第25話 わすれても
「ほわぁ〜……」
つい、気の抜けた声が漏れる。あくびじゃないんです。
某箱根の、某温泉旅館。両親は俺の突然の願いにも対応してくれて、更には俺に気を遣って別の部屋を一室借りてまでくれた。誠に申し訳無い。
が、いらぬ気遣いまであって。
「ん〜いいですねえ……いいですね!」
どういう訳か、麗華までついてきやがった。うちの母親と既に連絡先を交換していたらしく、そこからコンタクトを取ったらしい。
くそ、麗華の記憶が消えて俺にひっつきまわる事は本来なくなった筈なのに、どっかの誰かが手を切り刻んだりするからまーた麗華は心配して俺にくっついている。
にしても、一泊の温泉旅行とかついてくるか!?
「折角来たんだし温泉入ってこいよ。俺は部屋で済ますから」
「んむぅ……僚哉君は行かないんですね……じゃあ私も部屋で済ませます」
「いやいや、勿体無いだろ」
結構な傷の割には風呂には入っていいらしく、少し怖いが恐る恐るシャワーは浴びている。しかしこの縫い傷を見せびらかして大浴場に行く気はない。だが、麗華まで俺に合わせることはないのに。
「別に俺に気遣わなくていいんだよ?」
「なんですか、僚哉君は同じ部屋のシャワーで私が裸になってたら理性を保てないんですか?」
麗華はニヤつきながら俺をからかう。お前あれだぞ、そういう事あんまり言うと、あれだぞ。あれだかんな。
「そういう話じゃなくてだな…」
「いいんです。私、温泉とか大浴場とかあんまり興味ないので。」
「だったら……」
なんでついてきたんだよ、と言えば、間違いなく俺を心配してだろう。もしくは俺を心配する母を見兼ねて、か。情けない。
「私、先入っちゃいますねー」
「はいはいどうぞ」
取った部屋は二つ。一つがここ、俺と麗華。もう一つは両親と弟だ。翔太が留守番する、なんて言い出したらどう説得したものかと思ったが、普通についてきてよかった。
出発したのは夕方。父と弟の早めの帰宅を待って出発、という話だったのだが、そこにちゃっかり麗華もいたという訳だ。
まぁ、今回の旅行の目的は家族を家から離す事だし、何も覚えていないから危険はないとはいえ麗華も手の届く所にいるというのはある意味良い事かもしれない。
「はぁ……」
なんとなく、窓の外を眺めてため息が漏れる。
外はもう暗くなり、その中を静かに川が流れている。たまに吹く風が木々を揺らしたり、宿へ帰ってきた旅行客がのんびり歩いていたり。
「ずっとこんな感じなら、いいのになぁ……」
帰りたくない。こののどかで平和な雰囲気を、永遠に味わっていたい。
本当に、いつからこんなにも平和が恋しくなったのだろう。
「………なきそ」
「元気ないですね、僚哉君」
「ん、ああいや………………おい」
独り言に返事が来てはずかし!と振り返ると、当然だがその声の主の麗華が立っていた。のだが。
彼女はタオル一枚を纏っただけの、実に無防備な格好だった。
濡れてまだ乾かない髪は艶っぽく、こちらに寄るにつれてシャンプーの良い香りがほのかに漂う。……じゃなくて。
「頼むから、頼むからやめてくれ」
「え〜〜、僚哉君なんだか元気ないし、こうすれば元気出るんじゃないかなぁって……あれ、本気で目反らしてますね。なんですか!そんなに嫌でしたか!」
「別に、そうじゃなくて……まぁ、兎に角今はよしてくれ」
そんなんで元気出ると思ったのか。確かに普段の俺なら元気になるだろう。「おいおい、よせって」とか格好つけつつ、さり気なくその肢体をガン見していただろう。
だが、今は違う。その露出を少しでも見るだけで、嫌な思い出が蘇る。忘れてはいない。忘れようとしていた記憶が、鮮明に蘇ってしまう。
あの男に服を脱がされた麗華を。
麗華を殺した、自分を。
幸い、手は沢山の糸の違和感のお陰であの感覚を思い出しはしていない。
「ちょっと、そこまでされると流石にっ──」
「本当に、頼む。」
「わ、かりました……。」
本気で頼み込むと、腑に落ちないという顔をしつつ麗華は洗面所に下がる。そしてさっさと浴衣に着替えると。
「じゃ、何しますか!」
「何って?」
「何って?じゃ、ないですよ!折角のお泊りなのにこのまま寝るとか言わないですよね!」
確かに、わざわざ宿まで取って、明日も休みだというのにここで寝る筈が無い。けどまぁ、その前に。
「えっと、先にシャワー浴びていいすか」
「あ、そうですね。そしたら遊びますよ!」
麗華はなんだか、普段よりも数段テンションが高かった。
「やっと出てきましたか!トランプもウノも持ってきましたよ!どっちやりましょ?」
シャワーを済ませると、待ちくたびれたと言わんばかりに麗華が声を張る。
「二人でウノはねぇだろ……二人でトランプねぇ……スピードでもやる?」
「スピード、できるんですか?」
できるんですか?は、「ルールを知ってるんですか?」ではなく「その手でできるんですか?」だろう。見た目傷自体は塞がっていても酷使すればすぐに開いてしまうから、本来の力は見込めない。
「でもまぁ、お前相手ならハンデにも足りねぇだろ」
「な、なんですかそれ!バカにして!やってみなきゃわからないでしょ!」
「やってみなきゃって……」
ああ、そっか。
コイツは、俺とスピードしたの、覚えてないのか。
麗華がスピード激弱だという事を俺は知っていて、それを麗華は知らないんだ。
初めからじゃないけど、やっぱり色々失ってるんだな。
麗華も、同じ思いをしたのかな。
「フン……いいだろう。ならば『やってみせろ』!」
「おお、思ったよりやるやん」
「勝者の余裕ですか!ムカつくからやめて下さい!」
別に遠回しな煽りではない。事実、麗華の忘れた頃の勝負よりも、麗華は遥かに強かった。それでも弱かったけど。あの時は相当眠そうだったし、それで大幅に弱まっていたのかもしれない。
とはいえ、今だってあの時の麗華は船を漕ぎ始めるに十分な時間だ。それなのに麗華は眠る様子どころか眠たいという雰囲気も見せない。あの時は特に眠たかっただけで、そもそもはそこまで夜が弱い訳ではないのかもしれない。
まあ、弱かったけど。十戦十勝したけど。
「まぁ、弱いけどな。」
「んむーーー!!」
フン、と鼻で笑うと同時、麗華が掴みかかってくる。
「おわやめろ!今の俺は肉弾戦に弱いんだよ!」
「さっきから馬鹿にして!今弱いなら今がチャンスですね!」
「何とかゼミみたいに言うな!!」
飛び込んでくる麗華を手で止める訳にもいかず、抱き合う形になってそのまま敷いた布団に倒れ込む。
だから、あんまり露出を見たり接触したり、したくないのに。
と、思っているとそれが顔に出ていたのか麗華は眉をひそめて、俺の腹に顔を埋める。
「私とくっつくの、そんなに嫌ですか」
「別に、嫌って訳じゃ……」
「嫌がってるじゃないですか。本当は付き合ってないからベタベタしたくないんですか?それなのに私がグイグイいくのが鬱陶しいんですか?」
「そうじゃねぇって」
麗華は「それとも」と言うと俺の腹に埋めていた顔を上げ、まっすぐにこちらを見て。
「私、まだ何か忘れてますか?また何か、忘れてますか?」
「…………」
「お母さんから聞きました。手、自分で切ったって。」
おい、話したのかよ、おかんめ。彼女なら救いになるかも、とでも思ったのか。
「そんなに追い詰められる理由なんて、滅多にないですよね。また、何か起きてるんじゃないですか?一人で抱え込んでるんじゃないですか?」
「……俺は、お前とくっついてる事を気持ち悪がってるんだぞ。そんな風に思ってる男なんかとくっついてんじゃねぇよ。」
麗華はまた、言う。一人で抱え込むなと。私を頼れと。
駄目なんだよ。お前一人増えた所で、実際に駄目だったんだよ。
「家族に話せないのは当然ですよね。でも、私になら理由を話せませんか?唯一同じ境遇の私なら、信頼して貰えませんか?」
「男は狼、なんてよく言うけどさ、正しくは蛙だと思うんだよ。蛙って誰かれ構わず交尾するらしいぜ」
気持ち悪がっている、だけじゃない。俺は一度、麗華を殺したのだ。俺に麗華と抱擁する資格はない。
麗華と抱擁するのに資格が必要なのかどうかは別として。
「私が忘れた時に、私と何かあったんですか?私、何か嫌な事しましたか?覚えてないけど謝ります。ごめんなさい。」
「ごめんなさいじゃねぇよ。何で謝ってんだよ。謝んのは、俺の方だろ」
あれ、俺、何言ってんだよ。さっきから意味不明な事言って誤魔化そうとしてたのに、何急に素直になってんだよ。
「いいえ、謝ります。僚哉君が話してくれないのはきっと、私が信用に足らないか役に立たないからですよね。」
「ああ……違う、違う、信用に足らない訳ないだろ。役に立たないのは、俺が役に立たないって言って、そうして突き放してるだけだ。」
結果は残念だったが、麗華は俺を思って奔走していた。そもそもそれが無ければ、俺は速攻で死んでいるのだろう。繰り返した麗華がいたからこそ、今の俺がいる。皮肉ではなく。
「役に立たないなら、頼らなくていいです。話したくないなら、話さなくていいです。でも、信用してくれてるなら、心くらいは許して下さい。」
「そんなの……そんなの、生意気すぎるだろ」
麗華と触れ合う肌が。温もりが。
心底不快だったそれが、いつしか嬉しく、恋しく、離れ難くなって。
「隠してもいいから、嘘はつかないで下さい。突き放されると、寂しいです。話さなくていいから、離れないで下さい。僚哉君が信じてくれるなら、私も信じます。」
触りたくない、が、離したくない、になって。
「勘弁してくれよ……」
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