第27話 いつものはずの部屋
僕は今日もバイトだって言ってある。
念のため気を付けるようにも言ってある。
サクラは昨日や早朝と同じように「行ってらっしゃい」と微笑んでいた。
学校とバイトを終えた僕は、いつもより強くペダルを漕いで家路を急いだ。
部屋のドアを開けて、一瞬の放心。
最初部屋を間違ったのかと思った。
室内は真っ暗で、けれど匂いや空気感、家具からして自室なのは間違いないのに、どこかの寂寞とした別の場所に立ち入ってしまった心地になっていた。
「サクラ? いないの……?」
これは彼女が来る前までのいつもの風景だ。
なのに、こんな酷く心もとない気持ちになるなんて。
たった一日二日で大きな変化だった。
それだけ僕は無自覚にも彼女を強烈な存在として意識していたんだろう。
電気を点けて中を確かめたけれどやっぱり彼女の姿はない。
メモの一つもない。
自分の顔から血の気が引くのがわかる。
「まさか、連れ戻された……?」
でもミカエル君たちが約束を破るような真似はしないと思う。
宗像神父も。
彼ら以外の追っ手がいたとか?
それは十分あり得る話だった。
焦燥に駆られる僕は靴を突っ掛けるようにして部屋から出ると、サクラの借り物携帯の番号に掛けた。
耳に当てコール音を聞く。
「出ない」
一度室内に戻って耳を澄ます。着信音もバイブ音もしないから携帯電話はこの部屋にはない。たぶんサクラが持って出たんだろう。気だけが焦ってもう一度掛け直したところで、
「――あ、何だ良かった家に居たんだ。一人でそこでどうしたの? 感傷に耽ってるとか~?」
明るい声に振り返れば隣人の静さんが自分の部屋から出て来たところだった。
手には携帯を持っている。
育成ゲームでもしてたんだろうか。
「いえ、サクラを捜しに行こうかと」
「サクラちゃんを?」
静さんは怪訝そうにした。
「帰って来てないので、少し気がかりで」
「ふーん、なるほどなるほど~? 神代君、よりにもよって君がねえ?」
口に軽く手を当てる静さんは意味ありげににや~っとした。
「じゃから掛けて来おったのか。てっきりお姉さんへのお誘いの電話かと思ってドキドキしちゃったのう~?」
ええ? 何を言われてるのかよくわからない。お誘い……?
僕が辟易しているのを楽しんでいる節のある静さんだけれど、ふっと笑みを消して、持っていた携帯の画面を僕に見えるようにした。
「なーんて。これ、私がサクラちゃんに貸してた携帯よ」
そこには未だにコールし続けたままの僕の携帯番号が着信表示されている。
一瞬状況が飲み込めず、言葉なく瞬いた。
どうして静さんが?
静さんは電話を切って携帯をポケットに入れた。
「彼女、夕方これ返しに来たのよね。あと貸してた服とかも全部」
「え……? 何で……?」
僕はいつになく困惑した。
もう必要ないって事?
「何か居候期限が三日限定だったんだって? その期限が今日だからとか言ってたけど?」
「今日!? いや明日のはずなんですけど!?」
晴天の
どうして一日ズレがあるんだろう。
勘違い? いや数を数えられないわけはないし。
じゃあ何で?
今夜の約束だってしていたのに。
静さんは片眉を上げ、動揺する僕を意外そうな目で見つめてくる。
「考え方の違いなんじゃないのそれ」
「考え方? どういう……」
「どっから一日目を開始したかってこと。そこんとこ確認してなかったの?」
「――!」
ああそうか。
サクラは拾われた日を一日目と考えた。
僕は次の日からを一日目と考えた。
だから彼女は今日が最後の三日目だと思って自分から出て行った?
いやでも別れの挨拶だってしてないし、彼女が挨拶もしないで消える人間だとは思えない。
やっぱりトラブルが……?
と、その時、
「歩くの疲れたよガブリエルちゃん。飛ぼうよ~」
「バカですかあなたは……ってバカでしたね。ほら着きましたから我慢しなさい」
「えー。そうだ、ガブリエルちゃんお姫様抱っこして~?」
「……折角地上を満喫しているんですし、大地に
「いだだだだあああっ。冗談だよッだからそんなに足蹴にしないでよおおおっ!
ミカエル君とガブリエルさんがアパートに到着した。
相変わらず夫婦漫才をしている。
二人は外に出ている僕に気付くと、ガブリエルさんは会釈を、ミカエル君の方は手を振ってくれた。
「おこんばんは~」
「今晩は。夜分に失礼しますね」
「――約束しておいてすみません、実はサクラがいないんです」
僕は挨拶も忘れて二人に駆け寄ると頭を下げる。
そしてすぐに顔を上げて返答すら待ちきれないように訊ねた。
「二人や宗像神父の他にもサクラを捜している人たちっているんですか? 彼女を無理やり連れてったりしませんよね?」
「え、サクラちゃんいないの?」
ミカエル君が落胆の色を見せた。
静さんは気を遣ったのか気付けばいなかった。
いつの間に部屋に引っ込んだんだろ。
案外素早い所がある。
「神父? ……ああ。それに別働隊はいないはずですが」
「そうなんですか? じゃあやっぱり出て行った……? でも行く当てなんてあるの? 近場から捜してみるんで約束はまた後日じゃ駄目ですか? ……正直見つかるかはわからないですけど」
ガブリエルさんが自身の胸に片手を当てる。
「でしたら私たちも一緒にお手伝い致しますよ。元はこちらの用件ですし」
「え、でもいいんですか? ミカエル君は疲れてるみたいですよ」
「いいんですよ。少しは根性も逞しくなってもらわないと。ミカエル、私は頼りになる男性がタイプです」
「よっし張り切って捜すぞお~!!」
ミカエル君が一人先に敷地の外へと消えた。
「ね? チョロイでしょう?」
「ああハハハ……」
何だろう、ホント何だろうこの二人って……。
「それでは見つかっても見つからなくても三十分後にまたここ集合、でどうでしょう?」
僕は世の中のカップルの妙を思いつつ、ガブリエルさんに感謝する。
「じゃあそれで。何かすみません、ありがとうございます」
彼女はきょとんとしてから、
「あなたはどこか人を安心させてくれますね」
可笑しそうに苦笑を浮かべた。
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