第7話 おれだけで
「……えーっ……え?」
松井は、俺の事を完全に忘れていた。いや、『俺の事』というより『くりかえしの事』を忘れていた。死ぬと記憶が消えてしまうのか。
もしくはそれ以前に、俺の知っている「松井麗華」では無いのかもしれない。俺の知っている彼女は前回死に、今目の前にいるのは俺の知らない彼女。俺を知らない彼女。
「あー、ごめん。人違いだったわ。いやあ、恥ずかしいな。忘れて!」
「ちょ、ちょっと!」
問題ない。突然で少し驚いたが、元々止めようとしていたのだ。覚えていないのならそれで良い。むしろ殺される記憶がないのなら、その方が都合が良いだろう。その方が彼女にとって、良いだろう。これは彼女自身の、心身を守るための選択なのかもしれない。
少しばかり寂しいのは事実だ。が、出会い方もそこそこ最悪だった。もしこれからかかわることがあれば、もう少しましな出会い方が良いな。いや、今の彼女の中で既に俺は不審者扱いか。
「麗華?」
「あ……うん。」
「大丈夫?」
先の男の後ろ姿を目で追いつつも、うん、と取り敢えず頷く。
初対面なのに馴れ馴れしく接してきた彼は、初対面のはずなのにどこかで会ったような、話したような。そんな気がした。だが、記憶のどこを探しても彼の存在は見当たらない。そんな自分の反応を見た時、彼は心底残念そうな顔をした。
「麗華ぁーー……」
考え込んでいると佳純が疑念、というより興味の目でこちらを覗き込む。
「もしかしてぇ、元カレ?」
「え、違うよ」
元カレ。そんな甘ったるい関係ではない。甘ったるい関係ではない?高校生で甘ったるくない関係だなんて、ならば何というのだ。
松井麗華は一人、己のものでは無いような記憶と奮闘していた。
仮にも十八禁のエリアに入るのだ。今回は家に寄ってちゃちゃっと私服に着替える。だがそれ以外にやる事は一緒だ。そもそも、前回の俺の役回りは地味、というかはっきり言ってなくてもいいようなものだった。でもそれである程度いいとこまで行ったのも事実。だから今回は二人分の役割を一人でこなす。それだけだ。
前回と同じ物を購入し、目的地へ向かう。
それは、馬鹿みたいにスムーズに進んだ。
思えばこれは一体何回目だろうか。最初は何が起きたかも訳がわからず、二回目はここに来て無力感に打ちひしがれた。ああ、あのときはおっさんに助けられたっけ。あのおっさんももう俺のこと覚えてないんだよな。松井みたいに。
そういえばその後は意味のわからないタイミングで巻き戻された事もあった。松井が友達と喧嘩した時だ。あの時は驚いた。この『くりかえし』は、松井の強い後悔の念か何かが引き金になっているのかもしれない。
……ん?
もし、もし仮に。『くりかえし』のきっかけが松井の後悔だとしたら。
なぜ最初のタイムリープが発生したのだろうか。なぜ奴は、後悔したのだろうか。
事件のニュースを見て無力感にでも襲われた?自分が全く関わっていない事件にそんな責任感を感じるはずがない。
そういえばあいつ、最初ここにいたんだっけか……!?
そうだ、あいつは最初に俺がトラックを指さした時、見覚えがある、というような反応をしていた。
クソ、なんで、なんで忘れてた、俺!
辺りを見回すが、たとえいたところでこの人ごみの中から見つけられるはずがない。
そう、あいつはあの友達と帰る様子だった。ここに、来るのか?
なんでこんな遠出すんだよ。あー腹立つ。生意気だなくそが。
松井を探し回ってるうちに、気付いたら時間が来ていてしまった。結局見つからないまま。
仕方ない。俺がトラックを止めればいい、それだけの話だ。
前回、俺がスタートしたのと向かい側、松井がスタートした位置につく。トラックに近い方だ。
信号が青になると同時、俺は一番車側の先頭ではなく、少し後ろを行く。ごく普通に、焦らずに歩く。ちらとトラックの運転席を覗けば、やはり犯人は目を見開いて呼吸も荒い。いつも通りの不審者だ。
向かい側とこちら側、両方の先頭が交差する時、トラックは動き出す。
その直前。前回と同じように運転手の男の背筋が少し、スッと伸びたとき。火薬銃の引き金を引く。突然の爆音に周囲の人間はねこだましでもされたようにパッと顔を上げ、こちらを見る。
同時、トラックが場違いにも急発進するが、すかさず紙袋に入れていたバケツを進路上にひっくり返す。
前回と同じように左のタイヤを取られたトラックは左に旋回。しかし前回ほどうまくはいかなかったのか左方にそれながらも進み続けた。
と、言っても大したスピードも出ず、気が動転した人間でも避けられる程度のノロマと貸していた。
成功だ。
だが、ここからだ。
縁石に乗り上げたトラック、俺はすかさずそれを追う。
予想外の妨害をされて気が立った犯人は運転席から出てくるが、そんなことは知っている。
俺がちょうどトラックに追いついた時。運転席の扉がゆっくりと開かれる。
男の目は虚ろ。何を見ているか、見えているのかさえもわからない。わかりたくもない。「あ……ああ……」とでも呻きそうな顔だが、動きが鈍いのはありがたかった。
俺は開いた扉から出てきた腕をつかみ、思い切り引っ張って引きずり出す。
トラックの運転席は結構な高さだ。不意に引っ張られた男は半分落ちるような形で地面に激突、「うぐっ」と小さく漏らす。
そして俺が引いたのとは逆の左手、そこには確かにナイフが握られていた。
倒れた男が起き上がる前に、その左手を踏みつけ、踏みつけ、踏みつける。
地団駄を踏む子供のように何度も踏んでいると、やがてその手の力は緩み、ナイフを手放す。俺はそれを遠くへ蹴飛ばした。
よし、凶器は失った。これで少しは安心できるだろう。
今度はうつぶせのままの男の顔を踏みつける。
まだ動きだす恐れがあるのだから。
もう一度踏みつける。
念には念を、だ。こんな狂った事をしでかす輩。何を考えているかわからない。
今度は蹴飛ばす。
本当、本当だよ。お前、何考えてんだよ。迷惑な事しやがって。
仰向けになったから今度は鳩尾に蹴りを入れる。
なにより。
なにより俺の唯一の理解者だった、松井を殺してくれやがって。短いつきあいだったが、大切な仲間だった。今でもこのループのお陰で生きてはいるが、もうあの時の松井はいない。
ひん曲がった鼻やすれた頬からの出血で、男の顔は既にぐちゃぐちゃになっていた。
よし、今度はその汚え面に直接──
「あのっ!…も、もう、大丈夫だよっ…!」
「…ん?」
背後から、誰かが俺を制止する声が聞こえた。
いやいや、大丈夫じゃあないよ。だってまだ動いてるもん。コイツは大量殺人を目論むような異常者。動かなくなるまで懲らしめないと危険なのだ。
だから取りあえずもう一発──
「ねぇってば!!」
俺が足を上げたところで、それを後ろから抱きついてきた誰かに止められる。
どうしてお前がここにいるのか。否、やはりいたのか。それは松井麗華だった。
「離せよ。コイツはお前だって殺そうとすんだぞ。」
「もう十分だよ!よく見て!!」
よく見ろって、コイツはまだ動いて……痙攣してる。
ハッと気付いて周りを見ると、俺の周りを囲むように人だかりが出来ていた。彼らの視線は犯人ではなく、俺へと向けられている。その瞳に込められるは恐怖や畏怖や…平たく言えばドン引きされていた。
ヤバイ。冷静になってきまきた。やり過ぎました。
どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう!
や、やめろ、動画を撮るな…!
とにかくここは。
「撤退あるのみだな。」
「えっ……」
「あばよっ!」
俺は、俺の意識を取り戻させてくれた松井に礼も言わずに走った。バケツやら紙袋やら、足が付きそうだから拾って、逃げる。このままここにいては絶対警察にお呼ばれになるし、その場合の言い訳なんて持ち合わせていない。
兎にも角にも今は撤退、撤退だ!!
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