第33話 サクラさんはちょいちょい出してました
聖女。
それは一説には天の声を聞くとされる神聖かつ崇高な存在だ。
ただ、この現代の聖女は人々の前に出て慈悲を施すような存在ではなかった。というか一般人は不思議な力を持った聖女が存在している事すら知らないだろう。そんなものはファンタジー世界の中だけの話だと思っているはずだ。
第一、天の声を聞く手段が携帯電話って……え、何それヤバすぎない? 超文明?
内なる聖気を吹き込み一時的に聖物化した携帯で天界と通話できるという驚きの便利能力が彼女には備わっているらしい。天使にも同様の力の使い方ができるそうだ。ミカエル君から掛かってきたのもそれみたい。
とまあ、サクラはそう説明してくれたけれど、僕は何をどう言っていいのかわからず愛想笑いを貼り付けて頷くに留めた。
「いっつも僕の愚痴を聞いてくれてありがとう聖女ちゃん!」
「いいえ。私こそよく弱音や愚痴を聞いて頂いていましたし、とても感謝してるんですよ?」
携帯は既に元の状態に戻っていて、二人は普通に会話している。
「うん? でも何で厳重に護られた大教会にいるはずの聖女ちゃんがこんな所にいるの? 世界の邪気や淀みを陰ながら浄化する聖なるヒロインだよねえ?」
ここでミカエル君はハッとした。
僕の方を驚愕の眼差しで見つめてくる。
「ままままさかこの彼と駆け落ち!?」
「はあ!? 誤解も誤解だよ!」
意表を突かれた僕は素っ頓狂な声を上げる。
ほら見てよそこの黒づくめさんたちが血涙流してるじゃないかあ!
「そこまで強く否定なさらなくても……」
「えっ、あっ、ごめん!? けどサクラの名誉にも関わるし」
「……むしろ光栄ですのに」
「え? 何て?」
彼女は拗ねるような目をしたけれど、大して気にはならなかったのかすぐに表情を元に戻す。
「色恋沙汰ではありません。ただ、私が存在意義を見出せなくなったので家出して彼に偶然匿ってもらっただけですよ」
偶然……ねえ?
半ば押しかけって言うか、ごり押しだったような?
「ええと、どゆこと聖女ちゃん?」
サクラは小さく嘆息した。
「私は現役の聖女ですが、聖女に欠員が出た場合の聖女候補は他にも大勢おりますし、大教会内部では名前で呼ばれることはほとんどありません。多くの人から感謝されるのは嫌いではありませんが、私は私としての人生を歩んでいないのでは、とそう思い詰めるようになってしまったのです。いつしか、聖女として君臨するのが私じゃなくてもいいのでは、とも……」
そうか、だから彼女は自分の名前を必要ない……なんて悲しそうにしてたんだ。
「教会組織に秘匿され、現代では聖女やその候補達は公の存在ではありませんし、存在を知る一握りの周囲から聖女聖女と祭り上げられ、教会のために浄化の力を使う度に自分がポロポロと欠けて行くような、そんな気分に襲われていたのです。自分を出すことは許されず、常に誰かの救いの対象でいなければならない。私は弱い人間なのでそんな重責にとうとう耐えられなくなってしまったのです。それで密かに大教会から抜け出したのですが、一月程で路銀も尽きてしまい……そこを神代君に救われたのです」
僕も、ミカエル君も、ガブリエルさんも、一様に驚いた表情でサクラを見ている。
黒づくめたちは気まずげに視線を逸らしていた。
なるほどね。逃げ出したのはだからか。でも大教会がどこにあるのか知らないけれど、逃亡スキルちょっと凄くない?
「皆さん、こんな私に幻滅なさいましたか?」
どこか陰りを帯びて浮かべる微笑。
「いやそんなことないよ。君はたくさん悩んでも最後には逃げ出しっ放しにしない人でしょ。聖女の休暇だと思えばいいんじゃないかな」
「休暇……?」
「そうだよ聖女ちゃん。僕は聖女ちゃんが君じゃなかったら愚痴なんて零せなかったよ。だから君で良かったと思ってる! これからだってずっと!」
「ミカちゃん……」
サクラは言葉が心に響いたのか、少し涙ぐむ。
「事情は大体わかりました。サクラさん、あなたでなければ意味なんてないのです。こうして地上で出会えたことにも意味があるのでしょうし。あなたはあなたの居場所にとって必要なのですよ、少なくとも今ここにだって。……私にも今度電話して下さいね? ミカエルよりは有意義なトークが、とりわけ女子トークができると思いますよ」
「ガブリエルさん……。はい、必ず。皆さん励ましありがとうございます。皆さんに迷惑はかけてしまいましたが、意を決して出奔してきて良かったなって思います」
サクラは両目を細め、可憐な笑みを浮かべた。
何か吹っ切れたのか、彼女は携帯を僕に返して両手をパチンと打ち合わせる。
「というわけで、私はミカちゃんの味方です。ミカちゃんがデートできるように応援します。神様を見つけましょう」
「聖女ちゃん……!! うううっ感動だよ~。でも見つかるかなあ~……」
「大丈夫ですよ。だってもうここに居ますもの」
そしてくるりと身を反転させると、強い思いを宿した瞳で僕を見る。
「ねえ? ――――神様?」
「…………」
いきなり何を言い出すんだろうねこの子はっ。
ほら~、ミカエル君もガブリエルさんも目玉が飛び出さんばかりの形相でこっち見てるし。
でもまだ半信半疑って感じかな。
どう見ても僕はただの一般人だしね。
だって本当に神代アヤトはただの人間なんだから。
だけど僕の中の僕がここは素直に降参したらと言ってくる。
ああ、そうだね。サクラの前じゃ惚けてもどうせ無意味だろう。……拾った時みたいに最後まで食い下がってくるねきっと。
僕は一つ溜息をつくと、意識をセーブモードから切り替える。僕の持ち得る情報が瞬時にしてこの手に舞い戻る。
本当に神代アヤトはただの人間だ。
その一生涯を神と共に生きるってだけの。
それが瀕死の人間の僕が神の僕と交わした僕が生き延びるための代償。
いや、降ってきた幸運か。
いや、与えられた祝福だ。
力をほぼ封じているから天使にも神父にも気付かれないだろうって油断していたよ。
けれど破格な聖女サクラは見抜いていた。彼女は作り笑いを深くする。
「お互いに事情を抱えていますし……と思って今まで合わせてきましたけれど、生涯恋など許されない身の私は、全面的にミカちゃんのバックアップを致します」
サクラは可愛らしく、かつ彼女には珍しく挑発するような目をした。
「聖女のこの私の目を欺けるとお思いですか?」
聖女と天使は聖なるものでも括りが違う。
普通の聖職者とも違う。
故にこそ、聖女なんだ。
その感覚や眼力はあらゆる神聖なものを捉えてしまう。
時に、神の片鱗でさえ。
「聖女ってさ、知覚に関しては天使以上に優秀なんだよね」
僕はとっくに尻尾を掴まれていた。思えば最初から彼女には全部お見通しだったんだろう。
だからよく彼女からは「神」って言われてた……? ハハハ。
おっとりしているようでこの娘も案外食えない。
僕は額を押さえて天を仰ぐと深い溜息をついた。
観念するしかなさそうだ。
そのまま目元まで滑らせた掌の下、口元に弱ったような笑みを浮かべる。
「当たり……半分は」
「半分、ですか?」
僕の返答を聞くまでもなく確信していたサクラはやっぱり驚かず、怪訝にした。
対照的にミカエル君とガブリエルさんはより一層驚愕の眼差しで僕を刮目って感じだった。混乱の中揃って金魚のように口をパクパクさせているのがちょっと面白い。お似合いの二人だね。
僕は手を脇に下ろすと少し力を解放。黒じゃなくなった裸眼を晒してサクラを見た。
ホログラムのように常に変化し、あまねく色彩を再現し、決して一色に例えられる事のない複雑怪奇な虹色の瞳がそこにはある。
「「そっその瞳は、かっ神様の証……!!」」
反射的に叫んで、後はもう口をあんぐり開けるミカエル君。
ガブリエルさんは彼女にしては有り得ない程に間の抜けた顔になっている。
仰天の余り互いに両手を握り合った格好になってる上に、本人たちにその自覚がなさそうなのがまたおかしい。
「じゃじゃじゃあホントに!?」
「道理で何も感じなかったわけですね。私たちよりも上位の存在だったのなら、意図して気配を隠せて当然ですから」
「まあそういう事」
手を取り合ったままの二人に、僕はにこりとしてみせた。
「トイレで姿を消したのはさ、別にミカエルが嫌いなわけじゃないから安心して」
「みゃッ!?」
「少しは気が晴れたし、後でちゃんと戻るよガブリエル。気を揉ませてごめんね」
「……」
僕の愛すべきお付きたちは、神妙そうになった。
この家出神を信じていいのか思案してるんだろう。
「あの、半分とはどういう意味ですか?」
すると、おずおずとサクラが言葉を挟む。
そうだ、まだ話の途中だったね。
天使達も何が「半分」正解なのか疑問に思うのは当たり前だ。
僕は答えを告げるべく、きちんとサクラの正面に向き直った。
「サクラ、厳密に言うと、僕は神であって神じゃない」
「え?」
「――言うなれば、神代理かな」
サクラは意味がわからないというような目をした。
まあ理解はできる。
神は神でありながらその他の存在でもいられる。
動物に生まれたり人に生まれたりできるんだ。
この通り、人間の男にだって。
まあ、ただ僕の場合事情は少々込み入っていて典型的なそれとは異なるんだけど。
天界でもこの神の存在の多様性はある程度上位の天使しか知らない。ミカエルとガブリエルは概念としては知っているだろうけれど、まさか実際にそんな僕を目の前にするとは思わなかったのか絶句している。
過去にそれをやったのはいずれも二人がいない時だったもんね。その点ウリエルは全部知っている。
「僕は死ぬはずのところを神に救われて、こうして神代アヤトって人間でありながら、また一方では神としても生きている」
サクラは顔から血の気を引かせた。
「死ぬはず、とは? 神代君に一体何があったのです?」
詰め寄る彼女はついさっきまでの超然とした聖女面をすっかりどこかへ失くしていて、泣きそうな表情で訴えてくる。
ここまで我が事のように反応されるとは思わなかった。
彼女に悲しい顔をさせて罪悪感すら湧く。
「登山中に滑落して一人遭難してね。怪我が酷かった。そこを救われたんだよ」
「そんなことが、あったのですか……」
「ごめんねサクラ。そんな顔させちゃって。でもほら昔の話で、僕はこんなにピンピンしてるでしょ、だからもう安心してよ」
「はい……」
気持ちの切り替えには少し時間が必要かもね。彼女は頭では納得しているものの、感情はまだ落ち着かないようだった。優しい彼女らしいよ。
「代理であろうと、神代君から感じる気はまんま神様なのですね」
「まあ、神代理みたいなものとは言え神でもあるからね。そういうわけだからさ、サクラ、――宗像桜」
僕はもう躊躇なく彼女をフルネームで呼んだ。
「偽る必要もなくなったし、もう本当の名前で呼んでいいよね」
息を呑んだ彼女に僕は人の悪い笑みを浮かべる。
「……やはりご存じだったのですね、私の名前を」
「まあ。実はさ、最初にちょっとズルして名前だけはこっそり
「……」
「あっでも他は何も知らないから安心してよ。普段は力を制限してて知識も本来の神代アヤトからは逸脱しないから。今日も明日もその先も僕は普通人の神代アヤトだから」
慌てた僕が釈明すれば、彼女は予想外にも頬を少し染めふわりと緩めた。
「名前、フルネームで久しぶりに呼ばれました。嬉しいです。それはでなくてもあなたにはずっとサクラサクラって呼んでもらっていて、その度に私がどれ程感激していたか、わかりますか?」
「え、……ああそっか、聖女だから名前呼びじゃないんだったっけ」
「はい」
「そんなに嬉しいんだ」
「はい!」
サクラは半分だけじゃない、全部での笑みを浮かべていた。
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