第21話 また、こわれ
あーね。
なるほど。
そゆことですか。
そう考えれば、全て辻褄が合う。
母と弟を殺した輩、俺は恐らくアレに、一度殺された。そして俺は記憶を失い、麗華だけがその記憶を有した状態で時間が巻き戻った。
なんの前兆も無かった襲撃にあそこまで神経質になり、終いに俺の家族が殺された時あれだけ責任感を感じていたのは、麗華だけがその未来を阻止する事のできる存在だったから。
少なくともアイツ自身はそう考えていた。
死んだ俺が記憶を失っていたのを見て、かつての自分も一度死んだのだと悟ったのかもしれない。
そして恩返しのつもりで俺を救おうとした、のかもな。
「律儀なこったなぁ……」
律儀だ。
律儀で。いい子で。優しくて。
「うっ……」
そんな人を、俺は殺した。
麗華の意識は既に飛んでいたから、苦しくはなかった、と思う。
ただそのせいでいつ死んだのかわからないから、時間が巻き戻るまで思い切り首を絞めて、殺した。
「ぶ……ぉ、ぅ、ぇぇ」
急いでトイレに駆け込み、昼間腹に入れた物をひっくり返す。
こんなことになるなんて一ミリも思っていなかった俺が、麗華と一緒に取った昼飯。
麗華を殺した事に後悔がある訳ではない。あのまま奴らの好きにされるくらいなら、その前に俺が殺した方がいい。
麗華もそう思うだろう、なんて言わない。麗華がどう思おうが、俺がそうしたかった、されたくなかっただけだ。
ただ、麗華を殺した理由なんて関係ない。殺した相手が何も覚えていないのをいい事に『かわいい彼女が見たくて』なんて白々しくも戯けて、何もなかったように話して。
それが兎に角、気持ち悪い。
「……っ……っあー……ちょっとすっきりした」
腹の中の物全て吐き出したら幾分かすっきりした。しかし出したお陰で腹が減る。薄情というか、生きる事に執着の強いカラダ様だ。そんなに生きたいのならあの糞共を叩きのめす秘められし力でも解き放ってくれよ。
帰ったらなんか食うか、また吐き出すかもな。
そんな風に考えながらトイレを出ると。
「りっ……僚哉君……」
「……」
待ち構えていたかのように、麗華が立ちはだかっていた。
やめろ。やめてくれ。お前の前でゲロ吐く姿なんて晒したくない。ああでも、今吐いたからもう出ないかな。
「すごい顔色悪い……大丈──」
「やめっ」
駆け寄って頬に当てられる麗華の手を反射的にはたく。
そんなに優しくされたら、俺はまた白々しく受け応えてしまう。中身は無くても胃酸はあるし、胃酸だって無限大じゃあないんだ。勘弁してくれ。
「ど、どうかしたんですか……?」
「何でもねぇよ。早く部活行け」
お前今日部活行くんだろ、馬鹿。ちょっと顔色悪い知り合いになんて構ってねぇでさっさと行けよ、馬鹿。
「……体調、悪いんですか?無理しないで、下さい」
「違うから。何でもないから。」
やめろやめろやめろ。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。頼むから、これ以上俺をクズにしないでくれ。
「でもっ」
「うるせぇよ!」
一歩近付いてきた麗華の肩を軽く突き飛ばし、廊下を走る。
うるせぇ。何でもねぇっつってんだろ。構うな。くっつくな。お前がいるから具合が悪くなるんだよ。
あー、くそ、やめろ、吐くのって疲れるんだよ。
『何やこいつ』みたいな目で俺を見てくれていい。それで離れていってくれ。
なのに、それなのに。
どうしてそんな、悲しそうな目で俺を見るんだ。
麗華を振り払ってさっさと電車に乗り、一人で帰る。
しかし、俺一回死んでる説が事実となると犯人は俺自身の仇でもある。変な感覚だ。
今回で方をつけたい所だが、いやはやどんな手を使おうか。麗華は記憶を失っているから頼ることは出来ない。
「まずは……帰るか」
今日は寄り道をせずに、遠回りをして。
最初、麗華は相当取り乱していた。俺は今日まっすぐ帰ると死ぬんだろうか。それとも明日か、明後日か。
俺がいつどうやって死んだのか、言ってくれれば良かったのに。
なんて。
自分だって言わなかったくせにな。
アイツもおんなじ風に思ったのだろうか。それも今となっては、わからない。
「たーだいま」
家について帰宅の挨拶をしても、返事がない。いつもなら『まだ誰も帰ってないのか』と思うだけ、というか結果的には今もそうだったのだが、しかし返事がないだけで不安になってしまう。
さっき戻したから腹減ったな、何か食うかと何気なく、癖で床下収納を開けて。
「ラーメンは……暫く食いたくねぇ……」
ラーメンは俺にとって人生で初めて大切な人を殺しながら吐き出した物。軽く…いや、結構重くトラウマだ。向こう一年は食えないかもしれない。
残った米があったからそれでお茶漬けを作る。作る、と言っても粉とお湯をかけるだけ。消化も良さそうだし、今のからだには丁度いい。
「ただいまー……あ!兄ちゃんずりぃ!」
「かえりー」
スマホで適当に動画を見ながらゆっくり食べていると殆ど食い終わった頃に弟が帰宅する。
「俺「自分で作れ」
「なんだよ!まだなんも言ってないだろ!」
何も言ってなかったが言おうとしてた事は同じらしく、翔太は手を洗うと台所に直行する。そしておもむろに床下収納を漁り。
「これぇ〜食うぅ〜」
「あっそ。じゃ。」
取り出したるは、即席ラーメン。即席ラーメン君には申し訳ないが今はにおいも嗅ぎたくない。幸い今は吐き気がないが、においでも嗅いだらきっと再来するだろう。
「あー、やべ……」
俺の部屋。
即ち、殺人現場。
犯人、俺。
部屋を見ただけで、蘇る。
太った男が、そこにいて。
痩せた男が、そこにいて。
その辺に俺のゲロが撒き散らされて。
麗華がそこで気絶していて。
俺はそれに馬乗りになって。
「あーもうやめろ」
また、手が感触を思い出す。
たった少しだけ力を加えただけで簡単に指が沈み込み、しかしその割には簡単には刈り取らずじわりじわりと命を奪う感触。
「あー、クソ、クソ、クソ」
何に対する『クソ』なのだろう。きっと、こんな感触をいつまでも覚えている脳か、もしくは手に対する苛立ちだ。
クソ。
ペン立てにささっていたカッターを取り、左の手のひらをなぞる。カッターの刃が歩いた後にはくっきりと赤い線が残り、次第にじくじくと痛みが湧いてくる。
おお、いいじゃん、クソハンド。
次はもっと深く、勢いよく。
皮膚がぱっくりと割れ、赤赤とした肉が顔を覗かせる。先とは比べ物にならない痛みが脳を劈き、それによってあの感触が薄らぐ。
「クソ」
思い切り、刃を走らせる。血が少し机にも飛ぶ。
「クソ」
もう一度。こんどは指の関節辺り。かなり深かったのか、肉が薄いそこでは桃色の代わりに白が僅かに現れる。
「クソ」
左手に残る感触はマシになってきたが、まだ無傷の右手には色濃く残っている。
だからカッターを持ち替えて今度は反対の手。これまた思い切り走らせた刃は肉を切り裂き、手のひらに赤い水溜まりができる。
「クソ、クソ、クソ、クソ」
もう一回。もう一回。もう一回もう一回。
何度も、何度も繰り返す。
繰り返す度に痛みは増し、それに反比例するようにあの感触が薄く、薄く、薄くなる。
「クソ、クソ、クソ、クソ!クソ!クソ!」
薄くはなる。
薄くはなるが、どうしても消えてくれない。
きってもキッテも切っても斬っても刃っても斫っても、手が真っ赤になっても刃が折れても、痛みの奥に、微かに残っていやがる。
「クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!クソ!ク──」
「兄ちゃん!」
翔太の渾身の右ストレートが見事に入り、ベッドに倒れ込んでカッターを手放す。
「おま、何すん……て、か」
何してんだ、俺。
両手は手相が無くなりそうな程傷だらけになり、元は肌色だったなんて信じられない程真っ赤に染まっていた。
只、唯一のメリットとして。
あの感触は、消えていた。
「な、何、してんだよ、兄ちゃん……」
「わり。なんでもねーよ。ほんとごめんな。ありがと。」
「なんでもなくねぇだろ……」
翔太の渾身の右ストレートはおふざけ対応ではなく、翔太なりに考えた対処法だったようだ。俺のこのザマを見た翔太は、端的に言えばドン引きしていた。
当たり前だ。俺だって自分でドン引きしている。
「き、救急車……」
「いやいいよいいよ」
「よくねぇよキチガイ!」
「えー……」
目の前の本人に向かってあんまりな言い方だが、まったくもってその通りだから言い返せない。反論の余地なし。
『なんか兄ちゃんが頭おかしくなって自分で手切り刻んでて……いや手首じゃなくて手のひらを……』という弟の緊急通報により、俺は救急車で搬送された。
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