第8話 おせっかい


「……おい、僚哉」

「ん、何。」


 例の一日を乗り越えた、翌日。俺は普通に学校に来ていた。

 四限が終わって昼休みに入るタイミングで、例によって恭太と勇正がやってくる。しかし今回はいつもと違い、その声のトーンがかなり低い。

 勇正の手にはスマートフォン。それは一本の動画を流している。


「これ、お前だろ。」


 それは、かなり衝撃的な映像。

 少年ともいえるくらい若い私服の男が、都内も都内、首都の中心の人だかりの中で人目も気にせずおっさんをぎったぎたにボコっている動画。『無差別殺人未遂のキチガイ、無事シメられる』という一文と共に投稿されたその動画は、既に万を超えるリツイートを積んでいた。

 撮影者との距離はそれなりに遠いらしく、その顔は判別できるほど写っていない。


「知らんなあ」

「あんなぁ……お前と遊び行ったときとか、この服見たことあるし……」

「俺らにくらい話してくれない?」


 それは、無理だ。

 簡単に人に話せるような事では無いし、何より言って信じてもらえるようなものじゃない。


「ごめん、それは──」


 無理な相談だ。

 二人の願いを断ろうとしたとき、後ろから背中をつつかれる。振り返ると、そこには。


「えと、こんにちは。」




「えっと……いいの?ここ」

「大丈夫大丈夫。昼は誰も来ないから。」


 昼の時間、ちょっと二人で話せない?

 思いがけない逆ナンに遭遇した我は、『二人で話せる場所』として女子バスケットボール部の部室に連れ込まれた。部室、という事は普段女バスの部員たちの行為場所。つまり勝手にではないがある意味で女子更衣室に入っている。なんかいい匂いするし、背徳感が半端ない。目移りしちゃう。下着とか下がってないかな。


「あのー、そろそろいい、ですか?」

「あ、ごめんごめん」


 さすがにガン見しすぎだったか。引かれても仕方ない。だが、寧ろ引いてるのは俺の方だ。

 俺をここに連れてきたのは言うまでも無く、松井麗華。

 見ず、ではなくとも殆ど知らずの男を二人きりでこんな所に連れてくるとは。しかも『今の松井』が知っている『中武僚哉』は、殺人未遂犯をギタギタに蹴り飛ばし踏みつける男だ。下手したら犯人よりも危険人物。

 それなのにこの警戒のNASA。


「ちょーっと、頭おかしいんじゃないの?」

「なっ……!…まぁ、そうかも、ですね。」


 松井は眉間に皺を寄せるも、俺の言わんとする事を理解したのか不本意ながらも肯定する。

 松井は弁当を拡げて「そんなことより!」と手を叩く。


「あなたのお陰で呼び出しまでくらって、大変だったんですからね!」

「は、はぁ…?……あ。」


 俺だって今のところ恭太と勇正にしか気づかれてないのに、なんで?と、聞こうとして、先の映像を思い出す。

 そこには、後ろから抱きつくように俺を止める女子高生も映っていた。その少女は学校帰りに直接そこに来ていたから、当然制服のまま。

 特定、早いなあ。


「まず名前を教えてください。」

「中武、僚哉。」


 敬語が、気持ち悪い。

 元々敬語じゃなかったのだって、別に心の距離が近かったから、ではない。最初から互いに互いを全く尊敬していなかったから、というだけだ。

 しかしそれでも、敬語で話される度に失ってしまった時間を思い知らされるようで、心にぐさりと何かが刺さる。

 松井が喜んでいたかはわからないが、自分と同じ人間がいた!という喜びは、無くなってしまった。

 今の松井は、『俺と同じ人間』ではないのだから。


「昨日の事は怖くて殆ど覚えてない、としか話してません。話してくれませんか?昨日の事。」

「話すも何も、あれが全部だよ。偶然居合わせて、ついかっとなって犯人を蹴った。それだけ。」

「嘘。爆竹みたいな音。聞こえましたよ。トラックを妨害する男を目撃した、みたいな話もネットでいくつか見ました。」


 松井は大きな口を開けてから揚げを頬張りながら、しかし眼差しだけは真剣にこちらを見つめる。こら、口に物入ったまま喋るんじゃない。

 だいたい、なんでそこまで気にかけるんだ。お前は本当に偶然居合わせただけじゃないか。

 少しイライラして、それを鎮めるためにため息吐きつつ松井に聞くと。


「昨日、私に話しかけたのは間違いじゃないんじゃないですか?ごめんなさい。私は中武君の事覚えてません。だけどなぜか、とこかで話したような気がするんです。」

「………!」


 それ以上は、いけない。

 お前は、お前の体はきっと自分の心を守るために記憶を消したんだ。殺される記憶なんて、普通の子供が背負うには重すぎる。

 もう事件は終わった。これで終わり。掘り返す必要なんて、微塵もない。


「飯食い終わったから帰るわ。俺は人違いだったし、松井もきっと人違いだよ。」

「あ、ちょっと……」


 弁当をさっさと片付けて立ち上がる。このいい匂い空間から離れるのは少しばかり、いや結構…かなり名残惜しいが、だがそれよりもこれ以上松井とは共にいるべきでない。

 既に意味の分からない事ばかり起きているんだ。もしかしたら一緒にいるうちに記憶がフラッシュバックする、なんて事が起きるかもしれない。

 そんなこと、あってはならない。


「ちょっと、待ってってば!」


 一方、制止を全く聞かずに僚哉が出ていった後の扉を只見つめる麗華の疑念は、少しずつ確信に近づいていく。

 彼は、自分を『松井』と呼んだ。自分の口からは、一言も名を告げていないのに。

 だったら彼は、彼と私はどういう関係なんだろう?

 『話したことがある気がする』と話した時、彼は嬉しそうで、しかしそれよりも不安そうな表情になった。話してみた感じからも、彼の本質は昨日の恐ろしかったあれではないのでは、と思う。

 やはり私は何か忘れているのだろうか。もしかしたら。もし昨日話しかけられた時、違う反応をしていたら彼はあそこまで壊れずにすんだのではないか。

 昨日の彼は、確かに怖かった。しかしそれは、単純に暴力的だったから、ではない。あの時の彼は、只かっとなったなんてレベルじゃない。大切な人を殺されたかのような程に、犯人に憎しみの目を向けていた。その怒りと、人をそこまで怒らせるような存在に恐怖した。一体、何があったのか、何をされたのかと。

 自分の方は何も覚えてないのに、なぜか思ってしまう。

 もし彼が壊れる前に何かできていれば。私に彼を救えるのならば、そうしたい、なんて。

 と、そこまで考えた時。


「えっ……!?な、なにこれ!?」


 景色が視界が端から、まるで眼球に絵の具をたらされているように黒く、黒く染まっていく。





「あれ、隣のクラスの松井さんだよね?」

「お前、いつの間に……この野郎っ!」


 教室に戻ると、二人にどつかれる。

 そりゃまぁ、なんの繋がりもない他クラスの女子が飯に誘ってくるのを見たらびっくりするのも当然だ。

 そんなに明るい話じゃないんだけどな。寧ろ今現在の高校生の中で一番暗い話、という自信さえある。こんな自信、いらねえよ。


「いや別に、そういう話じゃ──」


 と、言いかけた時。

 最早慣れてしまった突然の睡魔が、俺を襲った。






「おーい、僚哉?」


 ……いや。


「うっそだろ……」

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