのまま階段を駆け上がり、はせず、トイレに駆け込む。


「……っし。」


 きっとこれで、俺は上に逃げたものと思って──


「はぁ……はぁ……ちょ、僚哉くーん?お腹痛いんですかー?」

「!?」


 トイレの外から響くそれは、紛れもなく麗華の声。


「お、前!何で──!」


 兎に角黙らせないと。仕方ないからトイレに連れ込むか。

 そう思って急いで外に出たが、既に手遅れだった。

 例の二人組が、もうすぐそこまで追いついていた。


「え……?え?何?どしたの?」

「ぅー……ああもう!ちょっと来い!」


 最早逃げ道は無い。トイレなんかに入った俺が馬鹿だった。袋のネズミだ。

 何か、何か武器になるもの。トイレットペーパーはありえねぇし……


「お!これなら……」

「ねえ僚哉君、どうしたの?何か……マズイの?」

「最高にマズイの。」


 掃除用具入れにあったモップ。これが現状一番使い勝手が良いだろう。それを構え、出入り口に向かう。

 来るな。俺の見間違い、勘違いであってくれ。

 しかしその願いも虚しく、二人は這入ってきた。

 誰かからストローで栄養を吸われたような細身と、誰かからストローで栄養を吸ったようなデブの、二人。

 二人はこちらを見るなり脅すでも恍けるでもなく、ただ黙って俺を見据える。


「なぁ、何でバレてんねやろなぁ?」


 呆けた面でそう言ったデブは、ポケットに片手を突っ込む。

 その手、ポケットから出てくると黒い何かを握っていた。

 男はそれを俺に向け──


 玩具とは比べ物にもならない、鼓膜が破れそうな程の破裂音が響いた。


「ぇ……ぁ?」


 その破裂音と共に射出された鉛は空気を切り裂き。

 俺を突き飛ばした少女の腹部にのめり込んでいた。


「ぁ、り」

「あ?なんやコイツ」


 倒れた少女の胸に、もう一発鉛玉が撃ち込まれる。

 少女は、それ以上喋らない。


「え、ちょと、おい、麗華……」


 俺は、何が起きたのかも理解できず。

 何も行動できず。

 そのまま睡魔に、襲われる。








「じゃあ欲しいのじゃんじゃん入れてね!うちも食料品くらいしか見ないから。」


 いやいや。


「えっ、いやそれは……」

「いいからいいから!」


 いやいやいや。

 拳銃って、おい。

 そんなの、アリかよ。おかしいだろ。どうしろっつーんだよ。


「僚哉君?どうかしました?」


 俺一人だけ足が止まっていたらしく、それに気付いた麗華が振り返る。

 俺はまた、コイツに助けられてしまった。麗華は、瞬時に俺を突き飛ばした。俺は何も出来なかったというのに。


「ちょっと、トイレ。」


 それだけ言って、皆から離れる。これなら麗華もついてこないだろうし、何より今回は奴等と目を合わせていない。


「流石にキャパオーバーだわ。」


 相手は拳銃を持っている。しかし、そこをうまく使うことだって出来ないだろうか。


「110で、良かったよな……。」


 拳銃を持っている。それさえ証明出来れば、即刻逮捕できる。ここは、警察に頼ろう。

 ショッピングモールに拳銃らしきものを持った二人組がいる事。

 その二人組の特徴、服装。場所。

 それだけ言って自分の情報は出さずに電話を切る。非通知といえど調べればバレるのだろうけど、それでもなるべく関わりたくない。


「お、兄ちゃん早かったなー。いきなり立ち止まるからお腹痛いのかと思ってた。」

「や、別にそうじゃねぇよ。」


 電話を終えて合流すると、翔太がカゴに菓子を大量に放り込んでいた。『お姉さんの分も』らしい。お姉さんじゃねぇよ。

 後ろは、振り返らない。きっとついてきているが、目が合えばまた同じだ。


「豚肉?じゃあこの一番大きくていいのを……」

「いえいえ!そんなに食べられないです!女二人ですし!」

「えー麗華ちゃんうちで結構食べてたからイケるでしょぉ〜」

「ぐっ……」


 俺の電話から十五分ほど経ったかどうかの頃、事態は急速に動いた。


「すみません、私こういう者ですが。」


 豚肉を前にウロウロする我らに声をかけてきたのは、三十くらい男。服装はジーンズにジャケットと普通の私服だが、その内ポケットから僅かに警察手帳を覗かせていた。

 男はさも古い友人に会ったかのようににこやかに笑い、時に後頭部を掻いたりしながら表情に全く合わない台詞を吐く。


「落ち着いて聞いてください。危険人物の通報が入りまして、只今避難誘導をしています。ついてきて頂けないでしょうか。」


 恐らく、他の買い物客も警官が同じように誘導しているのだろう。

 しかし、彼らは知らなかった。

 その危険人物の目標は俺で、俺しか見ていない事を。

 突然、鼓膜を直接突くような甲高い炸裂音が響く。

 そして一拍遅れて木霊する悲鳴、警官達の怒号。

 犯人達はやけくそになったのか近くの人間を手当たり次第に撃ち始める。振り回される二丁の拳銃から射出された弾丸は理不尽に、不条理に、子供を、大人を、男を、女を、襲っていく。


「いっ……てぇ」

「翔太!」


 その内の一発が翔太の腰に命中、翔太はその場で倒れ込む。

 犯人は既に取り押さえられていた。その周りには、沢山の肉体が転がっている。うめき声を上げる者もいれば、ピクリとも動かない物もある。


「ああくそ……なんで、なんでこう……」

「僚哉君……これって……」

「……そうだよ。」


 これは、俺が招いた事態だ。奴等の目的は俺。俺のせいで、人が死んだ。


「僚哉君、話してください。お願いします……!」

「もう、無理だよ。どうしようもねぇ。これ以上マシな解決なんて、ねぇよ……。」


 死者は出ている。だが犯人は取り押さえられたし、翔太だってきっと致命傷ではない。

 だから、もう俺はこれでいいんだ。

 これでいいから、頼むから。

 この睡魔を、誰か取り払ってくれ。






「じゃあ欲しいのじゃんじゃん入れてね!うちも食料品くらいしか見ないから。」

「えっ……あ、す、すみません。」


 結局、また。

 やり直しかよ。

 なんだ、あれじゃ駄目なのか。自分が無事で、家族も無事で。麗華だって、無事で。

 それじゃ、駄目なのか。


「私、僚哉君と適当に見てますね!」

「あら、そう?ごゆっくり〜。」


 麗華に手を引かれ、食料品売り場に突入する。


「何だよ。」

「ほら、話してください。今回くらいは、私にも手伝わせてください。」


 今回くらいは?

 そっか。

 トラックの時に一緒に行動したのも。

 俺の死を回避するために麗華が奔走したのも。

 今の麗華は、覚えていない。今の麗華は、自分は何もしていない、なんて思っているのか。


「お前は、十分手伝ってくれたよ。でももう限界なんだ。」

「ここで、何度もあれが起きたんですか?」

「いや、あれは初めてだしここも来たばっかだけど……」

「じゃあ、やってみなきゃわからないじゃないですか。」


 やってみなきゃわからない、か。実際、前々回は俺がトイレに駆け込んだせいで失敗した。そして前回は、被害者は増えたものの俺にとってはマシな結果になった。大いなる進歩だ。


「まぁ、それもそうかもな」






 前回の経緯のみを麗華に話し、同じように警察に連絡し。そして今回は俺と麗華のみ別行動。暫くすると先とは違う警官が俺の家族に話しかけていた。

 それが、開始の合図だ。

 麗華と二人、お菓子コーナーに曲がる。二人が少し早足で追いかけ、同じ場所を曲がったタイミングでは麗華は既に居なく。


「よーしいいよ!」

「はい!」

「!?」


 俺の掛け声と共に、麗華が横から陳列棚を押し倒す。


「──なっ、うわっ!」


 デブの情けない声と共に、棚と商品の崩れる音が響く。それに反応して、警官も走ってくるだろう。

 デブの構えた銃口がこちらに向く前に、一度麗華の側に回って反対方向に離脱──する筈だった。


「待てオラァァ!!」


 少し大きな騒ぎを立て、後は駆けつける警官に任せる。彼らならきっとチョッキも装備してくるだろうし、大丈夫だ。

 そういう、作戦。

 詰めが、甘かった。

 反対側では、棚の直撃を受けなかった細身の男が銃を構えていたのだ。

 そうだ、前回、二人共拳銃、持ってたもんな。


「そ……ぁ」

「──ッ!」


 間一髪だった。

 男が引き金を引く前に、麗華に渾身のタックルを仕掛ける。


「り……僚哉君!」


 間に合った。間に合ったんだ。

 やっと、麗華を守る事ができた。

 数多くの恩のうち、僅かでも返す事が、ようやっと出来た。

 だが、これではまた、やり直しじゃないか。


「僚哉君!僚哉君!!」


 麗華の悲痛な叫びが、だんだんと薄らいでいく。








「じゃあ欲しいのじゃんじゃん入れてね!うちも食料品くらいしか見ないから。」

「え、ホントですか?すみません。」


 そっか。

 この時間に、戻ってくるんだ。


「私、僚哉君と適当に見てますね!」

「んお、あ?」

「あら、いってらっしゃ〜い」


 僚哉君の手を引いて食料品売り場に突っ込むと、途中で手を振り払われる。


「ちょっと、どしたの?何かあった?」

「本当にありがとう……って、お礼を言う事なんですかね?身を呈して命を守られたのなんて初めてです。」

「……は?何の事?」

「えっと、いやだからさっき……」


 ってあれ。

 もしかして。

 覚えてない?

 今度は、僚哉君が忘れちゃったの?


「あ……もしかして、俺忘れてる?って事は、あー、そゆこと……」

「えっ……と、そう、かな。」


 もしかして。

 記憶を無くすのは。

 死んじゃった時、なの?



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