第5話 すくいのて


「れーか!今日暇?」


 聞き飽きた、死の誘い。知っている。次に来るフレーズは『渋谷行こ、そろそろ弓美の誕プレ買っとこうよ』だ。


「渋谷行こ!そろそろ弓美の誕プレ買っとこうよ。」



 今日この日、本来私は今目の前にいる友人、山下佳純と共に共通の友人、高山弓美の誕生日プレゼントを探しに渋谷へと駆り出していた。

 沢山歩いて、沢山店を回って。時間はかかったが満足いく物を買うことが出来た。結構な時間になったから家に連絡を入れてからどこかで夕飯を済ませてから帰ることになった。

 うちは親いないからいいけど、そっちは大丈夫?うん、おっけーだって。どこにする?結構お金使っちゃったからね、サイゼで良くない?

 そんな会話をしながら交差点を渡っていたその時、それは突然に起きた。

 歩行者信号が青のはずなのに、唸るエンジン音。その音源に成す術無く轢き潰される大勢の人々。

 次第に状況を飲み込み、パニックなり。そして互いに押し合って倒れ伏す人々。

私は後者の集団にいた。

 迫る巨大な鉄の塊。それを前にして私の足は全く動かなかった。動け、走れ!そう念じても脳波が完全に断たれた。まるで自分の中の体では無いかのように、私の足はピクリとも反応しなかった。


「麗華!!」


 それはきっと、私が轢かれる直前だった。隣にいた佳純が私を突き飛ばしたのだ。

 そして反動で私と反対側に仰け反った佳純。彼女は私の目の前で、ぐちゃりと音をたてて潰れた。実際の音は、そんなにかわいいものじゃない。

 トラックは私を轢けなかった事も佳純を轢き潰したことも気にせず、その後も進み続ける。嫌な音をたてながら、人を轢き続ける。

 私は、只見ていることしか出来なかった。トラックの去った後。佳純は変な形に曲がったまま動かない。近づいて声をかける事も、泣きながら抱きつく事も出来ず、ただ『佳純だったモノ』に目を奪われていた。


 その後の事はあまり覚えていない。救急やら警察やらにお世話になり、親も迎えに来て家に着いた時間も見ていない。どこに行っても誰に話しかけられても、私の目には佳純の最期しか写っていなかった。直接目玉に印刷されたように、その光景だけが忘れられなかった。

 家に着き、シャワーも浴びず歯も磨かず服も着替えず。両親が何か言うのも無視して私は一人部屋に籠った。ベッドまで歩く気力も無くその場に倒れるように寝転がる。

 少し冷静になれたのか、佳純との思い出が一気にフラッシュバックした。

彼女とは中学の頃からの仲。佳純は両親がネグレクト気味で、いつもお腹を空かせていた。幸い通っていた学校はそれなりに平和だったからイジメは受けていなかったが、皆からは同情の目で見られていた。

 私も、佳純を同情の目で見る一人だった。

 学校からの下校途中にあった彼女の家。ある日佳純はアパートのドアの前でしゃがみこんでいた。大して話したこともない仲。でもなんとなく気になって声をかけた。

 鍵が無くて家に入れない。佳純は一言そう答えた。部活も終わったそれなりに遅い時間。図書館で時間を潰していたらしいが、下校時間で帰ってきたという。更に聞くと、彼女の両親はこのまま帰ってこない事まであると。

 私は半ば無理やり佳純の手を引いて家に上げた。風呂に入らせ、帰り途中にドラッグストアで買った下着を着せて、同じ飯を食わせた。佳純はこんなに美味しいご飯は初めてだ、と泣きながらおかわりをした。


 これが、佳純との付き合いの始まりだった。


 その後も私の両親は佳純を歓迎してくれた。佳純は次第に明るくなり、周りから同情の目でみられることもすっかり無くなった。

 高校に上がると同時、佳純の両親はどちらも家を出た。ダブル不倫らしい。が、家賃も払われるし毎月それなりの金を振り込んでくれるから前よかよっぽど楽だ、と彼女は高笑いしていた。

 そんな私の親友。

 彼女のお陰で、私は生きている。私のせいで、彼女は死んだ。

涙と鼻水で床に水溜まりを作りながら空を睨む。

 なんで、どうして。理不尽だ。どうしてこんな目に遭うのか。私はこれから、どんな顔をして生きていけばいいのか。いっそ死んだ方がいいのか。捨てる?佳純が命を賭して救ったこの命を?


 一体どれくらいの時間がたったのかわからない。次第に視界が暗くなってきた。目の前が真っ暗なのはずっとそうだ。これは比喩的な意味ではなく本当に目を閉じていないのに視界が暗くなってきたのだ。しかしこの時泣きつかれたから眠くなってきたのかな。と、そう思っていた。そして瞳を閉じた、その途端。

 突然に周りが騒々しくなった。驚いて目を開くと。


「れーか!今日暇?」


 佳純が、私を庇って死んだはずの親友が立っていた。


「?おーい、麗華?どした?」


 状況を飲み込めず、暫くその場でフリーズする。これは、一体……?

 神様が私にやり直しのチャンスをくれたとでも言うのだろうか。だとしたら、どれほどありがたい事か。

 やがて状況を理解は出来ないがなんとか飲み込んだ時。知らず知らずのうちに私の瞳からは涙が溢れていたらしい。


「えっ!ちょっと!?どしたの!?」


 佳純だけでなくそれに気付いた周りのクラスメイトまで心配してわらわらと集まってくる。ああ、なんて平和で、幸せな世界だろう。私はこれを、絶対に失いたくない。手放してたまるものか。


「え、あ、ううん。ごめん、何でもないよ。あの、昨日みた映画急に思い出しちゃって」

「なんだよそれ~」


 適当に取り繕うとなんだぁ、と皆笑う。

 そして佳純が口を開く前に、こちらが先手をうつ。


「佳純、最近近所にケーキ屋さんできたじゃん、あれ行かない?うちで食べようよ!」

「お、いいね!弓美の誕プレ買いに行こうと思ってたけど……まぁ結構先だから今度でいいか!」


 今日、今日だけは。佳純を渋谷へなんて行かせない。その思いだけだった。

ケーキ屋につくと、佳純はモンブラン、私は自分にチーズケーキと両親用にショートケーキとチョコレートケーキを選んだ。会計はまとめて私が払う。どうせ殆ど私が買うものだから、今回は奢ってやるよ、と。実際は佳純へのお礼だ。勿論佳純は覚えていないし、命を救われた礼にしては安すぎるが、気休めにでも受け取ってほしかった。

 家に着くと、母親はいつも通り快く佳純を迎える。専業主婦ではないが、漫画家の母親は基本的に家にいるのだ。今日は晩御飯まで食べていきない、という母親の言葉によってケーキは食後のお楽しみになった。

 私の部屋でお菓子を開いて駄弁る。学校でムカついた事への愚痴だったり、コイバナだったり。恐ろしくどうでもいい話で、どうしようもなく幸せな時間だった。

 やがて父親も仕事から帰り、四人で食卓を囲む。佳純がいたからテレビはつけなかった。

 佳純ちゃんが男の子だったら、麗華を結婚させたいくらいだなぁ。

 あら、女の子だけど構わないんじゃない?

 両親とそんな冗談を笑いながら食事をとる。本当に、女の子でも構わないんじゃないかくらいに私は思っている。何せ命の恩人だ。別に、そういう目で見てるわけじゃあないのだけれど。


 最後にケーキを食べ終わると、佳純は帰宅した。それと同時に私も寝支度を済ませて部屋に戻る。

 その後はベッドに寝転がって友人とラインをしていれば、気がつけばいい時間だ。

 避けていた事。ニュースだ。見るのが怖かった。だが、目をそらせば何とかなる問題でもない。意を決してネットを開いたその時。息が止まるような感覚がした。


『渋谷スクランブル交差点で大型トラック暴走、死傷者100人超』


 一気にドン底に叩き落とされる。

 佳純が生きている、それが何よりも嬉しくて周りが見えていなかった。私が行かなければこの事件は起きない、そんな因果関係があったりはしないか。などと甘えた考えもしていた。

 私は、この事件が起こることを知っていたのだ。知ってて、放っておいたのだ。 では、彼ら彼女らは私のせいで死んだのか?

 実態のない罪悪感に苛まれた。すると次第に視界が暗くなる。それは覚えのある感覚。

 目を開いたときにはやはり。




「れーか!今日暇?」


 頭がどうにかなりそうだった。

 やり直しのチャンスをくれたのが神様ならば問いたい。これではダメなのか。友と死なせたくない。自分も死にたくない。これではダメなのか。身勝手は許されないのか。死傷者百人超、それを救えと言うのか。


「おーい、麗華?どした?」

「……ゴメン。今日用事があって。」

「あ、そっか。じゃあまた今度でいいや。じゃねっ!」


 私は一人、渋谷へと向かった。だが、どうしろと言うのだ。轢かれそうになったときも、時間が止まったように感じていたがトラックなど存在を認識していただけで全く見えてはいなかった。つまるところトラックの特徴やらナンバーやらなんて覚えていない。そもそも百人超の人間を一人の高校生がどう動かすと言うのか。

何をするでもなくそこらをうろうろを歩き回る。時々現れるうざったいナンパを回避するだけで時間は過ぎ、徐々に焦り始める。

 しかし焦ったところで成す術は無く、結局六時を回った頃、私は交番へと駆け込んだ。


「あ、あの」

「こんばんは。どうかなさいましたか?」

「トラックが、危ないんです!このままだと、交差点でトラックが、助けてください!!」


 自分で思い出して恥ずかしい程、支離滅裂と言うか、脈絡が無いと言うか。交番の警官も首を傾げる。私は詳しい説明も出来ないままに交番を飛び出した。詳しい説明などできるものか。私は未来から来ました、とでも言えと?それを信じる人間がいたらむしろ引く。

 そして私は結局、トラックが次々に人を轢き殺すのを見ることしか出来なかった。無力だ。私には、何も出来ない。未来がわかっていてすら、事件の被害者をひとり減らす事も出来ないのだ。

 何故、どうして私が選ばれた。もっと有能な人間は沢山いるはずだ。

 私は、何のために生きているのだ。

 沢山の死体と血液。それを只呆然と眺めていると、やがて視界が端から暗く、黒く染まり始める。

 やめて、下さい。お願いします。私は何度やり直しても、精々自分が生き延びることで精一杯なんです。どうか、どうか他の人間に───




「れーか!今日暇?」

「…………。」


 もう、勘弁して下さい。


「麗華?どした?」


 私は、只の高校生。一雑魚キャラ。そんな私に、一体誰が、どんな期待をしてこんな目に。


「おーい、麗華ー??」


 ああ、うるさい。うるさいうるさいうるさい。知るか。知るか知るか知るか。もう、疲れたんだよ。面倒なんだよ。何だ、誰が悪いんだ、私か?違うだろう。じゃあ、佳純か?そう、佳純がそもそも私を誘ったりしなければ、渋谷の事件なんて『今日渋谷起きた事件』というだけで済んだのだ。そもそも行かなければ、関わることもなかった。


「ちょっと──」

「もうやだ!やめて!話しかけないで!!」


 それだけ叫んで私は教室を飛び出した。廊下で誰かにぶつかったが、ろくに謝りもせずに走る。走って学校を出て、走って電車に乗って。私は息をあげながら鞄を膝に抱え、ドアの脇でしゃがみこんだ。

 ああ、やってしまった。心にもない事を言ってしまった。佳純は何が何やら、分からないだろう。これは私の問題なのに、佳純に押し付けてしまった。

 何をやっているんだ、私は。

 佳純はそんなに脆くないから傷ついてはいないだろう。きっと今頃心の底から困惑している。でも、だから良いという話ではない。

 未来がわかっていても、事件の被害者をひとりでも減らすどころか、親友にあたってヒステリックになって、教室を飛び出して。私は、本当に救いようが無い。いっそ次の駅で降りてその後の電車に身投げでもしてやろうか。沢山の人々に迷惑は掛かるが、このまま時間が停滞するよりはマシだろう。

 いや、でもそうすると佳純が胸にわだかまりを残したままになってしまうかもしれない。それは駄目だ。佳純に迷惑を掛けたままでは死ねない。

 次第に視界が黒くベールが掛かるように暗くなっていく。よし、これでいい。佳純と、あと両親や他の友人にお礼を言って、このループを終わりにしよう。


 私の死によって。




「れーか!今日暇?」


 聞きあきた佳純の声。それもこれで最後。


「渋谷行こ!そろそろ弓美の誕プレ買っとこうよ。」

「……佳純、ごめん。今日は渋谷には行かないで。」


 私は死ぬ。が、佳純には生きてほしい。辛い生活を乗り越えて今をこんなにも幸せに生きているのだ。あんな死に方をしていい人間じゃない。

 私が死んでも、私の事は忘れて頼むから元気に生きてくれ。遺書にでも書いておこうか。信じてもらえないだろうけど私の身に起きた事を綴ってもいいかな。


「……?そっか。てか、渋谷に行かないでってのは?」

「あと。今まで、本当に──」


 首を傾げる佳純の疑問を無視して別れの挨拶をしかけたその時。教室の扉が思い切り開かれる音でクラス中が気を取られる。勿論私と佳純も例外ではない。

 そしてその扉を開けた張本人は更に騒々しい声を張り上げて。


「ほけんいーんの松井さん、いますかー!」



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